「戦後5~6年で、誰もが生き生きと生きていけるものなのか?」生きる(1952) talismanさんの映画レビュー(感想・評価)
戦後5~6年で、誰もが生き生きと生きていけるものなのか?
昔の邦画によくあるのが男性の声によるナレーションだ。客観的な印象を与える全知の語り手のような、または観客が感情移入しないように茶化す狂言回しのようなそんな感じの話し方。映画冒頭にいきなり映し出される胃のレントゲン写真と共に流れるナレーションはそのどちらの役割も持っている。そして映画の途中で主人公は死んでしまって翌日の通夜場面。この構成は凄いと思った。通夜では遺族や市役所の役人達や「偉い」助役が主人公について語る。それは「藪の中」であり「羅生門」のようだ。何が真実かわからない。でも公園作ってくれ!のお母さん達、最後を見ていたお巡りさんが弔問に来ることで温かみを纏った真実が顔を出す。でも役所は変わらない。
「生きる Living」を見て黒澤版も見なくてはと思って見た。見て良かった。黒澤版では主人公がかなり若い頃に妻を亡くし再婚話も断り男手一つで(女中さんも居ただろうが)息子を育て(野球少年の息子、盲腸になった息子・・・可愛い)、そして息子の出征を見送る場面も描かれていた。敷き布団の下にズボンを置いて明日の為にしわ延ばしをする、そんな時代背景含めて父子の関係がよくわかった。一方で、部下の女性の再就職先がぬいぐるみを作る工場であることも大事な展開だと思った。何か具体的なこと、誰かをニコニコさせてあったかい気持ちにさせるような何かを作ることに思い至る。それ位大きな動機だから"Happy Birthday!"、志村喬は動き始める。
この黒澤版を見たからカズオ・イシグロの脚本はいいと思った。美しい春の中、希望と笑顔で未来へ向かう若い登場人物を設定してくれた。
おまけ
黒澤映画の常連含めて知ってる役者さんが沢山出ていた。一番びっくりしたのは左卜全、若い!あとわかったのは、木村功(良心的若い医師)、藤原釜足、千秋実、中村伸郎(助役)、加東大介(ヤクザ役!)、伊藤雄之助(小説家)、丹阿弥谷津子(バーのマダム)、菅井きん(公園作り陳情の一人でいつも赤ちゃんをおんぶしてる)、浦辺粂子(志村喬の兄嫁)。