トレインスポッティングのレビュー・感想・評価
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"Choose Life"を笑い飛ばし破滅に向かって暴走する危険でポップな青春
1 "Choose Life"とは何か
映画の冒頭、主人公レントンは”Choose Life”に対する皮肉と嫌みの言葉を洪水のように吐き出し、「そんなもの、俺は御免だ」と宣言する。そして同じ文句のアドリブがラストでも繰り返される。つまり、これが映画を貫くテーマである。
この"Choose Life"とは、1980年代の英国政府によるアンチドラッグ・キャンペーンのキャッチコピーで、日本語にすれば「死ではなく生を選べ」=「死ぬな。生きろ」である。
日本でも「覚醒剤やめますか?それとも人間やめますか?」なるコピーが1980年代に盛んにTV等で放送されたが、その文脈では「人間やめるな」ということだ。
字幕では「人生に何を望む?」などという頓珍漢な翻訳がされており、ネットには「人生を選べ」「生き方を選べ」などと訳しているサイトもある。しかし、それではレントンがこのコピーを茶化して、小馬鹿にする文句が生きてこない。残念ながら原語を聴き取れないので、原作を紹介すると、次のようになる。
「生を選べ。ローンを背負った生を選べ。洗濯機を選べ。車を選べ。ソファに座り、ジャンク・フードをほおばりながら、退屈で気が滅入るクイズ番組をながめる暮らしを選べ。自分が産んだ、わがままでバカなガキどもにとっては居心地が悪いだけの家庭で、自分を呪いながら朽ち果てる生涯を選べ。生を選べ。/だが、俺は生を選ばないことを選ぶ。それを認めないと言うなら、それはやつらの問題だ」
つまり、ここでは「生きろというが、生きたってローンを背負ったり、洒落た車を買ったり、退屈なTV番組を見るだけの話じゃないか」と、ろくに選択肢のない社会を皮肉っているのである。
ところが「人生を選べ」と訳す場合、いろいろな人生の選択肢があるという前提になり、その後に続く否定的な人生が直接つながらないし、最後の「選ばないことを選ぶ」も選択肢の一つに過ぎなくなるから、皮肉が成立しないだろう。
そこで原作のこの部分を意訳すると、こんな感じだろうか。
<生きろだって? そりゃ、あんたたちが毎日やってるように、死ぬほどどうでもいい日常の細々したことにかかずり合って、バカな他人と調子を合わせ、愚かな自分のDNAを再生産しろってことか。そんなこと、金輪際お断りだ! 俺は「生きねえ」よw>
ま、そんなことを言っている訳だ。別に「自殺する」という明確な意志表示ではないにしても、「人生などどうでもいい」という態度――それは別に新しいことでも何でもない。今も昔も若い頃には誰だって、そんなことを考えたりするものじゃないか。
例を2、3挙げようか。
1)P・タウンシェンドの場合
大人の奴ら俺たちをこき下ろそうとしやがる
ただうろついてるってことだけで
奴らのやることなすこと全部クソ寒くなる
歳なんてとる前に死んじまいたいね
これが俺の世代だ
(『マイ・ジェネレーション』)
2)D・ボウイの場合
さて、ビリーは一晩中、自殺について喚き散らした
25歳になったらどうやって一発ぶちかますかを
覚醒剤とマリファナでね
25歳じゃ生きていたくもないだろうさ
(『すべての若き野郎ども』)
3)T・S・エリオットの場合
なぜなら、僕はもうすっかり知っている、すっかり知っている――
夕方も、朝も、午後も知っている、僕はコーヒーの匙で自分の人生をはかりつくした
はてさて、それだけの値打があるだろうか、わざわざやるだけの値打が、
日暮や前庭や水を撒いた大通りのあとで、小説のあと、お茶のあと、床をひきずるスカートのあとで――
さらに、あれやこれやたくさんの?――
赤や茶いろの海藻を巻きつけた海の魔女たちのそばにいて
僕たちは海の部屋でだらだら長居をした
人声が呼びさましたとおもったら、僕たちは溺れてゆくのだ。
(『J・アルフレッド・プルフロックの恋歌』)
2 明日なき暴走
ボウイは晩年、禁煙して健康維持に努め69歳まで生きた。エリオットは76歳まで生きて『キャッツ』なんてのも書いた。
