「勢いがある作品。人は皆問題を抱えながら生きている。」サタデー・ナイト・フィーバー 葵須さんの映画レビュー(感想・評価)
勢いがある作品。人は皆問題を抱えながら生きている。
<物語>
・ダンスだけが共通点で環境は正反対の二人、トニーとステファニーがダンスを通じて反発しあいながらも分かり合っていくという作品。
・人は何かに秀でる(=スキルを持つ)ことでそれを人に見せるだけで人に示すことになることを再認識した。モチベーションを上げたいなら頑張っている人を見れば良い。周りが堕落している人ばかりの環境から脱しよう。
・トニーの兄貴は『親から理想を押し付けられる問題』を、アネットは『想い人が振り返らない問題』を、ボビーは『中絶問題』を抱えている。それぞれが強烈でサブテーマを視聴者にぶつけてくる。
・ダンスコンテストを最高の形で終わらせたトニーとステファニー。しかしその後のプエルトリコ人カップルによる完璧なダンスを見てトニーは上には上がいることを自覚、ステファニーは違うダンスだという視点で素直に優勝を喜ぶ。それぞれ優勝に対するスタンスが異なる。
・トニーのプエルトリコ人が優勝できなかった事へ怒りをぶつけるシーンを再度見てみる。彼は世間に差別されたり見下される人間がその実力を示した時、正当に評価されないことと、世間はいつも無意識に何かを見下して鬱憤を晴らしている、その事に大して深く傷ついているということが分かった。これを認識して、この物語、トニーに共感できる理由が分かった。
・ブルックリンから伸びるヴェラザノ=ナローズ・ブリッジが物語のキーロケーションとなる。Google Mapを見ながら見た所場所がつかめ面白かったので今後もこの手法を使っていく。
・終わり方がこれからどうすんの?という所でいきなり終わる。視聴者の想像に任せているのか、はたまた映画で表現されるある人物の人生の一時というものは物語が終わってもエンドするものでは無いという意図なのか。その後、トニーとステファニーはダンスをどのように人生の中で付き合っていくのか。トニーはダンスを極め、ステファニーはダンス教室を開くとか、そういう形だろうか?
<手法>
・視聴者を劇へ共感・没入させる物語の展開手法として、謎を謎のままひっぱってから開放するという手法の有用性について考えさせられた(ステファニーがトニーと一緒に帰るのを拒否するのが続き、その後ステファニーの内面・事情が顕になるという仕掛け)
・劇中で主人公の家にロッキー(1976年公開)のポスターがあったり、ブルース・リー見に行かねえか?と話題にあがったり、当時のエンタメ模様を意識させられた印象が残る。
・ダンス中、トニーとステファニー二人が手をつないで回るシーンが一人称視点の撮影となっており印象に残る。
・製作者の意図があるか不明だが、ステファニーを一人で接写する時周りを光できらきらでぼやけさせる取り方で美しさを強調していたように思う。