肉体と悪魔のレビュー・感想・評価
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女神ガルボの圧倒的な存在感、そしてブラウン監督の誠実さとウィリアム・ダニエルズの素晴らしい撮影
クラレンス・ブラウン監督は、戦後の代表作「仔鹿物語」や「緑園の天使」で分かるように、良心的な話を優しく物語る善良さが最良の特長である。これは何もいいお話を題材に選んだという事ではなく、ブラウン監督の演出タッチの根本に、誠実さと道徳観念のある人間味を感じ取るからである。そして、今度のこの初期のサイレント作品は、幾分教訓めいた物語のため、押し付けがましい良心作となっているが、他の監督作品と比較すれば、その評定が間違っていないと思った。そして、この映画の美点が、ブラウンタッチに合致した名手ウィリアム・ダニエルズの撮影にあることは、誰もが認めて良いところである。実に清明でセンスの良い映像が全編に映し出され、50年前のフィルムとは思えない美しさだった。
士官学校生の主人公レオ(ジョン・ギルバート)は、休暇の帰省途中駅で出会った伯爵夫人フェリチタス(グレダ・ガルボ)に一目惚れする。舞踏会で再会、ふたりの仲は深まるが、彼女の家を訪れていたレオの前に夫のファン・ラーデ伯爵が現れて、その場で男の決闘の約束される。この翌日の決闘シーンがいい。丘の地表線を極度にフレームの下にして、人物をシルエットだけで表現した影絵のようなモノクロ映像だ。カメラがズームアウトして、対決するふたりが左右に歩き始めるとフレームアウトする大胆な構図。そして、合図と共に二個の硝煙が上がり、双方の介添人が奥の空の空間から現れ、左右の二人のもとへ駆け寄り消える。どちらが勝つかは分かり切った上でのこの表現の巧さと、次のカットのフェリチタスの服装で解らせるモンタージュ。サイレント映画らしい演出とカメラの技巧が素晴らしい。紳士の名誉を守るためとは言え、喧嘩の延長のような決闘そのものをカルカチュアしていると見てもいい。決闘の結果、軍から命令が下され、レオはアフリカに配属される。そして何と、その間に決闘の介添人も務めた親友のウルリヒがフェリチタスと結婚してしまう。レオが乗り物を使って帰りを急ぐシーンで、“フェリチタス”の文字が点滅するところが面白い。トーキー映画ならレオの連呼するモノローグであろう。一度は熱烈に愛を交わしたフェリチタスが、友人の妻に納まっているのに落胆したレオは、それからウルリヒの家に足が遠のく。後ろめたさと後悔に苛まれたウルリヒが病床に伏すと、フェリチタスはレオに再び誘いを掛ける。それは二人の関係がよりを戻す運命の如く、駆け落ちの約束までに至る。二転三転する三角関係、魅力ある女性と翻弄される男たちの結末や如何に。
しかし、こんな通俗的なストーリーにも拘らず最後まで魅せるのは、グレダ・ガルボの美貌と気品である。まさに女神のような美しさで、男たちを虜にしていく。やってることはヴァンプそのものであるのに、何故か許して観てしまうのだ。だが、このサイレント映画のテーマは、恋愛よりも友情に重きが置かれていた。こんなストーリーなのにハッピーエンドで決着するとは予想外である。物語自体に問題が無いとは言えないものの、ブラウン監督の誠実な演出タッチとダニエルズの名カメラ、そして何よりガルボの圧倒的な存在感で一見の価値があるサイレント映画だった。
1979年 6月1日 フィルムセンター
クラレンス・ブラウン監督は上記の数作しか観ていない。それでも淀川長治さんのハリウッド取材旅行記の中では、最も素敵で偉ぶらない紳士の一人として登場する。ハワイから同乗した飛行機で夜遅くまで映画を語り合い、ハリウッドでは親切に淀川さんと接した好人物の印象は、、映画の演出タッチから予想した通り。到着した飛行場で、迎えに来ていたダニエルズに、淀川さんに対して“sir”を使いなさいと要求したブラウン監督、当時のアメリカ映画の中では飾らないユーモアも持ち合わせていた名監督として印象強い。
グレタ・ガルボが魔性の美しさをいかんなく発揮した作品。あれほど美し...
グレタ・ガルボが魔性の美しさをいかんなく発揮した作品。あれほど美しければ男達が手玉にとられてしまうのも納得。結末はどちらに転ぶのかわからなかったが最後は友情と神の勝利だった。活弁も素晴らしく無声映画を十分に楽しめた。
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