テスのレビュー・感想・評価
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すべての元凶は彼女の不安定さ?
ヒロインのテス自身は、これと言って何か「悪いこと」をしているわけではないのですが、それでも彼女を取り巻く男性は、次々と不幸になってゆく…。
そのからくりはら彼女自身が持っている「不安定さ」にあるのではないかと思いました。評論子は。
しかし、テス自身も意識していない彼女の意識(「想い」というべきなのか?)が不安定で、その不安定さが巻き起こす渦に、彼女と関わる男性たちは次々と、いわば呑み込まれて、それで自身の身を滅ぼしてしまうことになる…そんな印象を拭えませんでした。本作を見終わって。評論子は。
男女の愛憎というものは、当事者それぞれで、簡単に「こうだ」と割り切ることのできないものであることは、評論子も承知しないわけではないのですけれども。
しかし、周囲の男性を凋落に導いてしまうという結論においては、彼女(のようなタイプの女性)も、彼女自身に帰責性があるかどうか、彼女自身に帰責性の意識があるかどうかは、それぞれ別としても、いわゆるファム・ファタール(の亜種?)に属するのかも知れないと思いました。あくまでも、評論子の印象として。
その意味では、ずっしりと重たい一本になりました。評論子には。
久々に堂々たる文芸映画を観た印象。最近こういう映画は作られないもんね。数奇な運命に翻弄される女性という定番ながら、ポランスキーの確かな演出力とナスターシャ・キンスキーの美しさで最後まで飽きさせない。
①(リアルタイムで観ていなくて今回が初めての鑑賞)当時、ナスターシャ・キンスキーは盛んに「イングリッド・バーグマンの再来」と騒がれたけれど(女優としては残念ながらバーグマンほど大成しなかった)、確かに横顔なんかバーグマンにそっくりなショットが何度も出てくる。
②19世紀のヴィクトリア朝のイギリス。金と力とがあれば女性を意のままに出来ると思う男と、当時としては進歩的な考えの持ち主の筈なのにやはり“貞節”という時代の観念から逃れる事が出来ずテスをあるがままに受け入れられなかった男。
両極端のようで、テスを女性という性ではなく、一人の個性ある人間として見れなかったという点では共通しているように思う。
③
映画にこれ以上は望めない。
自分が子どもの頃に撮られた映画で、こうしてリバイバルだから見られたのだが、不朽の名作とはこういうのを言うのか、いつ見てもよさそうな映画である。すべての場面が絵画のように美しく、丁寧に撮られている。冒頭の少女たちのダンスから、ずっと退屈せず、長尺でも没入できた。
私は実はポランスキー監督の他の映画はクセがありクドくて余り好きではない。この映画はむしろ適度に描く対象と冷静な距離が取れていて見やすい。ナスターシャ・キンスキーが若いのに品があり、それが貧しい身なりや苦境にあるときに余計に際立つ。限りなく切ないストーリーを根気強く撮ったもので、映画にこれ以上は望めない。都内で見逃し、小山まで来たが、見てよかった。
文芸大作なのに飽きさせない
シャロンに捧ぐの献辞からも明らかなように、R.ポランスキーが力を抜かずに作っているのでダレがほとんどない。N.キンスキーの美しさも特筆もの。音楽と衣装も素晴らしいです。公開当時、日本でもかなりヒットしました。いま見返してもやっぱり良かった。今の日本じゃヒットしないだろうなー。
ポランスキーが本格的に挑んだトーマス・ハーディー文学の古典的な美しさ
ナスターシャ・キンスキー主演のクラシック映画復活のドラマ。ポランスキーにしては微妙に奇麗事過ぎる映画作法だが、それだけに正統派も熟せる映画人の自負心を感じる。それがキンスキーの個性的な美しさと相まって、滋味豊かな愛のロマンが展開される。見所はキンスキーと並んで、ジェフリー・アンスワースとギスラン・クロケの撮影が、兎に角美しい。フィリップ・サルドの音楽も的確だ。
ただし、ポランスキーが本格的にトーマス・ハーディー文学に取り組んだ演出力は見事なのだが、これまでのポランスキーらしいアクの強さが感じられないのが惜しい。そのポランスキーは、アメリカを追われたことに対する謝罪のつもりで、このイギリス文学の純粋な男女の愛を描きたかったのだろう。舞台背景の良さ、古典ドラマの美点、役者の演技レベルの高さ、これらに対するポランスキーの演出に個性不足を感じてしまった。
1980年 12月16日 みゆき座
ファムファタルを体現した美しさ
ナスターシャ・キンスキー、本作撮影時18歳
その美貌は3時間近い長い物語を飽きさせずに画面に目を釘付けにするほどのもの
ふっくらととした女性らしい柔らかい身体の線は胸にも腰にもない
だからセクシャルな官能的な美しさではない
両手を彼女の腰に回せば、左右の指が触れそうなほどに細い
そして背筋は後ろに反った美しい湾曲したラインを描いている
硬い果実のような処女を映像にするならば彼女がそのものだ
しかし、それはロリータとはまた違う
男を翻弄するような小悪魔的でもないし、子どもでもない
