ゴッドファーザーのレビュー・感想・評価
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ファミリーの絆・・・闇に上り詰める・・・
BSでの鑑賞です。 いやー、何度見ても面白い。正に名作中の名作、後生に残るであろう最高の一本です。
終始迫り来る緊迫感とでも言いましょうか。とにかく気が抜けない。見終わった後はぐったりしてしまう。
冒頭の結婚式シーンのなんと穏やかなことか。
そう言いながら、キナ臭い香りのする会話が折り込まれる初っぱなから釘付けですね。
そして、抗争はもうド迫力です。日本でいうヤクザ映画、まぁ、マフィアの抗争の方が大がかりだとは思いますが、ホンッとゾクゾクです。
その中でアル・パチーノの成り上がり?のしあがり?
この生きざまが凄まじい。正にドンです。
そして、特筆すべきは音楽の素晴らしさ。あのド派手な場面の連続の中で、この染み入るようなメロディ。名曲中の名曲とはこの事か! とにかく、色褪せることの無い今見ても最高の一本でした。
とは言え、自分もリアルタイムで見たわけではないんです。公開より十数年後、かなり大人になってから見たので、この面白さについていけたかなって感じです。音楽はもっと前から気に入ってましたが。
家制度とその部品
昔観た時は(えっケイがいるのに新しい彼女とあっさり結婚⁈)とびっくりしたのだけれど、今回見直して(あ、マイケルはもうケイでもアポローニアでも他の誰かでも構わなかったんだなー)と納得できた。
シチリアマフィアの結婚観は日本の家制度ととても似ている。大切なのはファミリーの維持なので、各パーツが適正に嵌め込まれていればそれでOK。
カトリックな上に「家族を大切にしない奴は男じゃない」とパパが言いうのだから結婚は必須だ。ホモソーシャルな世界でのトロフィー的価値を考えれば美人が望ましいが、息子を産み育て家庭を管理するという役割をきちんと果たせれば実のところはどれでもいい。妻は対等な人間として選ばれる訳ではない。
ファミリーの外で自由に生きる特権を手放したマイケルが長く放っておいたケイにいきなりプロポーズしたのは、恋愛に余計なコストを掛けたくなかったからだろう。彼女は妻候補としてすでに採点済みだしYESを取れれば手間が省ける。結婚したら「妻として」大切にすればいい(なので彼女はドアの外に閉め出されてしまう)
少し前に再見したワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカはかなりロマンティックに描かれていて、育ちの悪いギャングがフランス料理店を借り切るシーンでは食事風景を見せなかった。
でもゴッドファーザーでは下っ端は下っ端らしく食べファミリー上位だとそれよりきれいに食べるのでノイズに邪魔されずに見ていられた。甘く曲げない精密描写の積み重ねがこの映画の重厚さを支えている。
身内だけに注がれる狭い愛情ばかりで、家族愛などの人間ドラマには感情移入しにくい
名作として名高い今作に否定的な評価をするのは心苦しいのですが、個人的にはまったく普通の印象でした。確かに俳優陣の強烈な魅力や演技力には脱帽ですし、マフィア同士の抗争を通して、家族愛などの人間ドラマをメインに描くというのもいいと思います。しかし、不遜な言い方をさせてもらえれば、映画にせよ小説にせよ、どんなジャンルでも、人間ドラマを描くことは当たり前のことであって、とりわけこの作品が突出して凄いとは思えませんでした。
結局はマフィアとしてうまい汁を吸い、非合法なこともしているから命を狙われるのであって、それに対処した事をもって「苦難を乗り越えた勇気や家族愛」と評価するのは少し違うのでは?と思ってしまいます。例えば映画出演をめぐってのエピソードでは、明らかにソニーに非があるのに、堅気であるはずのプロデューサーに対して、愛馬の首を切り落とすような暴力的で残虐な脅しを仕掛けたりするのは、マフィアの仁義には反しないのでしょうか?身内のためなら、そんな卑劣極まる行為すら正当化するのがマフィアの「家族愛」なのでしょうか?私がボスなら、「そんな腐った性根でいい演技が出来るか!」と一喝しますし、それが本当の家族の愛情なのでは?
