「奇想天外と言い切れないかも」トゥルーマン・ショー parsifal3745さんの映画レビュー(感想・評価)
奇想天外と言い切れないかも
自分が生まれてから番組の見世物になっていたという設定で、ジム・キャリー主演ということで、喜劇と思って見ていたけれど、よくよく考えればシリアスなドラマと感じた。
現在の社会自体が、政府や金持ち連中に都合の良いニュース、映画やドラマ、情報で統制されつつあること、アメリカや中国では、危険人物や危険思想は検閲され、強制力をもって削除されたりしつつあるからだ。日本では、それはソフトに行われているだけだ。
このトゥルーマン・ショーとまでは行かないが、自分が知らない所で、様々な制約があって、自分の思考や行動が管理されているっていう意味では、かなり似ている部分がある。このドラマでは、人々の好奇心を満たし、視聴率を上げることで利益を上げるために、膨大な手間がかけられているが、考えようによっては、それと同様。国益やら、大きな企業の利益を上げるために、制約があり、思考が制御され、生産活動を行っている。
ジム・キャリーも、ひょっとしたら、利益を上げるためにその嘘を生きるという現代の虚構性に気づいていた一人かもしれない。
映画では、与えられるそこそこの満足が得られる生活ではなく、冒険心や野心、自由や真実を求める気持ちが勝利して、出口から脱出するのに、人々も歓声を上げるが、現実はそのように行かないように見える。
後年、トーク番組の中で、フリーメーソンの存在を主張するようなトークを繰り広げ、その後、二度とトーク番組には呼ばれなくなったとか、奥さんが鬱病になって、その原因がジム・キャリーにあると訴えられていたりしていた。この映画のように、虚構性から脱出しようとしたら、その世界で生きていけなくなった。そんな思いを巡らせ、笑えなくなった。