地獄の黙示録のレビュー・感想・評価
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恐怖の回想
感想
アメリカの威信が大きく失墜した戦争、それはベトナム戦争である。アメリカ参戦の理由は国家の利権拡大と、防共有きのイデオロギーの拡大であった為、戦争の意義を最初から国民は見出すことが出来なかった。当時、アメリカは皆徴兵制を牽いていた。
戦争の始まりは古く、フランス植民地復権をかけた、第二世界大戦後のインドシナ紛争まで遡る。
1954年フランス撤退後、ベトナムは南北に分裂。アメリカが極めてほぼ内政干渉に近い形で南ベトナム共和国を樹立、この頃より、軍産複合体が議会、政府に働きかけ、積極的に財政的軍事的支援を強化して行った。
1961年、JFKが大統領になり、派兵数は1万5千人を超える。人道的な面から一旦ベトナムからの一時撤退を画策するが、1963年、テキサス州ダラスで遊説途中に暗殺。それ以降、政府(大統領?)は軍産複合体と結託し、軍は増派の一途をたどる。最大派兵人数は約55万人にのぼり、1975年に撤退するまでに約5万8千人の戦死者を出した。
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映画は特殊任務をベトナムで遂行している、アメリカ軍人の男の視点で物語か進んでいく。サイゴンのホテルの一室で任務の指令を待つ男。薬物中毒者のように挙動が明らかにおかしい。この時点で精神的に病んでいるという事がよくわかる。男の名はウィラード。
何日か経過し、ある日突然、ニャンチャンに置かれているアメリカ陸軍情報本部に出頭命令が来る。そこで下された指令はカーツという元アメリカ軍人を抹殺しろという指令であった。罪状は殺人。元は優秀な軍人であったが、ベトナムの地で特殊部隊に入ってから精神に異常をきたし、カンボジアの奥地で彼の事を神と崇める現地人の軍団を率いて、絶対服従を誓う彼らを意のままに動かしている。さらに数人のアメリカ軍の現地人スパイを二重スパイと決めつけ独断で処刑したという。
東南アジアの戦闘中の異国で、ベトナム人を殺した罪でアメリカ人を殺すという異常な秘密指令に、ウィラードは戦慄する。また情報本部の司令官たちはアメリカ人が常軌を逸して自分を神として行動しているカーツを人としていささかの容赦の余地もない人間なので秘密裏に殺せと断罪する。ここから、ウィラードの地獄への本当の旅がはじまる。
メコン川を特殊艇で遡り、途中、第一航空騎兵団に護送を依頼、さらに分岐点の奥のヌン川に入り更に上流のカンボジアに入りカーツの王国を目指す。
その間、カーツの経歴書に目を通すウィラード。そこには栄光に彩られた数々の叙勲が記され、完璧すぎる見事な経歴に困惑の度合いがさらに深まる。しかし、資料を読み終わる頃にはカーツが殺したベトナム人スパイは北に加担していた、本当の二重スパイである事が判明してくる。罪人告発は不当であり、正しい事をした人間を抹殺しようとしている事に気がつく。
特殊艇は分岐点のド・ラン橋まで進んでいく。それまでにウィラードは地獄に生きる様々な人間の姿と行動を様々な場面で目撃していく。
ヘリコプターでベトコンの主要地区を空襲、森をナパーム弾で焼き尽くす。
航空騎兵団隊長のキルゴアは言う。
朝のナパーム弾の焼き尽くすガソリンの匂いは格別だ。焼かれた跡には何も無い。ただガソリンの匂いと黒焦げの地肌があるだけ。そこで勝利を確信するのだ。と。
戦場という地獄で命懸けで生きる彼等は皆、外見はまともに見えても心の中の真実と脳内は全て破壊されていて、まともな考え方はできない。全てがまともなようで実は異常なのだ。全ての行動が、狂っているのだと気付いていく。
キルゴアは言う。この戦争もいつかは終わるー。
しかし、ウィラードは独白する。