この作品からは「身内だけに注がれる狭い愛情」ばかりで、ヤクザ者として貫き通すべき「仁義」や「義侠心」といったものが感じられません。その際たるものが、マイケルの逃亡先での結婚話でしょう。心通わすイベントも、結婚の必要性も無いのに、まるで「暇つぶし」のような感覚で結婚。結果、あんな目立つことをしたせいで、相手の女性は身代わりになって死ぬことになったのに、その後あっさり昔の女と縒りを戻し、その事に何の痛痒も感じていないマイケルには嫌悪感すら覚えました。ラストにしても、マフィアのボスとしての大きなリターンを考えれば、カッコつけて「闇の世界に身を投じる覚悟」と言う程のものでもないでしょう。下っ端を経ることなく、いきなり組織のトップになれるなら、私だって「やってみようかな」くらいの事は思いますよ(笑)。ましてここは自分の「身内の組織」なんですから、なおさらでしょう。個人的にはこの作品も神格化されすぎているように思いました。
色あせない名作!ドン・コルレオーネの組織の統率力に注目!
午前十時の映画祭にて久々に鑑賞しました。
多分20年以上見てなかったと思います。
なので細かい部分は忘れていたところもあり新鮮な気持ちで見ることができました。
3時間弱の上映時間ですが全くだれることなくむしろ短く感じられました。
大昔、初めてこの映画をテレビで見たときはオープニングの結婚式の場面が冗長に感じられたものですが、今見ると結婚式のさなかというのにファミリーの陳情に耳を傾け、瞬時に判断しテキパキと部下に指示を出すドン・コルレオーネの威厳を感じさせる場面や、このときはまさか自分が跡を継ぐとは夢にも思わない三男マイケルが恋人と楽しそうに過ごす場面、そして後に悲劇を呼ぶことになる結婚式の主役コニーとその夫カルロなど映画のテーマでもあるシチリア系移民の一大ファミリーの家族愛が感じられる貴重なシーンです。
そのドン・コルレオーネが銃撃された場面から一気に血なまぐさい抗争が繰り広げられますが、アル・パチーノ演じる三男マイケルが病院で機転を利かせて父を守り、策を練って自ら父の敵をとるあたりからの変貌ぶりがすごい。初めて人を撃つ前の緊張感が目の動きから伝わってきます。そして確実に実行する度胸。堅気の世界で生きることを望んだ父の思いとは裏腹に、血の気の多すぎる長男ソニーや頼りなげな次兄フレドと違い、冷静で頭が切れ度胸もある三男マイケルが一番跡継ぎにふさわしかったという皮肉。そして父の復讐を果たしたのを境に組織の人間に変貌していくマイケルを演じるアル・パチーノの名演技が光ります。
マイケルの逃亡先であるシチリア島のパートもいい。のどかな風景の中、護衛に守られながら逃亡生活の中で美女アポロニアとお互いに一目惚れし、すぐに行動に移すマイケルの強引すぎるやり方はすっかりマフィアの人間になってるし、かつての恋人のことなどまるで忘れたかのようである意味怖い。そして結婚してつかの間の幸せも追っ手が迫り彼女が爆死するという悲劇が襲う。
一方、銃撃されなんとか一命をとりとめたものの弱ってしまったドン・コルレオーネに替わって長男ソニーがファミリーの指揮をとるも、罠にはまりハチの巣のごとく銃弾を浴び絶命。ファミリーに危機が迫るなかドン・コルレオーネが5大ファミリーを集め抗争の終結を提案する。といったあたりから、生き残りをかけた駆け引きの面白さ、裏切り者を次々と粛清する怖さが見所たっぷりに繰り広げられていく。
今回久々に見て感じたことは、とにかくマーロン・ブランド演じるドン・コルレオーネが素晴らしいということです。目先の利益に飛びつかず麻薬を扱うと懇意の政治家が離れていくと考える大局的視点、タッタリアが意外と小者であることを見抜く観察眼、バルジーニが黒幕だと睨む推察力、バルジーニとの会談の話を持ってくる奴が裏切り者だと予想する洞察力。組織のトップに立つ人物のお手本のようです。ロバート・デュバル演じるトムも渋かった。組織にはボスの片腕として絶対必要な人物です。本当に味わい深い映画だなと改めて思いました。次に見た時は何を感じるだろうか。Ⅱも久しぶりに見たくなりました。
完璧な映画
コッポラの最高傑作
午前十時の映画祭にて鑑賞。作品自体初見です。もちろん、映画タイトルは知ってます。が、ストーリーは全然知らない状態で鑑賞しました。
イタリアンマフィア、コルレオーネ家の意図しなかった代替わりを軸にマフィア間の抗争や結び付きを、いい意味で淡々と描いており、3時間近い作品ながらあっという間に終わってました。終わった時も、この続きがあるんですよね?という期待感というかマイケルの今後が気になり、その後が観たいなと思いました。
それぞれのキャラが際立っており、それらの性格付、感情推移や駆け引きなどが恋愛パートも含めて表現、演出が秀逸です。マーロン・ブランド、アル・パチーノだけでないですが、その表情演技の細かい変化が妙なリアルさを出していたと感じました。
これ以上のコッポラ作品、ありますか?
