スタンド・バイ・ミーのレビュー・感想・評価
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12歳にしか見出だすことのできない道。
〇作品全体
世界が狭いからこそ進もうと思える道があって、その時にしか集えない仲間たちがいる。
物語序盤で小さな町での物語であることがモノローグで語られたり、クリスの「街を出られない」という悲観的な考えがあったり、12歳のころの「街」は終始窮屈で生きづらさをはらんだ場所として描かれる。
4人それぞれにこの「街」のどこかにネガティブな感情を抱かせる場所がある、というのも窮屈に感じさせる一因だろう。ゴーディにとっては自分の家がそうだろうし、クリスとテディにとっては悪評のある親という枷とともに目線を向けられる街自体。バーンは少しコメディチックだったが、へそくりを隠した床下がそうなのかもしれない。いずれも自身の根の部分(バーンは少し直喩すぎるが…)にその感情を抱えている。12歳の世界では処理できない、12歳の世界だからこそどうにもできない感情をそれぞれが形を変えて抱いている。
だからこそそこから出ていける線路の一本道がより魅力的に映るのだろう。12歳というその時に似たようなものを抱えながらそこから一時であっても抜け出せる道が広がっている。そこに溢れる好奇心と不確かな希望がすごく輝いて見えた。
道の途中には楽しいだけじゃない空間もあって、結末はあっけなく、そして再びその街に戻ってこなければならない。自分自身でも感じたことのあるこの不確かな希望と予想の範囲内である終点の温度差が、一番ノスタルジックに響いたポイントであり、刺さる部分だった。
〇カメラワークとか
・歩いているときの4人の立ち位置をどこまで計算して演出しているのかが気になる。クリスはリーダー格だから先頭を歩くのはわかりやすいが、ゴーディが一番後ろを歩いてるのが印象に残る。一番優等生だから、というのも理由だろうけど、物語を振り返るポジションだからかな、とも感じる。ゴーディが大人になって感じた「12歳の頃のような友達は二度とできることはない」という感情はゴーディが覚えている主観的な風景にも起因しているように感じる。3人の背中を思いだせるからこそ、客観的にも見えるポジションにいたからこそ、この感情を抱くことができたんじゃないか、そんなことを思ってしまう。逆を言えば、他の3人がゴーディと同じ感情を抱いているかというと、立ち位置も違うのだから少し違うんじゃないかな、と思ったり。
・もっと自然を強調したり、4人が歩く世界を見せるカットが多いのかな、と思っていたけど、そうでもなかった。むしろウエストショットくらいのカットで砂利の音と手持ち無沙汰に歩き続ける姿のほうが多かったような。こういう、いわば平凡なカメラの距離感が「特別な4人の物語」というより「よくある12歳の風景」としてノスタルジックに感じさせるのかもしれない。
生い立ちガチャを乗り越えろ!
クリス、ゴーディ、テディ、バーンの少年4人の大冒険。
冒険と言っても、地元オレゴンのキャッスルロックの不良達の話を盗み聞きして仕入れた、観光に来ていた少年ブラワーの遺体があるという場所に確認しにいく旅。
小6で、そこそこ産まれも将来も見えてくる年齢。
クリスはもう、自分はこのキャッスルロックで不良として生きる産まれなのだと悟っている。盗みを働いた後、誰にも話も聞かれない、そんなはずないと思ってくれる人もいない、元々不良のフィルター越しにしか見られない苦悩を抱えながらも悟っている。
だから、親友ゴーディが、両親がゴーディではなく一心に期待していたスポーツ万能で優しい亡き兄にしか愛情を注がない孤独に気付き、ゴーディにも作家の才能がある。親が気付いていないだけだと何度も伝えてくれる。
テディはフランス系で、ノルマンディ戦で活躍した父を持つが父は精神を病んでしまい、テディの耳をコンロで焼いたり、精神病院に入ったりの家庭。父親の栄誉を守らないと、自身の存在否定に繋がってしまうからか、周りがなんと言おうといつも父を庇う。
バーンは少し思考が幼い。兄達は既に不良になっているが、行く末を変えるほどの気力を持ち合わせていない末っ子キャラ。
4人で家を出て、井戸で水を汲み、ひたすら線路沿いに歩き、一晩寝て、沼と森を突っ切り、ついに遺体を発見する。
その道中は少年4人には未知の不安に溢れていて、長い時間みんなで歩く事で、それぞれの複雑な感情と向き合い、友達として励ます、助け合いながらの時間となった。
アウトドア力、生活力などでは語り尽くせない、人生で乗り越えなければならない、背負っている己の負の感情に気付き、話し、向き合い、打破する力をこの2日間でクリスとゴーディは得た。