たしかに、戦争は終わる。だが、戦争が終わって故郷に帰っても、もう元の故郷はないのだ。
俺は知っているー。
地獄からは誰も生身では生還出来ない事をー。
キルゴアの異常性が許され、カーツが責められるのか。狂気と殺人が理由?この場所(戦場)には狂気と殺人は有り余るほどある。
ド・ラン橋では、誰もが現実逃避のため、麻薬を使用しており、意識が朦朧として、指揮官も不明、誰が何処で誰と戦っているのかもわからない混沌とした国境守備の場所であった。
特殊艇はさらに河を遡る途中、現地民族、ベトコンさらには南ベトナム人、恐らく何人かのアメリカ人をも殺害したと思われる頑なに自分達の利権の領有を主張する、フランス人入植者の一団に出会う。今では時代遅れとなった植民地主義の終焉をウィラードはあらためて目撃する。
途中、ベトコンやカーツの王国の一員と思われる集団の襲撃を受けて、グリーンとチーフが命を落とす。それでもウィラードは任務を遂行し、カーツの支配する王国についに到着し、ついにカーツ本人に出会う。
カーツはウィラードが来ることは既に察知していた。ウィラードは暫く囚われの身であったが、死にかけたところを介抱され、一命を取り留め、放任される。カーツは自分が創った王国に自分自身嫌気がさし、潔く名誉の口実と共に死ねる機会を探していたのだ。この世界に生き続けることが恐怖であるという。ウィラードは逃走する事もできたが、最後には彼の希望通り(名誉の戦死、または予言の通り)、カーツをバイラムの祭事の夜に牛刀で殺害する。
その行動そのものが最たる恐怖であった。
カーツが残した書類の中に、『私が死んだらこの場所を爆撃で破壊しろ』という走り書きを発見する。望みのままウィラードは爆撃依頼の無線連絡をしてランスと特殊艇でその場を離れる。暫くして辺りは猛烈な炎と火柱が立ち、地獄の様相を呈し物語は終焉を迎える。
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実質的に北ベトナムに敗北した事により、アメリカの世論は大きく変わり、国民も自信を喪失、黒人公民権運動、ヒッピームーブメント等、文化にも大きな影響を与え、様変わりしていった。
アメリカ映画も御多分に洩れず、アメリカンニューシネマムーブメントがベトナム戦争をきっかけとして学生運動を展開していた人々やヒッピー達にに支持され、アンチヒーロー、ヒール、アンハッピーエンド、不条理な結末、といったストーリー展開が持て囃された。
1970年代初頭までは大手の映画会社はムーブメントを無視、ロジャーコーマン(B級映画の帝王。自分史的にはB級SF映画の神様である。)などの独立系の映画会社で新進でキャリアを磨いていたマーティン・スコセッシ(タクシードライバー)やコッポラ達は制作費捻出に苦労したが、コーマンが映画会社、あるいはスポンサーに掛け合い資金を自身で調達したというトリビアがある。
本作はアメリカンニューシネマムーブメントの最後かつ最大の製作費をかけた映画で、監督のコッポラはゴットファーザー三部作を監督し、巨額の収入と名誉を得たが、その後に、国民感情的にも、政府にも、精神破壊と世界のリーダーたる威信を大きく失い、低迷したアメリカの悲劇を描くために、そのほぼ全額を様々な理由で撮影、制作が難航した本作に投入したとされる。それでも総製作費の半分程度にしかならなかった。残りは配給元のユナイトとヘラルド(主に日本ヘラルド)が出資したという。
本作は1979年に完成、世界公開されたが、公開当時はまだ様々な戦争の余波が残っていた頃で、余りの生々しい描写が賛美両論であった。時が経過して現在は概ね批評家の間では高評価を得ている。
映画は世界的ヒットを記録。製作費は回収され収益が出たのち、撮り貯めたフィルムで全長版や、特別編集版が制作された。
