「二つの物語が、交互に展開するため、前のストーリーを良く覚えていない...」ゴッドファーザーPARTII parsifalさんの映画レビュー(感想・評価)
二つの物語が、交互に展開するため、前のストーリーを良く覚えていない...
二つの物語が、交互に展開するため、前のストーリーを良く覚えていないと、全体のストーリーが分かりづらい。
1901年からのビトーのストーリーは、セピア色かかった映像で、ロバート・デニーロがイタリア語を堪能に操りながら、かすれ声でビトーがドンとしての歩みを始めるまでを演じきっている。臆せず、動ぜず。自分が恩義を感じたり、自分を頼ってきた者のためには、危険を顧みずに便宜を図ってやる。それが、ファミリーの鉄則のようだ。その土地のヤクザのファヌッチを殺す手口なんかは冷静で、とても初めてとは思えない。故郷のシチリアに家族と共に帰った時には、父、兄、母のかたきのドン・チッチオをナイフで切り裂いて殺し、復讐を遂げる。恩義は、忘れない。と共に、復讐も忘れないということだ。
1958年からのパートⅠに続く、マイケルの物語は、ニューヨークからネバダに本拠地を移し、賭博やホテル業で、力づくで拡張し、合法化を目指す物語。しかし、強引なやり方により、周囲のマフィアとの軋轢が激化していく。ハイマン・ロスは、ビジネスパートナーを装いながら、マイケルを二重三重の罠にハメてしまおうという老獪さが凄い。フランクの暗殺未遂を企て、マイケルに容疑がかかるようにする。老齢になるまで、生き残ってきたのは、裏の手口が巧妙だからだろう。マイケルは、ハイマン・ロスの腹心、ジョニー・オラとフレドとの間に面識があるにも関わらず、フレドが嘘をついて会ったことがないと言ったことから、フレドが裏切り者と確信し、自宅襲撃の首謀者がハイマン・ロスと確信する。ハイマン・ロスは、マイケルに、ラスベガスの創始者モー・グリーンを殺されたことに対する強い気持ちを口にする。それが、マイケルを殺そうとした動機なのだろう。マイケルは暗殺者を差し向け、ジョニー・オラを殺すが、ロスには失敗。帰国後、フランクが裁判の証言者に立つことになり、今までの悪事が暴露されるピンチに立つ。フランクの兄を呼び寄せて圧力をかけ、証言されないで済む。がしかし、一部始終を聴いていた、ケイは、家を出ていくことを決意。
フレドの裏切りが家族を危険に曝し、妻であるケイがお腹の子を堕胎し、妻が家を出ていくことになったマイケルの怒りはおさまらない。せっかく、家族のために組織の合法化を目指してきたのに、水の泡。感情的になったマイケルは、フレドを殺させ、ハイマン・ロスを暗殺させ、フランクには自殺をさせる。
ストーリーをなぞってみたが、改めて、相手を安心させておいて、裏では手をまわして裏切る、殺すという手口が徹底していることがわかる。自分がそういう世界に身を置いているということは、自分の周囲、家族にも、その影響が及ぶということ。家族に対しても安心できる人は、ほぼいない。マイケルがビジネスを含めて信頼しているのは、トム・ヘイゲンだけだ。時代が変わって、売春、麻薬が幅を利かせ、一般人をも巻き込み、巨額のマネーが動く世の中になってしまい、ファミリー以上に、損得や利益のためなら何でもする世の中になってしまった。ビトーの時代のように、上手く行かない理由がそこにあるのだろう。
ゴッド・ファーザーとして、周囲から頼られる存在から始まっているのだが、時間と共に、離別、裏切り、殺される等で、家族がバラバラになり、マイケルは孤立、孤独を深めていく。最後、マイケルが、1941年のビトーの誕生日の回想するシーンがそれを物語っている。ただ、この頃から、マイケルは、他の家族とは違って一人で事を進める傾向があったようにも見える。皆が父の誕生日を祝おうという時にも、父に内緒で軍隊を志望したこと、お祝いをしに部屋を皆が出ていった時も、一人部屋に残ることなどから透けてみえた。
※更に細かくみると、ラス・ベガスを作ったモー・グリーンやハイマン・ロスは、ユダヤ人であることがわかる。金中心、損得中心の社会は、ユダヤ的な社会だ。ユダヤ人の結束は固く、やり方も巧妙。ユダヤ人は、選民思想で、その経典「タルムード」によれば、ユダヤ人以外はゴイム(獣)らしいから、他の人種が麻薬、売春で身を滅ぼそうが、騙して金を巻き上げようが関係ないと聞く。パートⅡでは、裏社会を操るものとして、ユダヤ人が描かれている。ギーリー議員を買収し、政治家を操り、キューバというアメリカとは政治や法体制が異なる異国で、砂糖、果物、通信や交通、観光業でぼろ儲けしてきた様子も描かれている。その罠に嵌り、議会で追及されて、マスコミにリークされ危うく失脚するところになるのも、ユダヤ人の常套手段だろう。
フランシス・フォード・コッポラは、マフィアを描いたのではなく、アメリカという国そのものを描いたとインタビューで答えているのを聞いたことがある。そうなのだ。これこそが、アメリカの本質。アメリカ社会の闇を描いているという点で、弛緩がなく、意味がないシーンがないことからも、これこそが傑作というに相応しい映画だ。