嘆きの天使(1930)

解説

「サンダーボルト」「女の一生」のジョゼフ・フォン・スタンバーグ氏がウーファ社に招かれて渡独監督した映画である。原作はハインリヒ・マン氏の筆になるもので、それに基づきカール・ツックマイヤー氏及びカール・フォルモラー氏が潤色し、「東洋の秘密」「死の花嫁」のロベルト・リープマン氏が脚色し、「悲歌」「アスファルト」のギュンター・リッタウ氏と「悲歌」「死の銀嶺」のハンス・シュネーベルガー氏が撮影を担当した。主演者は「裏切者」「罪の街」のエミール・ヤニングス氏で、助演者として新しく抜擢されたマルレーネ・ディートリッヒ嬢、「タルチュフ」のローザ・ヴァレッティ嬢、クルト・ゲロン氏、ハンス・アルバース氏等が出演するウーファ特作映画。「アスファルト」「悲歌」と同じくエリッヒ・ポマー氏が製作指揮に当っている。

1930年製作/124分/ドイツ
原題または英題:The Blue Angel Der Blaue Engel

ストーリー

英語科を担当しているイマヌエル・ラート教授は、或る時受持ちの学生が取り落した淫猥な絵葉書写真から容易ならざる事実を知った。彼の受持の生徒の或る者が女買いをしている。相手はキャバレーに出演している踊り子である。教授は責任上その事実をたしかめるために生まれて始めてキャバレーなる場所の扉を開いた。案内されたのはローラとう問題の踊り子の部屋である。謹厳そのものゝような教授の生まじめな態度に興味を覚えたものかローラはいろいろと歓待する。彼女のあでやかさは教授に訪れて来た目的を忘れさせたばかりでなく、言いようのない魅惑を感じさせた。翌日になって夜が来ると教授は校舎続きの殺風景な一室に閉じ篭っていることが耐えられなかった。そして彼は遂いに意を決した如く一番上等なモーニングを着、髪の毛をくしけずって街に出て行った。そしてその晩、教授は遂々家に帰って来なかった。次の朝、いつもより気むずかしい顔をして教授が教室へ出て来ると、学生達が恋にはしゃいでいる。何気なく振向くと黒板は楽書でいっぱいである。教授は真紅になって学生達を怒鳴りつけた。学生達は、その怒鳴り声をいいしおにしてさわぎ立てる。遂いに校長が出て来て静かに教授を連れて行ってしまった。それから間もなくラート前教授がキャバレーの踊り子ローラと結婚したという耳珍しい噂を後に残して、彼等は巡業の旅に出た。だが旅の日を重ねるうち、貯えの金も使い果たした教授は、我が妻の裸体写真を酒場で売り歩くほどにまで身を落して行った。こうして二年三年と月日がたった。巡業団の出し物もだんだん種が尽きて来た。何か一花咲かす手段として首をひねった団長は一つの名案を思いついた。それは教授を道化者に変装させ、団長が得意とする手品のお相手を勤めさせることであった。この相談を持ちかけられた時、ラートは一旦断った。が、可愛いローラと二人で食っていかねばならぬことを考えた時、彼は承諾せずにはいられなかった。こうしてラートは生活のため人前に恥を忍んで旅から旅をめぐり歩いた。商売に抜け目のない団長はラートのこの浅間しく尾羽打ち枯らした姿を種にしてたんまり儲けようと、昔ラートが教授をしていた町で蓋を明けることに腹をきめ早速そこへ乗り込んだ。団長の思惑は流石に当って客はぎっしり詰めかけて来た。ラートがダブダブのカラーをして鼻をふくらませて舞台に出ると客は一斉にどっと笑った。犬の様な今の自分の道化姿を見て笑っている者の中にはその以前手塩にかけた教え子もあるであろう。そう考えるとラートの胸の中は煮え返るようであった。しかしこの時こんな思いをラートにさせておきながらローラは何をしていたか。彼女はラートが舞台に出ているのをいいことにしてかねてから情を通じていた一座の若い男と接吻を交わしていた。舞台のラートの眼にローラのこの不しだらが眼に入った。彼は突然舞台から降りるとローラへ恨めしそうな、悲しそうな一暼をのこして力なき足どりで何処かへ去ってしまった。その夜が明けて暁の色がほのぼのと町を染めかけた頃、鼻の先を黒々と塗ったダブダブのカラーをつけたラートの果敢なく息絶えた体が、昔の中学校の英語教室に発見された。

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映画レビュー

5.0なぜか2回も さくじよされてしまったのでもうやめます。 何が問題な...

2024年9月2日
Androidアプリから投稿

なぜか2回も さくじよされてしまったのでもうやめます。
何が問題なのか、どなたの気に障ったのか、さっぱり基準がわかりません。
小学生の頃に一度観て、もう一度鑑賞してみました。
ピエロになって、すべてを失ってでも溺れてみる、その恋心は罪でしょうか?