自然の中だと悩みなんて不思議とちっぽけに思える。のような謳い文句の子供達のサマーキャンプやYMCA合宿のような企画はよくあるが、その何百倍も濃い経験をこの少年達は大人抜きで、自分達のお小遣い2ドルだけですることができた。
そして、彼らが乗り越えようと対峙しているのは、ややハズレ気味の生まれガチャ。
この度のお陰で、ゴーディは本当に作家になった。子供も2人いて、立派に食べていかれているようだ。クリスは、ゴーディの言葉のお陰で、職業コースまっしぐらの自分を諦めずに、頑張ってゴーディと同じ進学クラスに進み、弁護士になった。喧嘩の仲裁で刺されて即死したらしいが、自分で選び取った人生を拓けた。
テディは刑務所に入ったりもしつつ、キャッスルロックで仕事に就いていて、バーンは製材所で働きながら4人の子持ちになった。
みんな、周りに流された不良の道を辿らず、自分の足で立てる大人に成長できたようだ。
あの時、自然の中で少年4人で過ごした時間。
あの時見た、不本意に汽車にはねられ亡くなった同世代の子の遺体。
そこから、人の命など生死は紙一重であることや、どんな生い立ちや事情であれ、自分の命はまだ生きている大きな実感をしたのだと思う。
クラスのカーストで言うと下層に入れられてしまうような子達の方が、感受性と可能性にずっと富んでいることはよくある。
孤独と向き合いながら、決めつけられた劣等感を乗り越えた時、その子自身の人生が輝き始めて、誰かの感情を良く汲み取り、守る優しさに繋がると思う。
まだまだ大人に甘えて良い年齢の子供達の心を周りの大人が守ってくれたら良いが、そうではない、むしろ大人が子供を傷付ける環境は、よくある。
同じ境遇、心境の子達で集まるとグレてしまうものだが、誰か1人が一念発起できれば、みんなつられてよくなったりもする。
運良くそのようになれる出会いをし、友達となれたゴーディのお話。
亡き兄の代わりに、遺体の子の代わりに、自分が死ねば良かったと言い出すゴーディだが、止めてくれるクリスがいて人生そのものを救われたと思う。
少年達の冒険って見てるだけで本当にワクワクする。 スーパーからダン...
少年達の冒険って見てるだけで本当にワクワクする。
スーパーからダンボールを拝借して秘密基地を作っていた小学生時代を思い出しました。
そんな小学生時代の仲良しグループは、今誰1人として連絡先すら知らないのでみんなそういうもんか…悲しいかな、でも少し安心しました。
そばにいて
死体探しをする少年4人の話。
家庭に問題を抱える少年4人が行方不明になっている少年の死体を見つけた話を聞きつけ自分が発見者になり英雄となるため、死体を目指す旅に出る。
大人になりそれぞれの道に進むが12歳の時過ごした経験は永遠で、親友はいつまでも親友である。
何か懐かしい
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主人公ら4人は2日かけて線路上を歩き、別の少年の死体を捜しに行く。
その死体を見つけたというチンピラの話を盗み聞いたためだった。
主人公は夭折した優れた兄と違い、両親の愛をあまり受けていなかった。
仲間らも家庭に問題がある少年達だった。
子供だけでの冒険ならではの紆余曲折を経て死体を見つける。
そこへ例のチンピラらが現れ、それを引き渡すように言う。
少年らは何故かそれに従いたくなく、一人が持ってきた銃で応戦。
こうして遺恨を残しながらも死体を守り抜く。
最初は第一発見者としてヒーローになるつもりだったが、
結局警察に匿名の手紙を出すにとどめた。
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映画を見る目に乏しい私には何がヒットの要因なのか不明だった。
でも何か懐かしい気持ちにはなった。
少年の頃にはこういう冒険心が人一倍強い方だった。
そして些細な事で後先考えずに意地になる心理も良く分かる。
それで痛い目に遭おうが、その時はその事が大切なことなのだ。
Nobody knows the way it's gonna be。 二度とは戻らぬあの日々が封じ込められた青春映画の金字塔✨
1959年の田舎町を舞台に、森の中にあるという死体を探しに出掛けた少年4人の、一夏の冒険を描いた青春ドラマ。
監督は『スパイラル・タップ』のロブ・ライナー。
原作は『キャリー』『シャイニング』の、”ホラーの帝王”スティーヴン・キング。
少年たちのリーダー、クリス・チェンバーズを演じるのは『エクスプロラーズ』の、名優リヴァー・フェニックス。
映画ファンのみならず、広く人口に膾炙している青春映画のマスターピース。世界で最も人気のある映画の一つと言っても過言では無いでしょう。
誰もが経験したであろう子供時代の煌めきと苛立ち、自由と不自由、全能感と無力感を僅か84分の間に綺麗に詰め込んだ、奇跡のような一作。
かつて少年少女だった全ての人に刺さるであろう、万感胸に迫る大傑作!!
