心の旅路のレビュー・感想・評価
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耐えて忍んで貫く女性の愛の軌跡を丁寧に描いた古典メロドラマの秀作
「哀愁」のマーヴィン・ルロイ監督が手掛けた大人向けのメロドラマの代表作。
「チップス先生さようなら」のジェームス・ヒルトンが1941年に上梓した原作を程なく映画化して、翌年の1942年の第二次世界大戦中に完成した。日本公開が戦後の1947年で、キネマ旬報のベストテンでは、ヒッチコックの「断崖」とフォードの「荒野の決闘」に次ぐ高評価を得ている。記憶喪失を題材にして男女のこころの綾を丁寧に描いた逸品として当時話題になったことは、日本題名の”心の旅路”が記憶喪失患者の代名詞になった逸話からも想像できる。ただ個人的な印象は、初見が中学生の頃だった為か、ヴィヴィアン・リーが悲劇のヒロインを演じた「哀愁」ほど感動はしなかった。今回見直して、それはある程度仕方ないことだったと分かった。特に後半の展開で、ポーラが秘書マーガレットとして登場してから主人公チャールズ・レーニエと契約結婚に近い関係を持つところが理解できなかったと想像する。また、それを含めて、ヒルトンの原作の構成を大きく変えた脚色が大きく影響しているようなのだ。
双葉十三郎氏の批評文からの引用になるが、原作では後に男性秘書になる青年が汽車の中でチャールズと言葉を交わすことから始まり、それが1937年の11月11日の休戦記念日である。職場で気を失って、二年後にリバプールの公園のベンチで自分を発見してからのチャールズの身の上話が青年に語られる。秘書になった青年がその欠落した2年間の記憶を蘇らせるために奔走する内容が主軸のようだ。映画ではラスト、ハリソンという部下がメルブリッジの街をチャールズと一緒に歩き、初めて訪れるのに路地裏の煙草屋を知っていたことを指摘し、これを切っ掛けに急展開する。原作と映画の大きな違いは、ポーラとマーガレットが同一人物であることを最後に種明かしする小説に対して、映画では後半早々実業家チャールズの前にポーラのグリア・ガースンがマーガレットになって現れてしまうことである。この時のドアにパン移動するカメラの動きで演出上予想できるも、何故秘書になったのかがすぐには理解できない。それを精神科医師ベネットとの会話で補足説明しながら、ベネットの片想いも匂わす男女の関係を入れている。それによって、この映画の見所は、チャールズを目の前にして彼の自然治癒を願う、ポーラの辛抱強い愛の力と美しさに焦点が絞られている。二人が出会った1918年の11月11日からほぼ20年近いポーラの愛の軌跡が、ラストシーンの劇的なハッピーエンドをいやが上にも盛り上げる。ポーラの決して感情に走ることなく耐え忍ぶ女性心理をきめ細やかに描いた大人の映画であり、中学生では理解しきれないと改めて感じ入った次第なのだ。
3人の作家によって練られた脚本をルロイ監督は終始落ち着いたタッチで演出している。小道具の使い方もスマートでとても分かり易い。ポーラとスミシーが新居とする慎ましやかな家の鍵が、再び二人を結び付けるキーになっているのが良い。貧しいながらも瞳の色と同じネックレスをプレゼントされたポーラが、スミシーの形見のように大切に持っているのも、国会議員となり大臣に出世して地位と名声を得たチャールズからプレゼントされた結婚3周年記念”フランス皇后のエメラルド”との対比で綺麗に使われている。高価な宝石より、愛されている実感のあった幸せな時を象徴するネックレスの方がポーラにとって何倍も価値があるのだ。このシーンの演出もいい。エメラルドを宝石箱に仕舞おうとして視線を落とすと、そこに想い出のネックレスがある。ここで二人が初めてチャールズの喪失した記憶について真剣に語り、ポーラが勇気を持って告白するのだがチャールズの反応はない。悲しみに打ちひしがれて泣き崩れるポーラの足元にそのネックレスが落ちている。その前にスミシーが泊まったリバプールのホテルで保管されていたトランクを二人で確認する場面の、シャツのすり切れた袖を指でなぞるポーラを捉えたカットも印象に残る。