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きりん

5.0デートリッヒ実質的映画初出演作品です しかしそれよりもエミール・ヤニングスの鬼気迫る圧倒的な演技力 それをさらにひきたてる初期トーキーの演出にご注目

2023年9月24日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

嘆きの天使
1930年4月公開、ドイツ映画
白黒トーキー作品

フランスのルネ・クレール監督の「巴里の屋根の下 」の3ヶ月後の公開

欧州でのトーキー映画はこの1930年頃から本格化しました

本作もその代表的な作品です

劇伴奏がありません
わざと劇伴をつけないという演出では無さそうです
劇中でだれも音楽を奏でていないシーンなのに、音楽が流れるのは、不自然に感じていたのかも知れません

サイレント映画の時代なら楽団が音楽をつけていたかも知れませんが、トーキー映画で演出の一環として声や効果音と一緒に劇伴音楽も入れておいた方が盛り上がるという発想がまだなかったのかもしれません

その代わり、ドアを開け閉めするとホールの音楽などの騒音が響いたり、無音になったりするのです
しかもドアの開け閉めの効果音と一緒に
これはサイレント映画の楽士にはできない芸当です

しかもデートリッヒのセクシーな歌唱がナイトクラブのステージシーンとして展開されるのです

また学校のチャイムが遠くから聞こえるもののように臨場感を高める為の効果音の工夫が凝らされています

これらはサイレントでは不可能な、トーキーならではの効果を追求しようというものだと思います
これは「巴里の屋根の下」と同じトーキーへのアプローチだったと思います

これらが、主人公のラート先生の胸が潰れそうな哀れな転落のドラマを観客に没入させる効果を大きく発揮しているのです

クライマックス
手品の助手としてピエロに扮して、かっての教え子達、町の人たちに己の転落した姿をさらします
哀れラート教授は夜の誰もいない真っ暗な、かっての自分の教室の教壇に顔を伏せ、教壇の縁を二度と離しはしまいというふうに固く握ったまま息絶えてしまうのです

これを演じるエミール・ヤニングスの鬼気迫る圧倒的な演技力を、これらの音の効果がさらに倍増させているのです

監督はジョセフ・フォン・スタンバーグ
この人はウィーン生まれ、子供の頃に家族と共に米国に移民したもの3年で帰国、14歳になって今度は一人で渡米
職を転々としたのち、ハリウッドの映画製作の仕事にありついて、1927年頃にはなんとか監督で映画を撮った人物
それでドイツ映画界のプロデューサーの目にとまり本作の監督に抜擢されたそうです
35歳でした

エミール・ヤニングスは、スイス生まれで、ドイツで名演劇人となり、ハリウッド進出して1927年、1928年と連続してアカデミー主演男優賞を獲得しています
しかしトーキー時代となり、彼の強いドイツ語訛りでは米国では最早やって行けずドイツに帰ります
それで本作に出演したという流れです

そして女優はマレーネ・ディートリヒ
本作出演時28歳
有名演劇学校出身の舞台人
1923年に映画に出演していますが、実質的には本作が初です
彼女の舞台をスタンバーグ監督が見て抜擢したそうです

彼女が演じたローラローラ
前半はおとなしく見えますが、後半になって行くほど、彼女は輝き出します
それがデートリッヒ、彼女の本性、素のままの姿なのでしょう

本作の時は、まだ普通の肉付きがあり、彼女を思い浮かべたときのイメージの鶏ガラみたいに痩せた体型ではありません
「100万ドルの脚線美」も健康的な太ももです
しかしこんな明け透けな下着姿は当時とすれば過激な映像で強烈な印象を与えたのでしょう
現代人の目からするとなんということもないものなのですが

彼女は本作で大ブレイク
ハリウッドに監督とセットで招かれて以後大ヒット映画を連発して世界的大スターになるのはご存知の通りです

ローラローラは悪女なのでしょうか?全然悪くないと思います
元からそんな女なのですから
勝手に精神を病んで衰弱していったのはラート先生なのです
一目見ただけで男の人生を破滅させるファムファタル、運命の女
先生にとって彼女はそうだったのです
出会ったことが不幸だったのです
いや写真を一目見たことが不幸の始まりでした
ファムファタルとはそれほど恐ろしいものなのです

でもローラローラには自分がファムファタルであるという自覚はないのです
先生にはオンリーワンの女性に見えていても、他の男性にはそうではないのですから
終盤の浮気相手にしても彼女を遊び相手にしか見ていないのです

女性のあなたも、いつか誰かのファムファタルになるのかも知れません
お相手を破滅させるのか、そうでないのか
その時初めて自分がファムファタルなのか分かるのです

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共感した! 6件)
あき240

4.0タイトルなし

2023年3月21日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

バッドエンドじゃ〜〜〜!
マレーネ・ディートリヒのローラ、無学ではあるかもしれないが無知ではなく、かと言ってドメスティックな逞しさもなく、セクシーだが肉体性はあまり感じさせない、不思議な存在感である。
しかしそれは、学問とギムナジウムの世界しか知らぬラート教授とて同じようなもので、教授の場合、無学ではないが無知であった(世間知がなかった)ということであろう。

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共感した! 4件)
ouosou

4.0ディートリヒの退廃的な魅力と名優エミール・ヤニングスの圧倒的な演技の表現力

2023年3月12日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
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コメントする 3件)
共感した! 6件)
Gustav

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