もちろん私も大好きです❤️
原作小説のタイトルは「The Body」=「死体」。
「これじゃホラー映画かエロ映画みたいじゃねぇか!タイトル変えろおらぁ!!」と映画会社に言われたので、今のタイトルに落ち着いたらしいです。
もし本作が原作通り『ザ・ボディ』というタイトルだったら、ここまで愛されていなかったかも知れませんね。
ちなみにこの原作小説は未読であります。
『スタンド・バイ・ミー』…。確かに素晴らしいタイトルだが、一つ不満が。このタイトルは本作のテーマソングでもあるベン・E・キングのヒットソングから取られたものであるが、この曲が世に出たのは1961年。本作の主な舞台である1959年にはまだ存在していなかったのです。
バディ・ホリーの「エブリデイ」やザ・コーデッツの「ロリポップ」、ジェリー・リー・ルイスの「火の玉ロック」など、本作のサントラはオールディーズの名曲揃い。ブリティッシュ・インベイジョンより前の、おおらかで牧歌的な曲の数々が映画を盛り上げます。…まだビートルズもストーンズも、ボブ・ディランもビーチ・ボーイズも居ない、そんな時代があったなんてとても信じられないっ!
本作で流れる楽曲は1959年以前のものばかり。だからこそ、61年発表の「スタンド・バイ・ミー」が使われている事が惜しいっ!いやまぁこの歌は確かに名曲だし大好きなんだけど、そこは59年以前の楽曲で統一して欲しかった。こんなん気にするのは自分だけだとは思うんだけどね…。
あまりにも有名すぎる映画。それを今更何をか言わんやと自分でも思うのだが、今回見直してみて何点か気付いた事があったのでそれをピックアップしていきたいと思う。
まず一つ。本作は大人になった主人公による少年時代の回想により構成されている。現在の時間軸があり、そこから主人公が振り返る過去が映画の主な舞台となっている訳です。『フォレスト・ガンプ』(1994)形式ですね。
となると、映画は必然的に主人公の主観によるものになります。つまり主人公が関わっていないことは描く事が出来ません。
しかし、本作にはそのルールに沿っていない場面が出てきます。具体的には町のチンピラであるエース軍団(キーファ・サザーランドが若いっ)が「郵便ポスト打ち」というクソ迷惑な遊びをやっているところ。主人公のゴーディは、自分たちが死体探しをしている最中、エースたちが何を行っていたのか知る由もないのですから、この描写は明らかにおかしい。だめじゃん!!
そんなことはロブ・ライナーだって当然わかっているはず。となると、この描写は意図的に仕込まれている事になる。
一体それは何故か。ここには主人公の職業が”作家”であることが関係していると思われる。つまりゴーディはフィクションの担い手なのです。
この描写を挟む事により、本作で描かれている内容は全てが本当の事では無いんだよ、という事が暗に示されている。冒頭、「クリス・チェンバーズ弁護士刺殺される」という新聞を読み呆然としているゴーディが描かれているので、この少年時代の冒険が丸々嘘っぱちであるとは考えづらいものの、その内容は虚実入り乱れているのでしょう。
では何故、ゴーディは真実を語らずフィクションとして少年時代の思い出を我々に提示したのか。
それはその少年時代の一夏の出来事に、語りたく無い事、自分の胸に秘めておきたい事があったからなのではないでしょうか。
それは何か!という事なんだけど、それが今回気づいたもう一つのこと。
今まで少年たちの友情映画かと思っていたけど、これラブストーリーじゃん!
