太陽がいっぱいのレビュー・感想・評価
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やっぱり淀川さんは凄い
今年8月、88歳で亡くなったアラン・ドロンの追悼上映。僕が子供の頃には「アラン・ドロン」と言えば「二枚目」の代名詞で、その映画を観た事がなくとも、あるいはどんな人なのか知らずとも、その名に全ての人が平伏していた様に思います。そんなドロンの出世作です。
僕が本作を観たのは40~50年前だったと思うのですが、淀川長治さんが本作を観て「これは同性愛の映画ですね」と公開時に語っていた事を後年になって知りました。原作者のパトリシア・ハイスミスが同性愛者であった事は知られてはおらず、そうした発言を公にし辛かったであろう当時に、それを喝破した淀川さんはやはり只者ではなかったんだなと感心。
但し、その見方が合っているのかどうかは制作者自身のみが知る事で、今回改めて観ても「そう見ればそう見える」程度に感じるだけでした。でも、淀川さんはやはり凄いな。
上っ面な人間関係
トムはフィリップに嫉妬していて、多くの資産を持っており美人な婚約者がいる彼に成り代わりたかったのだろう。そしてフィリップもトムをどこか見下していた。仲が良いように見えるのは上辺だけで、内心では互いのことをあまりよく思っていない。そんな人間の複雑な心理を描けていた。
ストーリーは、全体的に説明を減らして視聴者に考えさせるような場面が多いのが面白かった。ラストシーンも、青空の下で輝く美しい海の映像と、切ない音楽が合わさって余韻を残すような終わり方なのが良かった。
昨今の邦画などは説明過多で観たまんまの印象の映画が多いので、こういう考えさせるような映画を製作して欲しい。
金満家の凡庸な厭らしさ、下流のハスっこい厭らしさをこれほどまでに表現して見せるとは。
幼いころに見た時は、
破滅へのカウントダウン。それでいて、当の本人は優越感におぼれ、満ち足りた気分に酔っている。
その差にヒリヒリして、イタくて、
ドロン氏の二枚目ぶりに浸透していたこともあり、
あまりにも悲しすぎて、胸がふさがれてしまい、
なかなか再鑑賞できなかった。
ドロン氏の逝去。(ご冥福をお祈りします)
意を決して再鑑賞。
こんなに繊細な演技をする方だったんだ…。
『黒いチューリップ』『世にも怪奇な物語』『山猫』しか見ていなかったけれど。それらの作品でも好演しているが、改めて見直してしまった。
こりゃ、世界を魅了するわ。
水野晴郎氏は、映画の解説の中で、ドロン氏ご自身の生い立ちがこの演技に利いているとおっしゃっていたが、
フィリップとトムとを並べてみると、トムの三流ぶりが際立つ。
目端が利く頭の切れが唯一の武器。
大金を得るために受け負った仕事のおかげで、金満家の暮らしぶりを経験してしまった。
今までは憧れていただけの贅沢。身に着ける靴や衣服のフィット感。食事だって場末の食堂ではなく、調度の豊かなカフェ。
それよりも、周りの人が金満家に向ける視線。それに対して自分に向ける視線の格差。
その度に傷つく。仲間であって、仲間ではない。ミソッカス。使い走り。ペットではなく家畜としての犬扱い。
そして、そんな立ち位置に我慢ができないトム。
誰よりも、自分の頭がキレることを自負している。
凡庸なフィリップよりも、自分こそが皆の敬意を得ても良いはずなのにという視線がちらつく。(元々階級があるヨーロッパ人ではなく、自身の力で成り上がれるUSA出身という設定)
それでいて、フィリップにぴったりとくっついて、おこぼれを享受しようとする姿。
コバンザメのようにすぐ後ろに張り付いて、機会あれば、すっとフィリップを出し抜こうとする姿。
目が不自由なふりをしてナンパした夫人に対する行為。おこぼれの骨にしゃぶりついているようで、イタイ。
このようなトムのチラ見えする厭らしさ(≒野心)にうすうす気が付いているマルジュやフレディはトムを嫌い側に置かないようにするものの、フィリップはトムを御せると思っていて…。
対するフィリップは、金満家にありがちの、自信を持った振る舞い。
働かなくとも食べていける身分ではあるが、自分の力で何かを成し遂げているわけではなく、父の庇護下にあり、鬱屈した気分を、トムをいじめることで晴らしている。それでいて、おこぼれを与えていて、それでトムを御せていると思える凡庸さ。金満家が”人”と見なしている人達への心遣いと、トムへの心配りへの違い。一人ではいられず、といって自分の意見を持っているマルジュだけでは自分を保てず、自分に従順な(ふりをする)トムを必要としているのに。
演じるロネ氏が良い味を出している。意地悪なのに、人の良い面もあるという、ある意味いじめっ子の典型的人間像だが、演じるには微妙な役。トムに対してあれだけのことをしているのに、殺されて当然という評はあまり見ないという不思議な仕上がり。結果を考えなしで行い、死ぬかもと気が付いたとたん必死で助けたからか?