日本政府、日本人はベトナム戦争に関しては基本的に傍観者の立場で見ていた。ヒステリックな左翼は騒いでいたが、戦争のショックはアメリカ人ほどはは強くなかったであろう。人間のエゴや愚かさがよく反映された反面教師的な映画である。困難に逢いながら、創り上げた監督とスタッフを賞賛する。◎
脚本・配役◎
名匠ジョン・ミリウスがクレジットされている。元となった原作の映画化の版権はジョージ・ルーカスとジョン・ミリウスが所有していたとされる。配役も超大物から、ほぼ無名の若手俳優として出演、後に大スターになった方もいて面白い。
1980年3月にテアトル東京で初版を鑑賞。その後も追補版が出る度、TV放映する度に鑑賞。観る年齢により感想が変化する作品。
⭐️4.5
ベトナム戦争の狂気
巨匠が描いたベトナム戦争、コッポラが「地獄の黙示録」、キューブリックが「フルメタルジャケット」だ。同じベトナムが舞台でも、ジャングルと市街戦の違いがあるが、どちらも狂気を描いている。こちらは、その狂気が一種の宗教的カリスマ性を持ったカーツ大佐を生んだ。ストーリーは彼を暗殺する話だが、至る所でベトナム戦争の狂気を描いている。戦争中なのにサーフィンの波のことばかり気にしている隊長はまだよいが、ヘリコプターにオープンリールの装置まで持ち込んでワルキューレの騎行を大音量で流しながら逃げまどうベトナム人を殺して行くアメリカ兵は、まさにゲームセンターで遊んでいるようなのりで人を殺していくという狂気だ。カーツ大佐も優秀な兵隊から次第に精神に異常をきたし、カルト的指導者になっていったということか?
狂気性について
プロットの下敷きとなったJoseph ConradのHeart Of Darkness(1902年)は植民地政策の暗部であったが舞台をベトナム戦争下に移して映画化。
軍命に従わぬカーツ大佐暗殺の密命を軍上層部から命じられたウィラード大尉自身が大佐の罪状に疑問を持つ、「戦争で殺人罪とは?、サーキットでスピード違反を問うようなもの?」と言っている。軍歴や資料を読めば読むほどカーツ大佐に興味が募る大尉だった。
潜伏している村にゆく道中、頭のいかれた空挺部隊の指揮官による戦争ごっこに付き合わされなかなか先に進まない、プレイメイトの慰問や虎のエピソードなど意味不明。ようやくたどり着いたカーツ大佐の村も生首ごろごろのカルト集団、村もまたアメリカの狂気の縮図か、まさに黙示録の終末を暗示させる。カーツ大佐がキレた理由がベトコン兵の倫理観を超越した冷徹性だというが余りにも残酷なため映像化はなく代わりに水牛が斬首されるシーンが映される、これは実写というからコッポラにも呆れる。ウィラード大尉役は当初クリント・イ-ストウッドに持ちかけられたが内容が暗すぎるといって断られたようだ、同感である。ベトナム戦争をシニカルに描き哲学的な高尚さをまとっているように見えるが道化の戯曲のようで戦争を芸術的に描こうとする野心が見え隠れし痛々しく思えた。
戦場に地獄を見た。
第32回カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作。
Amazonプライム・ビデオで鑑賞。
数々の伝説と共に語り継がれる戦争映画の金字塔。
フランシス・フォード・コッポラ監督が、文字通り心血を注いでつくり上げた壮大なる地獄の叙事詩―。圧倒的な作品世界に釘付けになりました。
ベトナム戦争におけるアメリカが犯した功罪と、過酷な戦場の狂気を孕んだ恐るべき実態を告発し、アメリカ史上最高の戦争映画と称えられました。
主人公ウィラード大尉(マーティン・シーン)が受けた極秘任務―軍に逆らい、カンボジアの奥地で自らの王国をつくり上げているカーツ大佐(マーロン・ブランド)を暗殺せよ。
その容疑とは、独断専行と殺人の罪…。狂気の戦場において、殺人罪? …どうかしてるぜ。ならば、この戦争はどうなるというのか? それを遂行する軍隊、もといアメリカ政府のやっていることはどうなるのか?
