「人生の黄昏とファムファタルの出会い」黄昏(1951) あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
人生の黄昏とファムファタルの出会い
疑い様の無い傑作中の傑作
ウィリアム・ワイラー監督の凄さに今更ながらに脱帽する他有りません
原題は単に主人公の名前に過ぎません
しかしそれを黄昏とつけた邦題の格調の高さはどうでしょう
もちろん黄昏とはジョージのことです
彼は仕事も財産も子供も何もかも充実しています
それ故プライドも高く、初老となりこのまま老いていくののみの日々を受け入れ難い男なのです
しかし日は登り沈むものなのです
日が沈み辺りには夕闇が立ち込め始めますが、空はまだ明るさを残しています
それが黄昏です
正にジョージそのもののことです
ジェニファー・ジョーンズ演ずるキャリーは主人公のようで、その実本当の主人公は名優ローレンス・オリヴィエが演じるジョージなのです
出演時45歳、しかしどうみても60歳手前にしか見えません
見事に人生の黄昏とは何かを演じ、黄昏時にさしかかった男の焦りと足掻きをこれでもかと言うほどにみせてくれました
そして本作は男の人生を破滅させるファムファタル=運命の女に、人生の黄昏時に出合ってしまった男の末路をこの名優の演技で描き切っているのです
キャリーは普通の女性に過ぎません
確かにスターになるだけの美貌を持っていますが、一目見ただけで男の人生を破滅に導くほどのものではありません
しかし黄昏の中にいるジョージに取っては、彼女はファムファタルたる破壊力を持つ美貌に見えるのです
その微妙なところをジェニファー・ジョーンズは実に説得力のある容姿と演技で表現してみせてくれました
そしてウィリアム・ワイラー監督の演出の的確さにも感嘆するばかりです
息子を遠目に見るだけで声も掛けれずにキャリーとの安アパートに戻ったジョージは、もぬけの殻の部屋に呆然とします
部屋に残されていた目覚まし時計の秒針の音だけが虚しく大きく聞こえるのです
君はまだ若く時間がある
君は君の可能性を追求しなさい
しかし自分はもはや若くない
君と同じ時を生きて、共に可能性を追求する時間は自分にはもう残されていない
だからこれで良いのだ
彼の胸に去来するその思いを、監督はこの時計の秒針の音だけで私達にそれを告げさせているのです
ラストシーンもまた素晴らしい演出でした
ガスの火を止めて、再度コックを開いてガスだけを流がします
しかし、結局またコックを閉めてジョージは去っていくのです
日は静かに沈み、やがて黄昏は空の残照と共に消え、闇の中に全てが飲み込まれるのみなのです
あき240さんへ
なるほど、黄昏時の心のエアポケット状態のジョージの前に現れたのがキャシーだったので、特にとびっきりの美人との前提でなくとも良い訳ですね。勉強になります。そんな前提でまた観直してみたいと思います。