本作の原作者アーヴィン・ウェルシュも今年で御年65歳である。『トレインスポッティング』でブッカー賞を獲った時だって、もう35歳になっていた。
そりゃ慶賀の至りではあるが、若い頃には社会の権威や良識に反抗し、世の中に背を向けて人生をないがしろにしたり、死を夢想するのはありがちなことで、彼らは現にそうしたのだった。ロマンティックな自殺願望、あるいは生の蕩尽への意志は若者の特権と言っていい。
本作に登場する若者たちは、別に自殺しようとしているわけではないが、長生きしてもろくなことはないとも思っている。だから未来など毛頭考えず、ひたすら現在の快楽追求に没頭する。サッカー、ロック、喧嘩、セックス、アルコール、そしてドラッグであり、それらを手に入れるための窃盗、詐欺、恐喝、売春等々の犯罪である。
特にドラッグは依存性が高く心身に大きなダメージをもたらすものが多いし、ヘロイン等には注射針を通じたエイズ感染という副産物もある。エイズは1980~1990年代には致命的な病気だったから、死刑宣告みたいなものだ。その意味では彼らが行っていることは、ブルース・スプリングスティーンではないが「明日なき暴走」と呼ぶに相応しい。
そこにはロマンティックな自殺願望などとはケタ違いに大きな危険が潜み、未来はもちろん生命さえ奪われかねない。半端な覚悟で出来ないことは確かであり、だからこそ怖いもの見たさ半分で小説を読み、映画に見入ってしまう。
しかし、見ていると、そこにあるのはおよそ「覚悟」などとはほど遠いポップな冒険とポップな危険の受容であり、「生」が限りなく軽くなっていく感覚ではないか。良くも悪しくもそのポップさが時代感覚だったろうし、ウェルシュの新しさだったのだろう。
暴走の果てに仲間さえ裏切ったレントンは、もはや元の場所には戻れない。あの日々も終わりだ。レントンの最後の述懐を見てみよう。
映画では「俺は悪い人間だが、これを最後に変わろうと思う。足を洗ってカタギの生活を送る。あんたと同じ人生さ。楽しみだ」と語る。ところがその内容は、冒頭で彼が皮肉った日常の些事で埋め尽くされている。
原作はどうか? 「あの場所にいれば、いまの自分以上の自分にはなれない。すべてから永遠に解放されたいまなら、なりたかった自分になれる。すべては彼自身にかかっている。不安でもあり、楽しみでもあった。レントンは、アムステルダムで始まる新しい人生をまっすぐに見つめていた」
映画よりは前向きな表現とはなっているものの、そこには未来を楽しみに感じさせる何ものも書かれていない。
映画、小説ともに、彼が前向きにlifeをchoseしたとは誰も思わない。明日なき暴走という人生の一つの季節に限界を感じ、変えたかったということだろう。その一季節を描くのが本作のテーマに他ならない。
3 政治経済的な背景
1)サッチャーへの不満と怒り
登場人物がドラッグにのめり込む主な理由は、若さゆえの生の蕩尽への意志である。しかし、それとは別に社会的、時代的な原因もあると思われる。
原作にはこんな一節がある。
「労働党が今世紀中にまた政権を握る可能性なんかあるわけない。それから、もし万が一政権を握っても、何一つ、ほんのちょっとだって変わるわけない」
1997年5月総選挙では労働党が勝利しブレア政権が発足したし、1992年の事実上のポンド切下げ以後、英国経済は成長軌道に乗り、その後、同国近現代において最も長い16年もの持続的成長を記録するから、政治経済的にはこの予測は間違っていたわけである。
それはさておき先のセリフから窺えるのは、1979年5月~1997年5月の18年間も続いた保守党政権、なかんずくサッチャー政権に対する不満や怒りである。
原作には政治家の名前はほとんど出て来ないのだが、何故かサッチャーだけは2回も登場するのだ。その一つ。主人公は兄ビリーの葬儀後、兄嫁とセックスして、次のような感想を抱く。
「ビリーにはあまりにももったいない女だ。いや、マイラ・ヒンドリーだってマーガレット・サッチャーだって、あいつにはもったいないくらいだ」
マイラ・ヒンドリーは全英最凶の女と呼ばれた連続殺人鬼である。
2)サッチャー政権の行ったこと
