「迷路のような、美男美女のラブロマンス」ティファニーで朝食を kazzさんの映画レビュー(感想・評価)
迷路のような、美男美女のラブロマンス
午前十時の映画祭11にて。
2021年5月5日に観賞したのだが、昨日(5月4日)はオードリー・ヘプバーンの誕生日だった。
原作小説の主人公ホリーは、セレブ男たちの間を渡り歩いて生活する様子から「娼婦」だと一部で捉えられ、作者のカポーティは「ゲイシャ」だと説明したという。
“社交界の娼婦”的な設定を当時の女性たちがどのように受け止めたのかは知らないが、一部からは自由奔放な生きざまが支持され、作者の近くにいる女性たちが「自分こそがホリーのモデル」だと主張しあった、とか。
そもそも、カポーティはマリリン・モンローの主演を希望したが、全くタイプが異なるヘプバーンがキャスティングされた(経緯は諸説あるものの)…というのは有名な話。
ヘプバーンは当初、娼婦の役はできないと難色を示したとされ、ヘプバーンに合うように原作とは異なるラブロマンスに脚色された…らしい。
だからというわけではないが、ストーリー展開には無理がある。
作家ポール(ジョージ・ペパード)がホリー(オードリー・ヘプバーン)に魅かれていくのは解らないでもないが、ホリーの心理の移り変わりが理解しづらい。
つかみどころのない不思議な女性としての魅力が、反って惹き立っているとはいえるが。
ポールのキャラクターも、パトロンと愛人関係にあって実力以上の生活をしていながら若い女に気移りしているあたり、今見るととても共感できるものではない。
そんな脚本はさておき、ブレイク・エドワーズ監督の演出は、お洒落なファッションやニューヨークの街並みを背景にした名場面のオンパレードで、ヘプバーンの画的な魅力を最大限に引き出している。
本作が彼女の代表作の一つに上げられているのは、ヘプバーン自身のコメディエンヌとしての才能によるのは当然かだが、監督の画づくりの成果だと思う。
ヘンリー・マンシーニの音楽も然りで、「ムーン・リバー」はヘプバーン自身に唄わせることにこだわって、彼女の声域に合わせて1オクターブで書いたという。その結果、スタンダードの名曲となったのだから、名作曲家とヘプバーンがもたらしたシナジー効果は高かったのだ。
主演女優の人選のトラブルから、脚本の流れに無理が生じたのですね。
どこかいびつでとらえどころのないこのストーリー。なるほど合点がいきました。そしてその不安定さがゆえに、正体不明のオードリー・ヘプバーンは、観る者の心に何か不思議な揺さぶりを起こすのかもしれません。
kazzさん
コメントありがとうございました。
ヘプバーンだから、なるほど。
彼女だからまだ品が保てたかもしれませんね。
猫については、飼ったことがあるので、いろいろ目についてしまうんです。
気にならない方が多いと思います。