トゥルーマン・ショーのレビュー・感想・評価
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統合失調症患者の妄想を現実化したような映画
統合失調症患者の妄想を現実化したような映画
ストーリーや設定に星新一作品味があった。
人権無視だという抗議に対して「主人公は作り物だけど本当の幸せな暮らしを送っているし、この世界から逃げだそうとはしないのだからなんの問題があるのか」と返した
プロデューサーの真ヒロインに対する言いわけに特にそれを感じた。
この映画は、映画という世界の中にまたリアリティードラマという世界があって、主人公はドラマの中の主人公でもある。だからか、あんまり熱くなりにくい
不気味な盗撮カメラのレンズの影や、下らないパブかなんかで人ごとを楽しむ下卑た視聴者、人の人生を操作し切り売りする傲慢なプロデューサーらのカットが、感情移入を妨げたのだと思う。
この作品のテーマ・メッセージは「快適だが真実のない世界からの脱出」「毒親の支配からの解放」といったところかと思うが、あまり響かなかったのはそのせいかな
ただこの設定である以上、こうなりようしかなくて、一つの世界を描ききったところがこの作品の素晴らしいところだと思う。
でも俺がプロデューサーならフィジーくらい行かせてやるなあ
とにかく発想が面白い
序盤の謎展開が、物語終盤にかけて明らかになっていく様がシュールで惹き込まれました。
最後、主人公が自分の意思で扉を開けるシーンは感動必須。
感動コメディでは最高峰だとは思いますが、個人的には『フォレスト・ガンプ/一期一会』の方が好きです。
このストーリーのどこが コメディなのか全くわからない。ひとの生活を...
このストーリーのどこが コメディなのか全くわからない。ひとの生活をのぞき見して楽しむ視聴者。だまし続ける役者ども。盗撮カメラがある事くらい何年も生きてれば気づくだろ!!あの嵐で本当に死んじまったらどうするつもりだったの?其のことがずっと気になって全く楽しめなかった。
叩けよ、さらば開かれん。 自由を求めるすべての人に、こんにちは、こんばんは、おやすみ!
自分の人生がTVショーであることを知らないサラリーマンのトゥルーマンが世界の違和感に気付き、次第に実存に目覚めてゆく様を描いたSFコメディ。
脚本は『ガタカ』(監督/脚本)のアンドリュー・ニコル。
平穏な日常を生きる”世界的スター”、トゥルーマン・バーバンクを演じるのは『マスク』『ライアー ライアー』の、名優ジム・キャリー。
『トゥルーマン・ショー』の仕掛け人、クリストフを演じるのは『アポロ13』『ザ・ロック』の、名優エド・ハリス。
第56回 ゴールデングローブ賞において、主演男優賞(ドラマ部門:ジム・キャリー)/助演男優賞(エド・ハリス)/作曲賞を受賞!✨✨
第52回 英国アカデミー賞において、オリジナル脚本賞/監督賞を受賞!✨
『マトリックス』(1999)『アメリカン・ビューティー』(1999)『ファイト・クラブ』(1999)etc…。なぜか世紀末に数多生み出された自己啓発系映画。本作もその中の一本と言える。
太宰治の「猿ヶ島」(1935)に代表される、いわゆる「衆人監視もの」の一つな訳だが、「自分の人生がTVショーだったら」というドリフのもしもシリーズのような設定が非常にユニーク。
「天にまします我らが父よ」なんて祈りの言葉があるが、エド・ハリス演じるクリストフは明らかに神のメタファー。
トゥルーマンは彼の作った”楽園”を自らの意思で捨て去る。神を否定し、自由へと向かい歩き出す彼の姿はさながらニーチェの説いた「超人」のよう。運命論や予定説を徹底的に否定する本作に、勇気づけられる人も多いのではないだろうか。
ニーチェ哲学を絵にしたような映画ではあるが、決して小難しい内容ではない。コメディアンとしてのジム・キャリーの実力が遺憾無く発揮された、お笑い要素も多い作品である。
ただ、一見バカバカしいだけのコメディ要素が同時にとても恐ろしいものに見えてくるから不思議。特に、夫婦喧嘩の最中に妻が突然ココアの宣伝をし始めるところなどは、緊張と緩和、緩和と緊張が同梱する名シーンとなっている。上質なコメディはホラーと表裏一体なのだ。
