「アラビアのロレンスに次ぐデビット・リーンの傑作」ドクトル・ジバゴ(1965) ジョニーデブさんの映画レビュー(感想・評価)
アラビアのロレンスに次ぐデビット・リーンの傑作
壮大なる不倫ドラマである。基本的に不倫ドラマが嫌いであるが、この映画に関してはそれよりも時代に翻弄される主人公や家族、彼を取り巻く人たちのドラマに感動した作品であった。「ひまわり」が三角関係の当事者3人の愛憎劇が中心であったのと大きな違いである。
前半、感情移入してしまったドクトル・ジバゴの性格から、後半の不倫は似つかわしくなく、しかもラーラは天使のような妻(トーニャ)がいるのに不倫をしてしまうほど魅力的な女性とも思えないし、個人的には好きになれない展開だった。
さすがにデビッド・リーンだけあって、冬の過酷さと花が咲き乱れる夏の対比の素晴らしさに圧倒される映像美は驚嘆に値する。それを倍増させる音楽も素晴らしかった。
ただ、エピソードが多く、人間関係も複雑で、追いていくのに疲れた。
また、その後どうなったのか気になる人物の説明がないのは不親切だ。例えば、ジバゴの妻トーニャ(ジェラルディン・チャップリン)と妻の父と子供二人、ラーラとともに極東に逃げたコマロフスキー(騒乱時にラーラとジバゴの間にできた娘の手を離して、娘は迷子になってしまった。彼女は最初と最後に出てくる)、ラーラの元夫(革命家)との間にできた子供・・・等。
あと、最後の方で、なぜジバゴはラーラとコマロフスキーと一緒に列車に乗って逃げなかったのか?コマロフスキーには助けてもらいたくなかったためか?それとも、ラーラと一緒に逃げると言う事は、逃亡先でラーラと一緒に暮らすことになり、妻を裏切ることになるので、できなかったのか?
また、ジバゴが列車に乗り込んでこないと分かった時点で、ラーラは列車が発車する直前に降りるのが、話の流れからいって自然だったのではないか?(そもそも、ラーラはジバコが一緒じゃないと列車に乗って逃げないということになっていたはず)
それにしても、ジバゴは、ラーラとの間にできた子供とは1度も会えず、ラーラもその子とは子供の頃に離れてしまいそれ以来会えず、最後はジバゴはラーラを見かけ、追いかけたが結局追いつけず心臓発作で死んでしまう、何とも切ない3人ではないか。
余談だが、この年、アカデミー賞の作品賞にノミネートされたが、「サウンド・オブ・ミュージック」に持っていかれた。不倫映画より、ナチスの侵攻に苦しむオーストリアを背景に、家族愛を描いたミュージカルのほうに共感を得た人が多かったと言うことだろうか。
ラーラを演じたジュリー・クリスティーより、ジバゴの妻を演じたジェラルディン・チャップリンのほうに魅力を感じたのは私だけか?