渡されたカーツの資料を読む内に、任務を越えて彼への興味を掻き立てられていくウィラード。華麗なる経歴を持っていた男が何故、味方から危険視され、あまつさえ殺されようとしているのか…? それが、地獄への第一歩となりました。
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カーツの元へと川を遡行していくウィラードたちの目に映ったのは、戦争の過酷さと狂気に満ちた戦場の姿でした。
「ワルキューレの騎行」を流しながらベトコン(南ベトナム解放民族戦線)の基地がある村落を急襲するシーンが凄過ぎ。
当然CG一切無しの、本物がもたらす迫力が画面から迫って来ました。ヘリの爆音、弾け飛ぶ建物、砕け散る橋…。
一瞬で森を焼き払ったナパームの威力、爆発の臨場感…「朝のナパームの匂いは格別だ」…狂ってる、狂ってるよ!
そもそも指揮官がこの村落を襲撃した理由は、サーフィンがしたいからなんだもんなぁ…。イカれてるよ!(泣)
次第に自らも狂気へと呑み込まれていくウィラード。心の平衡を失いつつある中、多くの仲間の犠牲の果てに辿り着いた王国でカーツと対峙し、彼の思想の根幹に触れたことでその針が振り切れてしまったように感じました。
地獄の戦場が生み出してしまった様々なものども―。それを一身に背負っているかのようなカーツを殺害することで、ある種の救済が果たされたような気がしました。…考えれば考えるほど何だか頭が痛くなって来たよ…。
【余談】
「ファイナル・カット」観に行きます(笑)
その前に「特別完全版」も観ないと!(笑)
マーロンと牛
“The horror! The horror!“
評判通りの凄さ。
恐らく撮影自体が狂気の沙汰。
進んで地獄に入ったはいいものの、血迷って上手い出口が見つからなくなったような流れすら感じます…。
離婚してまで戦地に戻ってきたWillard。
彼自身充分戦争で「おかしくなっている」一人なのだけど、軍も手に負えなくて困るほど「もっとおかしくなって」暴走中のKurtzを探し出し暗殺する極秘任務を請け負うことに。
輝かしい経歴を持つ軍人の中の軍人だったKurtz。彼の捜索が、更なる地獄を経験する旅となり、Kurtzに自分を重ねていくWillard。実際前任者はKurtzに共鳴して任務を失敗していました。果たしてWillardは任務を遂行できるのか、それとも…。
ヌン川を上るほど狂気が増していく戦地。
最初のKilgoreは、欲しいもののためなら手段を選ばない米国の偽善を分かりやすく表していました。絶好のサーフポイントを得るために村を爆破!ブラックユーモア過ぎて、銃撃にも爆弾にも動じないKilgoreの姿に不謹慎ながら笑ってしまいました。手榴弾を投げた女性らを”savages”と罵るのですが、いや、そう言うお前はどうなんだって。
次の慰問ショー、そして指揮官不在のエンドレスな戦闘は、照明やカラフルなネオンが明るくて、煩悩のファンタジーに迷い込んだようでした。ここからKurtz帝国まで、個人的にはとても非現実的に感じて、ほとんど悪夢のように見えました。
ヌン川自体が地獄絵図とも取れるし、川が地獄へと続く道と考えるなら、最後のド・ラン橋までがこの世、向こう側のKurtz帝国が地獄ですかね。
Kurtzが、
“You have to have men who are moral and at the same time who are able to utilize their primordial instincts to kill without feeling, without passion, without judgement. Without judgement! Because it's judgement that defeats us.”
と語った後、ハエがまとわりつくのですが、確かに、ハエや蚊を叩きのめす時に躊躇していたら逃げられるなぁ…と。
加えてWillardが、この「”judgement”抜きに人を殺せる人物」であることをKurtzは見抜いていたのかなぁと思いました。
正義や愛国心を入り口として入隊しても、前線の空気は欺瞞と偽りに満ちていて、嗅ぐのは常に血の匂いと死の恐怖。
地上で悟りを開くのが仏なら、Kurtzは地獄の底で悟りを開いてしまったのかな。究極の部隊で臨むことこそ戦争に必要なのだと。
Willardが鉈を放り投げると現地人も武器を捨てる所や、無線を切って空爆を止める所に少し救いを見い出すのは楽観的過ぎでしょうか…。
アカデミー作品賞にノミネートされていますが、受賞したのは”Kramer vs. Kramer”…なるほど。時代背景も考えると納得…する?しない?
