小さな巨人のレビュー・感想・評価
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シャイアン族酋長の“温かい人”に生まれ感謝しているとの言葉が心に響き…
「俺たちに明日はない」「奇跡の人」の
アーサー・ペン監督のこの映画、
もう何度も観てはいるのだが、
TV放映を機にアメリカ西部開拓史を
振り返る意味でも再鑑賞した。
この作品、白人と先住民の間を行き来する
男を通じての西部開拓史ものなのだが、
自分の中では、再鑑賞で評価が大幅に高まる
作品の一つとなった。
元々、ともすると説明不足・御都合的とも
言われかねない各エピソードのつなぎ部分を
大胆にカットした構成が、むしろ、
この作品の世界に観客を引き入れる魅力的な
要素の作品だったように感じてはいた。
しかし、今回の鑑賞では、
一部のコミカルな要素に目を奪われて
認識外となっていた、
秘められていた深い世界観に
更なる気付きを得たような鑑賞となった。
ただ、牧師の妻から娼婦に身を落とす女性、
片手片足を失うペテン師、
またワイルド・ビル・ヒコックの後日談は、
読み切れない人生の奥深さを表すため
なのだろうが、
本旨に絶対に必要な要素とは感じられず、
また少し間延び感もあり、
これらをカットして2時間位にまとめた方が
良かったのではと思った。
ところで、この作品でも描かれた
理不尽な先住民部落の襲撃と虐殺を扱った
「ソルジャー・ブルー」という作品がある
が、同じ年(1970年)に公開されていた
ことに初めて気が付いた。
西部開拓史上の先住民へ強いた負の歴史は、
この頃から大きく問題視され始めていた
のだろうか?
また、実は直前に、Y・N・ハラリの
「サピエンス全史」を読んでいたのだが、
ネアンデルタール人に勝ち抜いた
ヨーロッパ人としてのホモ・サピエンスの
末裔が、
北米大陸に先にたどり着いていた先住民の
ホモ・サピエンスを蹂躙したのだと考えると
複雑な想いにも繋がった。
それ故か、ラストシーンで
シャイアン族の酋長が神に語る
“温かい人”に生まれ感謝しているとの言葉が
心に響いた。
先住民ホモ・サピエンスは自然と共に生きる
姿勢だったが、
今、世界をリードしているホモ・サピエンス
は自然と対峙して生きる姿勢を
選択してしまったように感じる。
我がホモ・サピエンスは
どこで道を間違えたのだろうか。
米国の成立を裏側から覗いた個人の翻弄
テーマ 時代 背景地域 ストーリー 映像 演出 役者の面構え そして音楽!
反骨の、しかし真の、ジ・アメリカン・ムービー。
この徹底した白人社会批評や英雄批判、先住民と自然信仰へのシンパシーの表明は、いくらアメリカン・ニューシネマ只中といえど、我々現代人には及びもつかない勇気が必要だった事だろう。
その語り口はアーサー・ペンらしい詩情と知的な軽妙さを前作よりも自信に満ちて洗練させている。
史実に基づいていながら寓話的味わいをもち、世間では人気の没入型コンテンツのカウンターとして機能する批評的視点を崩さない本作の語り口は、後のある種の擬似実話映画のお手本として機能しているように見える。
ジョン・アーヴィング原作の映画化作品群や、「ロイヤル・テネンバウムズ」などだ。
個人的にはディック・スミスによる老人化特殊メイクアップの伝説になった代表作品と知ってから40年近く経って、今やっと観られた事にパズルピースをはめた様な小さな安堵を覚えている。
蛇足
この映画は当時は娯楽映画として成立して受け入れられたのかも知れない。
しかし現代の一般人レビューを見る限り、これはすでに芸術として保存するしかなさそうだ。
優れた映画は万人に理解出来るとか、受け入れられるなどと考えるのは大いなる間違いだ。
時代と共に観客の劣化や変容は起こる。
絵画や小説の歴史をみるがいい。
もう現代の多くの大衆には、芸術をみる時も西洋思想的・進化論的直線思考の誤謬が蔓延っている。
「昔のものは劣ったもの」という論考前提が無批判無自覚に設定されているのだから、最早其れを一部の他人が修正するなど無理な話だ。
だからあなたがこの映画を気に入って、大衆の評価が低いからと言って気不味くなる必要はない。
堂々と「これはいいものだ」と宣うがよろしい。
生きる、もしくは生かされてる上で、大切なこと
100本以上、映画を観てくると、鑑賞の途中で似たような映画を思い出すのだが、
本作は、そんなことはなかった。
白人社会と先住民社会を行ったり来たりするドタバタ映画のようにも見える。
先住民への鎮魂歌であることはわかるが、同時に、白人社会への批判に留まらず、
自然とか、神とか、大きな何かに生かされてること、
それに感謝することの大切さを、感じさせる。
主人公の人生は目まぐるしいが、そんなことは些細なことなんだ。
波瀾万丈な人生
ダスティンホフマン扮するシャイアンに育てられたジャッククラブはカスター将軍の最後のリトルビッグホーンの戦いで白人ひとり生き残った。
白人の妻が先住民に連れ去られたり再びシャイアンの仲間に会ったり様々な展開で波瀾万丈な人生だったね。
インディアン映画
西部劇というよりインディアン劇といった方がいいでしょう。
白人とインディアンの間を行ったり来たりで話の出入りが多いので見応えがあります。
