「生とは死の恐怖で着火する情熱か」生きる(1952) everglazeさんの映画レビュー(感想・評価)
生とは死の恐怖で着火する情熱か
30年間、部下からはミイラとあだ名をつけられ、亡骸のように市役所に勤務してきた主人公渡邊。ただただ無意味に忙しく、何もなさないことが義務であるかのようなお役所仕事の日々。意欲もなく死んでいるかのように生きている毎日。しかし受診して胃癌により寿命僅かと悟り、これまでの人生で一体何を成し遂げてきたのかと呆然とします。
作品では、無能な役人達を痛烈に批判しており、渡邊も市民の要望に向き合わない市民課長として当初はその批判の対象です。市の問題から目を逸らすのはいけませんが、寡夫として一人息子のために長年真面目に勤めてきたであろう点は全く恥じることはないと思いました。
とにかく演出が上手いです。
余命を知った渡邊がとっさに案ずるのは、男手ひとつで育ててきた光男のこと。盲腸の手術に向かう光男の汗を拭いたハンカチで自分の汗を拭く姿。成人した光男との隔たりを感じて階段でうつむく淋しい姿。父親の愛が伝わってきました。
慣れない道楽に耽り、脱け殻状態の時は瞬きひとつせず、死に取り憑かれたようなゾッとする目つき。公園事業に目標を見出してからは生き生きと輝く瞳。志村喬さんの演技に惹きつけられます。
よく笑いよく食べる小田切は天真爛漫で生命力そのものといった感じでした。「私ここには向かないわ」とそろばんでおでこをかく仕草が愛らしい(^^)
隣席で誕生日祝いの歌が流れる中で、死を認識した上で新たな「生」に目覚め、生まれ変わるかのようなシーンはさすが!とても印象的です。
うさぎのおもちゃが可愛い。
満員電車のごとくひしめき合うダンスホールにはびっくり…(・・;)
渡邊の葬儀では故人と遺族を前に言いたい放題(^^;)。職場で彼がどのように見られていたか、お役所の「煩雑極まる」縦割りの機構が露呈し、役人の本音が飛び出します。
最近の作品では、"I, Daniel Blake"が英国でのお役所事情を市民目線で批判していますが、万国共通なのでしょうか…。
実は胃癌じゃなかった、てオチも面白いなと思いましたけど…、そういうハリウッドコメディもありましたよね。
最後はまるで天国へ昇った渡邊が、完成した公園を見守っているように感じました。
死ぬことだけは皆確実に決まっているが、それがいつなのかは分からない。生きている時間を無駄にしていないかという普遍的な疑問を訴えています。業績としては横取りされてしまったかのようですが、渡邊のように公園という目に見える形で後世に何かを残せる人は幸運だと思います。小田切のように楽しい方向へ進めるのも幸せな生き方です。そんなに上手に生きられなくても、微かな影響を与え、僅かの波紋を広げ、誰かの記憶にうっすら残る、「一隅を照らす」そういう人生でも立派に生きているのだと信じたいです。
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追記
再鑑賞したら、志村喬さんの演技の素晴らしさにまた釘付けになりました。前回の自分はちゃんと気付いていただろうか。渡邊が頭を下げる間、瞬きせずにじっと一点を見つめていることを。ドアをノックする手が小刻みに震えていることを。
評価は作品に加え、その評価者自身を表しているように思います。名作と聞いて受動的に手に取り、「わぁ、つまらん」と記憶したとします。その20年後に再鑑賞の機会が巡って来た時に、もう一度挑戦してみる人もいれば、すごくつまらなかったという記憶でパスする人もいます。勿論その逆、面白かったはずなのに、2度目はそうでもないということもあるでしょう。適切な時期に適切な作品と出会い、各作品を一番楽しめる幸運に恵まれたいと思いました。
「わしは人を憎んでなんかいられない。わしにはそんな暇はない。」
こんばんは♪
こちらこそいつもありがとうございます😊たくさん共感いただいております。
DUNE観て来られたのですか?
シャラメ狙い❓ですか。
1をTV画面で観て砂、砂、しかないので、観る気がしなかったのですが、
おもしろいのでしょうね、多分。
名作とも聞いておりますが。
数日前に、『タクシードライバー』での若きロバート•デ•ニーロを観て、今日、『マイインターン』でのデニーロを観て年月を感じました。『ミッション』にも出てられました。音楽がモリコーネですし、いつか観たいです。
everglaze さんにはいつも温かいお言葉をかけていただいており、ありがとうございます。
穏やかで優しいお人柄とお見受けしております。
また今後ともよろしくお願いいたします🤲
>生とは死の恐怖で着火する情熱か
この表現がいつまでも頭に残っています。僅か15文字でこの映画の幹を表現。。語彙力少なくてすいませんが「素晴らしい」です。
共感ありがとうございます。だれもが坂本龍一ではないしなる必要もない。友達でも教え子でも患者さんでもお医者さんでもご近所さんでも、誰かの記憶にぴっと貼られて、何かの折に思い出してくれたら、自分はそれをわからなくても、それが生きたってことだと思います。私にとっては二人の祖母だったり早く死にやがった父だったり。いっぱい居るわ!