「生き様。それを阻む壁。」戦場にかける橋 とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
生き様。それを阻む壁。
戦争映画として紹介される。
監督・制作者の意図としては、反戦映画なのだろう。
でも、私には、そんな範疇を越えて、現代にも通じるテーマを描いた映画だと思う。
だからこそ、今なお、人の心を揺さぶり続けるのであろう。
原作未読。
「史実と違う」とコメントされるが、そもそも、原作が、作者の体験を基にしたフィクションと聞く。捕虜収容所・鉄道工事に舞台を借りた、フィクション映画なのだろう。
捕虜収容所。『戦場のメリークリスマス』と被る。
日本将校とイギリス将校。ハラ軍曹の立ち位置に当たる方もいる。日本軍と捕虜たちの間をつなごうと動くMr.ローレンスは、この映画では軍医か。
だが、話は全く違う方向に進んでいく。
「日本軍の描写が変」と言うコメントもある。だが、『戦メリ』に比べたらまとも。『戦メリ』が異常すぎるのか。
前半、日本人・イギリス人・アメリカ人の人物描写が、ある程度ステレオタイプに見えており、イギリスのやり方を称える映画なのかとも見える。
「喜んで働け」と努力すること、罰することで人を動かそうとする齋藤大佐。
”負けた”イギリス軍より、”勝った”日本軍を優位に立たせ、力による支配。ブラック企業とは違い、休みを取ることも必要と、要所要所で、飴を差し出すが、見え見えなので、あまり効いていない。適材適所などは考えず、ひたすら無私の勤労を要求する。そして、思うように進まないと、改善策を練ることもせず、労働力を増やすこと、そして部下にキレまくる。
まるで、現代にもいる上司を見ているようだ。
逃げずに、陣頭指揮を取ろうとするところはまだましか。
「お茶」「お茶」「お茶」と伝言ゲームが始まるシーンはギャグのようだが、実際に会社でも同じことが行われている。会社内だけではなくて、中請け、下請けへと仕事が下りるということもある。
問題や苦難に出会った時、何かを成し遂げなければいけない時、「頑張れ、頑張れ」という精神論でやりぬこうとするのは、今でも、会社だけではない。学校でも、子育てでも。趣味のはずの部活や習い事でも行われていることである。
それに反発するのはニコルスン大佐。
秩序が肝。将校会議には、シアーズも招き入れる。イギリス人だけで固まり、他を排すなんてことはしない。
ニコルスン大佐にとって、捕虜になったのは”負けた”からではない。命じられた”降伏”に従っただけだという確信のもとに動いている。つまり、捕虜として働くことは、上からの命令に従っていることになる。脱走も、命じられた”降伏”に従わないことになるから駄目だという論理。
齋藤大佐に屈することは、今度こそ、”負けた”ことになる。決して、屈することのできない戦い。それは、隊全体にとっても、同じ意味を持つのではなかろうか。
そして、齋藤大佐が折れた後は、橋づくりという”仕事”にまい進する。私には、ここでニコルスン大佐が、日本軍相手に戦争をしているように見えた。日本軍ができないことをイギリス軍が成し遂げる事=イギリス軍にとっての勝利。しかも、その橋は後世に残る物。
働かせ方が、齋藤大佐と対照的。適材適所。各人に”誇り”を持たせ、食事等の待遇を上げ、鼓舞する。仕事が納期に間に合わないとなれば、最初の主張を曲げて、将校や怪我人も働かせる柔軟さ。けれど、齋藤大佐のような問答無用の命令でも、叱咤激励でもない。協力を求める”相談”という形をとっている。ニコルスン大佐の言動を見ている彼らは、勿論喜んで応じる。
まるで、組織でいかに人を動かすかの教科書のようだ。
そこに、自由奔放なアメリカ人シアーズ。
「人間らしく生きることが一番大切なのに」という信条。生き残るためには、階級詐称、なりすまし、賄賂…、何でもやる。
その自由さ・機敏さが齋藤大佐やニコルスン大佐との対比で、生き様を考えさせてくれる。
軍医はどこの国の方か?
