「ドロンとギャバン初共演の犯罪映画の渋さとアンリ・ヴェルヌイユ演出のシャープさ」地下室のメロディー Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
ドロンとギャバン初共演の犯罪映画の渋さとアンリ・ヴェルヌイユ演出のシャープさ
今年の8月に88歳で亡くなられたフランス映画を代表する二枚目俳優アラン・ドロンが名優ジャン・ギャバンと初共演したケイパー(強盗)映画。初見は地上波テレビで17歳の高校生の時だったから、もう50年も前になるが、ラストシーンだけは強烈な印象として残っていた。当時の感想文を見ると、今回の印象とあまり変わっていない。拙文に手直しを加えて再録してみます。
若きドロンの美貌が作品の内容にピッタリあっていて好演する。共演のギャバンは流石の貫禄と存在感。やはりフランス映画を象徴する名優である。5年の服役を終えたシャルルのギャバンが娑婆に戻った途端、都市開発で街が様変わりして自分の家が判らなくなるところが中々面白い味が出ている。家に入ると良妻が出迎え、ふたりの会話には余裕ある大人の夫婦愛が窺われて興味を惹かれる。結婚生活30年の間に2度服役したギャバンは人生最後の賭けを企み、刑務所で知り合ったフランシスのドロンとカジノ賭場からごっそり大金を頂く計画を立てる。運転手役にフランシスの義兄ルイを加えた3人は慎重に計画を進め、ドロンはカジノのダンサーと恋仲になるお金持ちのお坊ちゃまに扮し、ギャバンは運転手付きロールスロイスを持つ資産家然。ドロンはカジノの舞台裏から通気口に侵入してエレベーターの上部に乗って地下の金庫室に辿り着き、ギャバンを別の扉から導く。そして10億フランの札束を盗む。ここまでのアンリ・ヴェルヌイユの演出とモノクロ映像の渋さは見応えがあり、サスペンスの盛り上げ方も巧いと思った。ダンサーに夢中になる色男振りのドロンと冷静沈着なギャバンの対比がいい。しかし、お話はここで終わらない。翌日の新聞に載ったカジノ強盗事件の写真の中に、前科者のフランシスが大きく入り込んでいるのを見て、流石のシャルルも危機感を覚える。大金の在り処を浜辺の更衣室の小部屋から変えることを試みる。ドロンとギャバンの待ち合わせ場所はプールサイド。そこには警察に報道人、ホテルの関係者がいて思うように身動きが取れない。このプールの両サイドでドロンとギャバンが対峙するシーンの緊張感ある描写が素晴らしい。カジノ支配人が犯人像や所持していたバッグの記憶を証言する声がドロンの耳に響く。一寸わざとらしいのだが、心理サスペンスとしての演出と解釈すべきだろう。追い詰められたドロンが咄嗟に二つのバッグをプールに沈める。するとバッグから紙幣が溢れ出し、水面一杯に紙幣が浮き上がっていく。実に衝撃的なシーンの静かなエンディングだろう。傑出したヴェルヌイユの演出タッチの印象強し。ヴェルヌイユ監督は、68年に心温まる映画「サン・セバスチャンの攻防」を作り、69年には再びドロンとギャバン主演の「シシリアン」を製作している多才な人だが、その大作「シシリアン」の先駆けとしての存在だけでは収まらない出色の作品であると思う。
(1975年3月15日 土曜映画劇場)採点☆☆☆★★ ☆20点 ★5点
この映画の見所を大きく三つにまとめると、冒頭の妻ジネットの言動から分かるシャルルの人間性、前科者フランシスの怠け者から上流階級の紳士に大変身してダンサーのブリジットと付き合い棄てられる男女関係の顛末、そして本筋の強盗事件の過程をサスペンスフルに見せる犯罪映画としての醍醐味に分けられます。30年の間に服役3年と5年の実質22年共にした熟年夫婦、大金を隠し裁判費用や弁護士料を工面して無駄遣いをせず夫を待ち続けるジネットのヴィヴィアーヌ・ロマンスがいい演技を見せます。私が観た映画では、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の「我らの仲間」(1936年)があり、戦前から活躍したベテラン女優のようです。夫シャルルを愛しているのが伝わるし、世間並以上の資産があるのだからと、もう犯罪には手を染めてもらいたくない本音も分かる。その愛を受け入れながら余生を貴族並みに贅沢に過ごしたいシャルルの我儘は、そんな自分にジネットが付いて来てくれると自信を持っている。男の魅力の点で言えば、ドロン演じるフランシスより遥かにシャルルの方が上である。ジャン・ギャバンに相応しいキャラクターと言えます。
対してフランシスと同年齢の27歳のドロンは、顔の美しさが際立ち過ぎるのを、右頬の上に目立つように傷跡を付けて演じています。チンピラ感のこの僅かなメーキャップの演出が、ブリジットと結局は上手く行かない展開まで効果的に働いています。演じるカルラ・マルリエは、ルイ・マルの「地下鉄のザジ」(1960年)で個性を発揮して素晴らしかったですが、この作品でも存在感を出しています。この若い男女の恋愛模様を挟んで、フランシスが計画通りに進まない危機感を最後の犯行まで生かす脚本の細かさも見事でした。