大いに感心したのはエンディングの切れ味。トゥルーマンが”父”との決別を果たすと、映画は即座に幕を下ろす。エピローグ的なものをくっつけてダラダラ終わりを引き延ばす映画も多い中、ここまで潔いエンディングを描かれるとそれだけでもう感動してしまう。「終わり良ければすべてよし」というのは甘い考えだと思うが、「終わりが良い」のが名作の条件であるということは言えると思う。本作の素晴らしいエンディングを観て、そのことを再認識させられた。
最後の最後、『トゥルーマン・ショー』の視聴者による「おいチャンネル変えてくれ!」と言うセリフで締めるのもまた秀逸。あれだけトゥルーマンの脱走劇を必死になって観ていたのに、番組が終わったらすぐに次の番組に興味を移り変える。今日のスターは明日の一般人。ネットの普及によりエンタメが加速度的に消費されるようになった現代だからこそ、このアイロニカルなセリフがより一層意味を持つものになっているように思う。
気になるのは、本作が『刑事コロンボ』(1968-2003)的な構造、つまり謎の答えを冒頭で明かしてしまうという作りになっていること。別にこれが悪いと言うわけではないのだが、例えばこの世界がTVショーであるというオチを隠しておけば、トゥルーマンが自身を取り巻く異変に次第に気づいてゆく、と言う展開をミステリーとして描けたはずである。本作を下敷きにしていると思われる『ドント・ウォーリー・ダーリン』(2022)が、まさにその点をサスペンス要素にして興味の持続力を高めていたことは記憶に新しい。
ミステリー調にすれば本作がより素晴らしいものになる、とは言わないが、本作をそのように再編集した特別編が観たいと、私なぞは強く思うわけであります。
長々と書いたが、自分の人生を見直すきっかけにもなる傑作中の傑作である。自由を求めるすべての人に鑑賞して欲しい一本♪
さーて、それではみなさまご一緒に!
「会えない時のために…。こんにちは、こんばんは、おやすみ!!😆✨」
…雑誌のピンナップ写真を切り貼りして初恋の人の顔を再現するのってちょっと気持ち悪いよね。谷崎潤一郎の「青塚氏の話」(1926)みたい。
色々な角度から味わえる
トゥルーマンを主軸にみれば自由への渇望と獲得の物語として。
プロデューサーのクリストフとの関係は、親の庇護と子の自立を描いたものとして。
番組の裏側を描写した場面はメディアによる演出を風刺的に感じられ。
視聴者の様子からは、人生をコンテンツとして消費することの残酷さを突きつけられ。
どの面で見るかで様々なことを考えられる味わい深い映画でした。
「現代社会への問題提起」で終わらせたくない そのものを感じて欲しい作品
前情報無しで、あらすじも知らずに、
ジム・キャリー主演だし、コメディかな?と思いつつ、夜中に酒を飲みながらなんとなくで観始めた。
最初はどういった話なのかわからず、
おしゃれな演出と、90年代アメリカの雰囲気と、ジム・キャリーの演技がコミカルな、よく分からないけど良い雰囲気の映画だと思いながら酒を傾けていた。
本作品は1998年公開のようだが、その頃の映画に慣れ親しんでないのもあり、舞台の違和感も「この時代の映画だと、そういうものなのか」と思いながら最初は観ていた。
だんだん舞台となる世界に対する違和感をジム・キャリーが演じるトゥルーマン同様に、強く感じ、不穏で、不安な気持ちになってくる。
その頃には映画を観ている我々も、トゥルーマンの生きている世界は、作られた舞台セットの世界で、多くの視聴者に見られ、消費されていることを知る。
あれほど露骨に作り物の世界で、「今まで生きてきた世界が全て作り物なのではないか?」と疑う不安はどれほどだろう。
妻も友人も仕事も作られたもので、台本通りに喋っているだけ。酷い裏切りであり、何も信じられくなる、そんなトゥルーマンの心情を想うと辛い。
(彼の仕事が保険屋で、「人生何が起こるか分かりませんよ」と台本持った役者相手に知らずに営業電話をしていたのも滑稽でまた辛い)
それでもあの笑顔で、コミカルに振る舞うトゥルーマンに、テレビで彼を観ている視聴者と同様に、映画を観ている我々も強く惹かれる。
醜悪に思える視聴者と自分が一体化してしまう。
そんな世界で彼に希望を持たせたのが、本当の彼を想い真実を伝えようとした女性シルヴィアと、地球の裏側「フィジー」だった。
街を飛び出し海原へ小舟を漕ぎ出すトゥルーマン、舞台を出るなら殺すことも厭わんとばかりに人工の嵐を起こす監督、それでも負けじともがき進むトゥルーマン……
彼が空が描かれた壁にぶつかった時、私は胸が引き裂かれるような思いをした。