前半までは史上最高と言ってもいいくらい素晴らしいのですが、後半は評価が分かれそう…で実際分かれているのでしょう。
なかなか全身が映らない謎のKurtz。Marlon Brandoの肥満体を隠し、ミステリアスな雰囲気も醸し出す、一石二鳥の影でしょうか?!同時進行で行われる牛の屠殺方法が残酷でした(>_<)。
それでいて、慰問ショーをフェンス外で眺めながらご飯を食べる現地の子供や、問答無用に可愛い子犬など、地獄には不釣り合いな和み要素も入っていました。
途中までCleanがL. Fishburneとは気付きませんでした…細い!!
邦題のインパクトも負けず劣らず素晴らしい(^^)。
戦争の恐怖、狂気、欺瞞に体当たりしている映画でした。
“I've seen horrors, horrors that you've seen. But you have no right to call me a murderer. You have a right to kill me. You have a right to do that, but you have no right to judge me. “
“Horror! Horror has a face, and you must make a friend of horror. Horror and moral terror are your friends. If they are not, then they are enemies to be feared. They are truly enemies.”
The horror. これ、狂ってます。
有名な作品ですし、いつか観よう観ようと思ってた所を、今回「午前10時の映画祭」でリバイバルされたので観に行ってきました。いっやー、こんな映画どうやって撮ったんでしょう?訳わかんない。特に後半。それでも引き込まれる物がある、確かに映画史に残る作品です。
個人的になんですが、なんとなく「ワルキューレの騎行」ってベトナム戦争のイメージがあったんですよね。自分が持ってたイメージって全部この作品からきてるんですね。今まで映画自体観た事がなかったのに、何処かで端々を観てたのがイメージの形成に繋がってたのでしょう。
中盤、キルゴア中佐がベトナムの村を攻撃しに行くシーンの前にベトナムの小学校から逃げる子供達の描写を入れてたりと全然アメリカよりではなく、むしろアメリカ軍を侵略者として撮っている所がまた面白い。ベトナムからアメリカ軍が撤退したのが1972年、戦争の終結自体が1975年、この作品が1979年と、公開当時はまだまだ近い過去の話なのに、ここまでアメリカ軍の狂気を大きく取り上げるって。問題にならなかったのでしょうか?いや、問題になったから今でも有名な作品なのか?
出演陣も豪華です。正直マーロン・ブランドって昔の有名な俳優ってイメージであまり知らないのですが、不気味な存在感が半端ないです。また明るい所にしっかり登場しないんで余計不気味なんですよね。マーティン・シーンってエミリオ・エステベスにも、チャーリー・シーンにも似てますね(逆か?)。さすが親子!キルゴア中佐がロバート・デュヴァルだったなんて!写真家はデニス・ホッパーやったんや!ってか若い黒人の兄ちゃんクリーンはローレンス・フィッシュバーンかよ!等とお爺ちゃんの印象しかない俳優さん達の若い姿には観てて全く気が付かず、後で調べてビックリでした。あ、でもハリソン・フォードだけは分かりましたよ!
