サタデー・ナイト・フィーバーのレビュー・感想・評価
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昔の時代のディスコ(死語?)に興味があるなら本命。
今年102本目(合計375本目/今月(2022年4月度)12本目)。
私自身はエレクトーンの演奏・学習歴がある程度です(15歳まで。グレード6級)。
相当古い作品のリマスターという事情があり、ごくごく最低限の部分以外は修正されていませんので、趣旨がわかりにくいところもあります。映画が公開された時期は「ディスコ」というものがあったのですが(今でも地方都市だと、残っていることはあります)、今では相当探さないと難しいですし、積極的にディスコに行く理由もなくなったので(コロナ事情もあれば、趣味が多様化した、という部分もある)、ディスコ文化などはググるレベルでも良いので事前に調べたほうが良いかなという感じです。
こちら側では英語放送でやや字幕が見づらかった(まぁ、リマスターということを考えれば、画像の乱れ「自体」は修正できない)問題はありますが、本映画は結局のところ「音楽映画」というカテゴリに入るので、多少わかりにくい点がありますが(現在(2022年)では一般的ではない言い回し・表現など)もありますが、音楽映画というカテゴリで行く限り、そこまで大きな傷ではないし、ディスコ文化があったということの「文化の継承」という観点では良い映画だと思います。
採点に関しては、現在(2022年)の常識論に考えと、やや配慮の足りない字幕などがあることは確認しましたが、リマスター版であり取り直し版ではないので、「やや配慮が足りない」程度ですので、減点なしにしました(過剰な「言葉狩り」をやるのは私も本意ではないのです)。
昔の時代の風俗というか民俗観に行った。デジタル4K上映。なんか「もっさり」感がハンパない。字幕監修戸田奈津子最高!
俺、ガキの頃から明治大正とか戦前の映像大好きな訳・・「映画は鑑賞に耐えない」けれども
なんかその時代の空気感、タイムトラベル感、もう結末がわかってる安心感
がたまらない。
ディスコって既に死語。
昭和40年代生まれにとってこの映画は馴染みでない。当時ガキだから
実はディスコにも、トラボルタにもビー・ジーズにも全く興味なし。
でも1977だかの空気感感じたかった。デジタルリマスター4K上映
結構小さい器ながらも8割近くの入りで盛況。
イヤー確かに時代の空気感じた。
アナログ、タバコは当たり前だけども
WTCビルが健在。
特筆すべきはダンス。
素人クソジジイのワイが観ても
「もっさりして・・フォークダンスというか盆踊りに毛が生えた」レベルの田舎ダンシング。
ダサダサすぎて、かえって感心。服装も髪型も時代を感じた。
そもそも土曜日に18時まで働いている時点で、なんか古めかしい。
キレの全く無いダンシングのせいか、イマイチ盛り上がり、パンチを欠く。
「カー・・セッ・ス」今しないよなぁ、狭くて不快極まりないだろねぇ。
まあでもいいよ、時代の空気を感じた。いつも思うのだが、タンクトップの男は
若干の上腕二頭筋💪チカラこぶないとなんかキモい。フレディ・マー・・もそうだけど。
トラボルタ腕がイマイチ、ブヨブヨで物足りない。ちなみに私は「そっち系」では無いよ。
上腕二頭筋の無さが説得力欠くのだ。
イヤイヤ確かに1970年代は大昔。栄枯盛衰、諸行無常を感じた。
その髪型と古めかしいファッションで特に女優陣がパッとしない。
でも劇場だからこその「缶詰め感」良い経験でした。VFXもCGもある訳ないからエンドロール短い短い。
車窓のはめ込めがかえってアナログすぎて味があった。
今はまだ、今を生きる
ただただ、浮かれたダンスではない
何100回見たことか!