テスは自分を持った分別のある大人の女性だ
アレックに襲われてしまったのはまだ男の怖さを知らなかった、経験値が足らなかっただけのこと
ファムファタルという言葉がある
運命の女とも宿命の女とも、魔性の女とも訳される
クリムトの絵画にも描かれている
その絵画はもう少し柔らかい線の女性だが
ナスターシャ・キンスキーはもっと硬いまだ少女のラインを持つ身体であるが、疑いもなくファムファタルそのひとだ
ファムファタルとして有名なギュスターブ・モローの絵画サロメよりも、彼女はまださらに細く硬い
男は彼女を一目みれば運命を変えられてしまう
迂闊に近づけば心を奪われ身の破滅を招く女性だ
賢明ならば自分には関係のない女性だと、想いを抱いてしまう前に頭から追い出さないといけない
そんな美人のこと
本作のナスターシャ・キンスキーの画面に写る姿は、そのレベルの美しさを体現している
果たして、本作に登場する二人の男性は身の破滅に至るのだ
テス自身は異性に対して奥手であり、慎み深い女性であることは冒頭の草原でのクラブダンスのシーンで最初に語られる
しかしエンジェルは別れ際に二度見どころか三度見して去っていく
彼女の美貌は磁力の様に男を引き寄せてしまうのだ
彼女は普通のどちらかといえば奥手の貧しい農家の娘にすぎないのにそうなってしまうのだ
美しい、ただそれだけで得する女性もいる
しかし美女もあるレベルを超えると却って不幸になってしまうのだ
それが彼女だ
普通の男性は危険を感じて避ける様になる
近寄って来るのは、美女をモノにする事だけに関心のある碌でもない男
またはその美しさを女神の様に清純そのものの存在として崇めて、生身の女性として見れない一点の汚れも許せなくなる男
この二種類の男しか寄って来なくなるのだ
正に本作の二人の男だ
テスは何一つ悪くはない
ただその美しさが勝手に男を狂わせてしまうのだ
本作はこのファムファタルの美しい魔力の有り様を見事に映像にしてみせている
ナスターシャ・キンスキーでなければできなかっただろう
そしてポランスキー監督が彼女のその美しさ、そしてそれがもたらす恐ろしい力を見事に描ききっている
美人なのに、良い彼氏ができない、近寄ってくるのは碌でもない男ばかりとお嘆きの貴方に、ぜひ観て頂きたい作品です
普通の誠実な男性を望むなら、貴方が逃げ腰の彼を積極的に引き寄せて、逃げてしまわないように、あきらめてしまわないようにむしろ積極的になる努力が普通の女性以上に必要なのです
そして早い段階で本当の貴方をさらけ出さないといけないのです
それなりのあなたには、普通で良かったと安堵できる作品ではないでしょうか
ナスターシャ・キンスキーの美しさをただただ堪能。 物語自体はさほど...
ナスターシャ・キンスキーの美しさをただただ堪能。
物語自体はさほど面白いものではなかった。えー、そんな結論になるの?って感じ。当時の歴史的知識が若干必要かも。そしてあまりに長い。
やはり本作はナスターシャ。ただなぜだろう、綺麗とは思うのだが、熱烈なファンにはなりきれない。綺麗すぎるのか?不思議だ(笑)
生贄
貴族の末裔?なのかな…ある意味気高い
貞操観念は低いとされるが、仕方のない家庭環境と運命
生まれ持った美しい顔姿が仇となる
本当に美しいねナスターシャ・キンスキー♡
景色も衣装もシチュエーションも撮影も本当にため息の出る美しさ
野良仕事も乳しぼりも美しい19世紀
(ドレス着て働くのねこの時代)
ロマン・ポランスキーの芸術性の高さも認めざるを得ません
ポランスキーの罪、と芸術
アメリカからヨーロッパに逃亡した、ポランスキー監督がラブラブだったキンスキー(当時16才)を主役に撮った映画
そして、 刺殺された亡き妻、シャロンに捧げられている
ポランスキーの罪(小児性愛)については、最近、やっと真剣に問い直されているが、芸術至上主義と男性中心主義が、まだ、映画界に蔓延していることが 判る
美しく、賢い(でも、貧しい)テスの苦難の道程を描いた映画だが、確かに監督の執着(愛 ? )が見え、キンスキーの代表作に仕上がっている
頭が 前近代の男(アレックスとエンジェル)は テスを、美しい所有物のように考えていて、彼女の人間としての 自問自答には、気がつかない
(エンジェルは後に理解、遅い!)
映画は (キンスキーを全力で、美しく撮ることで)
「美」が引き起こす「災い」という話に帰結していて、男(監督)の罪は 全力でスルーしている様にも見える
(監督の 追放されたアメリカへの、言い訳か?
これがまた、芸術に昇華してしまったことも、厄介なことである)
欲望は エネルギーの源だか、ポランスキーが許されてよいはずはない、とやはり思ってしまうのである
ストーンヘンジに横たわる テスを見ながら、ヨーロッパ文学によくある「生贄」という概念が、ポランスキーには あるのだろうかと、ふと 思った
原作は「ダーバヴィル家の(生贄の)テス」とも言えるが、キンスキーは 「ポランスキーの」生贄なの?
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