彼も気づいていただろうが、実際に行き止まりにぶつかり、空だと思ってずっと生きてきたものが空ではなく、海だと思ってずっと生きてきたものが海ではない……
絶望でその場でしゃがみ込み打ちひしがれてもおかしくない、悔しさと怒りで喚いてもおかしくない、
そんな状況で彼はいつもの笑顔でコミカルに、お決まりの挨拶で、ドアを開けて出ていった。
生まれた時から勝手に役者に仕立て上げられ、全てが偽りの中で、娯楽として消費され続けた「かわいそう」なトゥルーマンは、最後までこれまで視聴者に愛されてきたトゥルーマンを演じ、舞台を降りていった。
そんなトゥルーマンのラストに、わっと湧いて感動する視聴者たちの姿を見て、これまで視聴者と一体となってトゥルーマンを応援していた気持ちから引き離される。
テレビの視聴者たち、バーの客も警察もおばあちゃんも、それら皆の視聴率のために、トゥルーマンはずっと偽りの世界に縛られていた。
それなのに、「トゥルーマンが偽りの世界から出られたやったー!」と手放しで喜ぶのは、あまりにも他人事が過ぎるというか、それで自分たちがさも良い人側かのようにトゥルーマンに感情移入するのは虫が良過ぎるというか、なんともモヤモヤとした気持ちになる。
視聴者と同様に「抜け出せて良かった!」と喜ぶ気持ちと、視聴者へのモヤモヤと、彼がこれから外に出ても彼が今まで偽りの世界で生きてきた事実は変わらない悲しみと……
色々な感情が重なって呆然とエンドロールを観ていた。
「リアリティ番組への問題提起」などで感想を終わらせたくない、映画体験として唯一無二の凄い作品であった。
奇想天外と言い切れないかも
自分が生まれてから番組の見世物になっていたという設定で、ジム・キャリー主演ということで、喜劇と思って見ていたけれど、よくよく考えればシリアスなドラマと感じた。
現在の社会自体が、政府や金持ち連中に都合の良いニュース、映画やドラマ、情報で統制されつつあること、アメリカや中国では、危険人物や危険思想は検閲され、強制力をもって削除されたりしつつあるからだ。日本では、それはソフトに行われているだけだ。
このトゥルーマン・ショーとまでは行かないが、自分が知らない所で、様々な制約があって、自分の思考や行動が管理されているっていう意味では、かなり似ている部分がある。このドラマでは、人々の好奇心を満たし、視聴率を上げることで利益を上げるために、膨大な手間がかけられているが、考えようによっては、それと同様。国益やら、大きな企業の利益を上げるために、制約があり、思考が制御され、生産活動を行っている。
ジム・キャリーも、ひょっとしたら、利益を上げるためにその嘘を生きるという現代の虚構性に気づいていた一人かもしれない。
映画では、与えられるそこそこの満足が得られる生活ではなく、冒険心や野心、自由や真実を求める気持ちが勝利して、出口から脱出するのに、人々も歓声を上げるが、現実はそのように行かないように見える。
後年、トーク番組の中で、フリーメーソンの存在を主張するようなトークを繰り広げ、その後、二度とトーク番組には呼ばれなくなったとか、奥さんが鬱病になって、その原因がジム・キャリーにあると訴えられていたりしていた。この映画のように、虚構性から脱出しようとしたら、その世界で生きていけなくなった。そんな思いを巡らせ、笑えなくなった。
トゥルーマン・ ショー
【ピロシの映画レビュー③】
邦題 トゥルーマン・ショー
原題 The Truman Show
⚫︎主演
ジム・キャリー
⚫︎監督
ピーター・ウィアー
⚫︎脚本
アンドリュー・ニコル
⚫︎公開
1998年
⚫︎上映時間
103分
⚫︎ジャンル
ヒューマンドラマ系
イエスマンでおなじみジムキャリーさんの作品。
映画の名前は存じ上げておりました。
【真実の男のショー】と誤解をずっとしておりました😆
開始から一時間ぐらいダラダラとしていて見るのを止めようかと• • •。しかしだんだんと大枠が見えて来て、特に後半からは見応え十分ですね。ジャンルはコメディという方も多いですがそうは見えなかったな。
オマージュしてるかどうかわかりませんが、ある有名映画を彷彿とさせるエンディングが印象的❤️それと、意外と上映時間が短かった。
ところで、ネタバレ極力なしのレビューって難しい〜😂
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自分の中にある
自分の人生が全て作り物だとしたら?