サッチャー政治の基本スタンスは、①経済活動に関わる規制をできるだけ除去しようとする経済的自由主義、②モラルや規範の領域への国家介入を是認する社会的・文化的介入主義だった。
経済的自由主義による影響は、業種や階層によってさまざまに異なる形で表れた。
その一つ、「ビッグ・バン」と呼ばれる金融自由化政策は、証券・金融市場を海外へと解放して、海外の投資を呼び込むのが狙いだった。これにより実際、海外から投資が増え、金融やサービス業にヤッピーが急増する。
他方、こうした金融業界の重視と北海油田による税収増は、急速な脱工業化を伴った。金属、機械、化学等の伝統的な産業部門は急速に縮小。それらの地盤であるスコットランド等には失業が直撃し、1993年には男性失業率が戦後ピークの12.3%に達した。
この結果、サッチャーが福祉削減政策を取ったにもかかわらず、失業者の増大により、手当の受給者は120万人(1979)から303万人(1990)へと2.5倍に増えている。
『トレインスポッティング』はまさにこの時代を舞台にしており、地元スコットランドではろくに仕事がなく失業者が溢れ、ロンドンに行けば金融・サービス業が好況で稼ぎたい放題という業種間・地域間格差が描かれている。
3)福祉国家の弊害とサッチャーの功罪
映画ではスパッドがスピード(覚醒剤)をキメて就職面接を受け大チョンボするシーンがある。これはサッチャー政権下の社会保障法改正(1988)で、失業者が手当を請求する条件として「仕事を探している」ことを示す義務を負わされたから、面接に行かなければならなくなった顛末を描いているのである。
しかし、本気で就職する意思がないと判定されたら手当は打ち切り、逆に採用されてしまっても打ち切りであるw
小説によると、内心では「俺にとっちゃ、ひでえ災難だぜ。仕事なんか、いらねえってのによ。悪夢だ」(レントン)、「いまのとこ、失業手当もらってる方が幸せなのになあ」(スパッド)と思っている。
おまけにレントンは地元エディンバラだけでなく、ロンドンも含め計5か所で失業手当を受け取って、荒稼ぎしたカネをせっせとヘロインに注ぎ込んでいるのだから始末に負えない。
英国は階級社会だが、こうした脱工業の中で職を失い長期的な福祉給付への依存に陥った人々は、「ワーキングクラス」ではなく「アンダークラス=底辺層」と呼ばれる。レントン、シック・ボーイ、スパッド、ベグビー全員が社会の底辺層の人間だから、福祉抑制策で自分たちの生活やドラッグの資金を削ったサッチャーに怒りを向けたのだ。
依存文化にどっぷり浸かった人々は怠惰に流れるばかりであるから、経済成長の担い手になれない、レントンたちのようなろくでなしに福祉給付でヘロインを射たせるようなバカな政策はやめろと、福祉抑制に乗り出したのがサッチャーである。その点に関しては、サッチャーの方が正しいに違いない。
しかし、産業構造が第二次産業中心から第三次産業中心にシフトする中、その煽りをくらった階層への福祉切り捨てというダブルパンチを見舞った点から見ると、レントンたちの「人生に選択肢なんかろくにねえじゃねーか」という怒りももっともということになる。
そもそも"Choose Life"したくない連中を増やしたのは、サッチャーだったんじゃないか、ということだ。功罪いずれを重視するかは、見る者の立場による。
これにより保守党の新自由主義は現在に続く格差社会を招き、出口はまだ見つかりそうもない。
(注)
「3 政治経済的な背景」は次の書籍を参照した。
『イギリス現代史』(長谷川貴彦 岩波新書)
『イギリス1960年代 ビートルズからサッチャーへ』(小関 隆 中公新書)
「本当の自分」にたどり着くことは困難
監督や制作者は麻薬の中毒の怖さとか実体験なのだろうか?
グロ過ぎる。
絶対に食事時は見るべからず。
『寿命を計算して平穏に暮らす』
こう言ったバカバカしい映画があるから『PLAN75』の様な映画を考える奴が出てくる。
この映画を肯定的でも批判的にも見て心が動いた人って、麻薬系に手を出した事あるのだろうか?監督や制作者は麻薬の中毒の怖さとか実体験であるのだろうか?
そもそも、麻薬とセックスを同一視する事自体どうなんだろう?
