「『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ウェスト』はこの映画をリスペクト」捜索者 マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ウェスト』はこの映画をリスペクト
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ウェスト』はこの映画をリスペクト
雷鳥が出てくるシーンは『ウェスタン』の一場面。レオーネ監督は完全に利用している。その他にも雪の場面は『殺しが静かにやって来る』にどうしても見えてくる。つまり、イタリア製西部劇に大いに影響を与えていると思う。
ネタバレあり
兎も角、
最後の唄が
『男は自分の心と魂を探し求める。
探し求めて旅に出る。
いつかはみつける心の安らぎ。
だが、それはどこにある。
旅に出ろ。馬でさまよえ』
『アメリカ合衆国(合州国)としてのアイデンティティを持て』と言う事だと思う。
1860年(約)がエイブラハム・リンカーン大統領誕生だと思うので、その100周年でゲティスバーグのかの有名な演説とつなぎ合わせている様な気がする。
ジョン・ウェインは古い価値観の西部の男って役で、超保守的な男性だが、彼(ジョン・ウェイン本人)自身に政治的野心が、まるまるあったとは思えない。ので。(ジョン・ウェインもプロパガンダの宣伝広告塔と僕は見ている)
『人民による人民の為の人民の政治』をアメリカ合衆国はとっていくが、過去の歴史の上で白人はこう言った『詰め腹を切っている』って、ジョン・フォードは言いたかったんじゃないかなぁ?つまり、悪役で一方的にやっつけられる者は、インディアンではなく、ネイティブでREDMANなのである。平等な政治をやっている事を強調しつつ、今までの差別的出来事をあからさまにしつつ『こうあった』と言い表している。つまり、元来からある『リンカーンは奴隷を解放した』の元祖と言える。
さて、現在はこの理論は通じない。だから、インディアンと言う単語も死語である。ましてや、インドが世界一の人口における大国になっている。今では、KK◯すら、インディアンなどとは言わない。はずだ。また、アメリカ独立戦争では、インド人がアメリカ合衆国側に付いて戦っている事はアメリカ国民なら誰でも知っている。従って、日本人は、日印友好の為にも『インディアン』とは言わないように努力すべきだと思う。
追記
デビー役のナタリー・ウッドさんはお亡くなりになっているが、ラナ・ウッドさんーナタリー・ウッドさんの妹(デビーの幼少期)とヴェラ・マイルズさんはご存命なので、まだまだ、『探す者』と『探される者』は生きていると言う事の象徴って事か。