ザ・ファンのレビュー・感想・評価
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熱狂的なメジャーリーグファンかと思いきや。
ロバートデニーロが、ナイフのセールスマン役でなおかつ、熱狂的なメジャーリーグファン、特にサンフランシスコジャイアンツのファンと言う設定。
しかし、熱狂的ゆえに行動がエスカレートしてゆき、とうとう主役選手の息子を誘拐までします。最後は、射殺されて終わりますが、犯人の家を家宅捜索したら、ファンの選手の新聞記事や自分が子供だった時の記事まで壁に貼られていて、半端ないファンぷりが分かります。
まぁ、何事もほどほどが良いんでしょうけど、ファンと言うのは「ファナティック(熱狂的な)」と言う意味だからここまでくるのも仕方無いんでしょうね。
日本で言うと、阪神ファンみたいですかね。阪神の選手にも強烈なヤジを飛ばすくらいですから。今年のセ・リーグは広島カープが優勝でしょう。理由は、私が熱狂的なカープファンだからです(おあとがよろしいようでw)。
大谷翔平の背番号‼️❓
テレビの録画。 背番号11は日ハム時代のもの、このファンのようなのが出てこないように苦しく感じた。 デニーロのために作る映画なのだろう、真似する人が出ないように。 映画としては、低品質、でも、デニーロの映画はタクシードライバー観てから全て見届けることにした、その後の映画で良いのはアンタツチャブルだけ、良い演技はケビンとコネリーだけでしたが。
最初はただ熱狂的なファンだったのに、自分の人生の歯車が狂い始めたの...
最初はただ熱狂的なファンだったのに、自分の人生の歯車が狂い始めたのをきっかけに、どんどん野球選手と自分の人生を重ね合わせるように、自分と選手の境が曖昧になっていく様が痛くて引く 元からオカシイ奴が犯罪者に切り替わるのってほんの一瞬だよね こういう一歩手前のヤバいファン結構SNSで見るよね 付き合ってるとか自分は特別だと勘違いしてる人 ぶるぶる 救いようのない嫌な奴なので見てて飽きひんで ウェ〜ってなるけど
今にこそ観るべきサイコサスペンス
四半世紀も前の映画だが、超一級のサイコサスペンス。一歩間違えればシリアル・キラーになってもおかしくないサイコパス野球ファンをロバート・デ=ニーロが、彼の妄執を受ける強打者をウェズリー・スナイプスが演じる。
この映画の白眉は2点。ひとつはトニー・スコットのカットを多用した緊迫感のある絵作り。なんてことない冒頭のラジオを挟んだやり取りを、人物のアップや疾走する車、サンフランシスコらしい坂道の光景などを目まぐるしく切り替え、テンポの早さと情報量の確保を同時にやりきってしまう手腕はお見事の一言に尽きる。
後々効いてくる車載電話やジャイアンツ・ウォッチを然り気無く配置し、演者は喋りっぱなし。
シーズン開幕の高揚に押し上げられるように、狂気を孕んだ熱気が高まっていく。
もうひとつはサイコパスのセールスマン・ギルがどうして強打者のレイバーンに固執するのか、徐々に明かされていく綿密な精神的伏線。
一介のジャイアンツ・ファンなら、レイバーンがスランプでも生え抜きのプリモが絶好調なら問題ないはずなのだ。
「4000万も出したけど、ありゃダメだな。2、3シーズンくらいで元が取れれば御の字だよ」みたいな、そんな切り替えも可能である。
でもギルはそうならない。レイバーンでなくてはダメなのだ。それは何故か?