そんな人生に喜びがあるのか?
自分の人生が全てが作り物と気づいた男は、旅に出る事にする。
この物語だとそんなふうに自分の中にあるものは、全てどこかの枠のの中に決められているもの。
そんな人生から抜け出せないままなんだろ?
というメッセージ性を感じた。
実際に自分も何も考えず、安全なままの生きた方をすればいいのかもしれない。
けども、その人生にもっと深い感動や喜びが訪れる可能性が低いと思う。
ならば、自らの足でその扉の向こうに行くしかない。
後半はさらっと恐ろしい。
サムネイルからはあまり想像できなかった望まれず生まれてきたと言う子供を晒し者にして人生をエンタメの様に消費すると言う結構恐ろしい話でした。
ラストのTV放送が終わった瞬間に冷めて次のTV番組を探し出したのも若干怖かった。
現代の何でもかんでも晒してエンタメとして消費して行く価値観を予見していたのかと思える様な内容でした。
ホラーとは違う怖さ
生まれる前から今日までずっとテレビで放送されているという物語。
トゥルーマン本人はそんなことを一切知らない。
生きてる中であった友達、家族、恋人、街の住民、みんなテレビスタッフが集めたキャストだった。
トゥルーマンが生きていたのはみんなの見世物となる、トゥルーマンを中心に回っているセットの中だった。
トゥルーマン中心の世界のため絶対に安全だがトゥルーマンは本当の自由になりたいためトラウマをも克服して外に飛び出すところが感動
船で行き着いた先は空が描かれた壁で、ドアにはEXITの文字が…
駐車場の係員?2人がトゥルーマンショーが終わったあと、「他のチャンネルは?」と言っていたのが私たち視聴者の皮肉だなぁと思った。
SF風味のユニークな作品
謎の美女の発言が気になりながらも、うまく事態が飲み込めずに物語を見ていく。すると、終盤にかけて種明かしがされ、トゥルーマンに「お前には外界に踏み出す勇気など無い」と言い放つプロデューサーの態度にショックを覚え、視聴率イノチで暴走してこういうこともやりかねないのがこの業界かも、と脚本のシニカルな部分にも共感してしまった。
主演のジム・キャリーのカキワリにぶち当たった時の表情が、主人公の複雑な思いを表していて特に良かった。
私もそんな視聴者の一人です。
エド・ハリス演じる番組ディレクター、これほどまでに苛つかせるキャラはいない。天気を操り、ラストは天からの声のような演出と共に慈悲深い神を気取ったセリフを吐く。
しかし彼だけではなく、妻役や親友役、父役、その他エキストラのすべてが、主人公の状態を理解したうえで仕事という名目の元、主人公を追い詰めていく。
そしてそんな主人公が抗う姿を見ながら感動し涙を流す視聴者と、そこに群がるスポンサー。
きっとそれらの中に自分の姿を重ねざるおえないところに、この苛立ち、不快感はあるのだろう。
ラストシーン、作り物の青空と海を背景に、切り口上を述べて現実の世界へと退場していく。ユーモアとしても映像としてもとても良くできている。
しかし、本当に幕を下ろしたのは、番組終了してすぐに番組表を探す視聴者たちだった。まるで、「君たちも同じだろ」と言わんとするように。
最後のシーンの意味とは?
