素直な悪女のレビュー・感想・評価
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B.B.(べべ)ことブリジット・バルドーの鮮烈な魅力に溢れたフランス映画の官能
1950年代にフランス映画のセックス・シンボルとしてセンセーショナルな脚光を浴びたブリジット・バルドーが主演のお色気映画。22歳のバルドーのしなやかでセクシーな曲線美の肢体を強調した演出は当時の夫であるロジェ・ヴァディムで、28歳の監督デビュー作となる。モデルをしていた18歳のバルドーと結婚して、成熟した大人の女性になった妻の小悪魔的な魅力を前面に打ち出した官能的悪女映画になっています。冒頭の全裸で寝そべるカットから、薄着で海水に濡れるセクシーなシーンなど大胆で刺激的なシーンが続きます。製作年度の1956年を鑑みると、アメリカ映画では規制のため表現できないもので、恋愛と女性崇拝を最優先にするフランス映画らしさを痛感しました。(後にゴダールの「軽蔑」(1963年)でも、ファーストカットで全裸に横たわるバルドーが、頭からつま先まで一つひとつ挙げて夫のミッシェル・ピコリに愛しているかを尋ねるシーンがありました)しかし、ストーリーは単純で面白いとは言えず、設定した登場人物を思いつくままに展開したようで、最後は悲劇的な結末になるのかと見せて、結局は若いカップルが和解してパッピーエンディングです。妻の不貞を知った夫の寛容さが、いつまで続くのか心配になるラストシーンでした。恋愛ドラマとしては、凡作でしょう。ヴァディム作品は学生の頃に、「大運河」「獲物の分け前」「世にも怪奇な物語」「バーバレラ」と観ていますが、どれも傑作とは評価できず、それよりも多くの女優にモテる艶福家としてのヴァディム監督の印象が強く残っていました。バルドー始め、ジェーン・フォンダ、カトリーヌ・ドヌーブとパートナーを替え、それが製作意欲を掻き立てたとしても、公私混同過ぎるのではないかと思いました。モテない男の嫉妬も少し入っています。
それでもこの映画の楽しみ方はあります。単なるお金持ちの女性好きな資産事業家エリック役のクルト・ユルゲンスの気品と貫禄は、美女崇拝のフランス男を上品に演じて嫌味が無く、対してバルドーのジュリエットが最初に好きになるアントワーヌの身体目的の動機から、弟ミシェルの妻になったジュリエットを誘惑する卑劣な男役をクリスチャン・マルカンが巧く演じています。一番下の弟役は、「禁じられた遊び」のジョルジュ・プージュリーでした。この時16歳です。前年にクルーゾーの「悪魔のような女」、翌年はマルの「死刑台のエレベーター」に端役ながら出演しフランス映画を代表する名作に関わっています。兄弟の中で極平凡な少年役が、他の主要登場人物の性格を引き立てる役回りになっていました。次男ミシェルのジャン=ルイ・トランティニャンは、後の「男と女」「Z」や「暗殺の森」「離愁」からは想像できない、幼さが残るお人好しのミシェルを素朴に演じていて驚きました。それら名作の時の大人の男の印象が強く残っていて、既に26歳になっていたとはいえ本格デビュウーの初々しさを感じました。身長が思っていた程高くなく(日本の青年の平均身長と同じぐらい)、それもあってバルドーと同い年ぐらいに見えます。そして、バルドーのバランスの取れた肢体にフランス人形のような顔、理想体型の線を強調するファッション、特に前半の赤いドレスの鮮烈な美しさ、長い金髪を靡かせ街を裸足で歩く仕草がとてもエロティックです。このバルドーの魅力が更に目立つ理由は、当時流行っていたシネマスコープのカメラワークとイーストマンカラーの絵画的な映像美にあり、それは舞台となる南仏サン・トロぺの港町のロケーションの奇麗さがとてもマッチしていました。最初に好きになったアントワーヌの身体目的に失望し、孤児院に戻されるのを避けるためにミシェルからのプロポーズ受けながら、本当の自分を見失い街を彷徨うジュリエットは、都会的な洗練さより海の見える港町の野性的な自然が合っています。この作品の見所は、バルドーの強烈な個性とロケーションの良さ、そして映像美にあるといえるでしょう。
アントワーヌを信じて逃亡を計画したものの騙されたジュリエットが自然に逃がした小鳥とウサギは、ソクラテスのウサギだけでも取り戻せて良かった。脚本のこのエピソードはいい。
後日談として、若い新婚夫婦を演じたバルドーとトランティニャンは、この共演を切っ掛けに恋に落ちてしまったといいます。幸か不幸か、映画のラストシーンと同じになってしまった訳ですが、翌年ヴァディム夫妻は離婚します。恋多きフランス映画人の常に真剣な愛情の行方を思いながら見ると、この作品も興味深いかも知れません。
こんな小さな田舎町が似合う女ではないだろう
総合:65点
ストーリー: 60
キャスト: 75
演出: 70
ビジュアル: 70
音楽: 65
自由奔放な生活が好きな若くて魅力的な女は、古い田舎町では堅苦しい価値観のもとで堅苦しい生活をおくる。咲き始めた美しい花は男たちを挽きつけるが、男からは軽く見られて女からは嫉妬を受ける。結局本当の理解者はなかなか現れない孤独さが残る。本人は孤児で生活に監視もついているから、何をするにも不便極まりない。真面目な勤労者というには程遠く自由気ままに生きる女だから、型にはまった田舎の人々からは理解されがたいだろうし悪く見られるが、本来それほど性質の悪い女でもない。生まれる時代と場所が良ければこんなに苦労しなくてもよかったのだろうに、どうにも運が悪くて八方塞状態、孤児院に連れ戻されるくらいならと愛してもいない男との結婚に逃げる。
こんな田舎町に収まる女じゃないだろうと思ったが、紆余曲折の後で小さくまとまってささやかな幸せを求めるようなので意外な感じを受けた。もしかするとそれで幸せな余生を送れることになるのかもしれないが、これでいいのかなと疑問も感じる。でも本人も疲れちゃったようだしお金もないし町を出て行く力もないし味方も殆どいない状況で、これが彼女の出来る精一杯なのかもしれない。不幸な状況でもなんとなく明るい天真爛漫さのあるマリリン・モンローと違い、どことなく陰のあるのがブリジット・バルドーだろうか。まだまだ若くて発展途上の危うさのある若き日の彼女の姿でした。
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