その答えを導くための伏線が、少しずつ少しずつ明かされて、最後に決定的になる。この脚本には唸るしかない。
ギルはナイフメーカーのセールスマンである。この会社の創業者は父親で、いわば父から子へと受け継がれるべき絆だ。
しかし既に経営権は他人に渡り、ギル自身は成績不良のセールスマンで、既に権利はない。父の残した絆を奪われた。そういう無力感がある。
一方で自分が息子に託す絆の方はというと、これまた離婚により一緒にいられる時間は少ない。別れた妻はギルが息子と過ごすことを快く思っていないし、息子には新しい父親が出来そうな気配である。
なんとか二つの絆を維持しようとするものの、仕事と子供と過ごす時間のダブルブッキングは決定的な失敗に終わり、ギルはすべて失ってしまう。
このストレス要因がギルを凶行へと駆り立てる。
ギルの固執する信条は、「チームの為の勝利、その美しさ」である。リトルリーグで優勝したとき、ギルのホームランがチームを救い、勝利を呼び込んだ。人生の一番良い思い出は、ゆっくりと形を変えてギルの心に巣食う妄想の元となった。
肩を壊してプロの道を断念した後も、リトルリーグ時代の思い出と、野球少年たちの姿は常にギルの心に繋がりを持って燻り続けた。
82年、と言うからには多分リトルリーグの試合だろう。自分と同じように、満塁ホームランで劇的にチームを救ったレイバーンの事を、「メジャーリーガーになりたい」という夢を絶たれなかった「もう一人の自分」として重ね合わせ、なるはずだった自分として応援する。
彼の地元球団入りは、果たせなかった自分の夢そのものだ。だからレイバーンに固執する。
そんな歪んだファン心理がギルの歯止めを効かなくしていく。
安モーテルで虫を仕留めたとき、ギルは思う。「そうだ、チームに犠牲を払えないヤツは害虫だ。害虫は排除すれば良い」。
プリモにレイバーンの為に背番号を譲れ、と迫ったとき、プリモに拒絶されてギルの心は固まる。「こいつは害虫だ」と。
見守り続けた末にレイバーンの息子を助け、彼と直接話す機会を得たギルはレイバーンの感謝と理解を欲していた。自分と同じ、完璧主義者のレイバーン。自分と同じ犠牲の美しさを知るレイバーン。彼なら自分の行動に共感し、感謝し、讃えてくれると、そう信じたから。
ギルのキャラクター構成が恐ろしいほど緻密で、サイコパスがあまり認知されていなかった時代にここまでの造形が既に完成されていたことが衝撃的である。
そこに前述のスリリングな演出も加わり、娯楽性を損なわずにどんどん物語に引き込まれていく。
当時より、今観た方がよりその恐ろしさを堪能できる、そんな傑作だ。
怖い
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営業マンのデニーロは地元野球チームの熱狂的なファン。
そこに4000万ドルの選手がやって来たが、希望の背番号は得られず。
ラジオ番組を通じて直接会話したデニーロはその選手のファンになった。
その選手が開幕早々スランプに陥り、デニーロは背番号のせいだと考える。
そして意地でも渡さないと意地を張っていた選手を見つけ、説得を試みる。
当然失敗するが、会社をクビになりヤケになっていてその場で刺し殺してしまう。
これを機に贔屓選手がスランプを脱し、デニーロは自分の手柄だと思い込む。
またストーキング中に偶然彼の息子を助けたため、別荘に招かれる。
その時に直接話をしたデニーロは静かにキレる。
スランプを脱したのは「たかが野球」と考えたためと言われたためだった。
愛する野球を冒涜された気になり、また自分に感謝していないのに腹が立った。
そしてこの選手の車を奪い息子も誘拐、次の試合でHRを打たないと殺すという。
雨の中の最終打席、ついにHR性の打球が飛び、ランニングHRとなる。
しかし本塁は明らかにセーフなのにアウトのコール。
よく見るとその審判がデニーロだった。
デニーロはナイフを持っており、マウンドに上がって投げようとする。
野球少年でメジャーのマウンドに上がってみたかったデニーロは、
これで夢を叶えた形になるが、その場で射殺される。
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うーん、怖い。エスカレートしたファンってのは怖いのう。
日本じゃスポーツというよりアイドルのファンにありそうな気がする。
しかしデニーロの演技力は相変わらずで、まさに狂気だった。
狂ったデニーロは何より恐い(知ってた)
親父の創った会社なのにクビにされる不器用な男。息子を愛してやまないのに息子の前で暴言言っちゃう野球バカ。野球を愛してやまない余りに応援してる選手のライバル刺しちゃうし、しまいにゃ息子も誘拐しちゃう。 デニーロにこんな役やらせたら最高に決まってる! 溜まってゆく鬱憤、それに伴い狂気に満ちてゆく様はヤバ過ぎて爆笑です。 しっかりサスペンスなので飽きずに観られるのだが、ドラマも90年代王道な演出も効いて後味スッキリかつホロリと考えさせられる映画になってて良い。
サイコファンやらしたら天下一品
キングオブコメディに続きまたも熱狂的なサイコファン役デニーロ🤣 いやもう、ほんま気◯がいやらしたら天下一品すぎるやろ。 何気にウェズリースナイプス、ジョンレグイザモ、ベニチオデルトロなど豪華キャストもいい✨ 過去の栄光にいつまでも縋り、家族にも仕事にも見放された男の末路。 元々危うい感じはあったけど、全て無くしたことにより無敵の人となってしまったんよね。 怖い、怖すぎる😱 けど、サイコデニーロサイコー👍笑
ロバートデニーロの怪演
ロバートデニーロ扮する熱烈なジャイアンツファンギルレナードは、ラジオの出演をきっかけにウエズリースナイプス扮するジャイアンツに移籍した選手ボビーレイバーンと話が出来た。 何とも自分勝手なギルは息子もびっくりで、ジャイアンツのためなら仕事もそっちのけで父親が作った会社を解雇された。 前半からギルの不安定要素満載だし、ボビーも打率1割8分と散々な状況だね。ギルはボビーを励まそうとストーカーまがいになっていった。思い込みと言うのは行動も伴うから恐いね。ロバートデニーロの怪演が光るね。
私生活がうまくいかず、ファンとして野球に入れ込むが、そこでもうまく...
