遠い声、静かな暮しのレビュー・感想・評価
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胸糞が悪いけれど、どんなに時にも歌っていた人たちのアルバム
いったいこれのどこに《遠い声》や 《静かな暮らし》が描かれているというのか。
この映画にも、きっと何処には汲み取るべき点や、登場人物、とくに父親について、何かどんなに小さくても構わないから良きところを見つけようと努めてみたのだが
僕には無理だった。
しかし本作品は、監督の出生地であり物語の舞台となったイギリス・リバプールに於いては、ヒットをして受け容れられたのだそうだ。
それはおそらく、当地での一般家族の実像や、歌をどんな時にも生活の中に密着させている彼らの生活風土を、
このスクリーンがきっとよく表しているからなのだと僕は想像する。
「歌と生活」。それが肯定的な結びつきなのか否定的な現実逃避のかは分からない。良きにつけ悪しきにつけ歌っている。
殴られる現場で歌っているし、パーティーの席でも彼らは馬鹿のように歌っている。自然発生的にも歌うし、無理やり歌わされる場面もある。
つまり、この映画の歌は、
苦難を乗り越えるために歌ったという「歌の効用」なのでもなく、
ただ単にいつも歌っていた家族の話なのだ。
でも、それでも、この映画がヒットしたという報告は、そのままリバプールの人々のメンタルにも、この映画の見せる風景がマッチしたという事なのだと思う。
ふと思った。
ああいう土地柄で、ああいう父を持ち、あんな感じで歌いながらビートルズの4人も生まれてきて、あの街で育っていったのだと、
その事が感慨深い。
また不世出だと思っていたザ・ビートルズが、ああいう家庭環境から
生まれるべくして生まれた=“リバプールの数知れぬ若者たちの代表”だったのかも知れないとも感じた。
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夫が妻を殴る行為が、真っ当な傷害罪として処罰の対象になったのは、日本ではつい最近のこと。
しかし親が自分の子や連れ子を折檻して死なせるのは、まだ第三者に手を掛けた場合に比べて判決が軽い。
妻も子供も男親の“所有物”と見なされる明治憲法の精神が、まだ旧態依然としてこの国に残っているからだ。
そして殴られる子供たちがそれを親の愛情だと思い込まされて、そうやって自分を保つしか生きる道がない児童虐待の壮絶さに想いが及んでしまう。
劇中、リバプールへの空襲で、防空壕の中で父親に殴られ、無理やり歌わされていた娘と息子。
悲惨な光景だった。
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トニーは、父を赦した。
横暴だった父親が、ついに老いて死ぬ時に
やっと、抵抗出来なくなった彼に対して復讐の思いを晴らすのも良し。
可哀想になってその父親の良きところを探し出し、努めて子としての明るい幼少期を思い出そうとするのも良しだ。
一家の歴史としては
・もう死んだはずの父親が、映像中に幾度もトラウマの光景としてフラッシュバックするし、かつ、
・もういない筈のあの父親の罵声が、妻や子供たちのその後の生活にも幻聴として生々しく聴こえている。
ストーリー上、そのように時系列に混乱が起こるから、観ている側にも怯えや戸惑いが起きてしまう・・そのあたりの演出と構成はかなりのものだった。
原題 Distant Voices, Still Lives はそのまま直訳で
邦題「遠い声、静かな暮らし」となっている。
亡霊の「遠吼え」は他ならぬ父の声であり、「静かな暮らし」はついに母子が手に出来なかった世界。
静かな暮らしは、母と子が夢にまで見た幻影なのだ。
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家族には、たくさんの思い出がある。
僕の弟はずっと父親とは折り合いが悪く、兄の僕から見ていても傍目にも気の毒な関係だった。
弟が筋骨たくましい男に成長した時に、それは起こった。
弟は父を投げ飛ばして、父親を床に打ち伏せたのだ。
でも父の家業を継いだのはその弟だった。
あれも家族の歴史だ。
そうなのだ。
どこの家族にも、たくさんの思い出が、そして生育歴が、あるだろう。
結婚と葬儀。誕生と祝い事。人生の節目節目に、こうして親戚が集まれば我々は家族の顔を、そして声を、思い出す。
祝い唄、長持唄、激励歌、恋愛ソング、黒人霊歌、労働歌、恨み節、弔い唄。
きっと誰の家にでもある、他人には明かせない、これは苦い思い出の、トニーとアイリーンとメイジーの家の「家族のアルバム」なのだ。これは「トーキーのファミリー・アルバム」なのだ。
「わかるよ。うちでも、そうだったんだよ」と同感する人たち=英国・リバプールの観客たちに
