「パートⅠと基本構図が同じ」ゴッドファーザーPARTII よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
パートⅠと基本構図が同じ
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オープニングのシークエンスが結婚式。その式が行われている屋敷の奥では、ゴッドファーザーへの忠誠が誓われている。
これはパートⅠと全く同じ構図である。違いはと言えば、パーティー会場に流れる音楽が、パートⅠではイタリアの土俗的なものだったのに対して、時が流れたパートⅡではダンスのための音楽がアメリカナイズされていることである。
これは、この作品では、彼らファミリーのアメリカ社会への浸透ではなく、アメリカというもののファミリーへの浸透、つまり、彼ら自身のアメリカナイズが描かれることの宣言であるかのようだ。
変奏曲。パートⅡのパートⅠに対する位置づけを一言で表わすならばこうであろう。
パートⅠと同様、追い詰められ危機に陥ったマイケルがとった戦略は、連携した敵たちを同時に殲滅するというものだった。
主人公のマイケル・コルレオーネは、父の辿ってきた道に思いを巡らす。これは、ロバート・デニーロが父ビトーを演じるセピア色の部分に限らず、現在進行形のマイケルの物語においても彼の心中にあるのものは常に父親への想いである。
ファミリーとしての信頼、結束が崩れていくのは、果たして父とは時代が異なるからなのか、それとも自分と父の力量の違いによるものなのか。マイケルはその逡巡から離れることは出来ない。
糟糠の妻、実の兄、子供のころから信頼してきた者たちによる裏切り。これに対して冷徹に対処すれば自分の周りには誰もいなくなってしまう。
皮肉なことに最後に傍に残ったのは、二度目の出戻りをしてきた不肖の妹ひとりである。
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