この時間内にエレベーターに辿り着けるかどうかの緊迫したシーンでは、危険なアクションをドロンが身のこなし宜しく見せていて運動神経の良さが感じられます。結末における自暴自棄的なバッグの扱いは、シャルルの計画変更においてフランシスを見捨てる判断に対する彼なりの抵抗でもあったと今回理解しました。当初計画したメンバーにフランシスが入っていなかったことが、ここで活きてきます。
フィルム・ノワール的なルイ・パージュのモノクロ映像の美しさと渋さが、主演ふたりを更に引き立てています。ブリジットがもっとストーリーに絡んいれば、更に面白い作品になっていたかも知れません。でもこれはドロンとギャバンの2大スターのための映画でした。このシャープな映像に、現代音楽とジャズをミックスしたようなミシェル・マーニュの音楽が合っていて、今回感心したひとつに挙げられます。それと最後の水面シーンの虚無感には、如何にもフランス音楽の柔らかさとゴージャスさがシニカルな味付けになっていて良かったと感じました。
アラン・ドロン作品は、1959年のミシェル・ボワロンの「お嬢さん、お手やわらかに!」から1975年頃までしか観ていません。25歳で主演した1960年の「太陽がいっぱい」と「若者のすべて」で判るように、名監督に恵まれたスターでした。ルネ・クレマンは、「生きる歓び」でも使い、ルキノ・ビスコンティは「山猫」で貴族役を演じさせました。ミケランジェロ・アントニオーニの「太陽はひとりぼっち」、ジュリアン・デュビビエの「フランス式十戒」、ロベール・アンリコの「冒険者たち」、ジャン=ピエール・メルヴィルの「サムライ」、ルイ・マルの「世にも奇妙な物語」、ヴァレリオ・ズルリーニの「高校教師」、他にジョセフ・ロージーやジョゼ・ジョヴァンニと勿論このヴェルヌイユも。娯楽作品から芸術作品のジャンルの豊富さ、作風が違う名匠の代表作まで、これ程に色んな役柄を水準以上に演じたスターはいません。美貌を取り上げられることが多い美男俳優の宿命として、演技力を高く評価されることが余りなかった苦労や、60年代にはハリウッド進出に失敗した苦い経験(「泥棒を消せ」1965年)など、全てが順風満帆ではなかった。同時期のスターでは、「ボルサリーノ」で共演したジャン=ポール・ベルモンドの方が母国フランスでは人気が高く、日本では圧倒的にアラン・ドロンが知名度含め愛されていました。
余談
(世に言う、美人薄命は嘘です。シンメトリーの比率が高い美男美女は、生物学的に免疫力が高く病気になり難いそうです。植物や動物でも同じことが言えますね。曲がったキュウリより真っすぐで奇麗なキュウリの方が日持ちがいい。味の違いはなくも、人が真っすぐで奇麗なキュウリを選びたいのは、当然の欲求なんですね。
三島由紀夫氏がジェームズ・ディーンの追悼随筆のなかで、同じようなことを言っていました。
人生は、美しい人は若くて死ぬべきだし、そうでない人はできるだけ永生きすべきであろう。ところが95パーセントまでの人間はその役割をまちがえる。美人が80何歳まで生きてしまったり、醜男が23歳で死んだりする。まことに人生はままならないもので、生きている人間は多かれ少なかれ喜劇的である。(編者淀川長治 日本の名随筆 作品社発行)
ここから言えることは、その5パーセントが珍しく、夭折された美女を惜しむ気持ちから生まれた言葉が、美人薄命なのだと思われます。
美男も美女も長生きするから苦労が多い。アラン・ドロンの長い俳優生活を思うと、そのことが先ず頭を過ぎります。)
Gustavさん
バーンスタインですか? 凄いですね ✨
昨年上映された映画「 マエストロ その音楽と愛と 」、ブラッドレイ ・クーパーがバーンスタインを魅力的に演じていたのを思い出しました。
アラン・ドロンがモテ過ぎる役を 🎥
ハマり役ですね 😎
演技の幅を広げてこそ、そうかも知れませんね。
Gustavさん
コメントへの返信を頂き有難うございます。
『 若い頃東京近郊に住んでいた時、何度かオペラ鑑賞を 』、東京文化会館でしょうか? 先日、モネ展を観に上野へ行った折、東京文化会館に立ち寄ったのですが、大ホールには一度も入った事がありません 😆 バレエ公演のポスターが沢山掲示してありました 🩰
山本陽子さんですか。確かに粋で晴れやかな顔立ちの美人さんですね。
誰かを演じる事は、とてつもなく難しいであろうと想像しているのですが、何故人生経験の浅い子役さんが、巧く演じる事が出来るのでしょうね。
Gustavさん
17才の高校生の時に初めて観られたとは、なかなかのおませさんですね。
美しい顔立ちの俳優さんが、鏡に映る自身の姿に老いを意識した時、より物悲しい気持ちになるのでしょうね。
北川景子さんも恐らくそうでしょうが、美し過ぎるお顔立ちだと、演じる役もある程度限られてしまう気がします。
そうでない場合も、同じかも知れませんが。
勿論、選べるなら美し過ぎる顔立ちで生まれてみたいものですが(笑)