「作品に詰め込まれた「戻る」演出が面白い。」トレインスポッティング すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)
作品に詰め込まれた「戻る」演出が面白い。
○作品全体
この作品は「戻る」に溢れた作品だ。
大筋の物語を辿ってみると、そこにあるのは「クスリに戻る」、「仲間のもとへ戻る」。ヤク禁をしても、まっとうな職についても周りから指を差される環境へ戻っていく。この作品を見ているとその戻り様にもどかしさを感じるのだが、その一方でそのもどかしさがやけにリアルで、自分にとっては別世界のストーリーの中で共感する部分がいくつもあった。
こっちへ進めば成長の兆しがあると分かっているのに、楽な方を選択してしまうもどかしさ。戻り続ける自分はそのままに世界は変わっていくところもそのもどかしさに拍車をかける。劇中でレントンとダイアンが話していた世界の変化は、自分の世界にとってはそこまで大事件ではないものの、間違いなく影響を与えている。その表現の塩梅が絶妙だった。
映像演出面での「戻る」は、やはりファーストカットとラストカットだろう。
この作品のファーストカットは画面奥へ走っていくレントンの足元のカット。そしてラストカットは金の入ったバッグを手に手前に歩いてくるカットだ。
奥へと乱暴に駆け出していったレントンが、ラストカットで画面手前へ戻ってくる。
「今」を重視し「老い」を侮蔑するレントンが、「寿命を勘定して」過ごそうと変わろうとしている。尖った生き様をしようと突っ走っていったレントンが普通の生き方をしようと理性的に歩いてくる...まるで普通の生き方から必死に外れようとしていたレントンが、その輪に戻ってきたかのようだ。
ラストカットのレントンのセリフ、「これを最後に足を洗ってカタギの暮らしをする楽しみだ。あんたと同じ人生さ」とメタ的に話すところも面白い。画面手前へ向かってくるからこそ意味が強まるセリフ。個人的にはごく一般的な人間である自分の元にレントンが近づいてきたような印象が残った。必死にレントンは遠ざかろうとしていたのだろうけど、戻ってきてしまった...そんな印象。
人物の映し方、そして歩かせ方から伝わる「戻る」の演出。ファーストカットとラストカットは特にその表現が素晴らしかった。
そのほか、レントンの芝居には「戻る」という芝居が多かった気がする。ダイアンをナンパした時、ベグビーが競馬で騒ぐのを廊下で聞いた時、終盤のシーンでベグビーからタバコを要求された時...物語の分岐点では特にそういった芝居が目についた。
刺激的なシーンが多い作品だけれど、根本にあるのは突拍子のないものではなく、「戻る」という感情。戻っているのだからその変化は目に付きにくいけれど、戻っている間にも世界も自分も変わり、過去とは違う何かであるのは確かだ。
『トレインスポッティング』は、その微妙な変化をビビッドに映し出した作品だった。
○カメラワークとか
・カメラの置く位置が面白いカットがたくさんあった。便器の中、カーペットに沈んだままの主観視点、ラストシーンの90度傾いたカメラのカット。どれもテンポの良いカット割りが上手く効いてた。
・大自然を堪能しに行く四人のシーンはどれも構図が良かった。手前の電車が過ぎて映るバラバラの方向を向いた四人のカットは、それぞれが違うトラブルに遭ったけれど同じ結末(女難)を辿っている四人に絶妙。四人のバックショットと山、というカットも良かった。曇り空がいい感じに虚無感を孕んでた。
・影と色の変化で魅せる演出が良い。終盤、暴れるベグビーを背に映すレントンの半分影に埋まった表情が印象に残った。友人への裏切りの感情を抱えたレントン。このカットがバッグを攫うところへ繋がる。
○その他
・『木更津キャッツアイ』っぽい。いや、『木更津キャッツアイ』が『トレインスポッティング』っぽいんだけど。『木更津キャッツアイ』のうっちーはもうそのまんまスパッドって感じなんだなあ。モヒカンっぽい髪型、キョドリ具合、表情の作り方、時たまマトモなことを言う不思議空気とか、まんまだ。