私生活がうまくいかず、ファンとして野球に入れ込むが、そこでもうまくいかずサイコ化していく話。デニーロのサイコ演技がお見事。 子ども誘拐まではけっこうドキドキできるが、野球の試合から急激に失速。そんな急に◯◯なんてできるかいな! ストーカーファンの恐怖、私も知っています…ウソです(笑) BS12字幕版鑑賞
粘着
もはや、だれひとり、それを話さなくなったが、テラスハウスという人気番組があった。 個人的に、日本映画/ドラマをけなすことが多いが、テラスハウスがあった当時、ネットフリックスで、もっとも面白いプログラムはテラスハウスだった。 わたしは、じぶんとしては、わかっているつもりで映画のレビューを書いている。 えらそうに「リテラシー」とか言ったりもする。 そんなわたしだが、ぶっちゃけ、ネットフリックス全体でいちばん楽しかったのはテラスハウスだった。 ええ、わたしはテラスハウスがだいすきでした。 また、本編配信後にネットフリックスのYouTubeにあがる「山チャンネル」が、ときとして本編以上に楽しい。 はい、わたしは山チャンネルもだいすきでした。 懺悔にしたのは、テラスハウスを好んで見ることは、恥ずかしい嗜好だから。 いまさら言うまでもないが、テラスハウスの面白さは、人の行動/言動を品評するところにある。人の行動/言動をあげつらって、面白いのは、とりもなおさず、わたしが卑俗なにんげんだから──に他ならない。 じぶんの下卑た性根をみとめつつ「なぜこんなに面白いのだろうか」と思いながらテラスハウスを見ていた。わけである。 が、わたしだけではなかった。 外国のコラムニストが「テラスハウスは、リアリティ番組が嫌いな人のためのNetflixリアリティ番組です」と評したように、米英のリアリティーショーはテラスハウスより何倍も露悪的でエゲつない。 まとめサイトや、住人個別のファンサイトも無数あり、山里亮太の海外での知名度が奥さんよりも高いのは、ひとえにテラスハウス人気による。 テラスハウスは国内だけでなく世界的な人気を獲得したプログラムだった。 映画のレビューでも、貶しているレビューのほうが面白く感じる。ことがある。 自分が書いたのでも、褒めているより、貶しているやつのほうが、なんとなく勢いを感じるし、書いているときの「筆の進み具合」も貶しているときのほうが積極的な気がする。 むろん自分で書いたのを自分で読んで──だから、それなりだが、にんげんとは卑しいもので、しばしば負の蠱惑に引き寄せられてしまう。 それは万人にある気分であって、シャーデンフロイデとかのご大層な心象のことじゃない。いつも耳元で囁く天使と悪魔──みたいなもん、である。 負の蠱惑で代表的なものは「嫌い」だ。 「好き」なんて、ちっともパワーを増強できない。 「嫌い」は蓄積される。人を扇動する。 朝ドラを見たことがないが、エンタメのニュースで、しばしば『胸糞な展開に視聴者から悲鳴!』との「悲報」が挙がる。 朝ドラだけではないだろうが、日本ではドラマにでてくる憎まれ役や、希望にそぐわない展開にたいして、それに関わった俳優が非難をあびてしまう──という誠に理不尽な事態がたびたびある。 この現象の素因には、NHKの朝ドラの視聴率の高さがあるだろうし、また、感情移入しなければ役者をを恨むことができないゆえ、概して朝ドラが野局の一般的なドラマよりも、多少なりとも巧くつくられている──ことがある、とも思われる。 とはいえ、あまりにも毎度のエンタメニュースなので、日本人はドラマと現実を切り離して考えるのが苦手な人種──と見ることも、できなくはない。 まいじつのエンタメニュースにこんなのがあった。 『(中略)朝ドラヒロインといえば、〝国民的女優〟になるための第一歩。これによって福原はさらなる活躍が約束されたようなものだが、実はある心配もあるそうだ。 「実は最近、朝ドラヒロインを演じたことによって〝悪いイメージ〟がついてしまうパターンが結構出ているのです。例えば、2018年上半期の朝ドラ『半分、青い。』はとにかくヒロインの好感度が低く、これによって演じていた永野芽郁自身が嫌われてしまうことに…。