やはり、その考え方は男社会だからだと感じる。僕は女性てはないので、セックスのアプローチが分からないが、近年は避妊が重要視されている。この映画でも、避妊する場面がある。つまり、それは女性のセックスに対するアプローチだと思う。男女間で、物凄くエキサイトしても、避妊をしないと、女性は自分の中に子供が出来る可能性がある。だから、男と違って、アプローチする際にはどこか冷めた所があると思う。ましてや、この時代はHIVが猛威をふるっていた。だから、避妊は女性にとって必然だったはずだ。それはつまり、こう言った薬物に対しても、男よりも慎重だったはずだ。その女性と比べても懲りない軽佻浮薄な所がこの男どもにはある。つまり、この映画では、それが男全体の性分と定義していると思う。だから、自虐的男性論であれば、この映画は良いのだが、聞く話ではpart2があるそうで、多分それにはこりていないと思う。
賢明な女性の方々はこんなお馬鹿な映画は見ない方が良いと思う。時間の無駄。暴力を振るうけど、時たま優しくなる貴方の彼氏の姿を見ていた方が、将来の勉強になると思う。
やはり、平穏に暮らそう!寿命を考えてね。いつまでも若くないし、直ぐに『PLAN75』はやってくるよ。
追記
因みにイギリス経済は労働党が政権を握るくらいなので混迷を極めて、この時期が底辺だったと思う。このあと、この不況の波はアジアにも及び、最後は911が訪れるって感じかなぁ。先に少しだけ良くなったので、サッチャーのおかげとか言われていた事を思い出す。しかし、あのお姫様は離婚するし、香港は返還されるし、イギリス本当に大丈夫?なんて思われていたはずだ。
追追記
ちょっとショックなのは、あのフランケンシュタインの舞台監督って事かなぁ。やはり、男なんだね。やっている事は『東○リベン○ャーズ』と同じ。ナ○スがヘロ○ンに変わっただけである。
まぁ、脱亜入欧の日本でもそうだが、白人系の男性はモラトリアムなバカ男を描く事、飽きないよね♥
『甘えの構造』を読む事を勧めたい。
なんだこれ !!
ポップでユーモラスで破滅的で退廃的 … アクの強い映像に引き込まれた。
レントン( ユアン・マクレガー )、その後『薬』は抜けましたか ?… 家族でXmas、年金、税金控除、庭掃除…。
いやー!凄い‼︎
ー the worst TOILET in Scotland
ー あんたと同じ人生さ
BS-TBSを録画にて鑑賞 (吹替版)
生々しいドラッグムービー
序盤から、テンポよくトリップシーンが続いて、観てて飽きない。
「スコットランド1最悪なトイレ」に頭から突っ込んでアヘン座薬探すシーンやらトミーの自作ポルノやら2組のカップルのセックス談義やら…
次から次へと面白いエピソードが湧いて出てくるので、「うわぁ」と思いながらも一緒にトリップしてる感覚で楽しめる。シックボーイがキマると007の話をし始めるのもお決まりで楽しい。音楽もかこいい!!
…と、「イカしてる」のは前半の話で、後半からはまさにバッドトリップ。
赤子の死、真面目だった友人が堕落→死、禁断症状…
前半より後半の方が生々しく(特に禁断症状のときの部屋での幻覚のシーンが脳裏を離れない)、悪夢を見ているかのような気分。
薬をやめて地元を離れ、まっとうな職に就いても、昔の悪友との縁が断ち切れずにまた悪い方向へと向かってしまうというのは、とてもリアルな流れだと思った。
主人公が更生しようとしたりなんだりしながらも、結局悪い方へ戻ってしまうのにヤキモキさせられる。
ラストは爽快に前を向いて終わるけど、きっと主人公はまた同じようなことを繰り返すのだろうなと思わずにはいられらない。薬から、悪友から、縁を切るというのはとてもとても時間がかかるものだから。
あとは…
カーペットに体ごと埋まっていく、部屋がどんどん長く遠くなっていく、音が遠くなっていく…そういうトリップしたときの感覚をリアルに体験できるのはドラッグムービーの醍醐味だなぁと思った。映画館で観てよかった。
徐々に面白くなる
序盤はちょっと汚すぎて引いた
最後は良い終わり方だと思う
1番まともに生きようとしてた主人公が大金を手にして、根が良いスポッドにはお金を分けて、人を利用するシックボーイには一銭もあげず、タチ悪いカーライルは逮捕される。何もかもスッキリ!