淀川氏は、この映画の根底に同性愛があるとおっしゃっていたようだが、私にはそれは感じられず。
トムのナルシストぶり。フィリップの人の気持ちへの無神経さ・幼さだけが印象に残る。
トムは何をしたかったのだろう。さっさと、財産を奪い取って、誰ともあわない土地に高跳びすればよかったのに。ヨットだって、わざわざ売りに出さずに、漂流したように見せればよかったのに。
マルジュへの固執。マルジュを愛しているようには見えないのに。
”王様”になりたかったのか。フィリップに向けられていた周りの人の視線を得たかったのか?だからヨーロッパの社交界から離れられなかったのか?
マルジュも、その一環、まるで高価なアクセサリーを得るように扱う。
フィリップに成り代わってからのニアミスは、映画を観ている私たちからはハラハラドキドキしておもしろいが、トムは大金を得てから豪勢に散財したシーンもなく。
それでも、すべてを手に入れた。自分の計画が計画通りに成就したと思い、優越感に浸り、満ち足りた気持ちになる、その時。
そんな卑屈で、それでも幸せになりたかった男をこんな風に演じるなんて。
ドロン氏は最高の役者でもあると思う。
そしてそんな物語を余すことなく撮った映像・演出。
この色男とこの映像を、ロータ氏の音楽が引き立てる。
色あせない映画。
アラン・ドロン氏 追悼鑑賞
パトリシア・ハイスミスの
ミステリー小説の映画化で
二枚目俳優のアラン・ドロンが
悪人を演じ
世界中にインパクトを与えた作品
富豪の息子であるフィリップの
傍若無人な態度や行動が原因で
リプリーの心に怒りと嫉妬が芽生え
全力で、完全犯罪を試みるが
そう簡単にはいかないもの
アラン・ドロン演じる
トム・リプリーの
表情の変化も見事でした。
ラストの衝撃が悲しいですね。
イタリアの美しい街並みもステキで
ニーノ・ロータの
美しい映画音楽に感動したものです。
リメイクの「リプリー」も
鑑賞済ですが
やはりオリジナルですね。
録画DVD鑑賞
若いアラン・ドロンを観る作品
貧しいアメリカ人のトムは、金持ちのフィリップの父親に頼まれ、彼を連れ戻すためイタリアのナポリにやってきた。金の力で女遊びに明け暮れるフィリップに対し、怒りと嫉妬を持ったトムは、フィリップを殺して彼に成りすまそうと計画し・・・トムの悪事は成功するのか、という話。
アラン・ドロンが今年8月18日に亡くなった事による追悼上映を鑑賞。
何度も観てるが、やっぱりイケメンだなぁ、とあらためて思った。
演じてる役も悪い奴だし、彼の私生活にしても家庭内暴力を起こしてるようで、決して人間的に良いやつではないのだろうが、顔だけは美しいと思う。
そんなアラン・ドロンを堪能する作品。
最後の衝撃は何度見ても天国から地獄だなぁ、と思う。
あと、ニーノ・ロータの悲しげな音楽も耳に残る。
美しいアラン・ドロン
アラン・ドロンが亡くなった。
男前の代名詞だったアラン・ドロン。
アラン・ドロンを偲び一躍スターになったこの作品を観た。
24~5歳のアラン・ドロンは男前を通り越して美しかった。
悪い人間でありながら美しさでそんな風に見えなかった。
昔なんで警察の捜査もそんなに厳しくなく
優雅にさえ見えてしまった。
この映画は船がキーになっていて
