地下室のメロディーのレビュー・感想・評価
全23件中、1~20件目を表示
ドロンとギャバン初共演の犯罪映画の渋さとアンリ・ヴェルヌイユ演出のシャープさ
今年の8月に88歳で亡くなられたフランス映画を代表する二枚目俳優アラン・ドロンが名優ジャン・ギャバンと初共演したケイパー(強盗)映画。初見は地上波テレビで17歳の高校生の時だったから、もう50年も前になるが、ラストシーンだけは強烈な印象として残っていた。当時の感想文を見ると、今回の印象とあまり変わっていない。拙文に手直しを加えて再録してみます。
若きドロンの美貌が作品の内容にピッタリあっていて好演する。共演のギャバンは流石の貫禄と存在感。やはりフランス映画を象徴する名優である。5年の服役を終えたシャルルのギャバンが娑婆に戻った途端、都市開発で街が様変わりして自分の家が判らなくなるところが中々面白い味が出ている。家に入ると良妻が出迎え、ふたりの会話には余裕ある大人の夫婦愛が窺われて興味を惹かれる。結婚生活30年の間に2度服役したギャバンは人生最後の賭けを企み、刑務所で知り合ったフランシスのドロンとカジノ賭場からごっそり大金を頂く計画を立てる。運転手役にフランシスの義兄ルイを加えた3人は慎重に計画を進め、ドロンはカジノのダンサーと恋仲になるお金持ちのお坊ちゃまに扮し、ギャバンは運転手付きロールスロイスを持つ資産家然。ドロンはカジノの舞台裏から通気口に侵入してエレベーターの上部に乗って地下の金庫室に辿り着き、ギャバンを別の扉から導く。そして10億フランの札束を盗む。ここまでのアンリ・ヴェルヌイユの演出とモノクロ映像の渋さは見応えがあり、サスペンスの盛り上げ方も巧いと思った。ダンサーに夢中になる色男振りのドロンと冷静沈着なギャバンの対比がいい。しかし、お話はここで終わらない。翌日の新聞に載ったカジノ強盗事件の写真の中に、前科者のフランシスが大きく入り込んでいるのを見て、流石のシャルルも危機感を覚える。大金の在り処を浜辺の更衣室の小部屋から変えることを試みる。ドロンとギャバンの待ち合わせ場所はプールサイド。そこには警察に報道人、ホテルの関係者がいて思うように身動きが取れない。このプールの両サイドでドロンとギャバンが対峙するシーンの緊張感ある描写が素晴らしい。カジノ支配人が犯人像や所持していたバッグの記憶を証言する声がドロンの耳に響く。一寸わざとらしいのだが、心理サスペンスとしての演出と解釈すべきだろう。追い詰められたドロンが咄嗟に二つのバッグをプールに沈める。するとバッグから紙幣が溢れ出し、水面一杯に紙幣が浮き上がっていく。実に衝撃的なシーンの静かなエンディングだろう。傑出したヴェルヌイユの演出タッチの印象強し。ヴェルヌイユ監督は、68年に心温まる映画「サン・セバスチャンの攻防」を作り、69年には再びドロンとギャバン主演の「シシリアン」を製作している多才な人だが、その大作「シシリアン」の先駆けとしての存在だけでは収まらない出色の作品であると思う。
(1975年3月15日 土曜映画劇場)採点☆☆☆★★ ☆20点 ★5点
この映画の見所を大きく三つにまとめると、冒頭の妻ジネットの言動から分かるシャルルの人間性、前科者フランシスの怠け者から上流階級の紳士に大変身してダンサーのブリジットと付き合い棄てられる男女関係の顛末、そして本筋の強盗事件の過程をサスペンスフルに見せる犯罪映画としての醍醐味に分けられます。30年の間に服役3年と5年の実質22年共にした熟年夫婦、大金を隠し裁判費用や弁護士料を工面して無駄遣いをせず夫を待ち続けるジネットのヴィヴィアーヌ・ロマンスがいい演技を見せます。私が観た映画では、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の「我らの仲間」(1936年)があり、戦前から活躍したベテラン女優のようです。夫シャルルを愛しているのが伝わるし、世間並以上の資産があるのだからと、もう犯罪には手を染めてもらいたくない本音も分かる。その愛を受け入れながら余生を貴族並みに贅沢に過ごしたいシャルルの我儘は、そんな自分にジネットが付いて来てくれると自信を持っている。男の魅力の点で言えば、ドロン演じるフランシスより遥かにシャルルの方が上である。ジャン・ギャバンに相応しいキャラクターと言えます。