そこが沁みたのだろう。
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エンディングでは、
弟トニーが戸口に立って、身をよじって、あんなにも泣き崩れている。自分の結婚式の披露宴なのに だ。
・殴られ続けてやもめになった母を置いて、結婚して家を出る自分の不甲斐無さ。
・あんな父親でも今となっては慕わしく思えてしまう言いようもない戸惑いと悲しみ。
・姉たちが、結婚当初は優しかったはずの夫たちから激しい精神的肉体的暴力を受けている事への絶句。
そして
・この自分もいつかは新妻を殴る夫に豹変していくのかも知れないという絶望と虚脱感・・
僕は余りにも赤裸裸な彼ら一家のアルバムを見せられて、胸を痛めてしまった。
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テレンス・デイヴィス監督作
「静かなる情熱 エミリ・ディキンスン」に続けて鑑賞した。
屈折した家族の痛々しい歴史にこだわって、目を逸らさない監督の視点は、ここでも同じ。
【”乱暴な父だったが、家にはいつも歌声が溢れていた。”50年代、リヴァプール。存命時の父の姿と共に成人した子供達の姿を数々の歌と共に描いた作品。】
ー イギリスの名匠、テレンス・デイヴィス監督が家族の絆と記憶を描いたドラマ。-
■50年代のリバプール。長女・アイリーンの婚礼の日の朝、アイリーンと妹のメイジー、弟のトニーは亡くなった父(ピート・ポスルスウェイト)のことを回想する。
乱暴な父だったが、歌が好きだった彼を家族はみんなそれぞれに愛していた。
やがてメイジーとトニーも家族を持ち、夫々の人生は新しいステージに移行していく。
◆感想
・劇中、様々な歌を家族たちは歌って、演奏しているが、”ライムライト”しか分からない。
・だが、この作品を見ているとある一家の家族の時の流れの中でも、乱暴だったが歌を愛した父を懐かしむ成人した子供達の表情が、とても豊かに見えるのである。
<今作は、人生は色々あるけれど、歌がこの家族を支えて来たんだろうなあ、と感じる”ファミリーツリー”作品である。>
声がうるさい
声が大きくて、到底静かとは言い難い。時間が行ったり来たり分かりにくい。
夫人や子供に暴力を加える姿は醜いか、病院に担ぎ込まれた時に「すまなかった」と謝るが、我が亡父は「俺の人生間違ってたなぁ」って曰わった。
生歌は良いが、独唱ばかりで、合唱してもユニゾンばかり。
歌を聴かせてくれると言うので見たが、その歌声が初めて「うるさい」と感じた。。
何が引っかるのか理解出来ない。
まぁ、僕の偏見かなあ。
偏見と言われそうだ。
なお、この演出家は戦後のベビーブーマー世代。だから、空襲の事は知らないはずだ。
リバプールの記憶
テレンス・デイヴィス監督の自伝的要素のある映画で
1940〜1950年代のリバプールのカトリックの労働者階級の家庭生活が描かれている
物語の父親の過度な厳格さと暴力の原因が
はっきりとはわからないが
監督自身は無神論者になってしまっている
この父親を演ずるポスルスウェイトと
忍耐強く愛情深い母親役のダウィが、やっぱり印象的だった
娘のひとりが彼氏に CHANEL N°5 を送られて
友達とほっこりする場面が可愛らしかった
モンローが眠る時はこれをつける、と言っていた頃か
港町は流行が早いのだろう
そして音楽も
この映画では世相や人々の心象を表すものとして曲が多用されていた
母親が暴力を振るわれるシーンで
Taking A Chance On Love (Ella Fitzgerald) が流れてくるのが切ない
出会った頃とは別人のような夫との暮らし
In The Bleak Mid-Winter を背景に
ツリーを飾り 子供の寝顔を見つめる彼の姿は優しげなのに
馬の手入れをしながら アイルランド人の歌を歌っているので
アイルランド系かな?と思ったが
さらにその親族を見て確信する(笑)
リバプールは重要な港湾都市なので移民も多方面から流入
戦争では狙われ、空襲も激しく
苦しい日々が続いた
馬小屋さえあれば…という詞も非現実的に思えてくる
心も荒む…
このあとビートルズを生み出し
今では多文化共生都市の成功例として語られるが
それまでの長い住民の苦節、心の変遷のようなものが
映像と監督の選択した曲の数々に感じられた
劇中でも名曲と言われている
IWanna Be Around は
洒落た曲だと思っていたが
ここでは恨み節的に使われていて
興味深かった
息子が結婚式で泣いていたのは
こんな世情で家系を繋いでゆく重圧(苦労)から、だろうか
英国で評価が高いのが、理解できる
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