涙するゴーディの肩をクリスが抱き寄せる描写はラブシーン以外の何者でも無いし、他の少年たちに比べてがっちりとしたクリスの肉体が妙に生々しいのも印象的である。
爽やかな雰囲気とは対照的に、本作には「死」の匂いが充満しており、また女性の登場人物は極端に少ない。一見「生=性」の要素の薄い作品のように見えるのだが、意図的にホモソーシャルな世界を作り出す事で、その背後にある同性への恋慕を覆い隠している、そのような印象を受けました。
こう解釈すると主題歌の「スタンド・バイ・ミー」にも合点がいく。普通友達に「darling」とは言わないもんね。
もちろん本作を純粋な友情物語と捉えても良いのだが、少年の一夏の恋物語と捉える事でまた別の楽しみ方が出来る。
いずれにせよ、まだ何者でもなかったあの頃の自分と重ね合わせながら、この映画でノスタルジーに浸るのもたまには良いのでは無いでしょうか。うん、名画!
ウェンザナイ〜ハズカム〜♪
悔しいな!
過去を掘り起こしてもこんな冒険してない。
4人、この時だけのチームにしろ、人間それぞれ被らず個性がありチームワークがとれていた。
4人の中で賢く冷静なゴーディが年長の不良達が来て取り合いになった時、ピストルを構え威嚇し追い払った。
出発時点では、父に存在を認めて貰えないやるせない気持ちから興味本位の旅だったが。
クリスから自分を評価され進路についても、
「親が駄目なら俺が代わりになってやる、だから頑張れ。」
とまで迷う事ない励ましとアドバイスを受けて内心自信がついたのだろうか。行方不明のその子のことを第一に考えようと思い直し不良から守ったのだろう。
クリスも、ゴーディと進路について最初の希望を変更して進学したらしいと後日譚で紹介されていたが。ゴーディとの話や行動に感化されたのだろうか。
あの泣くシーン、可哀想だった。辛すぎる気持ちが伝わって来た。半分濡れ衣のような事件、二度と嫌だと思ったのだろう。
ゴーディという友の頑張りに自分も知識を身につけ自分を守る気持ちがあったかもしれない。
テディの言動からは、戦争が終わってまだ年数が経っておらず、後遺症気味の父をこよなく愛しそのあとに続こうとする親想いの優しさが感じられる。
バーンは何事にもゆっくりで皆に助けられている。他の子は嫌がらず助ける。嫌だったら誘わないだろう。ホッとできる存在かな。
とにかく、ゴーディとクリスはこの旅で成長したのだ。ただ••••。
また何年後かに、それぞれの様子が見られたら良かったのに、とつくづく思ってしまう。
それは、ゴーディも同じ気持ちだろう。
兄が死に父に愛されず劣等感を抱くゴーディ 兄が不良というだけで悪い...
兄が死に父に愛されず劣等感を抱くゴーディ
兄が不良というだけで悪い人間だと決めつけられるクリス
精神を病んだ父に虐待されるもその父を尊敬するテディ
小太りのバーンはちょっと特にないけど、キャラクターのバックボーンが重く、ストーリーも仄暗い印象
スティーブンキングというだけでホラーだと身構えてしまってるせいかな?
