ビートルズ イエローサブマリン

劇場公開日:

ビートルズ イエローサブマリン

解説

「ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!」「HELP! 四人はアイドル」などの人気グループ・サウンズ、ザ・ビートルズの歌をバックに描くアニメーション・ドラマ。ジョン・レノンとポール・マッカートニーの歌を基に、リー・ミノフがオリジナル・ストーリーを書き、リー・ミノフ、アル・ブロダックス、ジャック・メンデルソーン、エリック・シーガルが、脚本を書き、ジョージ・ダニングが監督した。デザインはヘインツ・イーデルマン、音楽監督はジョージ・マーティン、音楽はザ・ビートルズ。特殊効果をチャールズ・ジェンキンスが担当している。出演はサージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド。製作はアル・ブロダックス。イギリスオリジナル版は90分。1999年には5.1chデジタルリマスター版が製作、再公開されている。

1968年製作/86分/イギリス
原題または英題:The Beatles Yellow Submarine
配給:ユナイト
劇場公開日:1969年7月22日

ストーリー

昔々、ペパーランドという小さな海底王国があった。ある日、サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブが音楽会を開いていると、ブルー・ミニー率いるアンチ・ミュージック・ミサイルが攻撃してきた。彼らはスプロッチ・ガンをつけておどした。世界から音楽と幸福と愛をなくしてしまおうというのがブルー・ミニーたちの考え。やっとのことで攻撃をのがれた指揮者のオールド・フレッドはリバプールに浮上した。そこで彼はリンゴーに会いペパーランドの危機を訴えた。話を聞いたリンゴーは、さっそく彼を、仲間のジョン、ポール、ジョージに紹介、四人はペパーランドを救うべく、黄色い潜水艦にのりこみ、ペパーランドへ出発した。途中、オデュッセイの航海よろしく、様々な事件にぶつかりながらも、ペパーランドについた。ここで、ザ・ビートルズ対ミニー、ギター対スプロッチ・ガンの闘いがはなばなしく展開。ザ・ビートルズの大活躍で、ペパーランドには、再び幸福と愛と音楽がよみがえった。

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写真: Photofest/AFLO

映画レビュー

5.020世紀の世界の政治体制バランスを音楽の力だけで変えさせてしまったビートルズを予言した映画

2023年10月27日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD、映画館、TV地上波

泣ける

笑える

楽しい

今のような混迷した世界にこそ、この映画の持った素晴らしい理念が人々に共有されたらと、その存在が蘇ってくる.....

初めて観た時の衝撃は、未だ忘れ得ない。
取り敢えずその際には、ほぼ事前情報(元)も無く、予備知識無しの状態で観ている。

現在ではこの作品に特別感を感じられる人は少ないだろうとは思うが、あの当時、このような独特の絵柄、動き、色彩(サイケデリックな)を有したスタイルのアニメーションなど見たことも無く、そしてそれがビートルズの歌の世界観を表現しているという、全くの驚きに釘付け状態となった。

昭和の時代に良く名画座で『ビートルズ・フェスティバル』と称して、劇場用作品4本のうちの初期2本立て上映、或いは後期の2本の内のどちらか一方をそれに加えた3本立て上映が都内の各所で行われて、一定期間が経つとまた別の上映館で、という具合に繰り返されていた時期が有った。

この『イエロー・サブマリン』については中学時代に、有楽町駅前に有った「有楽シネマ」という名画座で、そうした3本立て上映パターンの方で初めて目にする機会に恵まれた。

何故かと言うと、初期2本については既に以前に2本立て上映でも鑑賞済みで、3本立て上映も殆どの場所は『レット・イット・ビー』と組合わされる事が多く、『イエロー・サブマリン』の場合は圧倒的に少なかったからである。

プロローグについで、慣れ親しんでた「イエロー・サブマリン」をテーマ曲に期待の高まりと共に作品世界に引き込まれて行くのだが、その直後それに次いで、特に初めて、あの唐突に開始される「エリナー・リグビー」に触れた時には、冒頭から鳥肌が立つような、まさに衝撃だった。

それまでも可能な限り内外のTVまんが(アニメ)を見まくって来たほどの漫画好きだったが、前述のようにこの作品を初めて観た時の驚きは感動的ですらあった。
だが、何回か観ていると次第にある点に不満というか、なにか物足りなさの感じを覚える部分が有った。
それは、“勧善懲悪的では無い結末“についての事だった。