対してフランシスと同年齢の27歳のドロンは、顔の美しさが際立ち過ぎるのを、右頬の上に目立つように傷跡を付けて演じています。チンピラ感のこの僅かなメーキャップの演出が、ブリジットと結局は上手く行かない展開まで効果的に働いています。演じるカルラ・マルリエは、ルイ・マルの「地下鉄のザジ」(1960年)で個性を発揮して素晴らしかったですが、この作品でも存在感を出しています。この若い男女の恋愛模様を挟んで、フランシスが計画通りに進まない危機感を最後の犯行まで生かす脚本の細かさも見事でした。
この時間内にエレベーターに辿り着けるかどうかの緊迫したシーンでは、危険なアクションをドロンが身のこなし宜しく見せていて運動神経の良さが感じられます。結末における自暴自棄的なバッグの扱いは、シャルルの計画変更においてフランシスを見捨てる判断に対する彼なりの抵抗でもあったと今回理解しました。当初計画したメンバーにフランシスが入っていなかったことが、ここで活きてきます。
フィルム・ノワール的なルイ・パージュのモノクロ映像の美しさと渋さが、主演ふたりを更に引き立てています。ブリジットがもっとストーリーに絡んいれば、更に面白い作品になっていたかも知れません。でもこれはドロンとギャバンの2大スターのための映画でした。このシャープな映像に、現代音楽とジャズをミックスしたようなミシェル・マーニュの音楽が合っていて、今回感心したひとつに挙げられます。それと最後の水面シーンの虚無感には、如何にもフランス音楽の柔らかさとゴージャスさがシニカルな味付けになっていて良かったと感じました。
アラン・ドロン作品は、1959年のミシェル・ボワロンの「お嬢さん、お手やわらかに!」から1975年頃までしか観ていません。25歳で主演した1960年の「太陽がいっぱい」と「若者のすべて」で判るように、名監督に恵まれたスターでした。ルネ・クレマンは、「生きる歓び」でも使い、ルキノ・ビスコンティは「山猫」で貴族役を演じさせました。ミケランジェロ・アントニオーニの「太陽はひとりぼっち」、ジュリアン・デュビビエの「フランス式十戒」、ロベール・アンリコの「冒険者たち」、ジャン=ピエール・メルヴィルの「サムライ」、ルイ・マルの「世にも奇妙な物語」、ヴァレリオ・ズルリーニの「高校教師」、他にジョセフ・ロージーやジョゼ・ジョヴァンニと勿論このヴェルヌイユも。娯楽作品から芸術作品のジャンルの豊富さ、作風が違う名匠の代表作まで、これ程に色んな役柄を水準以上に演じたスターはいません。美貌を取り上げられることが多い美男俳優の宿命として、演技力を高く評価されることが余りなかった苦労や、60年代にはハリウッド進出に失敗した苦い経験(「泥棒を消せ」1965年)など、全てが順風満帆ではなかった。同時期のスターでは、「ボルサリーノ」で共演したジャン=ポール・ベルモンドの方が母国フランスでは人気が高く、日本では圧倒的にアラン・ドロンが知名度含め愛されていました。
余談
(世に言う、美人薄命は嘘です。シンメトリーの比率が高い美男美女は、生物学的に免疫力が高く病気になり難いそうです。植物や動物でも同じことが言えますね。曲がったキュウリより真っすぐで奇麗なキュウリの方が日持ちがいい。味の違いはなくも、人が真っすぐで奇麗なキュウリを選びたいのは、当然の欲求なんですね。
三島由紀夫氏がジェームズ・ディーンの追悼随筆のなかで、同じようなことを言っていました。