西部劇の転機になった作品というのは観るとよく理解できます。
よき日はまだまだ先のようです
多少面白おかしく作られているこの作品にはとても深いメッセージが込められていると思うのです
アメリカと言う国のことやあらゆる偏見や差別
自分が正しいと本気で思っている人はもう誰の言葉も届かない
どの時代、どの国でも変わり無いのでしょうね
たぶん最初に見たのは中学生の頃
あの時の印象は酋長の言葉や行動が面白かった
特に最後のシーンなどはね
その後見た時はインディアンへの仕打ちの惨たらしさばかりが心を覆った
そして今回はもっともっと全体的に彼の人生を振り返って注目している私がいることに気が付きました
私ももう人生の半分以上を生きてきたので死に対してのいくばくかの考えは、ありますし気になり始めています
死をイメージはそのまま生へのイメージでありどう生きていくかに繋がっているのでしょうね
こんなして今は真剣に思っていても3日と経たないうちにまた元の自堕落な生活に落ちていくのは渡りきったことなんだけどそれでも今は真剣に考えています
人の歴史や文化や技術は何なのだろうかとか今手にしてこの文章を書いているスマホは本当はいらない物だろって
とうとうシラフでこんな文を書くようになっちゃった
暑さに参っているのだろうか
しかし思考は止まらないのです。
名作
ダスティンホフマン主演で人妻に迫られる展開は『卒業』っぽいなと映画ネタで考えてしまったけれど、本編はひとりぼっちになった主人公が先住民に育てられ、アメリカの開拓~インディアンの迫害~リトルビッグホーンの戦い~そして現代とアメリカがたどった歴史と主人公がたどった過酷な人生を重ね合わせているのだろうか。
白人による先住民の弾圧、文明社会が正しいのか?というメッセージが込められていたけれど、憧れていた外の世界よりも実は育った場所のほうが居心地がいいのでないかというメッセージも感じた。
最後の主人公と育ての親の族長が雨の中立ち上がり歩いていく場面は”人間”はどんなにつらくてもそれでも生きていかなければいけない・・・そんな力強さが伝わってきた。
不思議感を味わえるかが鍵
アクションでもないしコメディでもヒューマン系とも言えない。何とも不思議な映画。次々と場面が変わり、一風変わった人生を歩むことになるので、強いて言えばファンタジーかと自分は思う。ごちゃ混ぜと言ってもいいかな。緊張感も感動も期待せず、終始リラックスして観る... 何ともレビューが難しい。
現代で言うと、ジョニー・デップの映画のような雰囲気かな。
ナレーションがしっかり入るので、ユーモアやノリが合う方は大いに気に入る可能性がありますね。
私は70分過ぎまで頑張って観てましたが、眠気が上回ってしまったため、お目当てのフェイ・ダナウェイは前半で美しくお役御免で鑑賞したし、これにて面白みがない映画と判断してストップボタン押しました。
ダスティン・ホフマン
2020年11月22日
映画 #小さな巨人 (1970年)鑑賞
#ダスティン・ホフマン 主演
家族を殺されネイティブ・アメリカンに育てられた少年が、その後、白人社会とネイティブ・アメリカン社会を行ったり来たり翻弄されながら生きる男の話
コミカルな演技が上手く、トム・ハンクスとかに通じるタイプですね
軽い感じが重い
軽い感じがとても重い。
そもそもアメリカインディアンの役をダスティン・ホフマンにやらせるということがこの映画の狙いの一つだと思うのだが、軽薄さをウリにしている。
偶然にしても偶然が過ぎる人生。
通り一遍の数奇な人生という言葉に集約されそうなこの映画は、それだけでは物足りないほどの凄まじさだ。
むしろ、軽薄な感じでよかった。
軽薄じゃないとちゃんと見れなかったかもしれない。
90年代半ばにVHSで鑑賞
『ダンス・ウイズ・ウルブス』の先駆け
総合:75点 ( ストーリー:85点|キャスト:70点|演出:70点|ビジュアル:70点|音楽:60点 )
その老人はかつてアメリカ先住民シャイアン族との生活で、小さいのに大きな男を殴り倒したために「小さな巨人」と呼ばれた。老人の語る彼の過去が喜劇調に軽く進んでいくので、最初はそれを軽薄と感じてあまりはまれなかった。
しかし話は西部開拓時代の厳しい現実があり、また彼の人生は壮絶な波乱万丈な見応えのあるとても興味深かいものだった。そしてその中に、アメリカ先住民と白人の対立とシャイアン族の虐殺という、アメリカの歴史的事実に基づく暗黒部を堂々と晒していた。要所要所で登場する部族の長が象徴的な役割を演じている。
古い映画だし決して全ての演出の質が高いわけではないが、それでも心に刺さる内容だった。観終わってみると、この重厚な話を描くのに喜劇調の演出もそう悪くないと思えた。
この映画の完成するほんのちょっと昔まで、アメリカはアメリカ先住民を野蛮な敵と描いてひたすら撃ち殺す映画を作っていた。1964年にはジョン・フォードの『シャイアン』がその流れに一石を投じたが、1970年代にはこの作品のようにはっきりと違う流れが出来た。本作はアメリカ先住民の名前を持つ白人が先住民側の立場を観るという点で『ダンス・ウイズ・ウルブス』の先駆けになっている。
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