「魂を震わせる、圧巻のラスト5分の演説シーン」独裁者 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
魂を震わせる、圧巻のラスト5分の演説シーン
【イントロダクション】
サイレント映画の帝王にして世界三大喜劇王の一人、チャールズ・チャップリン初のトーキー作品。チャップリンは、ナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラーをモデルとした独裁者、アデノイド・ヒンケルと、ユダヤ人の理髪師の二役を演じ、ヒトラーとファシズムを痛烈に風刺・批判した。チャップリンは主演の他に、監督・脚本・製作も務めた。
第13回アカデミー賞では、作品賞、主演男優賞、助演男優賞、脚本賞、作曲賞の5部門にノミネートされた。
【ストーリー】
第一次世界大戦中の1918年、“トメニア”の陸軍部隊に徴兵されていた“ユダヤ人の理髪師”は、負傷した飛行士官のシュルツ(レジナルド・ガーディナー)を偶然救出する。2人は飛行機で飛び立つが、燃料切れにより墜落。救助されたシュルツは、トメニアが降伏した事を聞かされ深く悲しむ。一方、理髪師は墜落のショックで記憶喪失となっていた。
理髪師は記憶が戻らないまま、病院にて数年の時を過ごしていた。その間トメニアでは、アデノイド・ヒンケルが独裁者として君臨し、自由と民主主義を否定。ユダヤ人を迫害するようになっていた。
病院を抜け出した理髪師は、ユダヤ人居住地区“ゲットー”の理髪店兼自宅に戻ってくる。時間の経過を理解しておらず、埃と蜘蛛の巣だらけの店内に呆然とするが、彼の帰宅を信じて待っていたジェケル(モーリス・モスコヴィッチ)やゲットーの仲間達に温かく迎え入れられる。更に、理髪師はユダヤ人を迫害する突撃隊との衝突を通じて、ハンナ(ポーレット・ゴダード)という女性と親しくなる。
ある日、理髪師は突撃隊から吊るし首にされそうになっていた所をシュルツに助けられる。シュルツは突撃隊長になっていたが、かつて命を救われた恩から、ユダヤ人に手を出さないよう部下に命じる。
一方、ヒンケルは隣国の“オーストリッチ”侵攻を企て、ユダヤ系の金融資本から戦争費用を抽出する為、ユダヤ人への迫害を一時的に停止させた。しかし、資金援助を断られるとヒンケルは激怒。シュルツにゲットーを襲撃するよう命じる。シュルツが反対すると、ヒンケルは彼を強制収容所に送る。ヒンケルは、ラジオ放送でユダヤ人に対する怒りを露わにした演説を行い、再びユダヤ人を迫害する。
強制収容所から脱走したシュルツはゲットーに潜伏し、ヒンケルの暗殺を計画して同志を募る。後日、理髪師とシュルツは突撃隊に捕えられ、強制収容所に送られる。ハンナ達はオーストリッチへ亡命し、葡萄園で働きながら新しい生活を始める。
時を同じくして、トメニアには近隣国“バクテリア”の独裁者ベンツィーノ・ナパロニが、オーストリッチ侵攻を巡って話し合いに訪れていた。
【感想】
本作のアメリカ公開は1940年。まだアメリカと日本が第二次世界大戦に参戦する前である。にも拘らず、これだけナチス・ドイツの蛮行を痛烈に風刺・批判する作品を作り上げていたチャップリンの先見の明に驚かされる。
元々、チャップリンとヒトラーの特徴が似ているという所から始まったそうだが、それにしても本作でのチャップリンのモノマネは非常に似ている。英語をドイツ語風に発音して演説する姿は、声のトーンまでソックリである。だからこそ、彼がヒトラーを茶化す姿が面白い。
チャップリン曰く、「ヒトラーという男は、笑いものにしてやらなければならないのだ」そうで、彼の独裁政権への強い批判精神が現れている。
そうした政治的な風刺や批判を抜きにしても、チャップリンならではの様々な動きのコミカルさが見ていて楽しい。特に、ヒンケルが総統室で風船の地球儀で遊ぶ姿。理髪師がラジオから流れるブラームスの『ハンガリー舞曲』に合わせて髭を剃る姿は印象的。
また、ユダヤ人への迫害を再開する際のラジオ演説における、怒りに満ちた表情が素晴らしい。まさに狂気の沙汰である。