ちょっと違う視点で彼らを見ている。
前半は、齋藤大佐とニコルスン大佐の攻防。
後半は、橋の建設は間に合うのかというミッションと爆破ミッション。それらが入り交じり、話が進んでいく。
ここで出てくるウォーデン少佐はイギリス軍所属。
任務遂行のためなら、シアーズに、アメリカに送還(軍法会議)と円満退職をチラつかせ、協力を迫る狡猾さ。でも、経験浅い若者への配慮もあり、頼もしい上司に見える
役者がすごい。
筆頭はやはり、ニコルスン大佐を演じられたギネス氏であろう。”オーブン”から出た後の、つま先立ち。支えられてもまともに歩けず、下り坂では、支えている人も早足になるくらいに転げ落ちる。だのに、齋藤大佐に会う時には、ダチョウのような歩き方だが、一人で階段を登る。その時の表情・佇まい。齋藤大佐が”恩赦”と言うことにして折れた場面では、その言葉を聞き、衣服を整える。そして、ラストの表情。
そんなニコルスン大佐に対する齋藤大佐を演じられた早川氏。橋が完成して嬉しいはずなのに、最初の勢いと違うその微妙な表情。
映像がすごい。
ハゲタカ、蝙蝠。丘陵にそって動く娘たち。
殺された日本兵の横には、恋人?妻?の写真と、数珠?ロザリオ?。日本兵だって、同じ人間なんだよと言わんばかりに。こういう小さな映像に、監督の反戦意識を感じてしまう。
映画はラスト、それぞれの生き様をひっくり返して終わる。
オチはなんとなく想像つくのだが、そこに至る脚本・演出がこう来るかと唖然。
ちょっと距離をとっていた軍医が「madness」と連呼するほどのシチュエーション。
達成感を感じても良いのに、そこに流れるのは理不尽さと虚無感。
その、ドラマが起こった現場を遠景に映してエンド。
人の生き様なんて、地球から見たら些細なこととでも言わんばかりに。
なんという映画なんだ。
自分の生き様まで巻き込んで、忘れえぬものになる。
★ ★ ★ ★ ★
早川雪舟氏。
真田広之氏の快進撃がにぎわしているが、第2次世界大戦以前に、ハリウッドで主役映画を作られる役者がいたとは。
ホールデン氏との逸話もすごい。ハンフリー・ボガート氏も早川氏との共演を望んで自ら動いたとか。実現していたらどんな映画になったのだろう。
★ ★ ★ ★ ★
≪以下、ネタバレ≫
ニコルスン大佐と齋藤大佐の友情物語という評もある。
でも、私にはそれは感じられなかった。確かに協力関係にはなっていただろうが。
橋の完成間近。ニコルスン大佐が仕切るだけで、添え物になっている齋藤大佐。任務として橋を完成させなければいけない齋藤大佐。恩赦を与えた後に人知れずむせび泣く。全面協力=全面降伏状態。自分とは違うやり方で、自分にはできないことを成し遂げるニコルスン大佐。その様子を見て取り入れようとするシーンはない。ニコルスン大佐の功績に対して、負傷者を汽車で運ぶ等の労いはするものの。打ち上げをよそに、頭を丸め、髪の毛を手紙に添え、懐刀を忍ばせる。すべてが終わった後、自刃するのかと思った。橋が完成しているのに、喜んだ表情どころか、暗い表情でもあったし。大日本帝国の信じていたやり方が通じなかった。アイデンティティの崩壊。
ニコルスン大佐。完成した橋の上で、齋藤大佐への語り。何を成し遂げたのかと人生を振り返る。友情を感じた齋藤大佐にと言うより、隊を率いる同じ立場の人物へ漏らした本音のように感じられた。
だが、そんなニコルスン大佐の”成し遂げたもの”は、同じイギリス軍によって破壊ミッションが進められている。軍の命令に従って、捕虜となる恥辱を受け入れざるを得なかったニコルスン大佐。それが、また、軍の命令によって、破壊される。自分が守り通した論理で、自分の大切なものが破壊される。これも、アイデンティティの崩壊。
脱走に失敗し溺死したと思っていたシアーズ。黄泉の国からの使者か?ニコルスン大佐が「人生の終わりに近づいている」と言っていたことの呼応(シャークスピア?!)。
ここで、爆破のスイッチを押すのは、シアーズでも、ジョイスでもない。ショックを受け、死にゆくニコルスン大佐が倒れこんで押してしまう。ニコルスン大佐が作ったものをニコルスン大佐が破壊する!なんという皮肉!なんという脚本!なんという演出!
現代の仕事でも、一生懸命に仕上げた仕事が、会社の方針転換等で、なかったことになることはよくあること。それが、一生をかけた仕事なら…。
部下や軍医からも指摘はされていた。だが、ニコルスン大佐は、自分の部隊をまとめあげ、日本軍を見返すこと、後世に残る物を作ることで精一杯になってしまったのだろう。将軍たちのように大局を見て作戦を立てるのではなく、与えられたミッションを遂行することがすべて。
大局を見て上司に進言しても通らず、結局与えられた仕事をするしかないときもある。そんな、自分にも重なって、身につまされた。
シアーズも、自分の生き方を貫けなかった一人。要領よくやっていたのに。
結局ばれて、半ば強制的に、戻りたくもない任務に組み入れられる。断れば、なりすましと階級詐称で軍法会議にかけられることは必須であろう。
逃げることばかり考えていたが、実際に橋と日本兵を見れば、収容所での様々な思いが募り…。齋藤大佐に反抗していたと思っていたニコルスン大佐の言動に驚愕し。
ウォーデン少佐は、援護射撃ではなく、任務のために仲間を殺してしまう。頼もしい上司像が一変。アイデンティティの崩壊。
職場や、社会を見渡せば、今も起こっている現象。
現代でも行われている、齋藤大佐のような教育・指導。
人が育つわけがない。
その反省か、最近は二コルスン大佐のような指導をする上司や教師も増えてきた。
だが、報われぬことが多い。
自由な生き方を選択する人も出てきた。
だが、そうそう社会はその自由さを許してはくれない。シアーズのように引き戻される。
自分らしく生きる事を追求しようとするが、
それを阻む状況。
成しえたとしても、ウォーデン少佐のように何かを犠牲にしなければならない。
なんという、やりきれない世の中なのだ。
引きこもり、鬱、自死が増えているのもわかる気がする。
シアーズのように、ズルして生きることばかりを考える輩も増えてきている。
それでも、
こんな重いテーマの映画に、軽快に響く『クワイ河マーチ』。
橋爆発の前に渡り終えた、この橋建設を成し遂げた、ニコルスン大佐の隊の人々は、ニコルスン大佐の願い通りに、誇りをもって生きていけるのだろうと。それを表現しているのだと思いたい。