市民ケーンのレビュー・感想・評価
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「薔薇のつぼみ」の意味することは。
まるで歴史的映像集を見ているかのような、全て史実と錯覚してしまう凄まじさ。「フォレスト・ガンプ」を連想しましたが桁の違いを感じます。古典的名作だからこそ出来た豪快な映画でした。
しかし、ストーリーは一貫したテーマ、「薔薇のつぼみ」とは何だったのか。最後に焼却されたソリがそうであったということですが、それの象徴するのは何のことなのか。私はそこが重要では無いかと感じました。「薔薇のつぼみ」、息を引き取る間際だけでなく、妻に逃げられ、部屋を荒らし、しかし、息を引き取る間際まで手にしていたガラス細工を手にした瞬間も思わず呟いた「薔薇のつぼみ」。
私はそれを「最初に失った物」と解釈したのですが、如何でしょう。まるで全世界の王、全ての富を得たかのような彼にとって、心に刻まれていくのは「失った物」。であるからこそ、妻を失った間際もまた、思わず呟いたというのが私の解釈ですが、如何でしょうか。
豪快にして繊細な素晴らしい映画でした。それにしても、最初と最後に流れるお城の映像は凄いなあ。立ったまま入れる暖炉なんて初めて見た。
ケーンという人物に、丁寧に触れるような作品構成が良い。
〇作品全体
チャールズ・フォースター・ケーンという超セレブな新聞王について、ケーン自身が自らを語らずにケーンの本当の姿を探っていく。ただ、その姿は全体像ではなく、誰かの語り口が間に挟まっている。
過去の人物を特集する実際のドキュメンタリーなんかではよく見る手法だけれど、(モデルの人物がいるといえど)物語の中でそれを表現することも面白かったし、同じシーンで別の人物の視点から語る…といったような演出も印象的だった。
ケーンがスーザンやリーランドから「相手に求めるくせに自分からはなにも与えていない」ということを言われるシーンが多々ある。別の立場の登場人物でありながら、それぞれが「ケーンはこういうやつだ」と話すことでケーンの実像が見えてくるように感じるが、これは「対人関係におけるケーン」という限定的な状況でのケーンであって、一人ぼっちでいるときのケーンを知る人は誰もいない。
作品の中の登場人物でありながらその人物の実像を知らないまま終わる。神の目線で見ているはずの観客ですら、登場人物の伝聞でしかケーンを知ることができないわけだ。そのブラックボックスこそがケーンが実際に生きていたように感じられ、ケーンが自身の葛藤を語るよりも「ケーンが抱えたなにか」を想像してケーンに寄り添うことができるのだと思う。
ただ、唯一観客が神の目線でいられたシーンがあった。ラストのソリが燃えるシーンだ。作中でポイントになる「バラのつぼみ」について、ある人は過去の妻のことだと思い、ある人はそうではないという。「たまにおかしなことを言うから」と流してしまう人もいて、最終的に「人生は一言で表せない」というトンプソンの言葉で「バラのつぼみ」の探求に結末が訪れてしまう。ただ、幼少期に使っていたソリに書かれていた言葉ということであれば、そこには「郷愁」や「母との別離」、「孤独」という言葉が浮かび上がる。「孤独」や「他者からの愛」は作中でも触れられている部分ではあるが、その根幹に触れられたものはなかった。その誰も知らない、もしくは忘れられてしまっているケーンの感情に、一番最後に触れるのは神の視点で見ている我々だ。ケーンに直接答えを聞いたわけではないが、作中の人物たちよりもケーンの原点に触れることができるラストシーンの絶妙な距離感がとても良い。
饒舌に、そして明確に語られるわけではないが、ケーンが抱え込んでいたものの終わりを見届けるようなラスト。登場人物だけが経験した「ケーンとのかかわり」と私たちだけが経験する「神の目線」、そのどちらに偏ることなく、手の指先でケーンの真実をなぞるような丁寧な作品構成が強く印象に残った。
〇カメラワークとか
・ローアングルや長回しも確かに印象的だったけど、一番はオーバーラップの使い方。冒頭のザナドゥ城のシーンからオーバーラップを続けていたけれど、ケーンの寝室を外から撮って、オーバーラップで窓の位置はそのままに屋内のカットに繋げているのがすごかった。
部屋の外からドアを開けて閉めて、ドアのアップショットで部屋内のカットに繋げる、とかもやってて、カット割りがめちゃくちゃカッコいい。
