活きるのレビュー・感想・評価
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【1940年代から60年代の激動の中国の中で、逞しく活きた家族を描いた作品。チャン・イーモウ監督が絶妙に検閲に掛からない様に近代中国の姿を描いた作品でもある。】
■1940年代の中国。
資産家のフークイは博打に明け暮れた揚げ句、借金で全財産を失い、妻チアチェン(コン・リー)も子供も家を出て行ってしまう。
全てを失ったフークイは生業である影絵芝居の巡業中、中国の内戦に巻き込まれやっとの思いで家へ戻るが、母は亡く、娘は口が利けなくなっていた。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・近代中国の政治的な変遷を見事に織り込んだ作品である。
・1940年代のフークイは、毎日朝まで博打の日々を送っているが、博打相手の龍二に家や財産を全て奪われ、身重の妻チアチェンにも去られてしまう。
ー だが、チアチェンは子を産んだ後、零落したフークイの元に戻り、皮肉な事に龍二は、中国共産党を築いた毛沢東により、”資産家”として処刑されるのである。
この辺りの描き方は、充分に中国共産党への批判を暗喩しているのであるが、チャン・イーモウは絶妙な脚色でそれを前面に出さないのである。-
・1950年代。
戦時を共にした(共産党VS国民党)の相棒の春生が区長となるも、フークイとチアチェンとの大切な一人息子有慶を、誤って轢き殺してしまう。
ー この際の、チアチェンとフークイの春生に対する対応の違い。それはそうだろう。死を共にしたフークイと、大切に育ててきた息子を殺されたチアチェンとの違いは良く分かる。
・1960年代。
一人娘の、鳳霞(その前に熱病で、口が利けなくなっている)が無事、結婚し子供を授かるも分娩時に亡くなる。頼りにしていた反共産主義としてロクな食事を与えられていなかった王先生に饅頭に7個も与えるも、先生、食べ過ぎて死亡。
鳳霞も、出産後死亡。
ー 物凄いシニカルな展開である。チャン・イーモウの毛沢東への批判がビシバシ出ているシーンである。-
<今作は、毛沢東時代の中国で、政治状況の変遷に翻弄されつつ、必死に、たくましく生き抜こうとする家族の姿を描いた作品である。>
■映画を制作、公開しづらい国。それは、イラン、中国、最近ではロシアであろう。
・イラン アッバス・キアロスタミ監督が絶妙なる作品を創り出していた。
ジャヒール・パナヒ監督は”終生映画を作る事を禁じられたが”「これは映画ではない」を制作し、近年では「ある女優の不在」(秀作)を公開している。
・中国 チャン・イーモウ監督が、名作を多数公開している。最近作では「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」が良作である。制約がある中で多数の世界に映画を発信している姿には頭を垂れる。(本当に大変だと思う。)
・ロシア ・・・映画は公開されていない。
■映画はその国の文化度と比例すると、私は思っているのである。
ロシア政策の映画を観る日は、何時来るのであろうか・・。
イーモウ監督の傑作のひとつ
1940年代、1950年代、1960年代の中国の大きな変革の波に翻弄された、人間万事塞翁が馬のことわざのような人生を歩んだ一家族の物語で、イーモウ監督の傑作のひとつだ。ただ、二人の子供を失ってしまう展開は見ていて辛すぎる。
10年代ごとに波乱の時代に
このように10年、decade でこれだけ世の中が変わり、街の色合いが変わり、信じなければいけない従わなければいけないものが変わり、それでも人間としての信条、生きる道筋を通し生きて活かしてきた人たちの強さ。
なによやらコンリーが強く逞しく美しい。冒頭最悪な(いわゆる旧悪)優男風な夫も意外と筋が通っていて柔軟性がある気持ちが良い人物。
賭博で財産を失なったことで腐ることなく真面目にそして中国革命の変化の中でも生き延びることができた、稀有な人生、変化する動乱の時代を乗り越えた夫婦。共に戦場で生死の別れ目を経験した春生や娘婿やその仕事仲間たち、文革で自己批判させられる地区長など、密告や激しい競争心、権力闘争の時代であったと思うかその中で生き延びようとする人たちの暖かさ、隣人家族愛、組織的ではない人間本来の互助や利他の気持ちがよく描かれている。凄惨な時代背景のなかソフトな描写ではあるが、内戦や大躍進や文革の不条理、滑稽さと残酷さを描きながらそれを凌駕する家族隣人愛、ペーソスの利いた中国現代史の中の性の記録として感動した。
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