それは、それまで観てきた日本のTV作品にあるように、「敵(悪)は倒されるべき」だというイメージというか、そうした先入観的なものを持っていたからだろうと思う。
この映画の結末は、武器に代えて音楽の力だけで「みんなが仲良くなって、敵も味方も無いんだ」の世界に結実することで幕をとじる。
敵に対して、武力で封じ込めたり攻撃的な力で撃退してしまうのではなく、歌の力だけで歌を通じて愛を振りまくことのみで、相手とも理解し合って、皆が互いに愛と平和を享受できる世界に変えてしまうという、'60年代のLOVE&PEACEの理想の体現と言えるストーリーに、当時は”甘さ”を覚えたからに他ならない。

でも、その後も何度となく(後年のTV放映も含めて)繰り返し観るうち、次第にその考えが誤りだった事に気付いた。
己が余りにも短絡的で単純な考え方の、稚拙で未熟であるが故に、その様にしか考えられなかったのであろうと。

しかしその後に、ジョンも亡くなってしまった後、時代は'80年代に移るとMTVの影響も手伝い、世界はそれまで以上に(ビジュアル化を伴った形の)音楽に溢れていったように思う。
そしてその象徴のように、20世紀の音楽史上における最大のクライマックスとも言えるイベント、1985年7月13日の「ライブ・エイド」の開催により(まだ一般のインターネット使用が無かった時代に)世界が同時衛星中継により、音楽で結ばれたのであった。
これには、当時の西ドイツ、ソ連、ユーゴスラヴィアといった国々までが参加したのだ。
この時は人類の歴史上で初めて、世界中の多くの人が「音楽の力で世界が変えられる」「世界中が音楽で一つに結ばれた」と信じた瞬間だったろう。
それだけ大変分かりやすいムーブメント、イベントでもあった。

しかし実はその時よりも遥かに以前の時代、ビートルズが現役だったその時にリアルタイムで、ビートルズの曲の力は共産主義国家の政治体制を揺るがし、結果的にその体制の崩壊を加速度的に早める力として作用していたという事が、20世紀の歴史の検証から明らかになっている。

彼らが変えてしまったのは単なる若者文化、音楽文化、アート、ファッションなどといった枠などに留まらない、それらも遥かに超越した正に文字通り「人類の政治体制に於ける歴史にも大いなる変革をもたらしていた」という事が歴史上の事実として証明されている。
こうした事実については、既に可成り何年も前に海外ドキュメンタリー番組のテーマとして、何例も取り上げられており、「プラハの春におけるヘイジュード」や、「旧ソビエト国内の若者たちが、ご禁制のビートルズを組織的に水面下で愛聴・共有していた」など、共産主義体制崩壊を加速度化させたという影響力も大きさが、当事者への取材やインビューにより語られている。

そのような事実については、当のビートルズ達も直接関わってはいない、本人達の知らないところで発生していた事であるが、彼らの手から放たれた作品が世界中の一体どこにまで届いていただろうか、と考えてみても、それは想像を遥かに超えるだろう。

しかし彼ら自身も、アメリカ南部でのコンサート会場に於いて、「会場で黒人と白人を分けるような人種差別を行うなら、公演を拒否する」とキッパリと意思表示し、“‘60年代のアメリカ南部”で言ってのけている。
あのような時代下で、このような事は前代未聞の凄い事だと思った。
(よくKKKなどが何の動きも見せなかったものだと思い、恐ろしくなる....)
彼らが示し、その根底に有るスタンスが、「音楽の下ではみな平等(差別無く)」であるという事が良く理解できる一件だろう。
この件については近年の映画「Eight Day’s a Week」の中でも取り上げられている。

この映画のビートルズ曲はその多くがこの作品のインスピレーションの元となったLP『Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band』から選ばれており、その他表題曲収録の『Revolver』と、作品のテーマ、イメージとリンクする『愛こそはすべて/ベイビー・ユーアー・ア・リッチ・マン』のシングル両面に加えて、主にこれらのアルバムから収録漏れた録音済み曲などから新曲として採用(提供)された曲で構成されている。

日本では公開が1年遅れだったために、映画のサントラを兼ねLP 『イエロー・サブマリン』が既に先行発売になっていたわけだが、ビートルズの歌はA面7曲のみでB面にはオーケストラ曲が、更に上記の理由から既発の曲が3曲に完全な新曲は4曲のみという変則的な作品になってしまっていた。