最近の作品のオーバーラップってスケールの大きさを演出するときに使われることが多い気がする。遠景のカットをオーバーラップでつなげて、世界観の広さだったり、舞台の派手さ、豪華さを印象付けたい、みたいな。7,80年代までの映画だとカット繋ぎでめちゃくちゃカッコいいオーバーラップがあったりして、カット割りの多様さを目的に使ってる感じがする。
・ケーンまわりは孤独を演出するカメラワークが多かった。新聞社を買収したときにパーティで一人ダンスを踊るケーンのシーンで、リーランドがバーンステインと今後の経営を不安視するカットがあったけど、ここでは二人の奥でガラスに反射するケーンが映る。そして話の終わりにガラスに映ったケーンにタバコの煙がかかる。「先行き怪し」をガラスを使ってうまく演出してた。
○その他
・大富豪としてたくさんのものを手に入れた人物が実は孤独だった…みたいなのは2022年ではありきたりだなあとは思う。ただその孤独の描き方ってすごく大事だなと思う。本作はそれがすごく上手だった。リーランドへ解雇を告げるシーンの冷め切った会話、スーザンとのザナドゥ城での距離感、スーザンが去って行くのを見つめる後ろ姿…その場の空気感だったり、立ち姿で見せる空虚な感覚が巧い。
ケーン自身が孤独を訴えるシーンも結局スーザンとの別れのシーンくらいだし、ケーンが独白できない構成でセリフで訴える場面が少ないから、尚更その場の空気感とかが重要になってるんだろう。
【貧しい宿屋の子として産まれた新聞王チャールズ・F・ケーンの傲慢さと弱者への優しさが入り混じった波乱万丈の生涯を描く逸品。ラストの”薔薇の蕾”が焼けるシーンを含め印象的なシーン満載作品である。】
■貧しい宿屋の子として産まれながら、裕福な銀行家に預けられ、その後、新聞王として君臨し、絶大な権力を振るった男ケーン(オーソン・ウェルズ)が大邸宅の中、一人寂しく逝去する。
記者トムスンは、彼が死の間際に呟いた「薔薇の蕾」(Rose bud)という言葉の意味を探っていく。その出自から新聞王として登りつめていく過程を追ううちに、トムスンはケーンの波乱にして孤独な人生を知って行く。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・後年、デビッド・フィンチャー監督の「Mank/マンク」(とても面白い逸品である。今作をオーソン・ウェルズと共同で脚本を書き上げたハーマン・J・マンキーウィッツを主人公としている。)を鑑賞し、今作も観ようと思いつつ、幾星霜って訳でもないが、その名作さを理解するのがナカナカに難しいという事だけは知っていた。
・で、正直に書くけれども面白かったな。
その面白さは冒頭、老いたチャールズ・F・ケーンが荒廃したザナドゥ城で一人”Rose bud”と呟きベッドの上で息絶えるシーンの口のドアップや、暗いザナドゥ城のハイアングルからの映し方かな。
どうやって、撮ったのかな。
あと、勝手に思ったのは、オリビア・ニュートンジョンのヒット曲”ザナドゥ”ってこの映画からインスパイヤされたんじゃないかなって、勝手に思ったな。
歌詞を見ると”誰も行かなかった場所”というフレーズから始まっているし、今作でも描かれているけれど、クビライ・カーンがモンゴルに作った都の事でもあるし、桃源郷って意味もあるよね。
・陰影のつけ方も、当然上手くって、ケーンの波乱万丈の人生を効果的に見せているよね。
・あと、最初の奥さんとの関係性が冷えて行く過程を、短いショットでラブラブだった頃から最後はお互いに新聞を読んで一言も口をきかない姿を時間を越えて連続して見せる事で表現している所かな。
・更に言えば、ケーンの虚飾と傲慢さと弱者への優しさが入り混じった複雑な性格の描き方かな。オーソン・ウェルズの貫禄のある演技は凄かったな。
華やかなパーティのシーンや、彼が愛した歌手を夢見ていたスーザンとの出会いから、その事が原因で、最初の奥さんと別れ、政敵ゲティスとの選挙にも破れ、果てはガランとした彼女のために建てたザナドゥ城の中での、二人の冷え切った会話のシーンの見せ方も、彼の波乱万丈の人生そのものだしね。
で、ザナドゥ城の中のシーンはヤッパリ、ハイアングルやロングショットで撮っていたりね。
・彼の非情な面も、しっかりと撮られているよね。クロニコル紙から引き抜いた友人リーランドが、スーザンの公演の酷さを書きながら寝てしまっている所にやって来て、その記事を見て自分で記事を書き直すシーン。
