「【”太陽がいっぱいだ、最高の気分だ・・”貧しき青年が、金持ちの鼻もちならない青年に成りすます企てが破綻していく様を、ニーノ・ロータの哀愁漂うテーマソングに乗せてシニカルに描いた作品。】」太陽がいっぱい NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”太陽がいっぱいだ、最高の気分だ・・”貧しき青年が、金持ちの鼻もちならない青年に成りすます企てが破綻していく様を、ニーノ・ロータの哀愁漂うテーマソングに乗せてシニカルに描いた作品。】
ー 私事で恐縮であるが、今作を両親とTVで観たのは小学生高学年だったと記憶する。床に入るのはPM9:00という決まりが有ったが(その後の読書は10:00まで、許されていた。)時に、両親から誘われて、映画を観る機会が有った。
今作もその一作である。
正直に記すと、記憶としてはニーノ・ロータの哀愁を帯びたテーマソングと、ヨット上でのシーンと彼の有名なラストシーンのみが残っているのみであった。
両親は、何故にこの映画を小学生だった私に”観よう”・・”と言ってくれたのか、30年振りに鑑賞し、何となく分かった気がする・・。-
<Caution ! 以下、今更ながらであるが、内容に少し触れています。>
・今作の原作「The Talented Mr.RipLey」を執筆したパトリシア・ハイスミスは、20代後半に嵌った作家である。
90年代後半に、彼女の作品が一気に翻訳出版された際は、嬉しかった。
今では死語かもしれないが”イヤミス”の先駆者である。
特に短編集の切れ味には唸らされたモノである。
・実に久方ぶりに今作を鑑賞すると、主人公のトム・リプリー(アラン・ドロン)が富豪の息子フィリップに徐々に殺意を抱いていく様が微妙なテイストで描かれている事が分かる。
併せて、フィリップの恋人、マルジュに対する想いも・・。
・面白かったのは、彼が立てた金持ちの鼻もちならない青年フィリップの成りすまし計画を実行する様である。
フィリップの筆跡をドラフターを使いながら、何度も透かし紙に書き、確認するシーン。
パスポート写真を偽造するシーン。
<リプリーが、フレディを殺害するシーンやその後の展開などは、現在のサスペンス映画と比較すると、粗さが目立つ。
だが、その粗さをニーノ・ロータの哀愁を帯びたテーマソングと、リプリーがラスト、ほんの束の間抱いた満足感、達成感をリクライニングチェアーに全身を委ね、陽光を全身に浴びながら口にした
”太陽がいっぱいだ、最高の気分だ・・”
と言う言葉が帳消しにする作品でもあるのである。
勿論、アラン・ドロンの美しさも含めて・・。>
今晩は
共感ありがとうございます。
アラン・ドロンもですが、映像も服装も絵画のように美しかったですね。
NOBUさまはパトリシア・ハイスミスを愛読なさっていらしたのですか?
映画化作品、多いですね。
「ギリシャに消えた嘘」「キャロル」
「ライク・ア・キラー」最近アマプラで「底知れぬ愛の闇」も配信してたので、観ました。「アメリカの友人」は観てない気がします。
観てみたいです。
ご両親とご覧になられたのですね。
ウチも「エデンの東」とか観た記憶があります。
(懐かしくて、お邪魔しました)
NOBUさん
お見舞いのメッセージありがとうございます♡
おうどん、いいですね〜。「なぜ君は〜」は好きだったから観に行きたいなぁ。今の自分にはこの程度の距離が厳しい。(十三と心斎橋で演ってるのになぁ)
本作「太陽がいっぱい」はウチの親もTV放映時にラストまでの鑑賞を許してくれましたね。だから小学生の時に野沢那智吹き替えで観たのが初です。
単純なクライムサスペンスではなく、今ならLGBTに分類されるようなトムの暗くも熱い想念を見事に描ききった映像と音楽が秀逸!
と、、、ビョルン・アンドレセン辺りに染まった女子高生のワタクシは感じましたが、ウチの親は単純に「面白いクライムサスペンス」としか思っていなかったかもしれない〜w
このあと暫くは、NOBUさんはご覧にならないかもしれない例のドル箱アメコミシリーズを備忘録代わりにチェックしていく予定です。巨匠監督達からはシネマ扱いされない同シリーズですが、それでも観客層に何か大切なものを残しているのではないか?と感じる部分を自分の言葉にしてみたい。
頭が蕩けそうになったら、バランスを取る為に往年の名作を挙げていきますね(笑)
リプリーの一連の隠蔽行動は、今見るとコメディーのようでもありますね。
この大胆な犯行は、あの時代だと説得力があったのだと思います。
それにしても、ドロンの美しさ…