地下室のメロディーのレビュー・感想・評価
全6件を表示
音楽だけは良いかなぁ。
親父の好きな好きな映画。
始めて見たが、親父にネタバレされていたので、ちっとも緊張感が無かった。
だから、ネタバレしない。
音楽だけは良いかなぁ。
らしい演技だね。
ラストにもっていくまでの
NHKBSプレミアムで放映された。タイトルから『小さな恋のメロディー』みたいな映画か、ヒューマンドラマかと思って観てみたら、全然違っていて、大金を奪おうとする犯罪ものだった。白黒だし、フランス映画だし、アメリカ、イギリス映画なら英語の聞き取りの上乗せ効果もあるかも知れないが、
フランス語ではまるでわからない。メルシーが聞こえるくらいである。字幕を追って内容かと言っても盗人映画である。主演はフランスを代表する俳優らしい、ジャン・ギャバンとアラン・ドロンで、前者のほうは、同じくプレミアムで『ヘッドライト』をみたが、もっと年をとった後年であった。アラン・ドロンは私(50歳)が子供の頃などは日本のコマーシャルにも出ているような、世界的な美男スター
として扱われていたような気がする。昨日は出勤したが、それまでインフルエンザで5連休してしまい、その3日前には葬式で5連休していて、大変に特殊なブランクな時期になってしまって、インフルエンザではB型でやや症状が軽い日に、多少通信講座の勉強などしたつもりでいたが、今日は、もともと休みの飛び石で、昨日も病み上がりながらそれで幾分かリラックスしていたのだが、
その疲れか、起きるのも遅かったし、娯楽としては十分楽しいのだが、なにか知識の足しになるかと言えばまるでないような、同年代のDJの若い時代の歌とその娘が入っているアイドルの歌などをユーチューブで探っていたら午前中が終わってしまい、時間はあっという間にすぎる典型を感じていたところで、選択してしまう映画も、別の映画に比べるとなにか後の参考になるかと言えば、
一番ならないケースにしてしまったような気さえしている。そんな地味で低い日々な積み重ねをしてしまう私だが、ジャン・ギャバン演ずる老人は刑務所から出てきたばかりで、さらに大きな金庫破りをアラン・ドロン演ずる無職の青年とそのおじさんと組んで実行する。おじさんは真面目な自動車整備工なのになぜ参加してしまったか、10億フランの強奪計画なのだという。今の日本円にしてどれくらいなのだ。かなりなのだろう。調べない。老人はともかく、青年にとっては、積み重ねはなくても、地味で低い日々から大きく転換する行為である。しかし犯罪である。これでは刺激はあったとしても参考にならない。参考にしたら、もうこうして映画の感想を書く余裕もない立場に立たされてしまいそうである。できるわけがない。というか、盗みはいけないだろう。一体この映画をみてなにを参考にすればよいのか。娯楽で時間を費やす余裕もないだろうに。といいながら、50歳までこうして専門家にもなれずに今日の午前中に象徴されるように無為のように過ごしてしまった日々。だが、けっこう同世代のDJの若い頃の彼自身の歌と彼がプロデュースする娘も参加しているアイドルグループのユーチューブは楽しかったのも事実である。無駄ではないのだが、自分の娯楽だけで、それで自分に金や技能が入るというものでもない。いや、そうしたことまで無駄にしないようにと、はっきりしないながらも、映画の感想にかこつけてまで書こうとしている、ちょっと無理やり粘ろうとする私の一面。教訓を得ようとする映画ではないのかも知れないが、真面目なおじが良心がとがめるから、任務は遂行するが金はいただかない。昔は靴磨きやベッドメイクの仕事でもうれしかったが、いまでは子供を名門大学に入れたいとか思うようになってしまったり、と金の要る周辺はきりがないのだというようなセリフを老人に言った所がある。アメリカ映画ではなく、フランス映画に使われる音楽の質なんかは若干違っているのだろうか。1964年という時代もある。日本では日活のアクション映画の頃か。青年が富豪を演じて高級ホテルの金庫に侵入しようとする。細かく考えれば、任務遂行のために踊り子の一人を口説くが、踊り子のほうも遊び人なのか、それに本気になりそうになってしまうのかという、ごたごたが入っているようにも見えた。こうした騙し合いも何も参考にはならないのだが。高級車で待つ老人と運転手(おじ)の画面でもBGMが流れ、青年がいよいよ遂行しようとする場面にもBGMが流れるが、効果的な音の選択な気はした。サスペンスの場面に入った。私の今日の時間ももう夕方の入り口に入りかけようとしている。ここまで退廃的な休日にしてしまったか。退廃してさえも大したことはないのだが。何もしていないというような退廃では。むしろ贅沢な休日なのか。ジャン・ギャバンとアラン・ドロンを観ていたと言えばその通りではある。それに40年ぶりだとかいう、激烈な寒さもウツな感じを多少高めているのか。暖房が効いてない気もする。映画に戻ると、手口は強盗だが、成功しそうであるが、どうなるのか。新聞に載った写真が大失態だというのだが、なぜか私にはわからなかった。そして喜劇的としかいいようのないような暴露のされ方だった。水の泡という事だった。変なカタルシスだ。このラストのために全てあったのか。
すべてはラストのために
すべてはプールのラストに向けられた映画だ。
だからこそ、完璧な計画とはならず、強奪した金をそのままの袋に詰めたまま犯行現場近くに保管するというへまをさせているのだ。
まんまと大成功とうラストでは、ジャン・ギャバンもアラン・ドロンも軽すぎる。
にらめっこ
ネタバレはチェックをつけてください、ということだが、ネタバレせずにまともなレビューをかけるのか?この映画の本当の面白さはラストシーンにある。他の映画もたいていは、ラストシーンに力を入れる。というか、ネタバレしてもその映画を見たくなるようなレビューこそが、良いレビューということだろう。
この映画はラストシーンを楽しむために存在する映画である。いちおう犯罪映画であるが、推理ものではない。はらはらどきどきの映画である。そのはらはらどきどきが単なるサスペンスではなく、的確な、しかもユーモアあふれる心理描写で成り立っている。
ヒッチコックも同類といってよいが、ヒッチコックは行動のタイミング、つまり犯罪者が思う通りに(あるいは警官が思うとおりに)他者の行動が進むかどうかが、はらはらのポイントである。人は思うように動かない。だから、面白いので、映画ができる。
映画の表現の問題としては、そのずれをどう感情で表現するか、つまり、思い通りに行っていないことがわかった俳優がそのいらいらやくやしさをどう表現するかということが問題となる。たぶん、ヒッチコックとこの映画の監督との違いはそこで、それは、行動のずれを認識して、その感情を表現する俳優の基本的な世界観のようなものの違いである。ひいては、監督の世界観の違いといえる。ちょっと大げさだが、世界あるいは他者を受け止める受け止め方の違いだろうか。
ラストシーンに言及しなければ映画レビューは成り立たないと断定したので、ラストシーンに言及する。主人公のアランドロンは動かない、表情を変えないのである。つまり、見る人はアランドロンとにらめっこして笑いをこらえるしくみとなっている。アランドロンはいつ笑うのか、笑ったら負けよ、で終わる。今にも笑いそうで笑わないアランドロン、だから何?その先は何?捕まる寸前のアランドロンにそう問いたくなる過剰な余裕は、はらはらどきどきだけのヒッチコックにはない。他にも笑えるけれども笑えないシーン満載のサスペンス映画。ヒッチコックを意識したかどうかわかりませんが、そこを超えた。
全6件を表示