「幸福の下に潜む絶望の哀しさ。」渚にて Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
幸福の下に潜む絶望の哀しさ。
こんなにも静かに人類滅亡を描いた映画があるだろうか・・・?都市の破壊や、パニックシーンを一切排除し、核兵器による放射能に汚染された地球の最後の日を冷静に描いた。それは、わずかな喪失感と大きな諦め、そしてささやかな焦燥感を交えながら、静かに静かにやってくる。そのあまりの静けさは、悲しくもありそら恐ろしい・・・。
本作は、若い夫婦の平和で幸福な朝の描写から始まる。ハンサムな夫(『サイコ』以前のパーキンス、悲しいほどの美青年!)が、まどろんでいる妻のために朝食を用意しながら、ベビーベッドの赤ん坊にミルクを飲ませている。妻は夫のキスで目覚め、幸福そうに2人は微笑を交わす。胸のうずく幸福感漂うこのシーンが、物語が進むうちに、放射能により地球のほとんどが滅亡し、わずかに汚染から逃れたオーストラリアの地に非難する少ない人類の最後の日々だという衝撃の事実が判ってくる。それなのに人々の暮らしは冒頭の朝の風景のように平和だ。海水浴やパーティーを楽しみ、時にはピクニックやカーレースに興じる。紳士たちはクラブで談笑し、妻たちは子供の世話にいそしむ。しかし、その何気ない日常生活に隠れて人々の心に根付いている絶望・・・。ある者は酒におぼれ、ある者はヒステリックに“生”にしがみつく。どんなに現実逃避してみても、“その日”は刻一刻と迫ってくる。「われわれにはまだ希望がある」のスローガンをかかげ、広場で集会が開かれる中、人々は安楽に死ねる“薬”をもらうため、長い行列をつくるのだ。この整然と並んだ静かな長い列に少なくもショックを受けた。一見穏やかな表情だが、その胸中にはどんな想いが去来しているのか・・・?
いよいよ最後の日、ある者は愛する人と見つめあいながら、ある者は長年勤めた職場でただ一人でと、人々は静かに杯を傾ける・・・。しかし、冷静に“死”を受け入れられない者もいる。当然だ、私とてこの恐ろしい事実を受け入れられはしないだろう。冒頭の幸せそうな夫婦は、“死”を受け入れることのできない妻の苦しみを背負っている。夫は愛する妻と子供のために“薬”を手に入れるが、妻はその薬を子供に飲ますことは“殺人”だと夫をなじる。私には夫と妻、どちらの主張が正しいとは言えない。ほぼ100%あり得ない「助かる道」を信じたい妻の気持ちも痛いほど判るからだ・・・。本作では「死ねる」人間が強く、「生きよう」とする人間が弱い心の持ち主なのだ・・・。この常識の反転が、本作をさらに恐ろしいものにしている。
誰もいなくなった街、「われわれにはまだ希望がある」と書かれた横断幕が、ただ風にゆれている・・・。