人生は、美しい人は若くて死ぬべきだし、そうでない人はできるだけ永生きすべきであろう。ところが95パーセントまでの人間はその役割をまちがえる。美人が80何歳まで生きてしまったり、醜男が23歳で死んだりする。まことに人生はままならないもので、生きている人間は多かれ少なかれ喜劇的である。(編者淀川長治 日本の名随筆 作品社発行)
ここから言えることは、その5パーセントが珍しく、夭折された美女を惜しむ気持ちから生まれた言葉が、美人薄命なのだと思われます。
美男も美女も長生きするから苦労が多い。アラン・ドロンの長い俳優生活を思うと、そのことが先ず頭を過ぎります。)
中身とあのメロディー
1963年に公開されたフランス映画。今年の9月25日にBSで放送されたのを録画していたので観ることができました。 白黒の実写映画が好きです。漫画本のように想像力が掻き立てられ、合成映像もなぜか許せてしまいます。 今作の主人公は犯罪者側です。地下にある金庫から大金を盗むために計画し準備し実行します。アラン・ドロンが格好良かったです。コンパクトなオープンカーが乗ってて楽しそうでした。実用的というわけではありませんが、ホテルの上客の振舞い方は勉強になります。ハラハラドキドキのラストは印象に残ります。 特徴的なBGMがキャッチーで良かったのですが、あのメロディー、昨日視聴したばかりなのに忘れてしまいました。バッグの中身を持って逃げられなかった彼らのように、あのメロディーを自分のものに出来なくて悔しいです。
チップは多めに
5年の刑期を終え出所した熟年のギャング、シャルルをジャン・ギャバンが、同房だったチンピラ、フランシスをアラン・ドロンが演じる。
アラン・ドロンの右頬にある疵痕がやさぐれ感を醸し出す。
自宅で出所を待っていた美しい妻の制止を受け入れず、シャルルはカジノ地下金庫の現金強奪をフランシスに持ちかける。
アルファロメオ ジュリエッタスパイダー ヴェローチェ( ← 検索による )のハンドルを握るアラン・ドロンが絵になる。モノクロでの鑑賞でしたが、果たして車の色は何色だったのでしょう … 。
ラスト … 痛恨の … 。
イメージ通りの映像を求め、撮影さぞ大変だったでしょうね。
ーマジェスティック ホテル
ー文句を言うのが上客だ
NHK-BSを録画にて鑑賞 (字幕)
ラストのカタルシスは必見!
ジャンギャバンの出所後の再開発地区と、映画の舞台となるビーチリゾートのカンヌの華やかさの対比は、モノクロでありながらも、コートダジュールの陽光を感じられるほど。15年以上前に訪れた思い出が蘇ってくる。 ジャンギャバンのダンディーさ、そしてアランドロンのイケメンぶりは言わずもがなだけど、とにかく映画の見どころはラスト。 緊張感からの無常感。 そして諦観と儚さ。 プールのにカタルシスが注ぎ込む。 ラヴェルのボレロと化した、エンドレスにアレンジした主題歌が追い打ちをかける。
もう戻りたくないからか
出所したシャルル、久しぶりに外の世界、
自分の家があるのかと心配しながら帰宅。
出所して直ぐに犯罪計画?奥さんも止めているのに。
2400万フランあって小さなホテル経営できるというのに。
ドラ息子のフランシス、ムショ仲間の
シャルルと再会して計画の相談。
フランシスが金持ちのボンボンの役。
最高級ホテルに連泊してカジノに出入りしておく。踊り子とも付き合い裏の方も見ておく。
しかし、フランシスは、初めての場所なのに、
あんな説明と見取り図で
通気口の中やエレベーターの上といい、
慣れているかのように着々と遂行できるのか。
慣れていても危険なのに、不思議だった。
手回し良く薔薇の花の下に銃。
自動車修理工の義兄ルイ、真面目そうなのに、
加担して不思議だったが、
いよいよという段になって良心の呵責と言う。
電話器そのまま壁に貼り付けてあった。
フランシスが銃を突きつけて脅し、
シャルルは何もしないのかと思ってたら、
ドア開けたら外にいて入って来て、
金を取れるだけ取っていた。
更衣室の水道の点検口に金を隠す。
上手くいったと思っていたのに、
なぜ新聞に載ったのだろうか?