他にも、広瀬すずの『なつぞら』、杉咲花の『おちょやん』、清原果耶の『おかえりモネ』なんかも、好感度が最悪でしたね」(同・記者) 実際、ネット上でも 《杉咲花を嫌いになりたくなかったから「おちょやん」は早々に離脱した》 《半分青いは完走した、でも弊害で永野芽郁ちゃんがちょっと無理になった》 《「半分、青い」見てから永野芽郁のこと嫌いになったんだけど同士いる?》 《清原果耶はべつに好きでも嫌いでもなかったけど、おかえりモネのせいでスーパー苦手になってしまった》 《モネ嫌いすぎてやばい(笑)清原果耶まで嫌いになりそう(笑)》 《広瀬すずはなつぞらで嫌いになったんだよね。それまでは好きな方だったのに》 《なつぞらで広瀬すずを嫌いになった人はいても、好きになった人はいないのではないか》 といった声があがっている。(後略)』(まいじつ2021/12/06付のニュースより) ドラマ上のことに過ぎないのに、視聴者から恨みを買ってしまう──役者にとって、こんなけったいな話はない。 が、朝ドラを見て誰某を嫌いになった──などというお門違いの屁理屈を堂々と多数の視聴者が公言しており「なんなんだおまえら(ばかか)」と言いたいところだが、役者は、たとえ役を演じたことで嫌いになられちゃっても、耐えなきゃならない。 たいへんなごしょうばいだと思う。 とはいえ人には好きや嫌いがある。 このとき「好き」は穏当に浸透するのだが「嫌い」は、共感を得るごとに雪だるま式に負のパワーをつけていく。 「嫌い」に共感を得たことで並々ならぬ自負心を把持し、ついでに、なにやら侠気のような勘違いをした者が、当人へ突撃する。 不幸な事件もそれでおこったわけだが、突撃してしまう人とそうでない人との違いは「対象者と自分は、まったく何の関係もない」という認識の有無、その一点に尽きる。 テラスハウスがやらせか、やらせでないか、重要じゃない。 重要なのは、スクリーンやテレビにうつっている人と、わたし/あなたは、まず、なんの関係もない。っていう分別だ。 視聴者を煽っている演出に煽られてはいけない。コンテンツの企図に釣られないことを「リテラシー」と言うのだ。 おりしも北京で冬季オリンピックをやっていて、日本の選手の活躍/入賞に「おめでとうございます」との祝福がヤフコメやSNSで飛び交っている。 勝利にたいして「おめでとうございます」は日本語としてなんの不思議もない。自然な反応だ。 が、個人的には思う。 なぜ知り合いでもない選手に「おめでとうございます」なのか。 匿名で。相手が読むはずのないSNSや掲示板に。 が、コメントは相手が読むことを想定しているかのような「おめでとうございます」になっている。 コロナ禍以前の話だが、老いた母をとあるコンサートに送り迎えした。 地元の文化会館の近代琴の演奏会。 あまり有名じゃない演奏者。 帰り、車中でスマホをいじっていた母が、奏者のアカウントを見つけ「コンサート素敵でしたってコメントしようかしら」と言ったので、わたしは「やめろよ、知り合いじゃあるまいし」と制した。 いまどき有名人のSNSに「やめろよ、知り合いじゃあるまいし」という顧慮によってコメントを差し控えるひとはいない。 一般庶民が有名人のアカウントにコメントするのは、きょうび完全に普通なことだ。が、わたしは「やめろよ、知り合いじゃあるまいし」と思う。 そう思うのは古いにんげんだから──じゃない。 スター/アイドル/ヒーロー/ヒロイン/アスリート/炎上中の某/インフルエンサー/コメンテーター/加害者/被害者/政治家/ユーチューバー。・・・。 目下の、時事の寵児らは、それが誰であろうと、わたし/あなたとは何の関係もない。常識である。 有名になる──とは、無関係のにんげんに、関係がある、と錯覚させることだ。それに錯覚させられないこともわたし/あなたの「リテラシー」だと思う。 劇場で見た記憶はないが、トニースコットは売れっ子で兄(リドリー)よりも商業的な路線を走っていた。 トニースコットのウィキペディアに、 『細かいカットの切り返しや大仰ともいえる映像装飾が特徴。』 ──とあるが、その通り。 興行成績も品質も高い映画づくりをする監督だったが、 『2012年8月19日、カリフォルニア州サンペドロのヴィンセント・トーマス橋から飛び降りて死亡した。』(同ウィキより) 大リーガーにストーカー行為をするファンの話。当時異色の映画だったと記憶している。が、今見ると大味でお気楽。ちょい役でジャックブラックをみつけた。 スマホやSNSがない時代のストーカー。その執心がよくわかる展開。誰も幸せにならないが、いい時代に見えてしまうし、デニーロ演じる「ファン」の気分は、解らないものじゃない。現代はもっと偏執、卑劣で不可解だ。
意外なところでジャック・ブラックがチョイ役・・・
トラボルタの狂愛ぶりを楽しんだついでに、古いところで『ザ・ファン』を見直してみた。ロバート・デ・ニーロはこうでなきゃ!というくらいキレまくってくれて、この狂気ぶりを楽しむファンがいることも覚えておいてほしい。
『ミザリー』も『ファナティック』も敬愛する有名人を自分だけのものにしたい欲求にかられる内容でしたが、この作品の場合はスランプに陥ったボビー(ウェズリー・スナイプス)を陰ながら助けるという心理が働いていた。しかも、原因排除するためなら殺人をも厭わない。大好きな背番号11を譲らなかったプリモ(ベニチオ・デル・トロ)に脅迫するまでになり、カッとなってつい殺してしまう。サウナで、しかも商売道具のナイフを太ももに・・・
息子に対しても自分勝手に話を進めたり、相手に対する敬意なんてものはないし、もうナイフよりもキレやすい性格のギル。営業で外回りしても相手に汚い言葉を投げ捨てたり、顧客に担当を替えてもらいたいという苦情が来たり・・・で、クビ。失業したら怖いものなどない。と、暇を持て余してリトルリーグの息子を応援しに行って妻やその恋人ともケンカしたり、もう野球関係の仕事探せば?と言いたくなるほどでした。
プリモの死によって絶好調となったボビー。誰のおかげだ?え?言ってみろ!てな感じで、ストーカー行為が始まり、偶然にもボビーの息子が溺れているのを助けたことで、さらにエスカレート。11のタトゥー(焼き印?)を密かに冷蔵庫に入れたり、息子を誘拐したり、手の付けようがありません・・・
「俺のためにホームランを打ってみろ」という脅迫。打てなければ息子を殺すと思われ、警察も捜査に力を注ぐ。「見つからないよ」などと挑発電話を入れたり、もうサイコキラーそのもの。驚愕の終盤がゾッとさせるのですが、ギルは完全に狂ってました。野球が好きなのか、ローリング・ストーンズが好きなのか、父の創設した刃物店が好きなのかもわからなくなるほど。
やっぱりファンのことは大事にしないとダメ。そんな有名人に対する教訓とも思える内容と、狂気の度が過ぎる男の物語でした。なおストーンズの曲は「Sympathy For the Devil」、「Start Me Up」、「Gimiie Shelter」、「Shattered」と、それぞれストーリーに繋がるような意味深なタイトルばかりでした。
全てを失った男が暇を持て余して暴走するが、怖さは平凡
総合70点 ( ストーリー:75点|キャスト:70点|演出:70点|ビジュアル:70点|音楽:70点 ) 元々自己中心的で攻撃性が強くて独りよがりの男が、その性格ゆえに家族を失う。こんな男でも普通に社会人でいるうちならば職場のちょっと困ったやつくらいで済んだのかもしれないが、職を失ってしまえば自分勝手な思い込みを制御できず持て余す時間を使って暴走を開始する。主人公の人物設定とその暴走の過程はまずまずうまく描かれていた。 だが異常心理からくる異常な行動がじわじわと迫ってくる怖さという点において、過去のデニーロの『ケープ・フィアー』ほどのものはない。たとえ静かな場面でも次の一瞬に何が起きるのだろうかと思わせてしまう迫り来るものはやや弱い。それほど悪いわけではなかったが、けっこうあっさりと話が進んでいったのに物足りなさもあった。
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