第七天国(1927)のレビュー・感想・評価
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いつの世にも戦争は庶民の生活を破壊
「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」という言葉は、トルストイの小説「アンナ・カレーニナ」の書き出しとして、あまりにも有名ですけれども。
当時の世相(第一次世界大戦前夜のフランス)では、下水道清掃人というのは社会の最下層と位置づけられていたようで、道路清掃人の方が、いわば「格が上」の仕事(職業)だったようです。
ひところのフランス(パリ)では、街中の至る所に人糞が放置されていたようにも聞き及びますので、そういう環境での「清掃」という仕事は、決して社会的なステイタスの高い仕事ではなかったのだろうとも思います。
(別作品『せかいのおきく』になぞらえて言えば、畑に撒く肥料として人糞を商っていた矢亮のようなイメージでしょうか)
そんな中で芽生えた二人の愛も、戦争(第一次世界大戦)によって、もろくも打ち砕かれてしまう―。
戦争が庶民の生活を完膚なきまでに破壊してしまうことは、洋の東西・時代の古今を問わないのかも知れません。
ラブ・ストーリーの展開としては、ベタといえばベタな筋の一本なのですけれども。
しかし、上記のような社会情勢(第一次世界大戦前夜)のという製作年次を考えると、決して低い評価に値するというものではなく、それなりの良作と評価すべきと、評価子は思います。
(追記)
本作は無声映画ですけれども。
評論子が入っている映画サークルの今回の上映会(ホール上映)では、ピアノの生演奏とのコラボレーションというアレンジでの鑑賞になりました。
台詞ではなく、その含意をピアノの即興演奏で表現するという試みで、その曲調から台詞の内容は何となく感得することはできましたけれども。
2時間あまり、ずっとピアノの演奏を聴き続けるというのは、耳(聴覚)には、けっこうな負担にもなったようにも思います。
素晴らしいラスト・・・‼️
パリ、下水道工事人のチコと、不幸な娘ディアンヌは愛し合って結婚、七階の屋根裏部屋で "天国" のような幸福な生活も束の間、第一次大戦が勃発、応召され帰還したチコは失明していた・・・‼️そんなチコへディアンヌのセリフ「私があなたの杖になります」‼️なんという素晴らしいセリフ‼️毎朝11時、二人だけの合言葉「チコ、ディアンヌ、ヘブン(天国)」、七階までの階段の空間造型もホントスゴい‼️ジャネット・ゲイナーもホントに可憐で天使‼️サイレント映画でここまで純愛を高らかに謳い上げた名作メロドラマを作り上げたフランク・ボーゼージ監督に脱帽ですね‼️初見時の感激は忘れられません‼️
大変に良かった
普遍的だからこその名作。映画ナメてた。
愛してるって言えないから名前を呼ぶ不器用さも、
待ち合わせはいつも11時なのも、
本当に見えてなくてもシーコには目に焼き付けたディアンが「見える」のも、
細部に光るものが散りばめられていてうっかりポロポロ泣いてしまった…
いつも下ばかり見てた彼女は逞しくなって上を向いて、いつのまにか窓の外を伝って歩くのも怖くなくなっていて。
無神論者だった彼は神に永遠を誓うようになって。
知らぬ間に互いに影響し合って人って変われるんだと、社会の底辺や戦争という現実さえ凌駕する普遍的な希望を感じた。
物理的に天と地を行き交う映像も見事。
トーキーへと変わる時代に映画はここまで作り上げられていたのかと目を見張ります。
地下で働いていても、住まいと気持ちだけは天を向いて生きる。
階段を上っていくのが最後に反復されて感動するとは思わなかった…あの結末の解釈の余白が残っているのもいい…現実か虚構か、天国と下水道、神と戦争、何を信じるかは自分次第なんだと。
純愛物語
地下下水道の掃除夫・シコは、安アパートの屋根裏のような7階の部屋を第七天国と呼び、パリを見下ろしながら大らかに生きている男。
街で出会った女性ディアヌの窮地を救うため、生活を共にすることになり…。
パリを舞台に、第一次世界大戦を挟んだ貧しい二人の純愛。
フランク・ボーセージ監督、1927年のサイレント作品、第一回アカデミー賞でいくつも受賞している作品です。活弁付きで鑑賞しました。
何と言っても彼女を第七天国へ誘うシーンが素敵!トキメキの、胸踊る場面でした。
現代でしたら、ヒロインの姉ももっとしっかり描かれるでしょうね、痛々しいです。
澤登 翠氏の活弁は過不足なく、物語を楽しめました。良い経験でした。
会話の中には不平等や神の存在の議論まであるけど、当時の弁士達はどんな名調子で演じたんでしょうか。
2015.4.12. 福山駅前シネマモード
作品情報(2017.1.17.現在)掲載のあらすじと、鑑賞した作品は違いました。何回か問合せましたがそのままなので、バージョン違いがあるのかしら?
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