劇場公開日 1960年9月17日

「眼が全てを物語る、恐怖と罠のミステリーを凝縮したサイコスリラーの代名詞的傑作」サイコ(1960) Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0眼が全てを物語る、恐怖と罠のミステリーを凝縮したサイコスリラーの代名詞的傑作

2020年7月31日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル、TV地上波

サイコスリラーの代名詞的なヒッチコック監督の代表作の一本。ヒッチコック監督の商業映画としては「裏窓」「鳥」に並ぶヒット作で、当時の批評家からは正当な評価はされていない。しかし後年、映画史的にはエイゼンシュテイン監督の「戦艦ポチョムキン」で有名な”オデッサの階段”と並ぶモンタージュの模範として”シャワーシーン”が取り上げられるようになった。1960年代後期に表現の自由が解放されるようになり、今では刺激的な表現が巷に溢れる映像情報過多時代から見直せば、確かに衝撃度は低い。真っ赤な血はモノクロ映像のため濃い灰色だし、流れる量も少なく、ナイフが躰に刺さるカットもない。細かいカット割りで視覚を刺激し、大きく開けた口のアップと、流れる水の音に重なるマリオンの悲鳴と刺さるナイフの音で恐怖を煽る。シャワーカーテン越しに謎の人物が忍び寄り、姿を現してから鳴るバーナード・ハーマンの不気味且つ緊迫感のある音楽が、全体のイメージを聴覚に植え付ける。この作品で初めて水洗トイレが映し出されたという事を知れば、いかに規制や限界がある中で、様々なテクニックを駆使した殺害シーンをヒッチコック監督が創作したか理解できるのではないか。また、見直して感心したのが、絶命したヒロインの眼のアップからテーブルに置かれた新聞紙の包みを経て、丘の上にある館に移動するパン撮影である。後半の観客を罠にかける最初の重要なカットになる。

この映画は、”眼と罠の映画”と言えるかも知れない。全体のカメラワークは遠景がほとんどなく、タイトルバックの後のフェニックスの街並みを映すのみで、後半はスタジオ撮影のベイツ・モーテルが舞台となり、およそ傍観的で説明的な表現のカットはない。マリオンを演じるジャネット・リーは、妖艶さを内面に持つ女性美を眼に表現できる女優として、ヒッチコック監督がキャスティングしたか演技指導したのではないか、と思える演出の冴えと意図がある。車で恋人のいる町へ向かうシークエンスは、殆どがハンドルを握るマリオンを正面から捉えたアップカットで、怯え慄く心理を表現する。彼女が想像する事件後の関係者の会話をモノローグで語り、それに反応したマリオンの眼が逃亡者の心理を余すことなく表現している。それに対して、仮眠していた彼女を不審に感じたパトロール警察官のサングラスが巧い。モノクロ映画で黒の恐怖を効果的に使うのは、「見知らぬ乗客」でも披露していたが、こちらも印象的だ。警察官の表情が分からない不安さを、マリオンと一緒に観客も同時体験することになる。そして雨が降り出して視界が悪くなる中、ベイツ・モーテルに引き寄せられるように辿り着くまでのモンタージュが、更に彼女の追い詰められた状況を彼女の眼で表現する。
鄙びたモーテルで一時の安心を得るマリオンは、一見好青年と見えるノーマンと話す内に、剥製づくりの趣味と暗い過去を背負う背景を知るが、人生には罠があるという彼の話で目覚め、翌日早くフェニックスに帰り自供することを決意する。その先の瞬時の残酷な仕打ちを受けたマリオンの眼は、お金で不幸を追い払う罠と新たな謎の罠に嵌ってしまった人間の悲しみと当惑に包まれている。そしてヒッチコック監督は、彼女を追悼する形で観客に巧妙な罠を仕掛けていく。

主演のアンソニー・パーキンスは、「友情ある説得」「胸に輝く星」「死んでもいい」など代表作はあるのだが、余りにもこのノーマン役が強烈な印象を与えたため、キャリアの後半は作品に恵まれなかった。ただ、この一作で映画史に名が刻まれることを想えば、忘れられることのない俳優としていつまでも語られると思う。マリオンを演じたジャネット・リーも然りであろう。ヒッチコック監督の演出テクニックとハーマンの強烈なインパクトを奏でる音楽で表現された、罠に掛かった人間の眼を映像表現した映画の独創性豊かな傑作。

Gustav