ケーンは起きて来たリーランドに冷たく”君は首だ!”と言い、タイプライターを打ち続ける姿は、悲哀と負けず嫌い、自分の過ちは認めないという傲慢さが複雑に漂っていたよね。
<そして、ヤッパリ、ラストが凄いんだよね。ケーンが死んだ後に彼が遺した遺品が次々に燃やされて行くんだけれども、その中にケーンが子供の時に銀行家に引き取られる時に遊んでいた橇があって、その橇には”ROSE BUD"って記されているんだよね。
その橇はあっと言う間に炎に包まれて、燃えて行き、ラストはザナドゥ城を下から見上げるように撮るショットと、冒頭と同じくフェンスが映されてそこには”立ち入り禁止”の看板が取り付けられているんだよね。
今作は、貧しい宿屋の子として産まれたチャールズ・F・ケーンの虚飾と傲慢さと弱者への優しさが入り混じった波乱万丈の生涯を描く逸品であり、あの”ROSE BUD"って言葉をケーンが最期に呟いたのは、人生の中で一度も芯から人に愛されなかった彼の哀しさを見事に表現しているのではないかな、と思ったな。じゃーね。>
後世に多大な影響を与えた、一大人間ドラマの傑作。
「バラのつぼみ」という言葉を残して死んだメディア王、チャールズ・フォスター・ケーンの生涯を、彼を知る関係者に次々と取材する、ニュース新聞の編集記者を通して描いたドラマ。 本作以前にも無かったことはないだろうが、主人公の稀有な生い立ちや、成功から挫折に至る人生を取り上げ、関係者の証言を通じた回想という形で描くのも、本格的に明確に提示した、初めての作品では無いかなと。 狂言回しの存在や、「バラのつぼみ」の結末も、後の映画やドラマで、頻繁に使われている手法だね。 後世の作品に、非常に多大な影響を与えた作品と思う。 中だるみが無いわけでは無いと思うし、やや冗長という気もする。それでも、公開当時としては、画期的かつ独創的なストーリー運びで、メディア王の生涯を実に興味深く、壮大かつ大胆に描いた、一大人間ドラマの傑作だ。
映画史に残る大傑作???
映画史上に残る名作中の名作と謳われる本作、敢えて全く予備知識入れず観てみました 子どもの頃から映画が大好きで、以来 半世紀近く観続けている映画博愛主義者という事を大前提で、無理に背伸びして解ったような事を言わず、素直に、正直にコメント 何がどう評価に値するのか全くわからず、全然 面白くなくて退屈、何度も寝落ちしそうになった 観終わった今では全く理解できない高評価なレビューをたくさん読んで期待しすぎた様です
最後の最後で明かされる
多くの人に評価される本作は今更語る必要もないですが素晴らしい映画です。
「バラのつぼみ」と死ぬ直前に語った大富豪ケーン氏。
「バラのつぼみ」とは一体何なのか…。
「バラのつぼみ」は彼にとって人生の分岐点だったのですね。あの時ああしていれば…。
素晴らしい映画です。
よくわからんので2回観た(笑)
いや、ちょっと違いますね、分からなかったのは間違いないのですが、印象的なシーンが多かったのでもう一度…という気持ちも。 この映画を観るに至った経緯ですが、「映画史に残る名作」で検索したら出てきたのですよ。「2001年宇宙の旅」と「8 1/2」と一緒に。で、思ったのが検索方法間違えたかなーということ(笑)いや、つまらなかったとかそういうことではなく、この「映画史に残る」っていう検索方法だと、制作サイドの観点から選ばれた作品が多く挙がるんですね。撮影技法だとかに焦点を当てた作品です。はっきり言って素人にはさっぱりわかりません!(笑)でもこの「市民ケーン」はそういう技術の話を抜きにしても楽しめました。 全てを手に入れ、全てを失った男が最後に残した言葉…。その真相を目の当たりにし、愕然としました。なんと哀れな男。ラストシーンではそれまでのケーンに対する印象をちゃぶ台返しされたような衝撃。しばらく口開けて放心状態でした(笑) 随所に散りばめられた工夫を凝らした撮影方法…私は片手で数えれる程度しか気付けませんでしたが(笑)でもそれ以上に純粋に喜悲劇として楽しめました。
ローズ・バッド‼️
