「アンモラルさを漂わせたピュアなアート映画」サラ・ムーンのミシシッピー・ワン かせさんさんの映画レビュー(感想・評価)
アンモラルさを漂わせたピュアなアート映画
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監督は世界的写真家のサラ・ムーン。
今はなき梅田のシネマ・ヴェリテにて鑑賞。
この作品自体が非常におぼろげに作られていて、語るほどのストーリーはありません。
監督自身が「一本の映画を撮るということは、夢想するようなものではないだろうか」と語るように、全編ロケ撮影の街並みは、セピアモノクロームで現像された上に劣化フィルムのような処理をほどこされ、印象的な画面でありながら、霧雨の中のように淡い。
A4のプラスチック製クリップでまとめられた、煮しめたような紙の、マーメイドリップル紙に表紙が糊づけされたパンフレットもまた、いつか失くした手づくりの絵本のように切ない。
主演の二人は映画初出演同士。
完璧な美しさの画角で、誰もいない画面の中を漂う二人が、西洋絵画のように切り取られてゆきます。
メリーゴーランドで母親と遊んでいた少女を、男が誘拐する。
男は少女の父親。
それを知らされぬまま、少女は儚げな背中の男についてゆく。
男は心に問題を抱えており、薬が手放せない。
二人の間には、一台のポラロイドカメラ。
好奇心のままに色んなものを撮る少女。
「ミシシッピーワン、ミシシッピーツー、ミシシッピースリー……」
印画紙に写真が浮かびあがるのを、数を数えて待つ少女の声。
そのうち二人の間に小さな絆がめばえる。
少女の感情は恋に似ていた。
男と親しく話す花屋の女性に嫉妬して、少女は自分の額を傷つける。
男は少女を叱る。
やがて二人の時間も終わりに近づく。
少女は最後にクイズを出す。
「ミシシッピースリー、ミシシッピーツー、ミシシッピーワン」
数字を数え終え、少女が告げる。
「■■■をはずしたの。わたし行くわ」
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