未来のシーンから始まり、主人公の親友が未来で死んでいることも知りながら少年時代の思い出を巡る。
序盤から出てきた列車に轢かれた少年、実体が無く、会話の中だけ、見つかっても足しか映らない、と思いきや、死体となって現れてなんかショック。
死体を見つけヒーローになれることしか考えてなく、死体を見る心構えというか、死が何かを深く考えていないゴーディ達と気持ちがリンクしていたようでした…。
解説を読んでどうして名作なのか勉強しますね。
死体とヒルがビビりポイント。
劇中出てくる車がかわいくてかわいくて。
あんな車なら買って乗り回したい。
クリスがイケメンすぎてイケメンすぎて。
そのクリス役のリヴァーフェニックスの生い立ちもちょっとかわいそうで、さらに映画の見る目が変わりました。
死体を見つけてヒーローになれる
↓
実際に死体を見て、おだって申し訳ない気持ちになる
というストーリーだとおもっていたらもっと深く、約40年経っても語り継がれる映画でした。
21.5.28 金曜ロードショー
ホワイト・イズ・ビューティフル♥
『俺は、ろくでなし一家のガキの一人』
ブルーベリーパイの大食い競争とは、実に下品である。
さて、現代の日本でも『普通のゴールデンタイム』でこの類の番組を放送している。早食い、激辛。はてさて、かたや『エスディーチーズ』とかのたまいながら『ジャ○ボ餃子』とか『激辛ラーメン』食べる事を競い合っていたのでは世話がない。自由と民主主義な国であって、基幹産業が先進であるはずの国民が、エンゲル係数の高い生活をしている。また、肥満を笑い者にしているのはかなりグレーな表現だと感じる。果たして、自己管理の不摂生だけで肥満になるわけではない。糖尿病に付いても同じだ。1型と2型があるし、2型であっても、遺伝子の影響も考えられる。つまり、見栄えだけで『よってたかって』ディスるのが良い訳がない。それが白人だけの世界となると、逆差別につながると思う。とうてい、笑えないし、感動できる内容ではない。
このガキ達がベトナムへ行って、自由と民主主義をたてに1975年までそこに居座る。
私だけかもしれないが、12歳の時の友達なんて会いたいと思わない。
中学校に至っては、名前すら覚えていない。卒業アルバムとかも全て廃棄した。『アルバムなんか眺めて何になる』とこの年になると感じる。何しろ、この世にあと9年しかいないんだから、私が少年だったの時の友達なんて、どんな理由があって合わねばならないか?と感じる。
我が家はろくでなし一家ではなかったが、親父がろくでなしみたいに言われていた。私もそう思っていた事もあるが、親父は私の事だけは、他の家族よりも大事にしてくれた。理由は私が鷹であったから♥ではない。寧ろ、飛べないカラス位に見ていたのだろう。
最高の名作。切ない
少年時代の美しき思い出、未成年なのにパンパコ喫煙シーン盛りだくさんの今じゃコンプラ厳しすぎて出せんでしょってシーンの盛りだくさん。
想像していたイメージと大きくかけ離れた繊細で切ない映画だった。家庭問題がある子や親との関係がうまく行ってない子など、子供たちが自分たちの負の部分を吐露するシーンなど、とてつもなく胸が締め付けられた。名作なのは間違いない。
気分で観たが、とてもいい映画を観たと思った。時代背景も素敵で。言うことなし!
ただ、初めてヒルの本物なのか?アレは。多分本物に近しい物体なのだろうけど、怖すぎて悲鳴を上げてしまった。。。ありゃトラウマだ。
最後のエンディングも素敵で。子役たちの演技も素敵ですね。そりゃ名作です。演技めちゃ上手いな。
若い頃に観たかった…!
「少年たちの青春の1ページ」を描いた、懐かしさや眩しさがたまらない作品。
「名作」との評価が名高い本作。使用された映画タイトルと同名楽曲BEN E KINGの「Stand By Me」はあまりにも有名・・・であるが、恥ずかしながら初視聴。「少年たちが死体を探しに行く物語」という程度のあらすじは何となく知っている程度であった。
冒頭、中年男性が新聞を読んでいるシーンから自身の少年時代の回想に入り、ここからが本編。日本でいうおそらく小学6年生くらいの少年4人が、「ニュースで行方不明になっている少年の死体を見つけた」という話を聞き、死体を探しに行く物語。
「死体を探しに~」の部分だけ抜き取ると、一見ホラーもののようなイメージを持つかもしれないが、ホラー・サイコ要素は無く、少年4人のたった数日の友情・冒険譚。一言で言うと「少年たちの青春の1ページを抜き取った映画」である。