船で始まり船で終わっていた。
アラン・ドロンを偲んで
俳優のアラン・ドロン
2024年8月18日に自宅にて88歳で他界
原作未読
原作は『見知らぬ乗客』『アメリカの友人』『ギリシャに消えた嘘』『キャロル』『ライク・ア・キラー 妻を殺したかった男』のパトリシア・ハイスミス
監督と脚本は『禁じられた遊び』のルネ・クレマン
初鑑賞
完全犯罪を狙ったスリリングなサスペンス
1960年(昭和35年)公開作品
フランスとイタリアの合作映画
アラン・ドロンの世界的出世作
不朽の名作のためかその後も度々劇場公開されている
2000年にはハリウッドがマット・デイモン主演『リプリー』としてリメイク
粗筋
貧しいアメリカ青年トム・リプリーはフランスやイタリアを遊び歩いている道楽息子フィリップ・グリンリーフに付き纏い依頼主であるフィリップの父の元に帰るよう説得するが彼は従うことはなく契約は打ち切られ謝礼の5000ドルはパーになった
そこでトムはフィリップ所有の船内でフィリップの胸をナイフで刺し殺害し海に沈めてしまう
そしてトムはフィリップに成り済ました
当初トムとフィリップの人間関係を誤解した
パリでのはしゃぎぶりを見る限り気心が知れた付き合い長い仲良しの幼馴染かと思っていたがそうではなかった
原作ではアメリカでフィリップの父がトムに仕事の依頼をするシーンがあるらしいがルネ・クレマン監督はそこをバッサリとカットした
トムがフィリップに成り済ますも世の中そんなに甘くない
いくらトムの頭がキレるにしても苦難の連続
警察だって捜査を始める
フィリップを尋ねてきた彼の友人のフレディまで殺害してしまう
フィリップの腐乱死体が発見される
万事休すも有頂天のトム
ロープが切れてしまったトムが乗せられた小舟
ロープが切れなかったシート包みのフィリップスの死体
その対比が皮肉である
フィリップが泊まっているホテルの部屋の和洋折衷ぶりが良い
フレディを撲殺するのに使用した緑色の置物は布袋様かな
ホテルの名前がパラディーゾってのもなかなか
日本では死刑になるような案件だがイタリアでは死刑制度はその当時から既に廃止されているので終身刑だろう
裁く国はイタリアなのかフランスなのかアメリカなのかわからないが殺人は全てイタリアなのでたぶん裁かれるのはイタリアのはずだ
自分は主人公が悪党で共感できないからといってそれだけで作品を駄作認定する思想はない
僕はそもそもヤフコメ民のような風紀委員めいた連中は嫌いだし
娯楽映画として高く評価したい
それでも星5にはなぜか抵抗があり星4ならしっくりときた
良心の呵責かもしれない
ラストシーンで電話に出るためにそちらに歩き出すトムの微笑みが印象的
配役
フィリップの父から5000ドルの依頼を受けてアメリカからフィリップを連れ戻しにヨーロッパにやって来たトム・リプリーにアラン・ドロン
大富豪の道楽息子のフィリップ・グリンリーフにモーリス・ロネ
フィリップの婚約者のマルジュ・デュヴァルにマリー・ラフォレ
フィリップの友人にフレディ・マイルズにビル・カーンズ
ウエイターにルネ・クレマン
美しすぎるアラン・ドロン
今でこそ普通より少しイケてるおじいちゃんですが、凄いですね、若かりし頃は
劇中でモテないのが不思議なくらい!!