フランス・フォード・コッポラ監督ってまだご存命ではありますが自分が生まれる前に活躍してた監督という感じで、ちょっと縁遠いんですよね。それでもスゴい映画人である事は間違いないですね。何だかんだできっと狂気の人間なんだろうなぁ。やっぱりこの時代に比べると現代はソフトになってると思わざるをえない強烈な作品でした。
魔物
『ゴッドファーザー』に並ぶフランシス・フォード・コッポラの代表作、ベトナム戦争映画の名作…なんて言わずもがな。
“衝撃作”“問題作”“伝説の…”という言葉は本作の為にあるかのよう。
ワーグナーの『ワルキューレ』に乗せてヘリ部隊がベトコンの村を奇襲するシーンは何度見て聞いてもしびれる。その後他の作品でこのシーンを何度見た事か。
それにしても、いつも思うが、“地獄の黙示録”という、これに匹敵する強烈な邦題は無い。
これほど異質な戦争映画も他に無い。
“地獄”への入り口は入り易い。
主人公のウィラード大尉に軍上層部から、カンボジアのジャングル奥地に自らの帝国を築いたカーツ大佐の抹殺を命じられる。
だが、スリルとエンタメの任務遂行戦争アクションの醍醐味は微塵も無い。一体我々は、何を見せられているのか。
非道な命令を下す軍上層部、序盤は気を病んでると思ったウィラードすらまともに見えてくる。
ロバート・デュヴァル演じるヘリ部隊の隊長、キルゴア。
サーフィンがしたいが為にベトコンの村を焼き払う。
ウィラードが言う通り、何故キルゴアは許されてカーツは許されない?
ジャングル奥地で開かれたセクシー美女たちの慰問ショーに狂喜する兵たち。
ウィラードに同行する若い兵たちもとても極秘任務に適しているとは思えない。
理性などとっくに無い。
元々疲弊し、異常な光景を次々と目の当たりにしたウィラードにとって、遂に出会った何処かカリスマ性あるカーツの思想に傾倒し始めるのも無理はない。
それは一種のマインドコントロールだったかもしれないが、こんな異常の中では、正気を保つ為に何かにすがりたい。
カーツも同じだったかもしれない。
客観的に見ればキチ○イ思想の宗教団体の開祖だが、どんな野蛮な行為も許される戦争に加担した自らの善と悪への答えの無い問い掛け。
カーツはこのベトナム戦争でおかしくなった。
アメリカ史上最悪と言われた泥沼戦争。
最後、ウィラードは任務を遂行し、帰途に着く。が、その後の彼を思うと戦慄する。一生この地獄に苦しめ続けられるだろう。
“帝国”に取り残された現地人たち。
死を望みながら、死の間際、“恐怖”を見たカーツ。
勝者も、善悪も、何も無い。
あったのは、誰もが狂気の中に抱いた“恐怖”のみ…。
怪優と呼ぶがぴったりのマーロン・ブランドの憑依、映像や音楽のインパクトも凄まじいが、本作の全てを理解する事は到底不可能。
どんなに映画に精通している批評家だろうと映画人だろうと映画ファンだろうと。
各々抱いた感想は、的を得ているし、見当外れでもある。
コッポラすら製作していながら、自分が何を作っているのか分からなくなったという。
本作の後、コッポラは長らくスランプに。言わば、コッポラは一度“死んだ”。
魂を奪われるほどの、コッポラは『地獄の黙示録』という魔物を産み出した。
凄まじいの一言に尽きる
語り継がれている映画だけあって、すごい作品だった。
有名なワルキューレの騎行の爆撃シーンをはじめ、とにかく映像のインパクトが凄まじい。死体が転がりまくりのカーツ大佐の王国のヤバさとか、カーツ大佐自身の異様なまでに陰影のついた描写とか、脳裏にこびりついて離れない。内容も含めあまりに非日常なので、映画館で観るから印象に残る、とも言えるかもしれない。
狂気と恐怖が蔓延した映画だが、実はメインの登場人物はみな本質的には正常で普通の人たちなのかな、と感じた。
登場人物の誰もが、戦争に意味を見出していない。だからか、カーツもキルゴアもウィラードも、誰もが恐怖を克服できない。キルゴアは躁的な防衛だし、ウィラードは麻痺して投げやりになっている。カーツは虚無に支配されている。
意味のない殺し合いを続けていけば、当然気がおかしくなる。元々彼らは常識的な人たちなので、恐怖に支配されて気が狂ってしまったのだと思う。
恐怖を克服するには、自身の行動が意味のあるものだと感じる必要がある。戦争で意味を見いだす人たちは、狂信がないと無理だと思うし、それこそが真の狂気だろう。カーツは虚無がキツすぎて意味を見出そうとして、その結果、戦争を終わらせるために狂信的な兵士を作り出そうとまでしている。
誰もが正義などに酔っていないので、元々はみんなデリカシーがある人たちなのかな、という印象さえ持った。
地獄の黙示録とはよく名付けたものだ。邦題のセンスに脱帽です。
観るたびに新たな発見のある名作です...