たった数日の出来事を映画にしている訳だが、少年それぞれの性格や境遇、お互いの関係性、将来への不安など、少年たちの関係性が繊細かつシンプルに描かれており、見やすいが見応えのある作品であった。
評論などは腐るほどされている作品なので、小難しい話は置いておき単純に私の感想を述べると、中年真っ盛りの私からすると「懐かしさ」や「眩しさ」を強く感じる作品。家族や将来に対する悩みや不安を、親や教師でなく友達がきちんと理解・共感し、寄り添ってくれる・・・また、仲の良い少年期の友達同士だからこそのバカさ加減みたいなのが、とても暖かく見終わった後は満足感があふれていた。おっさんである自分は前述のような感想であったが、今の10代くらいの方々が見たら、また違った感想になるかな、と思うと面白い。
兄の死や両親から冷遇されていた主人公が小説家になっている描写から、クリスの存在や言葉に救われたんだなと思うと感慨深い。クリスもまたしかりなんだろうけど。
見終わって冒頭見返すと、弁護士になったクリスが刺殺されたという記事を見て、少年期を振り返る作品なんだと、見直して理解。クリスの最期を見るにハッピーエンドとは言えないかもしれないが、後味が悪いとか言う訳ではなく、やはり「良い作品だった」という感想であった。
個人的なおすすめポイントは、少年たちそれぞれが個性があって良いキャラクターであるが、やはり主人公ゴーディとクリスの関係性。こんな友達いいなぁ、といい年こいたおっさんがしみじみ思う。視聴後は「Stand By Me」を聞きながら、回想するのがたまらんです。
ああ、懐かしいなと思える良作
子どもの頃、自分たち以外に誰も立ち寄らないような場所に秘密基地を作ったり、計画を立てて山に登ってちょっとした冒険をしたり、行き先でとんでもない発見をしたり、そういう子どもの頃の懐かしい思い出を詰め合わせたような作品で、見るたびに「ああ懐かしいな、あの頃に戻りたいな」という気持ちになる。本編でもやはり感動したのは、焚き火で2人の少年が将来について話し合う例のシーン。誰にでも不安はあるものだが、それを共有してお互いが支え合えるという関係がとても素晴らしいということ、そしてそれは永遠を願うけれど実際それほど長くは続かないことがあるという儚さにどうしても感動してしまう。
その時にしか感じれないものがある
鑑賞後の気持ち
自分が子供ではないことを改めて実感した
鑑賞後の心の変化
同じ体験でも今しか感じれない何かがあると思った
鑑賞後の行動の変化
今を全力で感じるようにしたい
好きなシーン
4人がまっすぐな線路道を歩いていくシーン
嫌いなシーン
お兄ちゃんの帽子を取られるシーン
少年時代の憂鬱をリアルに描写していた。
やるせない少年時代。街の不良には勝てないし家庭環境も良くない。でも信頼出来る友達はいる。そんな、辛いが逃げ出したいほどでもない少年時代が映されていた。レールの上を歩いていく事からたまに外れて行くのもいいと思える作品。どんどん疎遠になっていくのもリアルだった。
子供だから考える、無謀(でおバカ)な冒険物語
3度目の鑑賞
古くからの映画ファンの間で高く評価されてる作品と聞いている
主人公のゴードン・ラチャンスは新聞に
「弁護士のクリストファー・チェンバースが刺殺された」という記事を見つける
殺された弁護士は幼馴染
主人公は子供の頃のエピソードを思い出す
それは、
「死体を探す」
という4人での冒険だった
35年前の映画なので現代の感覚では合わない部分もあるが
年代が近い自分は完全に引き込まれた
自分も友達と冒険した事を思い出す
地元にあった小高い丘の頂上を目指したり
(もちろん途中で断念)
鉄橋を歩いて渡ったこともある
(30分に一往復しかない田舎の鉄道なのでしばらく電車が来ないのは知っていた)
この映画のラストが良い
このテーマ曲は死ぬまで記憶に残るだろう
ずっと僕のそばに居て
——僕らの生まれたキャッスルロックは田舎町だった。
キング当人であろう主人公を語り手に、四人の少年がいっしょに居られる最後の夏を冒険する。
【ストーリー】
主人公のゴーディは作家志望の少年。
優秀なフットボール選手だった兄が死んで、家族から表情が消え、家の中はいつも薄暗かった。
一番の友人クリスは、優秀な頭脳を持ちながら家が貧乏なせいでいい学校にはいけない。
メガネのテディは敬慕する父親からDVを受けていて、感情が抑えられない。
小太りのバーンは言動が幼く小心者。
仲間と秘密基地で悪ぶりながらくつろいでる最中、バーンがでっかいニュースを持ってきた。