あっという間の3時間(素晴らしい映画)
タイトルなし
午前10時の映画祭にて
フランシス・コッポラ監督応援📣
今週末私財投げ売って製作したとか言う話題の迷作メガロポリス控えてるのもあるので長い作品、監督の拘り作風に慣れておこう...
おとん世代は皆見ている、おかんは音楽好きだった(当時の有りがち夫婦)母が結婚式のシーンがずーっと続くのよねとか言ってたけど、本当だった...ファミリーの絆描いてるからなのか印象的な式のシーン多い、けど不思議と退屈しない、こんな所が名作たる所以なんだろうな ドン・コルレオーネのまるで議員みたいな生活お悩み相談教室、ヤクには決して手を出さない清廉さが良かった アル・パチーノも最初は可愛いらしい青年なのに、段々とマフィアのドンらしい風格が漂ってるからこれまた不思議 上に立つ者には機転も必要だよと思った
これがもしデ・ニーロだったらどんな風だったんだろう
マイルズ・テラー主演のゴッドファーザー制作裏話のドタバタドラマと合わせて見るととても面白い
映画の歴史
中途半端
全てにおいて中途半端というか詰めが甘い印象を受けました。
まず冒頭の結婚式の場面は冗長で退屈です。そのあとコルロネが暗殺されかけてからマイケルが復讐するあたりから面白くなります。しかし、マイケルがイタリアに逃げたあとは何の説明もなく初対面の女やその家族と仲良くなって結婚します。しかも彼にはアメリカに婚約者がいるのに。
で、そのイタリア人の妻は唐突に爆殺されます。このへんも説明がなくてよくわかりませんでした。マイケルがイタリアに行った件は全て削除してもいいと思います。
また、殴り合いや銃撃シーンの演技があまりうまくなく、拳が顔に当たっていないのがカメラに映ってしまっています。銃で撃たれたときの演技もわざとらしいです。冒頭で映画監督を脅すためにベッドに馬の首を入れておくところも、映画監督の叫び方が素人みたいで冷めました。
言わずと知れた名作なので一応最後まで鑑賞しましたが、もう観ないと思います。
凄く綺麗なリマスター映像で観れた。 何回も観てるし、何時でも自宅で...
ドン・コルレオーネ
オールタイム・ベストとかの企画があると大抵一位に選ばれる名作だけれど、何度も繰り返し観たい映画でも好きな作品でもない。
6月15日に閉館するイオンシネマ津。午前十時の映画祭。
一番大きなスクリーンで上映してくれていたので鑑賞。
やはり面白い。
冒頭の延々と続く(30分)結婚式のパーティー、まるでドキュメンタリーのような、主要キャストだけでなくモブの人たちに至るまで、誰ひとり演技をしているように見えない。画面のすみずみまで本物。これが最後まで一瞬の休みなく続く。緊張感半端ない。
そして、「ドン コルレオーネ」。背筋がゾゾゾ。
時代を超えて多くの人に支持される訳ですね。
アル・パチーノカッコいいのはもちろんだけど、自分が年取ってみると、マーロン・ブランドはあらためてすごい役者さんだなって思いました。
この後、雨後の筍のようにマフィア映画、ギャング映画が作られましたが、一線を画す名作には違いない。
(私のベストワンは「大脱走」と「七人の侍」。 ベストワン二つあるやないか)
古臭さを感じない名作
午前十時の映画祭で鑑賞。
もう50年以上前の作品ですが、リマスターされていることもあるのでしょうが、テンポ良く、全く古臭さを感じさせませんでした。今ほどコンプライアンスがどういう言われてない頃の作品なので、配役の人種割合や、ストレートな表現のセリフ、喫煙なんかも妙な配慮がなく、恐らく第二次大戦後のアメリカ社会をリアルに描かれていると思います。
最近目先のことで自分の都合のいいようにコロコロ変える人が多いので、改めて『筋を通す』ということの重要性を感じました。ちょっと手荒なやり方ですけどね。強いて言えば、相関図みたいなのを事前に見ておくと、より分かりやすいかも知れません。
役とは言え、当時マーロン・ブランドはまだ40歳代。なかなかの貫禄です。
神話のようなすごい映画ーー血縁・忠誠・資本主義の交錯点
随分前に2回くらい見ているはずなんだけれど、覚えていなかった。
タリア・シャイア(『ロッキー』のエイドリアン役)が出ていてびっくり。他もオールスターである。マーロン・ブランド、アル・パチーノ、ロバート・デュヴァル、ダイアン・キートン、そしてジェームズ・カーン。主役である初代ドン・コルレオーネを演じたのは、マーロン・ブランドだった。最高である。
ニューヨークのイタリア系マフィアの物語。移民一世のドン・コルレオーネから、二世への継承がテーマだった。
では、何を継承するのか?