題名に騙された感じ、 期待外れ
1.全然、フィーバーしていない
2.もっと弾けてて、元気な映画と思ったら、スローで地味な感じ
3.ディスコ大会の観客も少ない → 推定100~200人
4.往時のジュリアナ東京の方が、ノリノリで、弾けてて、何倍も人数も多かった
5.この映画は、恋愛と不良遊びがメインで、ディスコはサイドストーリーの感じ
6.主役のトニーは、まともな所もあるが、恋人を振る時の態度が冷たくて、不人情
7.及び、ディスコ大会で優勝(賞金500ドル)しても、ペアの女の意見を無視して、
「自分達は、2位より劣ってた」と言って2位のペアに賞金等を渡してしまう
8.男らしい、と言うより、自分本位過ぎる
9.主役がここまでダメ男だと、ガッカリ
10.ネクラのオタクが、踊りが割と上手な程度
11.観てて心が躍らない、 期待外れ
勢いがある作品。人は皆問題を抱えながら生きている。
<物語>
・ダンスだけが共通点で環境は正反対の二人、トニーとステファニーがダンスを通じて反発しあいながらも分かり合っていくという作品。
・人は何かに秀でる(=スキルを持つ)ことでそれを人に見せるだけで人に示すことになることを再認識した。モチベーションを上げたいなら頑張っている人を見れば良い。周りが堕落している人ばかりの環境から脱しよう。
・トニーの兄貴は『親から理想を押し付けられる問題』を、アネットは『想い人が振り返らない問題』を、ボビーは『中絶問題』を抱えている。それぞれが強烈でサブテーマを視聴者にぶつけてくる。
・ダンスコンテストを最高の形で終わらせたトニーとステファニー。しかしその後のプエルトリコ人カップルによる完璧なダンスを見てトニーは上には上がいることを自覚、ステファニーは違うダンスだという視点で素直に優勝を喜ぶ。それぞれ優勝に対するスタンスが異なる。
・トニーのプエルトリコ人が優勝できなかった事へ怒りをぶつけるシーンを再度見てみる。彼は世間に差別されたり見下される人間がその実力を示した時、正当に評価されないことと、世間はいつも無意識に何かを見下して鬱憤を晴らしている、その事に大して深く傷ついているということが分かった。これを認識して、この物語、トニーに共感できる理由が分かった。
・ブルックリンから伸びるヴェラザノ=ナローズ・ブリッジが物語のキーロケーションとなる。Google Mapを見ながら見た所場所がつかめ面白かったので今後もこの手法を使っていく。
・終わり方がこれからどうすんの?という所でいきなり終わる。視聴者の想像に任せているのか、はたまた映画で表現されるある人物の人生の一時というものは物語が終わってもエンドするものでは無いという意図なのか。その後、トニーとステファニーはダンスをどのように人生の中で付き合っていくのか。トニーはダンスを極め、ステファニーはダンス教室を開くとか、そういう形だろうか?
<手法>
・視聴者を劇へ共感・没入させる物語の展開手法として、謎を謎のままひっぱってから開放するという手法の有用性について考えさせられた(ステファニーがトニーと一緒に帰るのを拒否するのが続き、その後ステファニーの内面・事情が顕になるという仕掛け)
・劇中で主人公の家にロッキー(1976年公開)のポスターがあったり、ブルース・リー見に行かねえか?と話題にあがったり、当時のエンタメ模様を意識させられた印象が残る。
・ダンス中、トニーとステファニー二人が手をつないで回るシーンが一人称視点の撮影となっており印象に残る。
・製作者の意図があるか不明だが、ステファニーを一人で接写する時周りを光できらきらでぼやけさせる取り方で美しさを強調していたように思う。
トラボルタがスターに
トラボルタはブルックリンに住む下層階級で、昼間はバイトに精を出し、夜は大好きなダンスをやるためにディスコに通う。
悪友たちとつるんで馬鹿なことをしているが、これじゃダメだ、と思い始める。
ディスコの名曲がズラリ、特にビージーズは最高、トラボルタのダンスはとてもかっこいい。
見所はひとつ、ジョン・トラボルタの華麗なるディスコダンス