せっかくマスクで顔を隠していたのに。
フランシスの顔がはっきり写っている。
プールサイドの椅子に寝転び足元に、
被せ付きの鞄🧳があるというのに、
刑事たち気づかない。
刑事たちが居なくなったら、鞄🧳を
プールに沈めた。
捕まるのが嫌だからか。
冒頭の再開発で激変した自宅周りのシーンは、新しい社会体制になじめない人物像の象徴?
もう60年も前の作品だが、 最初に観たのが映画館だったのか、 TVだったのか、 かなり前のことで記憶も定かではない。 ただ、ラストシーンのプールに金札が浮かぶ 場面だけを印象的に覚えていたが、 耳馴染み深いテーマの音楽も含め ネームバリューもある作品だったので、 TV放映を機を再鑑賞した。 冒頭の再開発のために自分の家を なかなか見つけられないシーンに驚いた。 かつての街の面影を全て無くしてしまう 再開発とは何なのか、 少しばかり建築の世界に身を置く者として 考えさせられたが、 映画の構成としては、 このシーンとこの後の物語の関連性が 良く分からなかった。 新しい社会体制に着いていけない人物像を 象徴するためだったのだろうか。 さて、この後の展開は、 各場面に何故そうなったのかのモノローグを かぶせる編集に上手さを感じ、 分かりやすく鑑賞は出来た。 しかし、 犯罪場面での違和感が全くない訳ではない。 シャルルの家は豪邸で 金持ちでも在るようなのだが、 資金の必要な犯罪で、高級車の手配や 高級ホテルでの長い滞在費などを、 合計8年も刑務所にいても手配出来たとする ための単なる設定だったのか。 そもそも犯罪で築いた財産だったら 妻に渡した財産でも実刑判決の段階で 財産没収されないのだろうか。 また、カジノのオーナーが金庫室へ行く EVの前室に入った時、 外の人間からわざわざ見えるように 何故ドアを開け放しにする 不自然な設定にするのか。 更には、ドロンが通風ダクトを這いずる際、 彼が室内を見下ろせるように 金網部分を設けたが、 ダクト内で引き摺ったゴミが 落下する心配はなかったのか。 等々の些細なことが気になってしまった。 ギャバンとドロン二人の共演が魅力的で、 ラストシーンも印象的な作品だが、 何かと細部が気になり、それらが 没入を妨げる鑑賞となってしまった。
ジャンギャバンとアランドロンの共演作
ジャンギャバン扮するギャングのシャルルは出所して周りの環境がすっかり変わってしまったため自分の家が分からなかった。シャルルは仕事を 前にアランドロン扮するフランシスヴェルロットらを仲間に引き入れた。 ジャンギャバンとアランドロンの共演作。アランドロンのプレイボーイぶりが板についていていいね。
小粋なフランス犯罪映画を観たいなら、本作で決まりです
名作「死刑台のエレベーター」と題名がよく混同されがちです 死刑台のメロディーとか地下室のエレベーターなんて具合に題名が入り混じって、あれ?どっちだっけによくなります だってどちらの作品もエレベーターが重要なシーンになりますし、メロディーもどちらの作品でも印象的なんですから あちらは1958年の巨匠ルイ・マル監督の作品で、マイルス・デイヴィスの音楽が特に有名です 一方本作は1963年のアンリ・ヴェルヌイユ監督の作品です こちらも音楽で有名 映画音楽全集には入っていることはあまりないのですが、ワンフレーズ聴けば誰もが聴いたことがある!