マフィアとは? と聞かれたら、暴力を武器に違法な仕事で高い利益を上げる集団──そんな答えになるだろうか。
しかし改めて、その定義からは抜け落ちる、独自の集団の論理と倫理がこの映画からは伝わってくる。
この映画から教えられるのは、マフィアとは血縁による家族的な愛情を中心とし、その周縁に親分子分的な、やはり人情と貸し借りの論理で繋がる人々によって構成される集団だということだ。
冒頭でそのマフィアの論理がわかりやすく示される。
子分が次々にドンに自分のトラブル解決を頼んでくる。それを解決してやることで、ドンは“愛情”を示す。
愛情の借りは金では返せない。子分はドンに貸しができる。それを“忠誠”に変えて少しずつ返していく。そして、いつか自分がドンから「力を貸してほしい」と言われたときには、命がけでそれを返す。
けっこう、このルール運用は難しそうだ。ドンは大変なのだ。誰にでもできるわけではない。
清濁合わせ飲む胆力、リーダーシップ、周囲より一段も二段も上の高い認識や人格がいる。
だからこそ、グループメンバーからは大きな尊敬と敬意が向けられている。そしてその敬意がないと、そもそもこの組織は回らない。
マフィアの特異性は、血縁や地縁的な愛情と貸し借りの論理を中核に持ちつつ、同時に利益共同体でもあることだ。
ふつう、利益共同体は金銭的価値の測定による等価交換がルールである。それが資本主義のルールだと思うが、そこが歪んでいる集団だからこそ、結局そのルール同士の矛盾を暴力によって解消せざるを得ない運命を背負っている。
劇中、ニューヨークから祖先のルーツであるコルレオーネ村に、二世であるアル・パチーノ(マイケル)が身を隠しに訪れる場面がある。
村には人気が少ない。理由は、「抗争によって皆殺されてしまったから」というセリフによって説明される。
つまり彼らは、イタリアで立ち行かなくなって食い詰めて、世界一の経済都市ニューヨークにやってきたのだ。
そこでなら、経済と法のルールではない論理で動く彼らのような集団が必要とされ、機能して、食べていける。
二世であるドンの子どもたちは、父から血縁のルールを学んでいる。
しかし、繁栄する資本主義社会のなかでそのルールとリーダーシップを完全に学ぶことは、あまりにも困難で、たくさんいる二世の兄弟たちは皆、何らかの混乱を抱えて生きており、次のリーダーにはふさわしくない──ということが、映画を見ているこちらにも伝わってくる。
ドンはこのマフィア世界のルールのなかで、あまりにも偉大なのだ。
しかも、麻薬だけは扱わないという、マフィア世界の中での高い倫理観を持っている。
そのなかで、大学を卒業したばかりのマイケルにはドンは目をかけていた。
彼には素質があった。ただ、その素質を開花させたのは、コルレオーネ村での短期の生活、そして結婚という体験ではないか。
一族のルーツにただ一人短期移住することで、彼はマフィアの論理と倫理を内面化し、一皮むけて帰ってくる。
ダース・ベイダー誕生のようでもある。
役者陣はもちろん、ニーノ・ロータの音楽も素晴らしい。
あの有名なテーマ曲はなかなか流れない。そして「ここで流れるのか」という、そのタイミングは、上述した“倫理の内面化”とも重なっていて、鳥肌が立った。
まだ30代でこの映画を撮ったフランシス・フォード・コッポラ監督がすごい。
映画なのに、こうして社会システムや倫理体系を教えて、考察させてくれる描写を、このドラマチックな神話的映画に盛り込んでいるのだから。
パート2を続けて、大画面で見たい。どこかで上映しているだろうか。
家族
「文句は言わさん」
午前十時の映画祭15にて鑑賞。
我が生涯不動の第1位(本音を言えばPARTⅡの方が好きなのだがコルレオーネ・サーガということで)。劇場鑑賞は2015年に開催されたシネマ・コンサート以来二度目。
マリオ・プーゾの原作を手にしたのは15歳の冬だった。裏社会の物語ということで2日ほど逡巡したが、「感化されない」ことを条件に読んだ。以来、堅気だがすっかり本作の世界観に染まっている。お蔭様で頬杖のつき方、椅子の座り方に至るまで周囲からはことあるごとに「偉そうな」と形容されるようになった。