青く澄んだ吸い込まれそうな瞳と、まさしくスターの顔立ち
今でも未来でも十分過ぎるほど通用するイケメンぶりは舌を巻くばかり
あんな顔に生まれたかった
人を殺した罪悪感がまるで感じられない人物設定と、その割には雑すぎる死体処理方法はさて置き
やはり特筆すべきは、このテーマ曲ですね
たとえ当の作曲者が納得していなかったとしても、一瞬にして砕け散る主人公の儚い人生を見事に表現している
叶うことのない、物悲しくも切ない恋心も聴くたびに胸に迫ってくる
これぞフランス映画!というより、これがフランス映画なんだという先入観を揺るぎないまでに自分の中に確立された映画でもあり、曲でもある
海外の大富豪は、湯水のようにお金を使い、汗水垂らして働かず、遊びまくるんだなぁって、この映画を見てその実態を初めて知ったのが懐かしい
あんな金持ちの家に生まれたかった
50年以上も前の作品にしては、パスポートの偽造や女性警察官にわざと情報を漏らす手口等は素晴らしい
警察官からの逃げ方も面白い
当時のフランスの街並みやどでかい札束wは、一見の価値があるかも
パトリシア・ハイスミス
20数年前にリバイバル上映で鑑賞し、地中海とアラン・ドロンの美しさが印象的に残っていました。後に地中海に旅行で訪れた際にヨットがたくさんあって、映画で観ていた通りだと感動したのです。そして、お正月に帰省した際に改めて父と一緒に再鑑賞。
本作の魅力はやはり、地中海とアラン・ドロン、ニナ・ロータの音楽につきますね。ストーリーも分かりやすいですし。
ところが、本作の原作がパトリシア・ハイスミスであれば話は変わってきます。
町山さんによると、本作がゲイ作品だと一番初めに解説したのが淀川先生だったとのこと。だから、本作は所々に同性愛の隠喩があると。
パトリシア・ハイスミス原作『キャロル』は直喩なので分かりやすいですが、本作の隠喩は全然分かりませんでしたね。同性愛について、現代は直接的な表現が出来る社会にはなりましたが、当時は絶対に不可能だったと思います。
そんな風に本作を鑑賞すると、トムの大胆な行動の裏にはフィリップに対する大きな性衝動があったのではないかと、思いました。
トム・クルーズと異なり、アラン・ドロンには内面の影が…
何十年ぶりかの鑑賞だったが、
話の骨子としては、裕福な友人を殺害して
彼になりすましたものの、
思いがけない事態から犯罪がばれると言う、
単純なストーリーの記憶だった。
しかし、ヨット上の殺人が
展開の1/3にも達しない段階で起きることや、
第2の殺人が行われること等は
すっかりと忘れていた鑑賞の中、
男女二人が恋愛関係にある上での
別の男性が加わるクルージングの設定や、
なりすましの過程や殺害後の後始末等、
また、ロープがスクリューに絡まってままで
航海出来たのだろうか等々、
無理くりさを感じないこともなかったが、
最初の殺害後の細かいアクシデントと
その対応の連続など、
承知の結末までどう展開するのだったろう
かと興味深く鑑賞した。
さて、アラン・ドロンはトム・クルーズと
同じような二枚目俳優なのだろうが、
トム・クルーズと異なり、
アラン・ドロンは全ての作品に共通して、
内面の影を感じさせる特異な美男子俳優
だったと、今回の鑑賞で改めて感じた。
ところで、ニーノ・ロータには
フェリーニの「道」をはじめとして
「ロミオとジュリエット」「ゴッドファーザー」
等のたくさんの映画作品で、
美しいメロディを堪能させて頂いた。
しかし、彼は、
この映画のメロディは好きでは無いそうで、
御自身のベストアルバムにも
入れていない位だ。
一方、私が特に好きなのは、
むしろこの作品のメロディなのだが、
それでも他の映画作品同様に、
この作品のテーマソングでも途中挿入される
ガチャガチャフレーズが好きでは無く、
私にとっては困った映画音楽作家ではある。
アラン•ドロン
有名な作品、リメイク作品も多い。
大嫌いな男がいてその恋人が好きなので、
男を殺し擬装して男の財産を女にやり
女を手に入れる、計画。
裕福なトムとその恋人、そこへ主人公。
お邪魔虫以外の何者でもない。
恋人を下ろしてすぐに殺す。
死体を包んで巻いたワイヤーの端を確認しなかったが為に。
