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○作品全体
真実に近づこうとするほど真実がどこにあるのかわからなくなる。
この作品は主人公・ギテスと事件の関係者とのダイアローグによって形成されていて、相手の真意や本当に伝えたいことをギテスがどのように解釈し、別の人物にその解釈をどこまで示すのか、その駆け引きが見どころだと感じた。なにげない会話においても主点となるのは人物の真意であり、そのキャラクターの設定については会話の流れの中で、撫でるように触れられるだけだ。
ギテスが元警官であったこと、そのときにチャイナタウンと縁があったことは物語が進む中でも活かされる設定であったが、ギテスが元警官だという設定を中心としたダイアローグは繰り広げることなく、知り合いの警官と会ったときに元同僚としてのスタンスでの会話の中で出てきた情報から、視聴者はギテスを元警官だと理解する。キャラクターの肩書に物語が振り回されるのではなく、物語にとって必要なときに肩書が使われる、といった関係性が全編通してあるからこそ、ダイアローグは単調なものにならず、なにげない会話に濃密な情報量が入っているのだと感じさせる。
そしてその情報量が、それぞれの語る「真実」が「真実なのかもしれない」と思わせる根拠になっていて、だからこそ正しい真実は非常に掴みづらい。ギテスのダイアローグもほとんどなく、少ないダイアローグと人物の行動の痕跡だけを頼りに物語を追いかける視聴者側も、まるでチャイナタウンにはびこるウヤムヤの中を進んでいる感覚になる。ただ、その「先の見えなさ」こそがこの作品の狙いだと思うし、先が見えない面白さこそがこの作品の醍醐味。たどり着いた結末が暗闇だからこそ、真実がどこにあるのかわからない空気感がより印象的なものとなっていた。
○カメラワークとか
・カメラと人物の距離感が物語の進行と重ね合わされていたと思う。モーレイやその周囲を探る序盤はロングショットが多い。ダイアローグが少ないということもあるし草葉の陰から覗くシーンが多いというのもあるが、真実がどこにあるのか、まだ推測するところまでも辿り着いていないようなカメラと人物の距離。中盤はダイアローグが中心となることもあってバストショットが多くなる。ただダイアローグではないところでもカメラは一定の距離から離れず、空間全体を見せるカットは少なかった。ギテスの頭の中で真実が浮かび上がってきていることを感じさせる距離感。そしてラストシーンでは一気にカメラが引いていき、ギテスは画面奥への闇へと消えていく。掴みかけた真実が、モーレイ夫人の死とともに闇の中に消えていってような、そんな画面。
○その他
・モーレイの死体を確認したモーレイ夫人が、開かれたドアの前で警官と話すシーン。死体が置かれた部屋へ通ずるドアと出口のドアが開け放たれ、その間で話すシーンは、モーレイ夫人にとって「モーレイ」から「ギテス」へ繋がるドアでもあるように見えるし、モーレイ夫人の置かれた立場を鑑みるに、精神的な「死」から「生」へつながるドアでもあるような。立ち話をするにしてもかなり特殊な立ち位置で、この作品における数少ない開かれた空間だったので印象に残った。