結局クスリやっていないカーライルが1番怖かった。
こういうワル仲間は決まってめちゃくちゃ友達を大事にするのはなんでだろう
見たくないものが写っている、もはやトラウマ
ちかごろ続編が公開され、少しだけ興味をそそられた。
それまでは、見てみようとも思わない類のジャンルだった。
セックスとドラッグをテーマにした映画に、共感を覚えたことなど一度もない。犯罪者が主人公で、結果的にドラッグやセックスシーンが挿入される映画とは違う。どちらかというと「あって当然なもの」という視点でドラッグをとらえたジャンル。彼らがなぜ犯罪行為に手を染め、社会からつま弾きになっていくかをリアルに描いてあるが、そこに共感は生まれない。
映画観で見ていたら、観客のブーイングが聞こえてきそうな映像の羅列だった。
不快なシーンがたくさん出てくる。
いっぺん見ておこうと、思ったのは「エレメンタリー」に主演しているジョニー・リー・ミラーがこの映画に出ていたことを、最近知ったから。
「エレメンタリー」では、麻薬中毒で苦しみながら鋭い推理を披露してNY市警に協力する探偵ホームズを演じている。
この映画では、すでにその萌芽が見て取れることが興味深い。映画の中で、いくつかウンチクを披露している。理屈っぽいナイーブな少年役を演じている。
それだけは、収穫だった。
最悪なのは、赤ん坊。これ以上は書きませんが、おそらく映画史上類を見ないほどグロテスクなシーンになったと思う。
とにかく、ひどい映画だった。ポップな音楽と、美しい少年少女たち、躍動する若さをスクリーンに投影しても、無知と暴力で彩られた世界は受け入れがたい。
後味の悪さが際立つ。とても続編を手に取る気にはなれない。なぜ製作されたのか謎でしかない。
いったいなぜ。。。
異常が正常、腐れ縁
クスリに一度でも足を踏み入れるとこんなになってしまうのか。。クスリからも仲間からも抜け出せずに。。
と恐ろしさいっぱいで観たが、世間の評価が「カッコいい」とか「映像がすごい」になっていることにまた驚き。
トレインスポッティングのユアンマクレガーに甲本ヒロトは憧れているのかな?カッコ良いとは思えなかった。
キムタクはどうしてこの映画のTシャツを着ているのだろう。
「習慣が変われば、人格が変わる。」
「人格が変われば、運命が変わる。」
「運命が変われば、人生が変わる。」
この言葉を思い出した作品。
習慣をどうしても変えられなければ、仲間を変えて環境を変えるしかないのかな?
ダサい不良のものがたり
一言で言えば、理屈以前にとにかくつまらない。
ほぼ感覚派な作品で、ストーリーは不良の日常生活か延々続くだけで、あってもなくてもいいようなもんで、生理的に合うか合わないかでしょう。開始5分でコリャだめだ、ってとこです。
通常自分がつまらなくても、好きな人が面白がるポイントはわかるものですが、これに限ってはサッパリわからない。
若い人には一定の支持を受けるでしょうが、大人には無理です。まあ私は若いころに観たとしても多分受けつけなかったと思いますが。
セックス・ピストルズがデビューしてパンク・ロックが誕生、ブームが起きたのに似てます。
アメリカ文化で育った世代としてアメリカ映画と比較すると、イギリス映画は王室や軍人や紳士なんかが主題だと妙に格調高いことが多いですが、若者とか庶民の日常だと野暮ったくてダサいですね。
そういえば、昔の寺山修司作品のワケわからなさに似てる。
続編を観る前に久々に再鑑賞。 すっかり続編を観るのを忘れていました...
イギリスのスコットランドという地方の若者と、日本の氷河期世代と何ほどの違いがあるというのだ
原題の意味は、鉄道の些細なことが気になる連中のこと
つまり鉄オタ連中という意味あいだろう
しかし、本作には鉄道のシーンはあるにはあるが、そんなことには全く関係ない
では何故、鉄オタ?
真面目でダサい連中という意味合いで使われているのだと思う
でもそんなダサい連中が、実は人間らしい人生を手に入れているといいたいのだろう
不条理だとやっかんでいるタイトルなのだと思う
ラストの台詞を引用する
これで終わりにして、まともになり、人生を探そう。ずっと探し求めていた、あんたと同じような人生を
この「あんた」とは誰のことだろう?
鉄オタ連中のような真面目でダサい普通の暮らしを、普通の人生を送る人々のことだ
あなたのことかも知れない
そして続く言葉はこうだ
仕事、家族、大きなテレビ、食器洗い機、車、CD、電動缶切り、健康、低コレステロール、歯の保険、住宅ローン、遊び用の服、バッグ、スリーピースのスーツ、DIY、クイズ番組、ジャンク・フード、子ども、公園に散歩、9時から5時、ゴルフ、洗車、セーター選び、家庭的なクリスマス、年金、税控除
彼は、そんなものくだらないと言っているのだろうか?