この映画の魅力は偏に主人公トニーを演じた新人ジョン・トラボルタのダンスにある。カラフルな光線を浴びてディスコの舞台を華麗に踊りまくるトラボルタを観ていて飽きることはない。しかし物語は単純そのもの、優勝賞金500ドルを掛けた競技会で圧巻の踊りを披露するダンスシーンがクライマックスの青春サクセスストーリー。そこまでに至る紆余曲折が弱く、主人公の良い子振る作為が見え透いてしまう。人物の掘り下げが弱い。このトニーに関わる人物として、踊りのパートナーのステファニーと、聖職から挫折した実兄のフランクが居る。これはトニーの性格を引き立てる意味で上手く行っている。ただ、ブルックリン生まれの仲間たちの青春群像の表現には無理があると思った。それは、土曜のダンスの為だけに働くトニーの生活との対比で、彼らの無軌道振りが社会背景を伴って定義付けられていないため、ドラマに衝撃を与える一人の自殺が効果なく終わっているから。これはそのまま、主人公トニーの大人になる成長過程に繋がるから作劇の問題として大きいのだ。
結果的にドラマとしての完成度は低いが、現代の若者の姿を端的にカッコ良く描いたところは好感もてるし、映画のヒットに対して何も批判めいたことは言う必要はないと思った。
1978年 8月26日 郡山スカラ座
人生で一度だけ新宿のディスコで踊ったことがある。卒業祝賀パーティーのノリで行ったのだが、誘われて私が踊り始めると、ひとりの東京出身の淑やかな女性が、信じられないと驚かれたのを今でも鮮明に記憶している。確かにダンスをするようなセンスは持ち合わせていない男だ。それを痛いほど実感したのが、翌朝布団から起き上がることが出来なかった時。ダンスは素晴らしい肉体表現のスポーツであり芸術と、身をもって納得した。
ロッキーのポスターが貼ってあった
そんなんじゃだめだトニー。
ジャケット写真とタイトル、曲が有名な今作。
観て驚いた。ただ遊びほうけるふざけた映画じゃない。
いつからだろうか、人が「自分は狭い世界に生きている」と気づくのは。
年上の友達ができた時?流行りの雑誌を手に入れた時?
主人公トニーの場合、それはダンスホールでステファニーに出会った時だった。
トニーはイタリア系の敬虔なクリスチャンの家に生まれた。
友達も、職場もイタリア系。あまり裕福ではないらしく、育ちは良くない。
土曜の夜ダンスに繰り出す時が、彼が唯一自分を解放できる瞬間だ。
ステファニーとの出会いをきっかけに、主人公は自分の生き方に疑問を抱き始める。
一旦こういう思考になると、日常がまるで違って見えるもので。
自立した女性(弱い部分もあったけど)のステファニー。
親の期待を裏切り、自分に正直に生きることを決めた兄。
自分の存在価値を承認してほしくてヤケになる女の子。
ペンキ屋に安い給料で10年以上働く同僚。これが自分の将来?果たしてこれでいいのか?
地元のダンスホールで王様のように振る舞い、いい気になっている自分や、内輪でつるむ周囲がバカらしく思えてきた。
そんな時に、親友に起きた出来事よりトニーは擬似的に死を経験、やっと目が覚める。
似た境遇の人間が固まる、狭い世界を抜け出す覚悟を決めたトニー。
まだ不安のほうが強いみたいだが、少し清々しい顔つきだ。
そう考えるとホールの新顔・ステファニーは、主人公にとっての福音だったのかもしれない。
フィーバー
フィーバーフィーバー
ディスコブームを作った映画
NYブルックリンに暮らすイタリア系移民の青年達のディスコを舞台にした青春物語。
ジョン・トラボルタの腰をひねった決めポーズの印象で毎週ディスコに繰り出してブイブイ言わせてる映画だと思っていたが(笑)、イタリア系で中絶禁止の敬虔なカトリック教徒の家庭に暮らす青年達は道徳心があり、羽目を外した後では後悔もするし家庭内やコミュニティでの立ち位置も気にかける。特に真面目な主人公は、自分よりアッパーな暮らしをするダンスパートナーと出会い、上昇志向に目覚めていくという真面目なストーリーだった。
1970年代後半から80年代にかけてのディスコシーンが垣間見えて楽しい映画。
酒とタバコと女とダンス
70年代ディスコ
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