不良グループの下っぱの兄が、行方不明の同い年の少年が、死体となって農場の線路ばたに転がっていたと話していたのを盗み聞いたという。
「それを見つけて通報すれば、俺たちは一躍この町のスターになれるぞ!」
秋にはそれぞれ別の学校にゆく彼らの、一夏の冒険が始まる。
スティーヴン・キング原作の中編「ザ・ボディ(死体)」の映画化。
「ショーシャンクの空に」「ゴールデン・ボーイ」と共に表題「四季」の夏の一編として、この作品は書き上げられました。
内容の地味さから、単体では出版されないと危惧したキングが、それでも世に送り出したくて他の3作品とセットにしたという裏話も。
監督は「最高の人生の見つけ方」など感動作品で知られる、登場人物の喜びや悲しみを優しい視点で撮るロブ・ライナー。
当初は低予算の小劇場作品だったものの、内容の素晴らしさからリピーター続出、公開が拡大されアカデミー賞にノミネートまでされた名作です。
俳優陣も素晴らしく、特にクリス役のリバー・フェニックスは将来を嘱望された、夭折のイケメン俳優。
世にも恐ろしい空気感で不良たちを仕切るエースは、その後24シリーズで世界を席巻したキーファー・サザーランド。
二十歳とは思えないギャングのボスの貫禄を醸しています。
何よりシーンを印象的にするのは、劇中にラジオから流れる数々のオールディーズ音楽。
1950年代後半にヒットした数々の名曲、タイトルにもなったスタンド・バイ・ミー、線路を歩き踊りながら歌うロリポップ、エースたちが"ポスト野球"をしながら爆音で鳴らすヤケティ・ヤック、火の玉ロックにミスター・リー他多数。
冴えた配役とストーリー、美しくダイナミックなアメリカの片田舎の風景、そして素朴なエネルギー溢れる音楽が、見たあなたにも忘れられない夏を与えてくれることでしょう。
怖いものなしの大冒険
田舎町に住む4人の少年の二日間の大冒険。
それぞれ複雑な家庭環境などから悩みや葛藤を抱えており、冒険の中でもそれをぶつけ合うシーンも。
ケンカやじゃれあいながらも助け合って絆が強くなる姿が書かれている。
少年のときにしかできないはちゃめちゃな大冒険はほんとにキラキラしている。
シンプルに子供のころの友情に特化して描かれていて、それを大人になった主人公が振り返りこれほどの友達はいないと言っているところが、子供のころの友達との思い出が今の自分につながっていることが感慨深い。
これって文学ですよね
妄想のゲロの話は映像にして、実際に起きた父親の話や先生の話は語るだけ。
これって文学ですよね。
よく分かってませんが、そう思いました。
ストーリーそのものは観てる最中は凄みを感じないんですが、少年同士の距離感、空気感、信頼感。
見終わったあとの余韻で「また観たい」と思ってしまうのは「感」のおかげででしょう。
12歳の夏
自分が今まで思っていた概念を壊された感じがした。
名作と言われていたけども全然観ていないくてどんなのか?
と思いながら見始めたけども自分にとっての大事な事に対して目を向けるきっかけをくれる様な作品でとても良かったです。
特にすごいアクションや感動のストーリーがあるわけではないけど、ただあるのは友人たちの何気ない日常がそれが大事だと思いました。
あの頃の僕らへ
"金曜ロードショー" で2回目の鑑賞。
原作は未読。
今思い返すと、あの頃の僕たちは無敵でした。家や学校、住む町が自分たちの世界の全てであり、何もかもが冒険で。
劇中のモノローグにもあったように、確かに目指すべきものが存在し、そこに向かって進んでいたような気がします。
そう云った感情をプレイバックさせ、ノスタルジーの奔流に包み込んでくれるのが本作の大きな魅力だと思いました。
ひと夏の冒険を通して、少年たちはそれぞれの悩みや苦しみを抱えながらも、自分たちの住む町に帰り着いた頃には出発した時の彼らとは異なり、「本当は広い世界」の一端を垣間見たことで少しだけ大人になっていました。
それは同時に「少年時代」との訣別であり、胸が締めつけられました。「大人は何も分かってくれない」。同じ轍は踏むまいと皆で誓ったはずなのに、いつの間にか「何も分かってくれない」と言われる存在になっている。
大人になった今、ふと思う。あの頃は見えていたはずの目指すべきものは、何処に消えてしまったのだろうか。大きな世界の波に呑み込まれ、もがき喘ぎながら、それでも前に進まなければならない時、何を指針とするのか。その答えは忘れられぬあの頃の想い出の中にあるのかもしれない。
※修正(2024/04/09)
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