それにしても「怖い」こと以外非の打ち所がない作品である。撮影を担当したゴードン・ウィリスが切り取った映像は全てが絵画であり、自身も「撮影にあたってはレンブラントを念頭に置いた」というくらいどこをとっても光と影のコントラストが最大限に活かされている。
そして本作を観るたびにマーロン・ブランドは天性の役者だと痛感する。製作当初、パラマウント側はブランドの起用に消極的だった。私生活でのトラブルが後を絶たず、撮影に入っても役作りはおろか台詞すら満足に覚えてこないのが当たり前だった。しかしコッポラが恐る恐るブランドに打診をしてみると、ブランドはコッポラ達の前でチーズのピースを下顎に詰め、髪を靴墨で染めて見事にドンを体現した。それを見たコッポラが「ヴィトーはブランドしかいない」と確信したという。実際の撮影でもブランドは全く台詞を覚えてこず、冒頭の結婚式のシーンなどは対面する相手の体に貼り付けられたカンペを読んでいるだけなのだが、誰がどう見てもそこには巨大ファミリーを統べる男の姿しかない。恐らくブランドには役作りなど必要ない、芝居にかけては正真正銘の天才なのである。
ブランド同様に下馬評を覆したのが、当時無名だったアル・パチーノだ。こちらもマイケル役は当初ロバート・レッドフォードが検討されていたらしいが、「イタリア系の俳優が演じるべきだ」とコッポラが主張しマイケル役の起用が決定した。その後の大活躍はご存知の通りである。アル・パチーノの大きな目がいい。あの目こそがマイケル・コルレオーネの冷徹の象徴と言っていい。特にラストシーン、表情ひとつ変えないマイケルと、その姿に絶望するケイ(演:ダイアン・キートン)の怯えきった表情の対比、そしてそれを唐突に遮る扉からのエンドロールという一連のシークエンスは何度観てもゾクゾクする(この目が次第に濁っていく様子を追っていくとPARTⅢもかなりの名作なのだがね、如何せん前2作があまりにも強すぎた)。
個人的に不満なのはこの作品がスケールの大きい暴力映画と思われていることだ。自分は幸運にも原作小説から入ったので、シチリア島の歴史やヴィトーをはじめとする主要人物の生い立ち(PARTⅡのデ・ニーロのシーンがこれにあたるが)を念頭に置いて映画を観ることができた。つまり元から「家族の物語」として観たわけだ。しかし時間の制約上、本作ではそこまでリソースを割けていないので、何故ヴィトーが家族を重んじるのか?そしてPARTⅡ以降で何故マイケルが苦悩するのかが刺さりにくいのである。もし余裕があれば、原作小説にも目を通していただきたいというのが本音である(因みに、劇中1回しか流れないにも関わらず最も有名なテーマ曲が何故「愛のテーマ」なのかも小説によって見えてくる)。
久々だったが全く色褪せていなかった。惜しむらくは、私が割と早い段階で催してお手洗いを気にし始めたことである。それだけがワシの心残りである。
名作と知っていてもなお 名作と思えた
率直な感想は、いや〜。面白かった。
3時間くらいの長編だったけれど、時間を忘れて入り込んだ。ゴッドファーザーの末っ子の息子マイケル。大学。卒業してすぐの彼は、ケイという彼女がいて、コルレオーネ兄弟の中でも1番、無垢で心穏やかな男の子の印象を受けた。血は繋がっていないが兄弟のトム。彼は家族の相談役。淡々とマフィアファミリーとしての仕事をこなす。実兄のサニー。サニーは家族思い兄弟思い妹想いの情に熱い素敵な男性。妹の旦那が敵と手を組んだために銃で撃たれて死ぬ。妹を心配する心と裏腹な一件で、この映画で1番私の心に来た…。
後にマイケルがゴッドファーザーの後任となる。賄賂で敵と手を組む警官を銃で売った時が、マフィアとしての彼のスタートである。若い頃の彼の浮き足だった表情から、映画の終盤にかけ徐々に風格を増していく様子が印象深い。
表面だけをみると、人を殺しお金を動かし復讐しの繰り返しのように見えるが、ファミリーには愛が存在していた。
ゴッドファーザーは家族想いであるし、いち人間としての心がある。年齢を重ね、後継のマイケルを心配する様子や、サニーが亡くなり悲しむ表情、孫と遊ぶ様子、裏社会のボスであり、権威のあった彼でも、年齢を重ね、父親としての愛情が溢れ出ている様子も良かった。
シーズン2では、ゴッドファーザーの生い立ちを見れるようなので、たのしみ。
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