冒頭の第一次世界大戦の描写の作り込み具合が素晴らしい。塹壕を移動する兵士や、銃撃、突撃するシーンは、今見ても十分迫力がある。こうしたリアリティある戦場描写が、チャップリンのコミカルな演技をより引き立たせている。
シュルツを救出してからの、飛行機での飛行シーンのユニークさも面白い。逆さ飛行による、懐中時計や水筒の水が「下から上」に向かって漂う様子は、日本の『ドリフ大爆笑』といったコントにも影響を与えている。
ポーレット・ゴダードの美しさが眩しい。特に、理髪店で髪をセットされてからの姿は必見。この当時はチャップリンのパートナーとして、公私共に彼と過ごしていたそう。ラストで希望の光に照らされる横顔が美しい。
シュルツ役のレジナルド・ガーディナーの渋さも良い。また、彼がヒンケルのユダヤ人迫害に反対する際に言う、「罪なき者を迫害して築いた国家は崩壊する」という台詞は、そのままナチス・ドイツの敗戦にも繋がる皮肉なメッセージとなっている。
【映画史に残る、ラスト5分間の演説シーン】
本作の評価を決定付けるのは、何といってもこのラストの演説シーンだろう。
人種の壁を越え、自由と尊厳を胸に人々に立ち上がる事を説いたその内容は、今日を生きる我々の胸にも、強く、熱く響くものである。
『申し訳ないが、私は皇帝になりたくない。
支配も征服も嫌だ。むしろ皆を助けたい。ユダヤ人も黒人も白人も。
人類は助け合いを望んでいる。
支え合って幸福に生きたい。憎み合いは嫌だ。
地球には皆の場所があり、大地は恵みに満ちている。自由に生きられるのに、道を見失った。強欲が人々の魂を毒し、憎しみの壁を築かせ、殺戮へ向かわせた。速度は増したが、孤独になった。機械は貧困をもたらした。知識は人を懐疑的にし、知恵は非情にした。頭ばかりで心を失った。
機械よりも人情が、知恵よりも思いやりが必要だ。それがなければ、暴力だけが残る。飛行機とラジオは我々を近づけた。全世界に兄弟愛を呼びかけ、人類をひとつに結びつける。
私の声は、今も世界に届いている。何百万の絶望した人々に。無実の罪で逮捕され、拷問される人々に。
彼らに言う。絶望してはならない。
人類の進歩を恐れる者の敵意と強欲が、我々の上を通過している。だが、憎悪は消え、独裁者は死に絶える。人民から奪った権力は、人民に戻る。人間に死があるかぎり、自由は滅びない。
兵士諸君、獣たちに従うな。彼らは諸君を軽蔑し、奴隷にし、思考と感情を統制する。家畜のように扱い、大砲の餌食にする。
彼らは人間ではない。機械の頭と心を持つ機械人だ。諸君は機械や家畜ではない、人間なのだ。心に愛を抱えている。愛を知らない者だけが憎み合う。
兵士諸君、自由のために戦おう。
“神の王国は人の中にある”という。それは君たちの中にあるのだ。君たちには力がある。機械を作り、幸福を生む力が。人生を自由で美しく、すばらしい冒険にする力が。
民主主義の名の下に、その力を使おう。新世界のために戦おう。人々に労働の機会を与え、若者に未来を、老人には保障を。
獣たちも同じ約束をした。だが、彼らは決して約束を守らない。独裁者たちは民衆を奴隷にする。約束を実現するために戦おう。世界の解放のために。障壁を取り除き、強欲と不寛容を取り除くために。理想の世界をつくるため。科学と進歩が幸福をもたらす世界を。
兵士諸君、民主主義の名の下に団結しよう!』
【総評】
喜劇王に相応しいチャップリンのコミカルな演技、その裏にあるナチス・ドイツの風刺。魂を震わせるラスト5分の圧巻の演説シーンは、戦争そのものに対する批判、文明の発達によって心を失いつつある人間に対する批判である。だからこそ、そのメッセージ性は未だ戦争を繰り広げ、文明社会で心を失っていく現代においても決して古さを感じさせない。
ネット社会で情報の速度は増したが、欺瞞や扇動は憎み合いを増幅させている。画面越しのやり取りによって、人々は孤独を深めている。他者に対して懐疑的となり、非情さは増すばかりだ。
政治家達は、当選の為に机上の空論、綺麗事で塗り固められた理想論を振りかざすばかりで、約束を守りはしただろうか?
もうとっくに、暴力だけが残る世界になりつつあるのかもしれない。