「人間の闇に光を当てる」処女の泉 よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
人間の闇に光を当てる
美しい写真を思わせるオープニングが鮮烈である。
暗闇の中で火をおこすと、炎が上がる瞬間に登場人物の容貌が浮かび上がる。その表情には幸福と呼べるような柔らかさはなく、険しい目つきが火に照らされてぎらつく。
次にこの人物が移動した先には天井に開いた窓から降りてくる陽の光が注いでいる。ここにきてこの人物が女性であることが明らかとなり、つやを失った長い黒髪で貧しい身なりであることも分かってくる。
そして、カメラの奥に移動したこの人物は、やはり天井から降り注ぐ光りによって、初めてその全身を照らされるのだ。観客はここで彼女が妊娠していることを知ることとなる。
映画が始まってここに至るまで、被写体距離を3点に移動させ、それぞれに光の当たり方を変えることのみで、この人物の紹介を終える。セリフはと言えば、オーディンの神に祈る言葉くらいなもので、これは彼女がキリスト教のものではない神を信仰しているという内面についての言及である。
続く朝食のシークエンスののち、ようやく登場するこの一家の一人娘に当てられた光は、冒頭で紹介された使用人とは対照的に、その表情に一片の隈もなく照明が当たっている。
この光の使い方だけで、この二人の境遇と心性の違いを浮き彫りにしている。そして、映画はこの境遇と心性のことなる者たちによって物語が進む。嫉妬と欲望そして怒りによって映画の運動を生み、罪の意識や後悔によって立ち止まる。
娘の復讐を遂げた父親は、娘の死んだ姿を目にしたことで、自分の行為の罪深さと神の存在について深刻に悩む。この父親だけではなく、すべての登場人物が人物の行いの罪深さについて、重大な結果がもたらされてから気付くのである。
映画はこうした人々の心の中の闇に文字通り光を当てる。