「事実と作り話が半分半分の歩く矛盾。この映画は預言者か、はたまた麻薬の売人か。」タクシードライバー たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
事実と作り話が半分半分の歩く矛盾。この映画は預言者か、はたまた麻薬の売人か。
ベトナム帰還兵の青年トラヴィスが抱える孤独と苦悩、そしてそれにより引き起こされる暴走を描くクライム・サスペンス。
監督は『ミーン・ストリート』『アリスの恋』の、後の巨匠マーティン・スコセッシ。
ニューヨークでタクシードライバーとして働くベトナム帰還兵、トラヴィス・ビックルを演じるのは『ミーン・ストリート』『ゴッドファーザーPART Ⅱ』の、レジェンド俳優ロバート・デ・ニーロ。
12歳の娼婦アイリスを演じるのは『アリスの恋』の、後のレジェンド女優ジョディ・フォスター。
アイリスを商品として扱うポン引きの男、スポーツを演じるのは『ミーン・ストリート』『アリスの恋』のハーヴェイ・カイテル。
なお、スコセッシ監督本人もタクシーの乗客としてカメオ出演している。
👑受賞歴👑
第29回 カンヌ国際映画祭…パルム・ドール!
第2回 ロサンゼルス映画批評家協会賞…作曲賞!
第19回 ブルーリボン賞…外国映画賞!
人間の内面に迫ろうとする、芸術的かつ純文学的映画。いわゆるアメリカン・ニューシネマに属する作品であり、他の作品同様に暗くて残酷で娯楽的ではない。トラヴィスは最終的に英雄として迎え入れるものの、その勝利はどんよりとした澱みの中から彼を拾い上げてはくれない。
余談だが本作が公開された1976年には、アンチ・アメリカン・ニューシネマとも言える映画『ロッキー』もまたスクリーンに登場している。
アメリカン・ドリームの象徴として今なお燦然と輝く『ロッキー』が、アメリカン・ニューシネマの到達点とも言える本作と同年に公開されているというのはなんとも興味深い。80年代に向かうにつれてアメリカン・ニューシネマはだんだんと下火になっていくのだが、1976年というのはそのちょうど転換期であると言えるのかもしれない。
作中でトラヴィスに向けて放たれるセリフ「事実と作り話が半分半分の歩く矛盾」というのは本作の本質を非常によく捉えている。
彼は欺瞞と悪徳の満ちるニューヨークに嫌気が差しており、この街を出て行きたいという欲求を持っているが、実際にはタクシードライバーとして、彼が悪と断ずる人々のために従事している。
政治には無関心でありながら惚れた女が支持している議員には賛同を示しているし、また、ふられた腹いせにテロを画策する凶暴さを持っている一方で、売春に身を落とす少女のことを本気で救い出そうとする清き心も併せ持っている。そしてポルノ映画を好み暴力に関心を示す一方で、銃器を鏡の前で構えて喜ぶという幼児性も持ち合わせている。
このように、トラヴィスという人物の心理と行動は整合性がないようにも見える。しかし、矛盾している様にも思える多面性こそが、我々の人間の本質。
この映画が描き出しているのはトラヴィスという異常者の姿ではなく、普遍的な人間の姿なのだ。
また、この「事実と作り話が半分半分」という部分にこそ、本作の核心があるように思う。これは映画の構成そのものの説明なのではないだろうか?
終盤になると物語は大きく動き出すが、果たしてモヒカンにしてからの彼の行動は本当に真実か?鏡の前で銃を取り出し子供の様に戯れる彼が、あれだけのことを為し得るのか?
仮にそこが真実だとして、売春宿での銃撃戦とその後のエピローグはどうも繋がっていない様に思える。あの部分は真実か?それとも死の淵で彼が見た走馬灯か?
全ての解釈は観客に委ねられている。
この映画は人間の本質を鋭く貫いた託宣とも言えるし、レーガン大統領暗殺未遂事件を引き起こした様に、観るものを狂わせんとする麻薬の如き毒物とも言える…。あなたは果たして本作をどう捉えるのだろう?
※2024年11月、BS松竹東急にてノーカット版放送を鑑賞。
今回再鑑賞して思ったのは、やはり物を書く人間が主人公の作品は、映し出された事をそのまま鵜呑みにしてはならないという事である。
冒頭、トラヴィスの目のクローズアップから映画が始まっていることに気づく。本作のエンディングで描かれた意味深な視線の意味がわからなかったのだが、なるほどあれは冒頭のシーンに繋がるものだったのだ。つまりこの冒頭と最後のトラヴィスの目線は、終わりと始まりがグルグルと回り続ける、灰色の日常という無間地獄を意味する描写なのだ。
それを示すように、本作では“レコード“が象徴的に扱われている。特に気になるのは、アイリスとスポーツのラブシーンでのレコードの使われ方だ。スポーツがレコードをかけると、そこから流れるのはあの“テ〜テ〜テ〜テレレ〜ン“という本作のメインテーマなのである。
冒頭から何度も何度も使われるこの楽曲。これがトラヴィスの脳内で流れているミュージックなのだとしたら…。
彼はアイリスのいる娼館でこの音楽を既に聴いていたのだろう。彼女に惹かれた彼は、自分がヒーローになるような物語を自作し、それを日記形式で書き表した。本作で描かれているのは最初から最後まで、全てがトラヴィスの考え出した嘘であったのだ。
この考えが正しいのかどうかはわからないが、この様に考えると、何処にも行き場のない男の虚しさ、都会で孤独に生きる人間の悲しみがより痛切に迫って来はしないだろうか。
※※改めて観直すと以前よりも面白く感じられたので評価を上方修正。
レモンブルーさん、いつもコメントありがとうございます😊
リアルタイムで、しかも劇場で観られたとは羨ましいー!
ぜひもう一度『タクシードライバー』、鑑賞してみて下さい。
色々と考えることが出来て楽しめると思います♪
たなかなかなかさん フォローをありがとうございますm(__)m。
「タクシードライバー」と「ロッキー」は同年の映画だったんですね。どちらも当時 映画館で観ました!でも、ロッキーの解りやすさに比べ、「タクシードライバー」のトラビスの人物像は共感が難しく、あまり好きとは言えない(でも非常に忘れがたく雰囲気が魅力的な)映画でした。でも…たなかなかなかさんのレビューを読ませていただき、なるほど 納得出来るなと思いました!人間の本質 確かに矛盾を内包してるのかもしれません。素敵なレビューですね。タクシードライバーをもう一度 見てみたくなりました!