となるはずです コマーシャルにも使われていました 小粋なタイトルバックだけでなく、劇中でも様々なアレンジで何度も使われます そしてなんと言っても、本作の最大の目玉はアラン・ドロンとジャン・ギャバンというフランス映画界の二大スターの共演と言うところです アラン・ドロンは28歳、ジャン・ギャバンは59歳です アラン・ドロンが素晴らしくカッコいい! カンヌの超高級ホテルに金持ちのプレーボーイの扮装で現れるシーンの男前ぶりは男でも惚れ惚れするほど カッコいい、アラン・ドロンを観たいなら「太陽がいっぱい」と本作でしょう ジャン・ギャバンの市川千恵蔵みたいな渋い重厚な迫力も凄いものがあります 二大スター共演でも、アラン・ドロン とジャン=ポール・ベルモンドが共演した 1970年の「ボルサリーノ」よりはるかに面白いし、二大スターの魅力が引き立っています 終盤で観念したフランシスは現金の詰まったバッグふたつをプールに沈めます バックを一時的に隠そうとしたのでしょう そんなことしても、やがてプール客が増えてすぐバレます しかしその後のオチのニクいこと! いや、もうどうしょうもないと観念して、大金は諦めて敢えて騒ぎを起こして逃げるきっかけにしようとしたのでしょうか? でもそこまでフランシスは頭は良くないのは確かです シャルルの驚愕と自分の人選の誤りへの後悔がない交ぜになった表情がサングラスをして微動だにしなくても分かります ジャン・ギャバンの演技力が半端なく凄いです 二人は騒ぎに乗じて、ホテルから逃げおおうせたのでしょうか? なんて野暮なシーンはなく プール一面に浮かぶ札束の映像に、fin の文字が控えめにでるのがまたカッコいい 猛暑でもうどこへも出掛ける気も起こらない毎日 カンヌの高級ホテルのプールでのシーンは観ているだけでも楽しいシーンです 序盤は南仏地中海の真夏の太陽の暑さ 夜の蒸し暑さを映像から感じます でも終盤は夏ももう終わり、涼しい秋風が吹いているように感じます 二人にとって夏は終わってしまったのです 見事な演出です 小粋なフランス犯罪映画を観たいなら、本作で決まりです 蛇足 1964年の日本映画「御金蔵破り」は本作の翻案です もう一つ 池波正太郎の鬼平犯科帳の盗賊の元ネタは本作かも? 大店のお屋敷の図面を入手してなんてお話がありました
音楽だけは良いかなぁ。
親父の好きな好きな映画。
始めて見たが、親父にネタバレされていたので、ちっとも緊張感が無かった。
だから、ネタバレしない。
音楽だけは良いかなぁ。
らしい演技だね。
タイトルバックからスタイリッシュ
久しぶりに見たが、タイトルバックの音楽、風景、セリフ、すべて最高。 内容、音楽はあまりに有名だし記憶にもあった。だがタイトルバックからかっこよく、無駄なく状況解説するセンスに今更ながら驚く。70年代までフランス産フィルムノアールが盛り上がるのも理解できる。 WW2で破壊された街並みや戦後の復興できれいになっていく街並み。造成中の建物の周りとか子供のころを思い出す。フランスもそういう時代だったんだろう。 この映画の鑑賞直後にBSでブレードランナーをやっていた。いきなり字幕で状況説明にはいる。今思えばなんかやりようがなかったのでしょうか。
かっこよすぎる!
