「本当に欲しかったもの」市民ケーン neonrgさんの映画レビュー(感想・評価)
本当に欲しかったもの
『市民ケーン』は、単なる映画史上の金字塔ではなく、人間存在と社会構造を多層的に暴き出す作品だと感じました。
第一に、これは心理劇です。主人公ケーンは幼少期、母親の意思で銀行に「売られ」、父からは暴力を受けて育ちました。その結果、安全基地を失い、愛を信じることも他者に愛を与えることもできなくなってしまう。彼が愛した女性たちも、結局「愛」ではなく「依存」の対象となり、相手の主体性を認めることができなかったのです。幼少期に愛を失った人間は、その欠如を埋めるために権力・財力・支配を求める。しかし本当の愛とは、他者を他者として受け入れることであり、支配や依存ではない。ケーンはその差を生涯越えられませんでした。ローズバッドとは、彼が唯一「無垢に愛された時間」の象徴であり、最後まで求め続けた両親からの愛(特に母の愛)の記憶だったのだと思います。
第二に、これは社会批判です。新聞というメディアが世論を動かし、戦争すら作り出す力を持った時代に、ケーンはメディア王として頂点に立ちます。しかし富と影響力を得れば得るほど、人生は空虚になっていく。権力と名声の裏側に「愛の不在」という決定的な空洞があり、公私の境界を失った孤独な姿が描かれています。
第三に、本作は歴史的寓話としても読めます。アメリカが台頭し、物質主義が倫理を凌駕していった時代、その矛盾と影を一人の男の生涯に凝縮させた。実際の新聞王ハーストをモデルにしていること自体が、現実の権力闘争と直結していました。
ディープフォーカスやローアングルの多用、緻密なミザンセーヌ(舞台装置)といった技法的革新はよく語られますが、それらは決して実験に終わらず、この三層構造を支えるために統合されています。『市民ケーン』は、人間の心理・社会の構造・時代の寓話が重なり合い、映画という表現の可能性を一気に切り開いた思想的傑作だと思います。
鑑賞方法: Blu-ray
評価: 93点