渚にてのレビュー・感想・評価
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ワルチングマチルダとトム・ウェイツ♥
『街は壊れていない。人がいないだけだ。』
この原作は核戦争後の世界を描いた話ではあるが、戦争の爪痕と言うよりも、核戦争による放射線の問題に言及した話と記憶している。
キューバ危機は1962年で、この原作や映画は何一つそれについて予見していない。予見と言うよりも、キューバ危機の際にこの映画を利用したと考える。
この映画や原作は朝鮮戦争後(まだ、休戦中)ビキニ環礁を始めとする核実験を批判するものだった。だから、スリーマイル事故、チェルノブイリ事故、福島事故の時に、良し悪しは問題外で、この映画をプロパガンダとして利用されていると感じる。
さて、1964年の事の様だ。つまり、東京オリンピックの年。オリンピックは開催されずに、人類は藻屑と消える。コ●・コ●ラの空き瓶と共に。
さて、オーストラリアが何故最後まで残ったか?オーストラリア大陸には原発が無い。
『ワルチングマチルダ』はオーストラリアの国歌見たいな音楽。トム・ウェイツとこの映画で知っていた。
まだまだ、白豪主義が色濃く残っていた時期のプロパガンダ映画と言えよう。
原作者はイングランド人ゆえ、オーストラリアだけ地球上に残す訳にはいけなかったと考えられる。イギリスとアメリカに忖度したわけだ。そして、オリンピックメルボルン大会(1956)とローマ大会(1960)は開催されても『東京(1964)は無しよ』って聞こえる。どちらにしても出鱈目な話。ここまで出鱈目だと核戦争の恐怖にはならない。
追記
この映画、なんとなく『タイタニック』ぽく無い?
また、火の鳥 未来編 もこの話をリスペクトしている。
自分ならどうする?
若夫婦の幸せそうな朝から始まるお話。
直接的な描写は一切なく、なんの説明もなしに人々の会話からの情報だけで世界の説明をする脚本がうまいです。不気味さや不穏さをたたえながらこちらの興味も持続しました。
「There Is Still Time…Brother」の文字列が今の我々にも訴えているような気がしてなりません。最初は放射能汚染の進行までまだ時間が有ることを人々に表すための横断幕だったわけだけど、誰もいなくなった世界に残されたそれはなんだか我々に向けて言っているような気がしてならなかった。「まだ時間はある…()兄弟たち」の()内に入る言葉を考えなさいって言われてるみたいで。
下手に放射能汚染で生物が云々みたいな話を見せられるより、よっぽど放射能の恐ろしさを端的に表している作品だと思います。これは時代の関係ない、脚本の技でしょう。
幸福の下に潜む絶望の哀しさ。
こんなにも静かに人類滅亡を描いた映画があるだろうか・・・?都市の破壊や、パニックシーンを一切排除し、核兵器による放射能に汚染された地球の最後の日を冷静に描いた。それは、わずかな喪失感と大きな諦め、そしてささやかな焦燥感を交えながら、静かに静かにやってくる。そのあまりの静けさは、悲しくもありそら恐ろしい・・・。
本作は、若い夫婦の平和で幸福な朝の描写から始まる。ハンサムな夫(『サイコ』以前のパーキンス、悲しいほどの美青年!)が、まどろんでいる妻のために朝食を用意しながら、ベビーベッドの赤ん坊にミルクを飲ませている。妻は夫のキスで目覚め、幸福そうに2人は微笑を交わす。胸のうずく幸福感漂うこのシーンが、物語が進むうちに、放射能により地球のほとんどが滅亡し、わずかに汚染から逃れたオーストラリアの地に非難する少ない人類の最後の日々だという衝撃の事実が判ってくる。それなのに人々の暮らしは冒頭の朝の風景のように平和だ。海水浴やパーティーを楽しみ、時にはピクニックやカーレースに興じる。紳士たちはクラブで談笑し、妻たちは子供の世話にいそしむ。しかし、その何気ない日常生活に隠れて人々の心に根付いている絶望・・・。ある者は酒におぼれ、ある者はヒステリックに“生”にしがみつく。どんなに現実逃避してみても、“その日”は刻一刻と迫ってくる。「われわれにはまだ希望がある」のスローガンをかかげ、広場で集会が開かれる中、人々は安楽に死ねる“薬”をもらうため、長い行列をつくるのだ。この整然と並んだ静かな長い列に少なくもショックを受けた。一見穏やかな表情だが、その胸中にはどんな想いが去来しているのか・・・?
いよいよ最後の日、ある者は愛する人と見つめあいながら、ある者は長年勤めた職場でただ一人でと、人々は静かに杯を傾ける・・・。しかし、冷静に“死”を受け入れられない者もいる。当然だ、私とてこの恐ろしい事実を受け入れられはしないだろう。冒頭の幸せそうな夫婦は、“死”を受け入れることのできない妻の苦しみを背負っている。夫は愛する妻と子供のために“薬”を手に入れるが、妻はその薬を子供に飲ますことは“殺人”だと夫をなじる。私には夫と妻、どちらの主張が正しいとは言えない。ほぼ100%あり得ない「助かる道」を信じたい妻の気持ちも痛いほど判るからだ・・・。本作では「死ねる」人間が強く、「生きよう」とする人間が弱い心の持ち主なのだ・・・。この常識の反転が、本作をさらに恐ろしいものにしている。
誰もいなくなった街、「われわれにはまだ希望がある」と書かれた横断幕が、ただ風にゆれている・・・。
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