本邦初公開時(1980)もノーカット版公開時(2001)も,ともに劇場鑑賞機会を逃してきたので,これがホントの初体験。もちろんそれまでDVDでは数多く観てきたので,ストーリーは全て頭に入っている。
今回はデジタルリマスター版とのことだったので,個人的にはサウンド面に特に注目していたが,やはりその違いを最も実感したのが「ワルキューレ」の場面。 無慈悲な場面なので本当はイケないんだが,背筋が寒くなった..。 「ドラン橋」の場面では「この世の地獄は現世にあり」を思わされたし,「運搬船検問時に乗員を誤射」の場面では「現実もコレと同じようなコトが腐るほどあったんだろうなぁ..」と思えて実に哀しくなった。 平凡で大人しい一般市民ほど,戦争の極限状況に置かれると,正常な神経が飛んでしまい,感情のバランス感覚が亡失してしまう... 戦争の持つ最大の愚かさを訴えるシーンが各所に観られ,そのような道に進んで行かないような気持ちを持ち続けていくことの大切さを改めて実感させられた。
反戦をテーマにした映画は無数にあれど,この作品の持つメッセージを超越する作品はそう多くは無いと信じる。 公開から40年近く経っても今だ色褪せない不朽の名作と言って良い。
今度は「ノーカット版」の劇場再公開を是非期待したい。
劇場公開版リバイバル上映
NHK-BSで放送されていたのを見た。劇場公開版だと思ってみていたのだが、特別編を組み合わせたバージョンのようだった。
冒頭の酔拳みたいな型で鏡を割る場面は、特殊部隊で鍛えてカンフーも達人クラスの腕なように思っていたのだが、今見ると酔っぱらってふざけていただけだったようだ。
『サティスファクション』が掛かって若い黒人兵士が「これはオレの歌だぜ」というセリフがなかった。記憶違いかな。
キルゴア中佐の場面やプレイメイトの場面などなど圧倒的な場面がたくさんあった。
カーツ大佐が出てからは眠くて途中で何度も中断して寝てしまい、変な寝方をしたせいで頭痛がした。
牛がスローモーションで叩き斬られる場面で終わると思っていたら、そうじゃなかった。見た当時は「なんだこれ?」と思ったものだが、特別編で盛り上がる戦闘場面でいい感じに終わると、逆に何か普通じゃんみたいな物足りなさを感じた。あの牛の変な場面が心にこびりつく感じがしてよかったのかと思った。
劇場公開版をちゃんと見たい。
(追記)
シネウィンドで劇場公開版をリバイバル上映で見た。すると、牛をスローモーションで切る場面などなく、BSで放映されたのは第3のバージョンではなく、劇場公開版だったのかもしれない。そんな場面はそもそも存在せず、オレが脳内で作り上げた場面だったのかもしれない。牛はあっさり切られていた。
この映画は主人公のウィラードがほぼ何もしない。ボートに乗って他人の戦場をうろうろしているだけだ。特殊部隊の工作員みたいに言われていて、凄腕なのかなと勝手にこっちが思っていたのだが、凄腕かどうかも全然分からなかった。最後にマーロン・ブランドをめった刺しにするだけだった。アル中気味で精神を病んでいた。
そんな何もしない主人公だからこそ何度見ても面白いのかな。すっきり謎が解けるような映画は何度も見れない。それに何よりここまで贅沢で迫力のある映像はそうそう滅多にない。また何年かしたら見よう。
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