現代文の文章の中に、この映画の話が出てきたので見てみた。
ジム・キャリーの表情がとても良く、見ていておもしろかった。
現代文の文章で読んだ時に描いた想像が結構違うくて面白かった。
今度はイエスマンでも見ようかな
浅はかで、怠惰で、傲慢な世界
平凡な日常のある朝に、空から謎の小物体が、自分の近くに落ちてきた。その後、自分は監視されている感じや死んだはずの父が路上を歩いているのを見かけるなど、違和感が渦巻くようになる。
何の前知識もなく見始めたら、最初は主人公が認知症でも発症してきているのかと思ってしまったが、そうではなかった。
むしろ、人間の欲や浅はかさを痛烈に皮肉にした映画だと思った。虚構に完璧な現実を再現することが無理なのに、それを貫ぬき通そうとする浅はかさと、それでも虚構に現実では得難い刺激や安寧(実際には様々な可能性があるはずなのに)を求める怠惰で傲慢な欲。それらが作り出す歪な世界に吐き気さえ感じるところを、ミステリー→種明かし→ハプニングという物語の流れを作って娯楽化に成功しており、これまた皮肉だなと思えてならない。
結局、ちゃんと理解しようと思い、もう一度頭から見てみると、シーンの細かいところでの役者の表情や視線の意味が理解できて、二度目もいろいろ発見のある映画でした。
感想が2つに分かれる映画(主に私の中で)
この世界は実は作り物だった…というシミュレーション仮説的な世界観はこの映画の数年前に作られたマトリックスや最近だとフリー・ガイとか古くはSF小説とか割と手垢のついたネタで、私的には結論も出てて「作り物だったとしてもその世界で精一杯頑張るしかないよね」派。
ストーリーは感動話として王道な感じで予測から外れるような展開はあまりなくて、まあそういう流れになるよね的な。もっとトゥルーマンがプロデューサーが嫌がるような「あからさまな演技」をするシーンとかあってもよかった気がするけど。最後のプロデューサーの自分を神と思ってんのか的セリフももうちょっとドロッとした感じに捻ってくれた(例えばトゥルーマンを心底自分の子と思ってるからこその毒親的保護欲をみせたセリフにするとか)ほうが自分的には好みだけど、ラストの爽快感を重視するならこの演出なのかな。
最後は感動的なラストに拍手喝さいを送る(つつさあ次の番組見ようとすぐ切り替える)テレビ視聴者と自分自身が重なり、実のところもっとも醜悪なのはプロデューサーよりも自分たちだったというオチなわけだけど、数十年前の未来日記や最近ネトフリに多いリアリティ・ショー、としまえんのクロちゃんしかりエンターテインメントを求めて視聴者が醜悪な行動をとる・視聴者を満足させるため過激になっていくみたいなのを思い起こすと実際ちょっと気分が悪くなる部分も(もっとドロドロした演出の方が良かったと書いてる自分は完全にテレビ視聴者だ)。
こんなこと思いつつもやっぱり映画見てる最中はトゥルーマンに感情移入してて応援していて、やっぱり最後嵐の中ヨットを進めるシーンはトゥルーマンを応援する気持ちがむくむくと湧いてくる。ヨットが壁にぶちあった時の「ついにやった!」感と、それまでのリアルさがある風景からあからさまに作り物感ある風景へ切り替わりその先に外の世界へと続く「空に描かれた階段」という画が強く印象に残る。
扉の向こうは真っ暗で必ずしも彼が選んだ先が幸福に満ちているかはわからないことを象徴してるようにも思えるけど、最後にお決まりのせりふを吐いて皮肉を利かせつつ作り物としての「トゥルーマン」を最後に演じ切り扉の向こうに消えていくのはやはり爽快感がある。すべてはジム・キャリーの迫真の演技があってこそ。あ、親友役の人の演技も好きです(顔を引きつらせつつの『絶対に嘘はつかない』とか、結構マジに心配して捜そうとしてるとことか)。
友人・彼女と一緒に見た場合に言うべき社会的に正しい(?)感想は「安全な場所、守られたかごの中にとどまっていてばかりでは真実には出会えない、勇気をもって一歩踏み出すことの大切さを伝えてくれる素晴らしい映画だった」なんだけど(笑)、それは醜悪なテレビ視聴者的感想でありその感想・感情を嫌いつつ捨てきれないのをどうしたもんかともんもんとしてしまうそんな読後感だった。
コメディーと割り切って見ればいいのでしょうか・・・
初めての鑑賞
ずっと前に録画していたが
途中まで見て、やめていたものを
もう一度、初めから見直した
主人公の生活は24時間生中継されている
知らないのは本人だけ
まわりの人間はすべて俳優
という設定
面白そうと思って録画したのだが
自分には合わないか・・・・
コメディなのだから
「そんなのあり得ないだろ~」
とかは抜きにして見たつもりだが
面白いと思えなかった
と、いうより
365日24時間、他人の生活をリアルで見たいかな?