主題歌が90年代にホンダ・プレリュードのCMで盛んに使われていたのを覚えていて。「かっこいいなあ」と思っていたら映画音楽だったとは。 まずシャルル(ジャン・ギャバン)の、恰幅のいい爺さん役がかっこいい。 冒頭「道の名前は変わっただろうか」云々のはしりで、「あ、出所したところなんだな」と言葉で想像させるのがなるほど~。 家に帰ってきてからの妻とのやり取りにも無駄がない。 で出てきたばかりなのに「人生で一番でかいことをする」って、全然懲りてないよなー。 その相棒に選ばれたのが、1年だけ刑務所で一緒だったフランシス(アラン・ドロン)。言葉巧みに親や義兄からこずかいをせしめる、小賢しいチンピラ。こんなやつ相棒にして大乗になのか?と思ったのですが。 カジノの金をせしめるにはまず「上客としてふるまう方法」を学べ、とシャルルはフランシスに物を与え教育していくうちに。フランシスがどこぞの若旦那に見えてくるから不思議。 惚れ惚れしちゃうかっこよさ。 でもフランシスは時間にルーズで。一度は「やる気が失せた、幽霊とは組めない。1分が命取りなんだぞ」と雷を落とすところから。段々面白くなってきました。 週1回同じ時間にカジノの金庫が開けられる。同じ曜日・時間に盗みのリハーサルをするけど。いやはやこれが難関で。もうハラハラ。っていつの間にか盗みの味方をしてました私。 強盗の結末は、うまくいって10億フランでバンザーイか。 もしくは捕まって刑務所に戻るか。どっちかでしょう普通は。 「この終わり方、マジかー!!。かっこええ、でも」。 この最後10分ほどの「結末の行方」にしびれました。
この音楽だけで名作だ!ほとんどの人は絶対どこかで聞いている、そして...
この音楽だけで名作だ!ほとんどの人は絶対どこかで聞いている、そしてワクワクする。 ジャン・ギャバンの圧倒的な存在感。すげえデブおやじだ(笑) アラン・ドロンも負けてはいない。やるねー。チャラい色男役しかできないと思ってました。若さもあって身のこなしも軽い、アクションもイケてる。 この二大俳優の所作がいちいちカッコいいのです。 ストーリーも簡潔で悩むことなし。二人(いやおとぼけの義兄がいたか)の現金強奪の行方は?ラストシーンはドキドキします。 見て損はなし!あのプールに入りたい(笑)
ラストにもっていくまでの
NHKBSプレミアムで放映された。タイトルから『小さな恋のメロディー』みたいな映画か、ヒューマンドラマかと思って観てみたら、全然違っていて、大金を奪おうとする犯罪ものだった。白黒だし、フランス映画だし、アメリカ、イギリス映画なら英語の聞き取りの上乗せ効果もあるかも知れないが、
フランス語ではまるでわからない。メルシーが聞こえるくらいである。字幕を追って内容かと言っても盗人映画である。主演はフランスを代表する俳優らしい、ジャン・ギャバンとアラン・ドロンで、前者のほうは、同じくプレミアムで『ヘッドライト』をみたが、もっと年をとった後年であった。アラン・ドロンは私(50歳)が子供の頃などは日本のコマーシャルにも出ているような、世界的な美男スター
として扱われていたような気がする。昨日は出勤したが、それまでインフルエンザで5連休してしまい、その3日前には葬式で5連休していて、大変に特殊なブランクな時期になってしまって、インフルエンザではB型でやや症状が軽い日に、多少通信講座の勉強などしたつもりでいたが、今日は、もともと休みの飛び石で、昨日も病み上がりながらそれで幾分かリラックスしていたのだが、
その疲れか、起きるのも遅かったし、娯楽としては十分楽しいのだが、なにか知識の足しになるかと言えばまるでないような、同年代のDJの若い時代の歌とその娘が入っているアイドルの歌などをユーチューブで探っていたら午前中が終わってしまい、時間はあっという間にすぎる典型を感じていたところで、選択してしまう映画も、別の映画に比べるとなにか後の参考になるかと言えば、
