トレインスポッティング : 映画評論・批評
2020年4月14日更新
1996年11月30日よりロードショー
※ここは「新作映画評論」のページですが、新型コロナウイルスの影響で新作映画の公開が激減してしまったため、「映画.comオールタイム・ベスト」に選ばれた作品(近日一覧を発表予定)の映画評論を掲載しております。
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次に本作を見るときは、僕はどんな未来を選び取っているだろう?
「未来に何を選ぶ?」。映画の冒頭、レントンはタバコやら財布やら、ポケットの中身をボロボロ落とすのも構わず走り、画面越しの観客に問いかける。自分は未来に何を望み、何を選ぶのだろう? 観客のそんな自問自答が生じ、身を焦がすような切実な映画体験が幕を開ける。
レントンを筆頭に、登場する若者たちは手際よくヘロインを摂取し、春の雪崩のように堕落していく。それはクソみたいな日常を脱するための、破滅という名の救いなのだ。シンプルでクリアな世界。退廃的で甘美な地獄。
ダニー・ボイル監督のアシッドな演出は、一度ハマれば抜け出せないほど素敵だ(レントンがバッドトリップの後、かび臭そうなカーペットにズブズブと沈んでいく場面は強烈)。しかし、むしろ、僕は若者たちが宿命的な絶望から逃れようともがき、のたうつ物語に目を奪われる。
「未来を選べ 人生を選べ」「こんな国クソッたれだ! 最低な国民 人間のカスだ」「生きていくのさ 未来を見すえて 死ぬその日まで」……。飛び跳ねるようなアクセントで繰り出されるセリフにのって、映画はなんとも言えず爽快な結末へと疾走していく。
もちろん、この物語はシニカルなメッセージを投げかけてもいる。しかしレントンの決して器用ではない生き様と、破れかぶれとも思える決断を見ていると、自分の悩みなど、とてもちっぽけなものに思える。鑑賞する間、ふわふわとした浮遊感に包まれ、不思議と勇気をもらえる。
だから僕は、人生の節目を迎えたとき、本作を見る。誰かにとっての「ニュー・シネマ・パラダイス」が、僕にとっての「トレイン・スポッティング」。シーンとともに、記憶がドッと溢れ出す、そんな類いの作品。
次に本作を見るときは、僕はどんな未来を選び取っているだろう。それはそれで、とても楽しみだ。
(尾崎秋彦)