否、違う!断じて違う!
そこを間違えると本作の意味が何も伝わらない
欲しいのだ、憧れているのだ
そんなもの彼には手に入らないと諦めていることだからだ
普通の人間らしい暮らしや退屈でも幸せな人生を手に入れたいという、火の出るような強烈な渇望の言葉なのだ
本作冒頭のレイトンの独白も思い返そう
人生を、仕事を、キャリアを、家族を求める
クソでかいテレビを、食器洗い機を、車を、CDプレーヤーを、電動缶切りを求める、健康を、低コレステロールを、歯の保険治療を求める
固定金利の住宅ローンを、マイホームを、友だちを求める
遊び用の服を、バカ高級な生地のスリーピースのスーツを求める
日曜日の朝にクソDIYをして過ごすことを求める
カウチに座って、ジャンク・フードを口に運びながらくだらないTV番組を見ることを求める
腐った体をみじめな家でムダに過ごすことを求める
未来を求める
人生を求める
具体的で詳細なのだ
身をよじるほど強烈に憧れて渇望して、どうしても手に入れたい、実現したいことだからだ
だが続く台詞はこうだ
どうして、こんなことを求めるんだ?
俺は求めない人生を求めることを選んだ
何かほかのことを
何でかって?理由なんてないさ?
ヘロインをやれば、理由なんていらない
これは諦めの言葉だ
果てしない絶望がそう言わせているのだ
だからヘロインでその渇望を紛らわせるしかないのだ
未来への不安、老後の自分の末路への不安
そんなものをかき消すためにそれが必要なのだ
求めない人生を求めることを選んだ?
鉄オタみたいなダサい連中になりたくなかったと、真面目に勉強もしなかったことを格好つけて粋がっているだけだ
自分もそのくちだった
麻薬の禁断症状の強烈な描写がなぜ、これでもかと執拗に描かれるのか?
それは、この普通の人々の、普通の暮らしや人生を死ぬほど渇望しているのに、普通の努力ではどうしても手に入れられない
それほどの渇望のメタファーなのだ
高卒なのに、一流大卒と偽って就職面接を受けるシーン
そいつのデタラメなダメ男の失業手当の獲得テクニックを紹介するだけのシーン?
違う
これは一度脱落するともうどうにも浮かび上がれないということを示しそうとしているシーンなのだ
彼のたわごとこそ真実の吐露なのだ
90年代中頃の英国
イギリスのスコットランドという地方の若者と、日本の氷河期世代と何ほどの違いがあるというのだ
非正規のワーキングプア
だから結婚もままならない
一体、自分の老後はどうなってしまうのだろう?
先の事を真面目に考えれば考えるほど絶望してしまう
日本には麻薬はない
あるのは、ネット、ゲーム、アニメ・・・だ
だから、そこに溺れていくのだ
禁断症状が怖くてさらに泥沼に転落していくのだ
そうした若者が、自暴自棄の生活から抜け出る道を見つけたのが本作の結末だ
生きていくのさ、未来を見すえて、死ぬその日まで
犯罪でもなにが悪い
彼にとっては、初めて普通の人間らしい暮らしや人生を手に入れられるチャンスだったのだ
気がつけば、この世代ももう40代半ば
レイトンのような道が見つからなければ?
この麻薬の禁断症状のような、人間らしい人生を手に入れられなかった苦しみを、他の人間にも味あわせてやりたい
そう考える人間もいるかも知れない
そのときジョーカーは生まれるのだろう
イギリスではこのような失われた世代を真正面から描いた傑作が撮られた
では、日本にそんな作品はあるのだろうか?