一番ならないケースにしてしまったような気さえしている。そんな地味で低い日々な積み重ねをしてしまう私だが、ジャン・ギャバン演ずる老人は刑務所から出てきたばかりで、さらに大きな金庫破りをアラン・ドロン演ずる無職の青年とそのおじさんと組んで実行する。おじさんは真面目な自動車整備工なのになぜ参加してしまったか、10億フランの強奪計画なのだという。今の日本円にしてどれくらいなのだ。かなりなのだろう。調べない。老人はともかく、青年にとっては、積み重ねはなくても、地味で低い日々から大きく転換する行為である。しかし犯罪である。これでは刺激はあったとしても参考にならない。参考にしたら、もうこうして映画の感想を書く余裕もない立場に立たされてしまいそうである。できるわけがない。というか、盗みはいけないだろう。一体この映画をみてなにを参考にすればよいのか。娯楽で時間を費やす余裕もないだろうに。といいながら、50歳までこうして専門家にもなれずに今日の午前中に象徴されるように無為のように過ごしてしまった日々。だが、けっこう同世代のDJの若い頃の彼自身の歌と彼がプロデュースする娘も参加しているアイドルグループのユーチューブは楽しかったのも事実である。無駄ではないのだが、自分の娯楽だけで、それで自分に金や技能が入るというものでもない。いや、そうしたことまで無駄にしないようにと、はっきりしないながらも、映画の感想にかこつけてまで書こうとしている、ちょっと無理やり粘ろうとする私の一面。教訓を得ようとする映画ではないのかも知れないが、真面目なおじが良心がとがめるから、任務は遂行するが金はいただかない。昔は靴磨きやベッドメイクの仕事でもうれしかったが、いまでは子供を名門大学に入れたいとか思うようになってしまったり、と金の要る周辺はきりがないのだというようなセリフを老人に言った所がある。アメリカ映画ではなく、フランス映画に使われる音楽の質なんかは若干違っているのだろうか。1964年という時代もある。日本では日活のアクション映画の頃か。青年が富豪を演じて高級ホテルの金庫に侵入しようとする。細かく考えれば、任務遂行のために踊り子の一人を口説くが、踊り子のほうも遊び人なのか、それに本気になりそうになってしまうのかという、ごたごたが入っているようにも見えた。こうした騙し合いも何も参考にはならないのだが。高級車で待つ老人と運転手(おじ)の画面でもBGMが流れ、青年がいよいよ遂行しようとする場面にもBGMが流れるが、効果的な音の選択な気はした。サスペンスの場面に入った。私の今日の時間ももう夕方の入り口に入りかけようとしている。ここまで退廃的な休日にしてしまったか。退廃してさえも大したことはないのだが。何もしていないというような退廃では。むしろ贅沢な休日なのか。ジャン・ギャバンとアラン・ドロンを観ていたと言えばその通りではある。それに40年ぶりだとかいう、激烈な寒さもウツな感じを多少高めているのか。暖房が効いてない気もする。映画に戻ると、手口は強盗だが、成功しそうであるが、どうなるのか。新聞に載った写真が大失態だというのだが、なぜか私にはわからなかった。そして喜劇的としかいいようのないような暴露のされ方だった。水の泡という事だった。変なカタルシスだ。このラストのために全てあったのか。
バードボイルドかと思っていたらフランス風のシャレた展開だった。アラ...
バードボイルドかと思っていたらフランス風のシャレた展開だった。アラン・ドロンの抜けてる感じがご愛嬌。結末も意外性があり楽しかった。
すべてはラストのために
すべてはプールのラストに向けられた映画だ。
だからこそ、完璧な計画とはならず、強奪した金をそのままの袋に詰めたまま犯行現場近くに保管するというへまをさせているのだ。
まんまと大成功とうラストでは、ジャン・ギャバンもアラン・ドロンも軽すぎる。
全23件中、1~20件目を表示