「映画の父、グリフィス監督の映画表現法確立の記念碑的大作」国民の創生 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5映画の父、グリフィス監督の映画表現法確立の記念碑的大作

2020年4月18日
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鑑賞方法:映画館

映画が見世物としての娯楽性だけではなく、芸術としての表現法を確立した記念碑的アメリカ映画の大作である。上映時間も12巻の165分と、当時の興行常識を打ち破る画期的な作品。但し、内容に関しては問題がある。監督のD・W・グリフィスは、南軍大佐だった父親を持つ影響からか、南部白人社会の一方的な価値観で占められている。それは第一に黒人差別であり、同時に白人至上主義である。アメリカ建国から自由主義社会の謳歌までが、黒人の人たちの犠牲の上に成り立っていると解釈できる。南北戦争で北軍が勝利を収め自由を得ることが出来た黒人の人たちが、再びK・K・K団の制裁によって沈黙していく姿は悲惨極まりなく、その扱いは映画の悪役の枠をはみ出している。白人が善で、黒人が悪の偏った正義感には、どうしても嫌悪感が生まれてしまう。唯一の教訓は、20世紀初頭のアメリカの人種差別意識が色濃く反映された記録性に想いを寄せることである。

物語はその南北戦争と、k・K・K団と黒人の闘争の二つに大きく分けられて、スペクタクルシーンの連続に圧倒されてしまう。南北戦争のシーンは、これ以上の迫力をスクリーンに描き収めることが不可能と思わせる程に凄い。大砲の立ち上がる煙の大きさ、広大な大地に長く並行する北軍と南軍の機銃戦、逃げる南軍の大群の移動と、スケールの膨大さでは、これ以上のものは無いのではないか。また、白衣を纏ったクラン団が馬に跨り疾走するシーンの不気味さと異様な感覚は、モノクロ映像表現として優れている。数百、いや数千という数になるクランズマンが、白人娘の救助に向かうシーンのサスペンスと、大平原の一軒家で黒人たちに取り囲まれた白人家族を救うシーンのスリルは、特筆すべき映画的演出の模範と言えよう。

映画技法のカットバックやクロスカッティング、そしてクローズアップやフラッシュバックなど、基本となるテクニックを生み出したグリフィス監督が、”映画の父”と称されることが納得の歴史的名作には違いない。この映画に関わった映画人に、ジョン・フォード、エリッヒ・フォン・シュトロハイム、ラオール・ウォルシュ、そしてドナルド・クリスプがいる。なんと豪華なメンバーであろう。無声映画は、この作品を契機に飛躍的に発展し、トーキー映画が誕生するまでの約15年の間に成熟し完成の域に到達していく。内容の問題を抱えても、その表現技法の貢献度の高さ故、高く評価することにやぶさかではない。リリアン・ギッシュの可憐さ、大きな目が美しいミリアム・クーパーの二人の女優も印象に残る。

1976年 10月7日  フィルムセンター

Gustav