暗澹たる思いだ
日本では氷河期世代は映画界からも見捨てられ、金づるとしかみられていなかったのだ
もしかしたら本作に一番近い日本映画は「さようなら全てのエヴァンゲリオン」だけかも知れない
何故か自分を重ねてしまう不思議。
人間の汚い、せこい面をこれでもかと映している分、評価が別れる作品であると思うが、私はとても大満足だった。
学生が表面を切り取ってカッコいい、これを崇拝してる俺イケてるでしょっていう作品なのも納得のスレたお洒落さ。しかし、世間のレールに必死に抗う若者の姿勢に懐かしさを感じた。
もちろん薬物映画ではあるので馴染み自体はないが、若者特有の焦燥感にはどこか共感できる人も多いのではないだろうか。学生時代にはこう考えてたこともあったなと感傷に浸りながら見た。
最後は薬物取引で友人と得た大金をスパッドに残しつつも裏切り持ち逃げ、そのお金で堅気として人生をやり直すと誓いエンドとなるが、そこでかかるBorn Slippy(nuxx)が美しくカッコよかった。
見やすいテンポでレントンのキャラクターにどこか愛着を持てるような若者の焦燥感を描いた秀作でした。
座薬のドラッグって本当にあるのかな?
お洒落で、音楽のセンスがよく、テーマが刺激的で
映画を観続けていた25の頃にこの映画を観て、なんか泣いてしまいました。
僕はドラッグをやっていたわけではないですし、ここまで乱れた生活をしていたわけでもないです。
その頃、僕は25歳にも拘らずまだ学生でしたが、学校での年の離れた同級生との生活に馴染んでいるとは言えず、学校外で付き合う友人達も酷い有様で、家に帰ればアルコール依存症の家族と向き合う生活でした。
大学にも将来的な目標があって入ったわけでもなく、かなり出遅れた人生の中で、この先、何をして生きていくんだろう?と、目標を見失っていた時期だったように思います。
そんな僕にとって、彼らの自暴自棄な生き方や、何度もやり直したいと思いながら結局元に戻ってしまう姿は、自分を見ているような痛々しさがあり、共感してしまったんだと思います。
ドラッグに溺れ、血と金に飢え、家族を泣かせ、仲間を裏切り。
そんな日常を描く映画のどこに共感するポイントがあるんだとは思いますが、多分、レントンが心の底からのクズであればここまで共感はしなかったと思います。
実刑を受けたスパッドの母親に掛ける言葉をためらう姿、子供をなくしたアリソンにかける言葉をなくしている姿、朦朧としながら親と一緒にビンゴ大会に参加している姿。
そんな姿に、彼が悪意に染まりきっていない、人らしい悩ましさを感じます。
レントンは望んでめちゃくちゃの人生を歩いているようですが、僕の中では望まずにその道を進んでいって引き返せないことを絶望しているように見えます。
何も目標がないまま、なんとなく流されて、なんとなくつるんでいた仲間達と遊んでいたらこんな人生になってしまっていた事に絶望しているような。
それは彼に責任はあるのですが、この時代のこの国の若者達にとって、目標をなくして落ちていくということはこうなってしまうという現実でもあったんだと思います。
モノローグで語られる彼の本音は、ドラッグが欲しい、ドラッグを止めたい、やっぱり欲しい、やっぱり止められない。
延々とその繰り返しです。
止めたいのに止められない。そして我慢できないので止められなかった理由を探し、手を出してしまう理由を見付けて許してしまう。
やっていることがドラッグなので犯罪性がでますが、何かに依存して抜けられずにループした経験は少なからず自分にもありますし、アルコール依存症の家族を見続けたことでそれに触れてきた事もあります。
依存すると嘘ついてでも止めたくないですよね。
それを拒まれると相手が一番嫌がる言葉を吐いてでもやろうとしますよね。
本当にそういう人生って最悪だと思います。
でも、彼らが心の底からクズなのか?と言うと、調子のいい時は前向きになりますし、自分がやってしまった事も後悔し謝罪もする。
そういう姿を見ると、まだ戻ってこれそうな気がしてしまう。
けれど、やっぱり抜け出せずにループして、どんどん落ちていく。
この映画を観ていると、そのループをずっと繰り返し見ているような気がしてしまいます。
彼が万引きからの逃走中に車にぶつかり大笑いする姿。
冒頭と中盤と2度出てくる印象的なシーンですが、なるようになれ!とレントンが全てを放り投げたような気がして、この映画で一番痛々しさを感じるシーンです。
今でもこのシーンを観ると、レントンの中で藻掻いていた糸が切れてしまったような感覚になり、やるせない気持ちになります。
ラスト、仲間を裏切り金を持ち逃げしたレントンが、この先どんな人生を歩むのか?は判りませんが、彼が誰かと出会い、負のループを断ち切る人生であって欲しいと願います。
Choose your future.
Choose your life.