従って、ビートルズのLPの中で最も不人気な作品となっており、知名度が低い4曲の為の購入には皆、怯んだ。
なにしろ、「その内の1曲は映画にも使われていない曲」という事が知れ渡っており、ファンの間では大いなる疑問になっていたのだった。

この1曲というのが『Hey Bulldog』ということで、”映画にも使われていない曲”という不名誉に甘んじ殆ど存在感無視、というか評判がよろしく無かった。
しかし実はこの曲のシーンは、1968年7月17日に英国でプレミア・ショウで公開された、英国オリジナル版にはちゃんと存在していたのだった。

ビートルズがブルードッグを茶化すシーンで使用されていたこの部分が、アメリカ公開版ではカットされ、我が国でもそれに準じた短縮版で公開されていたことを知らなかったが故に、このような事態を巻き起こしてしまったのだった。

私がそれを知ったのは20世紀の終わりから数年遡った頃だったと記憶する。
たまたま”そのような珍物を取り扱うショップで発見”し、その「イギリス公開オリジナル版」と称したその全編を見る機会を得たときであった。
正直、驚いた、というか長年騙されていたことを理解して、衝撃を受けたと言って良いだろう。
その時点で、それを知る日本人は、まだまだ極くわずかっだだろうと思う。

それから暫くが経って、『イエロー・サブマリン』のレストア・リニューアルマスター版フィルムが制作され、それによるリバイバル公開が、我が国でも2000年頃に限定的な劇場で行われる運びとなった。
それ以降、この件が広く一般に知られる事となり、現在に至る。

従って、それ以前に発売のビデオ、レーザー・ディスク等に収録されていたものは、日本初公開時のものと同じアメリカ版の96分のバージョン。
リバイバル公開以降にDVD化になったものが、英国オリジナル版ということで、現在は全世界共通版ということになっている。

こうした事の背景に、公開当時の我が国では、「音楽映画は当らない」というのがジンクスになっており、例えビートルズの作品であったとしても、配給元のユナイト映画にもその例外とは判断されず、公開自体危ぶまれていた状況にあったという事も無視できない。

結果的に、単独拡大ロードショー公開などには程遠い状況であって、最終的にはスプラッシュ上映時の併映作品という扱いに決定し、同社配給の『チキチキ・バンバン』との抱き合わせ公開が行われる事になった。

当時で言う“スプラッシュ公開作品”とは、主に都市部の大型劇場での拡大ロードショー公開終了後の他作品、この場合は『チキチキ・バンバン』の地方公開と都市部二番館用の併映上映にて、初めて日の目を見ることとなった作品、という経緯を持つ作品の事である。

実は、この映画はビートルズのメンバー自身による発案や企画、アイデアによるものでは無く、当初積極的に関わろうともしていなかったという事は知られている。
最終的には作品の持つクオリティを理解し、新しい楽曲提供等で協力もしたと言われているが。

アメリカで制作・放送されていた『アニメ・ビートルズ』の制作スタッフによる、ビートルズの曲からインスピレーションを得ての企画がビートルズ・サイドに持ち込まれて、本人達は直接タッチしていない形で作られた経緯を持っている作品であった。

要するに、上記の様にこの映画には、実は2つのバージョンが存在していたわけである。
1968年7月17日に英国でプレミア・ショウで公開されたイギリス・オリジナルバージョンは1時間30分だった。
のに対してアメリカ公開版(インターナショナル版?)は1時間26分であり、その差分が『Hey Bulldog』部分だったという事だろうと思われる。

こうしてオリジナル完全版へと復活を遂げたことにより、この映画の存在はより輝きを増して、永久不滅の存在感に昇華を遂げたと思う。

こうした流れから、ロバート・ゼメキス監督による3Dリメイク・バージョンこ制作がディズニーよりインフォメーションされた事あるが、製作費等の諸般の事情により見送りとなった経緯があり、大変残念に思った。

因みに、この映画の脚本担当の一人として、その後『ある愛の詩』により有名になるエリック・シーガルが参加している。

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アンディ・ロビンソン

1.5芸術性は高いんじゃろーけど・・・。

2019年9月23日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

当時としては凄いんでしょーけど・・・。
人並みにしかビートルズの事が解らない自分には苦痛にしか感じられなかった。
ただの映画好きには芸術性とビートルズに特化し過ぎて無理!
最後まで観た自分を褒めたい。

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トラ吉