映画の歴史を語る上で欠かす事の出来ない映像テーマパーク‼️今では当たり前となってるパン・フォーカスを初めて取り入れた超絶撮影の数々‼️確かに当時の他のモノクロ作品に比べると、ピントが合いすぎてて、まるで昨日撮影したみたい‼️時空を錯綜させた物語構成と音楽みたいなリズミカルなテンポで、まるでケーンという人物の生涯がジェットコースターのように観ている我々の脳裏を駆け抜ける‼️パン・フォーカスやフラッシュバックなんて今では散々使い古されてる手法なので、この「市民ケーン」で観せられても何も驚く事はない‼️映画史の伝説として語られてきたそれらの事を抜きにしても、この「市民ケーン」という作品はめちゃくちゃ面白いお話であり、衝撃的でしびれるようなエンターテインメントなのです‼️有名な新聞王が死の間際に残した言葉「薔薇のつぼみ」とは何だったのか⁉️ストーリーはそれだけ‼️闇夜のケーンの大邸宅での「薔薇のつぼみ」(まるでホラー映画みたい)、ニュースフィルムの活用のうまさ、そして基本的には一人の男の生涯を探っていくという探偵小説のスタイル‼️金も女も名誉も権力も全てを手に入れ、その全てを失った男が死の間際に思いを馳せたのは、幼き日の母との思い出だったなんて、泣けるじゃないですか‼️オーソン・ウェルズが若干25歳で撮ったのが信じられないとか言われてますけど、逆に25歳という若さがあったからこそ撮れた傑作ですね‼️間違いありません‼️
映画史上最高作
公開当時は、その斬新な映像技術によって映画関係者に衝撃を与えたようです。 確かに話の展開の巧みさや緻密な内面描写など、技術面を除いても優れた映像作品であることは認めますが、これが「世界一か?」 と言われると、そこまでの評価には至りません。 大戦前後の映画であれば「第三の男」や「カザブランカ」などの方が遥かに優れていると感じます。ということは、やはり映像技術面の評価なんですかね? いずれにせよ、ここまで世評が高いことが有名な作品を色眼鏡ナシで観ることは難しいでしょう。
映画史に残る作品
映画史に残る作品として有名な作品。
この作品が作られたのは、およそ80年くらい前になる。
映像が白黒で見ている感じにも激しいシーンとかは、ないのだがこの時代でこれだけの撮影技術は、今でも通ずるものがあるなと感じました。
作品としては、なかなかみるのには、辛いと感じました。
脚本としては、ものすごい練られているのだろうと感じるのだけど、今の激しい映像に慣れてしまって、淡々としているような感じに思ってしまった。
この作品の凄さは、この作品が作られた背景を知ることで分かるのかなと思いました。
モノクローム時代の大傑作
オーソン・ウェルズ主演脚本監督作。 【ストーリー】 メディア王チャールズ・フォスター・ケーン(オーソン・ウェルズ)が、ザナドゥ城と呼ばれた自らの邸宅で死んだ。 スノードームを手に、たった一言「バラのつぼみ」と言い遺して。 その言葉の謎を解くべく、ニュース映画の編集者ジェリー・トンプスンはケーンの過去を暴きにかかるのだが、浮かび上がるのは、空虚で悪趣味な邸宅にこもる、孤独な男の姿だった。 それは、かつて栄華をほこったメディア王のイメージとは、大きくかけ離れたものであった。 シミケンこと市民ケーンです。 主演脚本監督すべてを手がけたオーソン・ウェルズの事をほぼほぼ知らずに鑑賞しましたが、これが面白いのなんの。 場面をいろんなアングルから撮影し、カメラを自由に動かし多彩な演出を展開しつつ、白黒なのにレイアウトも分かりやすく工夫されているので、退屈せず理解もしやすく作られております。 この人、映像作家としても優秀なんだなと。 英語教材『家出のドリッピー』が代表作じゃなかった。当たり前だ。 かなり興味をかきたてられてWikipediaの記事を読んで、この映画への評価の不遇さに腹を立てるも、そこからさらにオーソン・ウェルズを調べてダメだコリャと笑ってしまいました。 なんというか、天性のエンターテイナーで稀代の詐欺師ですね。 初ステージに上がったエピソードもそうですが、あっさりと人気者になって都会に移り、この映画を撮るまでの経緯も破天荒で、どんだけ無茶するんだこの人と。 この映画も、当時のメディア王ウィリアム・ランドルフ・ハーストを思いっきりモデルにして、最期を孤独に終わらせるとか、そりゃ激怒されますわ。 個人的な感想としては、ハーストを悪く描いたとは思いません。 ハーストって人はこんなもんじゃない、自分のメディアで酷いことしでかしまくった超悪党ですから。 ぴっちり2時間の長編ですが、それに堪えうる画面づくりで退屈を吹き飛ばしてくれる一大ドラマ。 空き時間に流し見するつもりでしたけど、Amazonプライムでは吹き替えがなくて、結局ガッツリ世界観に取りこまれてしまいました。 映画に浸りたい休日前の夜に、ピッタリの一本ですよ。
アレックス・シアラーのスノードームはこの映画をリスペクトしている?
