コルチャック先生のレビュー・感想・評価
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10年前に観るのと今では違うかな
コルチャック先生の事は知っていたしワイダの映画も大抵は観ていたけど、この映画は見逃していました。
子どもの頃からアンネの日記をはじめユダヤ人に対する非道な扱いや虐殺などを史実として知り『可哀想なユダヤ人、残酷なナチス』と刷り込まれてきました。
でもイスラエル建国とその後のパレスチナとの紛争、そして何より今のジェノサイドとも呼ぶべきガザの大量虐殺を目の当たりにしている今ではラストシーンで胸にこみ上げてくる思いがワイダがこの映画を作った当時と同じではあり得ません。
コルチャック先生、あなたなら食糧を求めて集まったガザの子ども達を銃撃する同胞にどんな言葉をかけるのですか?
ちょっとよく解らない、
ワイダ作品としてはソフトなホロコースト作品
歴史上の人物であるコルチャックを知りたくて…。
社会福祉士として、児童福祉の分野で働いています。
児童福祉の偉人として、彼のことを知りました。
コルチャックの最期がとても惨かったと聞きました。
だからこそ、映画のラストシーンに救われました。
第2次世界大戦中の、ドイツ人によるユダヤ人に対する弾圧は、かばう余地は全くありませんが、私が実際に接したドイツ人は、ビール好きな礼儀正しい人たちでした。
そして、今でも、自分たちの過ちを忘れないように、ユダヤ人収容所跡地を国内に遺しています。
人間は過ちを犯す、大切なのは、それを忘れないことなのだと、ドイツに行くたびに感じます。
コルチャック先生と子どもたちに、心からの黙とうを捧げます。
忘れまじ、コルチャック先生
どうしても考えてしまう事
ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督の作品は積極的に観て来たつもりだったのですが、『コルチャック先生』と『カティンの森』という二大重要作を見逃していたのが長らく引っ掛かっていました。その内の一作が漸く映画館でリバイバル上映となりました。
ナチス支配下のポーランドでユダヤ人孤児院を運営し、時代の波に翻弄されつつも常に子供の側に立ちながら、最後には絶滅収容所で殺された実在のユダヤ系医師を描いた物語です。
様々なエピソードを盛り込んだり感動的に揺さぶる事も出来るだろうに、予想していたより脚本もカメラも物語と真っ直ぐ向き合っていました。それは虚飾を排そうとしたアンジェイ・ワイダの真っ直ぐな怒りの反映なのだろうと思います。しかし一方で、「今もパレスチナでは子供の命を守ろうとするアラブのコルチャック先生が戦雲を見上げているに違いない」と考えてしまいます。本作と現在の中東は別に考えるべきで、相対的に論じてはいけない事なのでしょうが、それを想像せざるを得ない不幸な時代に僕は生きているのだ。
ずっと観たいと思っていた
生き生きとした子供達の演技
戦後80年上映企画で、偶然にも映画館で観る事が出来た、アンジェイ・ワイダ渾身の一作。驚いたのは子供達が演技をしている感じではなく生き生きとしていて、まるでノンフィクションを見てるように感じるシーンが多々あったこと。子供を単に子供扱いせず、自分達で考えさせ、行動に起こさせる、守りながらしっかり育てる、コルチャック先生は本当に愛情深い人だったことが力強く描かれている。正義などなくナチスドイツによる不条理なジェノサイドに真向から立ち向かい旗を掲げ堂々と子供達と行進して行く姿は人間の尊厳を守るという誇りに満ちていて、泣けてきた。
今もなお、殺戮が繰り返される現代世界が情けなく人間の愚かさが悲しくなる。
1980年代の作品だが、もっと多くの人に見てもらいたい作品。
モノクロの時代物、新たな視点に欠ける。
「カティンの森」より優先させた作品!
図書館からレンタルして、
岩波ホールでの上映以来、
約30年ぶりに鑑賞。
しかし、岩波ホールで購入していた
パンフレットに驚くべき記述があった。
“ワイダ監督は,「カティンの森」の演出を
信頼する助監督に任せて
(ワイダ監督は監修として名を連ねた),
「コルチャック先生」に全力を投じた”
とあるではないか。
「コルチャック先生」は1990年作品、
「カティンの森」は2007年の作品だ。
「カティンの森」は初上映の17年も前に
製作に着手されかかっていたのか、
しかし実行されず、その後改めて
自らの監督で世に出したことになる。
いずれにしても父親が犠牲者だった
ことから、執念の題材だったはずの
「カティンの森」を差し置いてでも
優先製作した「コルチャック先生」も
ワイダ監督にとって
重要な意味を持つ作品だったのだろう。
コルチャック先生がその道の権威であること
は幾つかの場面で顕されるが、
この作品では結構、別の面も披露される。
「世のため、人のため…は嘘です。
…自分のため…」とのラジオ放送発言や
「200人の子供がいるだけだ。誇りなどない」と
コメントしたり、短気だったり、
陰でこっそり酒を飲んでいたりする
身近な人間くさい描写も多い。
コルチャック先生は高名な方とはいえ、
ワイダ監督は、当時、犠牲になったたくさんの
“コルチャック先生的人々”がいたと
伝えたい意図があったのではないかと
勝手に想像した。
またこの映画の稀有なところは、
同じユダヤ人でも、
階層やドイツ兵への利便性の有無によって
運命が区別される現実を描いていることだ。
もっともそれも一時的な扱いで、
いずれは同じ結果だったことも示唆したが。
そして、ラストの幻想シーンには
涙を誘われるばかりであった。
専門である医師職を超えて人道活動をされた
結果、犠牲になったコルチャック先生は、
同じ医師としてアフガニスタンで灌漑事業で
復興に携わり命を落とされた中村哲さんを
想起させてくれた。
因みに、私のワイダ監督ベスト3は、
①カティンの森
②地下水道
③灰とダイヤモンド
です。
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