主演のロナルド・コールマンは、”コールマン髭”で有名な俳優の知識しかなく、作品もこれ以外観たことはない。それでもこの時50歳で演じたイギリス紳士の誠実で思慮深いチャールズ・レーニエと記憶喪失の瞳が定まらないジョン・スミスを見事に演じ分けている。流石にジョン・スミスの時の年齢の違和感は否定できないが、後半の渋い男の魅力は十分過ぎるくらい表現されている。ポーラを演じたグリア・ガースンは目鼻立ちのハッキリした健康的な美しさが前半の幸福感を形成している。特に笑った時の表情が素敵な女性で人柄の良さが滲み出ている。話は逸れるが、淀川長治氏がハリウッドに行った時、確か三人目の旦那さんと居た大きな邸宅に招待されて会話が弾み、一緒にピアノで歌った気さくなエピソードを読み知って、好印象を持ったハリウッドスターだった。「チップス先生さようなら」「ミニヴァー夫人」「キュリー夫人」と30代後半の作品しか観ていないが、この映画が彼女の代表作にして最良の演技を見せていると思う。端役で嬉しくなってしまったのが、「素晴らしき哉、人生!」で翼の無い二等天使を演じたヘンリー・トラヴァースと「わが谷は緑なりき」の盲目のボクサーを演じたリス・ウイリアムズが出ていたこと。それに役者名は調べられなかったが、「わが谷は緑なりき」で嫌らしい神父を演じた人も好キャラクターで出ていた。それらに気付くほど、この映画は端役を物語の中に過不足なく使い、主人公二人を取り囲み引き立つようにしている。
ルロイ監督の演出を奇麗に収めたジョセフ・ルッテンバーグの撮影と美術・装置も素晴らしい。この時代の安定感ある映像美に魅了されてしまう。池のほとりでスミシーがプロポーズするシーンのセット撮影の美しさ。奥を自転車に乗ったポーラが走るショットの絵画のような構図とモノクロ映像の光の鮮やかさ。ファーストシーンの霧が掛かった精神病院から、逃避行した先で田舎の景色を望むふたりのショット、そして川を渡った先にひっそりと佇む小さな新居のショットと、どれもがロマンティックな情趣で統一されていている。
兎に角、物語の良さを全て語るのが困難な程、一つ一つの演出の丁寧さと、伏線と回収のストーリーテリングの細かさは傑出している。またそれを意識しなくとも、物語が語る人の心の軌跡(奇跡)をじっくり鑑賞するのに最良の女性向けメロドラマの秀作であるので、理屈抜きでラストシーンを一度堪能することをお薦めしたい。そこに映画の素晴らしさがあるのだから。
最近観た昔の傑作映画
映画好きの私が今までこの映画を知らなかったことが恥ずかしい。
記憶喪失にまつわる映画は多いが、これもその一つでその中でも傑作と言える。記憶喪失が戻るまでの二人の物語だけでも恋愛映画として観ても感動できる。所々絵のように美しいシーンが印象に残る。逃避行の駅で降りた遠景を眺める二人のシルエット。木の下でのプロポーズ。新婚生活の桜の木に囲まれた家へ入るシーン。後半(車の事故後)で印象に残るのは、彼女が初めて秘書としてドアから現れるシーン。はじめ、まさか本当の彼女だとは思わず(私だけかな?)、無意識のうちに似ている人を秘書に採用したんだと思ったが、実際本物の彼女だったとはすごく驚いた。また、婚約者(キティ)が教会で賛美歌を選ぶために教会へ行ったシーンで、彼の目を見て、他に好きな人がいると感じとった時の、何も言わないのに彼女の目がそれを表現しているカメラワークと女優の無言の演技は特筆もの(キティ役のスーザン・ピーターズは残念なことに、31歳で病死)。
ラストは、多分だれでも想像できたと思うが、それでも感動してしまう。幸せな気分になれる映画。星5つにしなかったのは、二人の子供が死んでしまったという事実がちょっとかわいそうで、フィクションとはいえ個人的には納得できなかったこと。
包み込む愛の深さ
記憶を失う英国陸軍大尉をロナルド・コールマンが、
心優しい踊り子ポーラをグリア・ガーソンが演じていた。
大輪の花のように美しいグリア・ガーソンの優しく包み込むような笑顔で、あのような温かい言葉を掛けられたなら、誰しも虜になるでしょう。
深い愛情の美しさに心洗われる作品。
NHK - BSを録画にて鑑賞
記憶喪失映画の金字塔
記憶喪失を題材としたロマンティック・ラブストーリー、母が大好きだった映画。
原作の悲劇要素を希釈し善意の人々の思い遣りに満ちたハートウォームな物語に仕立てました。
主人公は原作では20代の若者でしたが映画では渋い紳士風、観客層を意識したのでしょう。ただ、いくら姪のキティが早熟でも不釣り合い過ぎますね。映画で感心するのは無償の愛を貫くポーラ(グリア・ガーソン)の気高さです。真実を告げずにじっと待つ奥ゆかしさは時代を感じさせます。キティ(スーザン・ピーターズ)もチャールズ(ロナルド・コールマン)の眼差しに愛する別の女性の面影を察知、若いとはいえ女性の勘の鋭さは凄いですね。マービン・ルロイ監督の女性観なのでしょうか、彷彿とした女性へのリスペクトを感じます。原題はRandom Harvest:不揃いな収穫?、これではなんだかわかりません、邦題の「心の旅路」は秀逸ですね。
脱線ですが、まるで作詞家の阿久悠さんが描いたような物語、踊子のポーラから「ジョニーへの伝言」、メルブリッジの街で記憶が蘇るくだりでは「五番街のマリー」が頭の中で流れました。ロマンティックの神髄は悲恋なのでしょうが王道のハッピーエンド、これほど持ってかれるラストは久々に観ました。クラシック名画万歳です。
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