イギー・ポップの歌う『Lust for life』にリンクしたこの言葉、大好きです。
映画に関して、ダニー・ボイル監督にとっても、ユアン・マクレガーやその他の役者にとっても彼らが一気に世に認知された出世作になります。
この当時、イギリス発信の労働者の生活苦を背景にした映画が多く、ブラスやフルモンティ、マイナーですがマイ・ネーム・イズ・ジョー等、時代の雰囲気に乗って出てきた作品でした。
評判としては、お洒落で、音楽のセンスがよく、テーマが刺激的で。
これに関しては、本当に自分もそう思います。
まず5人5様のファッションがかっこいいです。
ブリットポップがベースのレントンは坊主頭で、きったないジーンズに、ピタピタのTシャツ、リングのピアス。
当時はグランジとも時期的に被っていたこともあり、とにかく汚いジーンズがかっこいい時代でした。
毎日履いて臭くて我慢できなくなってからやっと洗濯していた時代。
スコットランドで最悪のトイレのシーンなんて目を覆うような不快感ですが、ここまで汚せばやっとジーンズを洗濯できるというご褒美のようなイベントです。
今の時代の復興したグランジとは違う、シャレにならない汚さがこの時代にはかっこよくて、僕もかなり憧れた世代なだけに懐かしく、ただやっぱりかっこいいと思って観てしまいます。
ベグビーのトラッド感のあるスタイルもかっこいいですし、シックボーイのスーツにローテクスニーカースタイル、当時のモードはこんな感じでした。
この辺りのキャラ分けも面白い映画です。
音楽のセンスも素晴らしいです。
作中でも古いと揶揄されるイギー・ポップの70年代の楽曲(デヴィッド・ボウイと同居して薬物治療を受けていた頃の曲?)を数曲採用して、この楽曲のPVのような映像を作り上げてみたり。
ラストシーンのunderworldもかっこいい。
blurからもsingを採用していますし、なによりこの時代、デーモン・アルバーンを出しておけばなんでもかっこよくなった時代でした。
ドラッグ繋がりで言えばルー・リードもヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代に「ヘロイン」とか書いていた人ですし、この辺りの退廃的な音楽の選択が絶妙です。
ファッションや音楽だけではなく映像もお洒落、細かいカットを繋いで音楽に乗せる編集もかっこいいです。
スコットランドの淀んだ空の下、ポップな建物や、通り過ぎる電車のバックに現れる4人や、アビーロードのオマージュや、全力で石造りの街を走るレントンや、草原で喧嘩するドラッグ中毒者や。
何から何まで画になるかっこよさ。
エンディングのタイトルロゴもかっこよくてたまらないです。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
ブログの方では、個人感想の詳細とネット上での評判等を纏めています。
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クールなイギリス映画を代表する作品
ユーモアたっぷりの過激な作品
この作品を見て、全く古臭さは感じなかった。薬を取り巻くクズ達の環境はあまり変わってないからか?レントンはじめ中性的さを感じる割に古臭い男性優位思想の匂いがしなかったからか?よく分からない。
排泄物を扱った描写は生理的嫌悪が若干あったがそれ以外の下品であったり過激であったり性的だったりする随所に見られるユーモアのセンスは一品。タイトルには「90年代最高の陽気で悲惨な青春映画」とあるが、そのとおり。陽気さも悲惨さも薬とおバカな登場人物の為せる技だ。34:00のスコットランド人としての自虐意識の叫びが面白い。ベグビーが終始うざいキャラ(どう見てもサイコパス)だったが、ラストで報いを受ける。46:00あたりからレントンが体験することとなるバッドトリップと禁断症状?の表現は素晴らしい。
物語の始まりで一般社会の普通の生活を批判し、薬による刹那的快楽を礼賛していたが、ラストで逆転させ、普通の生活に帰還する宣言となっているため、この物語で主人公は薬から抜け出すことができたと考えることができる。薬の危険さを教える映画作品としての機能はそこまで期待できないとは思う(バッドトリップや禁断症状、薬漬けで怠惰な生活の仲で起こりうる悲惨なイベントは見せつけられ、考えさせられるが、薬というのはそういう仲で刹那の理性を吹き飛ばすためにあるものであって、だからやらないということにはならないと思うから)。
最後に、この作品は山場(谷場?)としての主人公のバッドトリップ経験があるし、ラストにドラッグ売買という大きなイベントはあるが、起承転結というか物語のうねりを感じず、そこに若干退屈さを感じてしまう部分があった。
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