今回、
・テレビで見る側
・生中継される側
・演じる俳優
といろいろな角度で見てしまい
自分の目線が定まらなかったため
見終わって、疲れた
いつか、またテレビ放映があったら
もう一度見ようと思う
今回と違う印象を受けるかもしれない
ジム・キャリーってこんなにカッコよかったのか、、
マスクのイメージが強いジム・キャリーがこんなにシンプルにカッコよかったなんて知らなかった、、、
途中で『ちょくちょくスポンサーのCM入るやん!www』って思ってたけどそれにもちゃんと意味があって凄く作り込まれてて面白かった
ラストのシーンまで目が離せなかった
一度は考えたことがある状況。
誰もが一度は考えたことがあるのではないだろうか?
この世界はもしかしたら作り物とか、自分以外は全部作り物や幻影なのでは?
などという妄想を。
そんな世界をテレビによる見世物のために一人の人間を番組が育てていくという
ちょー非人道的なドラマ。
彼が忘れられない人のために街を出ようとすると上手くいかないことに
違和感を覚え、もしかしてこの世界は作り物では?と疑問に思い行動に移していく。
しかしもしかしたら、人生はある者にとっては守られた安全な世界の方が
幸せな人生を送ることができるかもしれないと思ったりもする。
何も好き好んで面倒な現実の世界に眠く必要はなにのではないかなとも思う。
動物園の動物や家で飼われるペットは不幸なのだろうか?
食べるものに困らず身の安全が保障されていたなら動物にとって
それは生きにくいことなのだろうか?
動物は人間のように思想や哲学などない。生きる事が全てなのだ。
世の中には今の世を生きにくいと感じている人も多い。
トゥルーマンの世界の方がいいと思う人も多いと思う。
そういえばショーシャンクの空に出てきた黒人の囚人が出所と同時に
自殺をしてしまったシーンがある。
トゥルーマンが飛び出した世界が
素晴らしい世界であることを祈るばかりである。
真実を知ることは怖い事なのか
もちろんこの作品はフィクションで現実にはありません、ですが人の人生というものが見せ物ってかなり残酷だと思う。もしあなたがトゥルーマンで真実を知ったら、どんな感情が込み上げてきますか?驚き、怒り、悲しみ、そして恐怖などだと思います。今まで生きてきた人生は人に作られたもので、プライベート何てものはなく、世界へ自分の私生活がリアルタイムで放映されているなんて知ったら、僕は恐怖と怒りでいっぱいだと思います。周りの街の人間は全てを知っていて、長い付き合いの友人、ましてや好きな人まで…裏切られた気持ちで辛くなります。ここから出る気力は出てこないと思います。そんなことを考えてしまい、あまり楽しめませんでした。そして、自分とは違うトゥルーマンは外の世界を見るために決死の脱出を試み、無事脱出することが出来ました。そのトゥルーマンの姿に感動と勇気を貰いました。真実を知ってもなお、外の世界に行くという夢を叶える強い意志のある人生を作ったのはこのトゥルーマン・ショーという番組でした。人に作られた、決められた人生を歩んでも自分の意思を曲げない強い人間になれたトゥルーマンは世界中から愛されたでしょう。
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