トムのハイブランドのジャケットを着ていると
立っているだけでモデルみたい。
レザーのバッグが高級感満載❣️
日本なら印鑑だが、サインの真似も大変。
どっちが安全だろう。
上手くごまかしていたようだけど、
トムの友人に見破られ‥‥、
観ている人皆、
バレるぞ、バレるぞ、と思って観ていたんだろうな。
アラン・ドロンの魅力がいっぱい‼️
「太陽がいっぱい」と「冒険者たち」、この2作の名作フランス映画でアランドロンの存在は、私の中で永遠のものとなりました‼️とにかくこの作品でのアランドロンは美しい‼️しかもこの映画で成功したいというオーラが画面から溢れていて、そのグリーンの瞳が妖しく燃え上がっていた‼️それが金持ちの友人を殺して成り代わろうという役柄に見事にマッチしていて、ゾクゾクさせられます‼️モーリス・ロネに食事のマナーで馬鹿にされ、炎天下の海でボートに取り残され、コンプレックスと恥辱と嫉妬と羨望にかられて、チラッとモーリス・ロネを見上げる暗くて傲慢な目‼️ラストの全てを成し遂げたつもりでみせる安堵した表情、名前を呼ばれて不安そうに顔を曇らせる、だが、ただの電話呼び出しらしいとわかって笑顔に戻る‼️やってることが邪悪なのに、なんとも子供っぽい無邪気な笑顔‼️もうホントにスターの中のスターですよね‼️このアラン・ドロンのトム・リプレーはもちろん、放蕩息子を嫌味に演じるモーリス・ロネのフィリップ、妖精的な魅力を醸し出すマルジュ役のマリー・ラフォーレらツボにハマったキャスティングが素晴らしいですね‼️そして、太陽きらめく海上での殺人、地中海の波に揺れるヨットが主人公の不安な心情を表現していたり、サインの偽造を練習したり、指紋をすり替えたりするシーンとか、ルネ・クレマン監督の映像テクニックは名作「禁じられた遊び」を凌駕しております‼️いつまでも耳に残るニーノ・ロータの甘美なテーマ曲も忘れられない‼️もう聴くだけで涙出てきちゃいますよね‼️そしてラストのどんでん返し‼️赤い糸ならぬロープが、スクリューに絡まっていたためにもたらされるこの衝撃は、何度見ても胸を締め付ける力強さを持っている‼️
アラン・ドロンの代表作
フランス語だからなのかどこかウェットな眼差しをしているからか石田純一ファッションwが板についているからか分からないが、主役のアラン・ドロンはもう一つアメリカの青年には見えない。だが、鏡の前でフィリップの彼女に愛を囁くイメージングをするシーンや、海で背中を焼かれるシーン、「悪いのはフィリップだ。」と罪を重ねていく時のセリフは、美しい肢体に黒い髪、クールブルーの瞳を持つ彼でなければ成立しなかった気がする。
脚本は、クレマン監督が大戦後の貧苦にあえぐフランスの若者達に代わって、戦後は世界一リッチになったアメリカやブルジョワ階級に対してちょっとした皮肉を込めている感じもした。
例えば、フィリップの友人フレディがトムを怪しんで尋ねた場面。
「何の仕事をしているんだ?」
トムは答える。
「何もしていない。君は?」
対するフレディ。
「本職はない。だが金はある。」
同じ年頃で同じように無職なのに、一方は遊んでいて当たり前で、他方は怪しまれる。生まれの格差が浮き彫りになりトムの妬みが膨らんでいくのがわかるのだ。
そしてお天道さまの下、晴れてゆっくりした矢先の、原作小説とは異なるきっぱりしたラストも上手いと思う。
犯罪は犯罪。
監督の良心だろうか。
初鑑賞だと思っていたが。。。
初鑑賞のつもりで、アランドロン、天下無双のイケメンだなあと思いながら、
見ていたら、ラストで、初見ではないことに気がついた。
それくらいのラストの衝撃だった。
おそらく30年以上前の学生時代に、レンタルビデオで観たと思う。
ラスト以外は全く覚えていない。
期待してはなかったが、予想以上にいい映画だった。
引き込まれたし、中弛みもなく、作りも良かったと思う。
ニーノロータの名曲
アランドロン扮するトムリプリーは、他人の金で遊んでいると言った。
ニーノロータの名曲が懐かしい。アランドロンが若いだけで中身は単なる遊び人でたかりのトムだ。ニーノロータがこの作品に関わった事を悔やんでいたと何かで見たがなるほどと言わざるを得ないな。
全70件中、1~20件目を表示