ネタバレあります。
マスコミが市場経済に毒される姿を、赤裸々に描いたドラマだと思う。
現在のアメリカ大統領選挙戦とかと酷似している。つまり、第二次世界大戦中に制作された話としては、実によくできた話だと思う。
『薔薇の蕾』とは『スノードーム』で、『スノードーム』の内側の世界は、市場経済と言う一見華やかだが、閉塞したアメリカ社会を意味している様に感じた。
『薔薇の蕾』を含めたガラクタを燃やす煙が、アメリカ大陸の様に立ち上っている。アメリカ資本主義の生み出す余剰なガラクタが、人民の幸せとあいまって灰と化している。
まぁ、そんな事言っているのかなぁ?
スーザンのアリアを決して良いものだとは思っていなかった。しかし、新聞では褒めなければならない。その矛盾に身を滅ぼす、と言った単純なストーリーなのだが、オーソン・ウェルズの凄い所は、この映画の演出にある。つまり、
この映画の存在は時代は超越しているが、演技もオーバー出し、ストーリー展開もチープだし、笑いもなければ、サスペンス性も無い。カットごとのショートコントの寄せ集めの様だ。ハッキリ言うと僕は駄作だと感じた。がしかし、オーソン・ウェルズの凄い所は、それを知っていて、演出を続けたのではないか。と言う事だ。
僕の鑑賞は二回目たが、途中眠くなって、3時間かけて、やっと見た。
オーソン・ウェルズの心の中は、この映画と宇宙戦争は、同じだったのではないかと感じる。つまり、見る者、聞く者をいかにコントロール出来るかを楽しでいたように思える。その観点で見れば、この映画が名作である必要は無い。寧ろ、名作ぽい駄作である必要がある。つまり、鑑賞者を『宇宙戦争』の様に騙しているのである。
『マンク』とか言う映画を一年くらい前に見て、半分以上寝ていたが、オーソン・ウェルズの脚本ではないと知り、チープなストーリーを名作っぽく作った努力は認めたい。
アカデミー脚本賞との事だが、まゆつば。寧ろ、監督賞だろうと思った。
見た後の哀しさがとまらない
薔薇の蕾の謎を追って花びらをめくるように
メディアの視点から身内の視点へ、外側から内側へケーンという花をめくっていったら何もない空虚に辿りついてしまった様で哀しさが込み上げてきました。
剥いていったら玉ねぎみたいになっちゃったよ。
蕾の神秘性はめくれば無くなり、花が開く過程の人生の成功と鮮やかさは大輪の花の様で、人が離れていく過程も鮮やかな転身から最後の1枚の哀れさまで。映画一本が人生の花を見ているようでした。
人は心の中に中に自分自身の真実を求めがちだけど咲いて終わる過程が生き様でその人の形なんでしょうね。
途中ケーン自身が自分の子を手放しているのが気になって、その子もケーンと同じようにある日突然父親に捨てられたと思って生きていたら莫大な財産が舞い込んでくるんだろうなと思うと因果は形をかえて続いていくのかもしれないですね。
親は何かしらの空虚な希望を子供にいだかせ、それがまた新たな蕾になるのなら花が咲いたら実ががみのるという事で哀しいながらも救いはあるのかも。花を咲かせる人生ってそういった蕾の中心の虚みたいなものがあるのかもしれないです。まあ、妄想ですが。
なんともセンチメンタルになる一本でした。
1941年、迸る才能
オーソン・ウェルズ、25歳のデビュー作に感服。画面展開・アングル・遠近感・モンタージュなど塩蔵編集など、今ではみんなやることだけど、当時は追いつけず否定的だったようだ。
冒頭から20分、ホラー映画のような導入部は、そこから始まるケーンの人生の不気味さと通じている。
財産・勝ち負け・城や彫像といった資産と、彼が得られなかった愛や友情・心からの賞賛・名声。小市民には貧乏でもこれよりは幸せという安心感か。確かに、倉庫に開梱されていない美術品が並ぶシーンの虚しさは哀れをさそう。
2人目の奥さんと末永く幸せになるとか救いが全くなく、妥協しない徹底さがいさぎよい。とにかく。この時代でこれだけの作品、ネットワークを制する者が勝者という構図を予想した先見性は秀逸。
皮肉にもそれがあだとなって、新聞王ハーストに妨害され、審査員の忖度も相まって賞レースから落ちているが、記憶に残る作品であるのは間違いない。
映画史上最高傑作と呼ばれる理由は一目見ただけじゃ分からない
「映画史上最高傑作」として名前を知られる本作。10年ごとに発表される英国映画協会の歴代映画ランキングでは5回連続で第一位にランクインし、AFI選出の歴代アメリカ映画ベスト100でも第一位となっており、名実共に「映画史上最高傑作の映画」です。
しかしながら、映画レビューサイトを観てみると、そこまで評価が高いようには見えません。私も本作を鑑賞して抱いた感想が「確かに面白かったけど、普通の映画」でした。
しかし、鑑賞後に本作について調べてみて納得しました。『市民ケーン』は、現代映画まで続く「普通の映画」を作り上げた革新的な映画なのです。本作が史上最高の映画と呼ばれる所以は、当時の映画事情や時代背景を含めて考えることで理解することができます。
本作を鑑賞して「普通の映画だった」と感じた方々。どうかそこで思考停止せずに調べてみてほしい。インターネットやYouTubeという文明の利器を使えば、何故この作品が史上最高の映画と称えられているのかを理解できるはずです。
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大富豪の新聞王であるケーン(オーソン・ウェルズ)が、「バラのつぼみ」という言葉を残してこの世を去った。ニュース映画を製作していた編集者たちは、彼の遺した言葉の意味を突き止めるために、彼と生前交流があった関係者たちにインタビューをして回るのだった。
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駆け抜けた人生〜愛おしい記憶
がむしゃらに生きた新聞王チャールズ・フォスター・ケーンの生涯を描く。
監督、主演を務めたオーソン・ウェルズが、撮影当時25歳とは…。驚きでしかない。
二人目の妻スーザンが、オペラのレッスンを受けるシーンが軽妙。ー「 ムリなものはムリ!」
思い起こす人生のワンシーンは、人それぞれに違うのでしょうね。
ー人生はひと言では表せない
NHK-BSを録画にて鑑賞 (字幕版)
今は昔のドラマツルギー作品とマクガフィン
内容は、アメリカのザナドゥと呼ばれた新聞王ケーンの人生に光を当てた物語。好きな言葉は『薔薇の蕾』でこの言葉を中心に話が進められ一体!?薔薇の蕾と何だったのかと考えさせる辺りは脚本の上手さを感じます。この時代から根強く残る演出法ではありますが素晴らしい。場面やシーンでは幼い父との確執と大人になったケーンとの皮肉なまでの類似性を表現する辺りが面白かったです。降って沸いた様な富豪生活の興亡は観ているものの気を惹き最終的には、1人の人として市民として幸せとは呼ばなかったかも知らない人生に自分を重なり考えさせられる辺り脚本の手本的作品です。
とんでもない予算をかけて作られた映画だと分かったけれど,今の時代に...
とんでもない予算をかけて作られた映画だと分かったけれど,今の時代にこれを見てそれほど感嘆するべきことがあるのかどうか自分にはわからない.野心と志を持って財を成した人物が,実は自分がかわいいだけであると周囲の人々から見透かされてしがない生涯を終えるという話はそれほど珍しく盛んなくなってしまった.女性を美しく撮影するような光の当て方と,ケーンの顔を切り取るように光と影が横断しているところは面白いと思ったけれど,それ以上に映像として印象深いところはないかな.Rose Budという言葉は結局幼少期のサッチャーに引き渡されたシーンに回帰して,すべての始まりだったあの別れが無ければというたらればを回想したという話だったのかもしれない.
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