コーラスラインのレビュー・感想・評価
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バックステージのヒーロー、ヒロインたち‼️
この作品はダンサーという夢に向かって、オーディションに挑む16人の若者たちの姿を描いた胸アツなミュージカル映画‼️若者たちによる必死の歌と踊り‼️そのダイナミックで華麗なる画面‼️ホントに素晴らしい‼️そしてダンサーたちによる自己紹介に、人種、家庭、恋愛、ゲイなど、深ーい深ーい人間模様があります‼️耳に焼き付いて離れない主題曲「ワン」‼️そして最後に残った8人が、黄金のトップハット姿で本番の舞台に臨む華やかなフィナーレ‼️落選した8人も加わるこのフィナーレはホントに胸アツで泣けてくる‼️
ダンスをする理由。 たとえ、主役の引き立て役でも、その他大勢の役でも、その舞台に立つということ。
なりたいものがある。やりたいものがある。 努力 × 才能 × 運 × 情熱。 どれかが欠けてもなしえない。 一時の栄光。そんなものにしがみついていられないほどの渇望。 落とされても、落とされても、チャレンジし続ける渇望。 「踊らせて!! プロとして。チャンスを与えて」その思い。 「私にはこれしかないんだ」その思い。 私は、自分がやりたいと思っていることに、ここまで情熱を傾けているのだろうか。 ダメだしされると、すぐにしぼむ熱意。 バルのように、夢を叶えるために必要なものを手に入れなきゃ・変わらなきゃとあがく思い。 と同時に、シーラのように、どこで見切りをつけるのか。熱意だけでは何ともならない、”適性”というものもある。 ザックのように、他の仕事が”適性”だったりもする。 その見極めが難しい。 そんな一人一人の物語・想いに心揺さぶられる。 オーディションを、今回ダメなら次をという考え方もできれば、一期一会の全てをかけた瞬間としても捉える、パラドックスの世界。 オーディションを、就職活動・やりたい仕事・ことへのエントリーと考えれば、彼らの想いは、私たちにつながる。 どうしてやりたいのか、これからどうなりたいのか。 数打ちゃ当たるのか、一つに想いのすべてを込めるのか。 「ONE」”その”人は素晴らしいというメッセージ。 これから舞台に出てくる主役を讃える楽曲で、踊っているのは、没個性のその他大勢の役。 でもなぜだろう。衣装の煌びやかさだけではなく、その群舞のパワーに押されてか、彼らこそが一人一人欠けてはならない人物のように思えてくる。 そして、この歌の後に出てくるのは、今までオーディションで力の限りに自分の想いをぶつけていた彼らなんじゃないかと想像してワクワクしてくる。そう、今じゃないけれど、いずれの未来には、なんてドキドキする。 コーラスライン。主役を引き立てるバック・名もなき人々・”取り換えのきく”と揶揄される歯車。 ではあるが、ラストのダンスを見れば、実は、主役等メインのメンバーよりも技量が必要なのではないだろうか。一糸乱れぬその動き。日本体育大学の集団行動やマーチングでもそうだが、一人の些細な失敗がすべてをぶち壊す。一人一人が完成されつつも、それが全の中に溶け込まなくてはならない。自分だけが目立ってもいけないし、手抜きが許されるわけではない。 主役等メインのメンバーは多少失敗しても、アドリブ等フォローができる。 ただ、その舞台・作品・仕事をけん引していくパワー・華がなければならない。その責任たるや半端ない。 どちらがすごいというわけではない。どちらも存在しているからこそ、目立たない人々の仕事がきちっと行われているからこそ、成り立つ社会。 その目立たない彼らが、キラキラ光る。 そんな彼らの群舞。夢の切符を手に入れた人も、今回はダメだった人も混ざってだんだんと増えていく。鏡の効果で無限に拡がっていく錯覚に陥る圧巻のフィナーレ。 最終オーディションに残ったのは、あれだけ個性豊かな人々だったのに、”一つ”に収束していく見事さ。 一人一人の個性・人種や親ガチャ等の背景は多彩で、それぞれの生き方を曲げないUSA。でも、力を合わせれば、一緒にこんなにエネルギッシュで素晴らしいものができるなんてことを読み取るのは、意味づけしすぎか。でも、そんな高揚感に包まれていく。 映画の中では、一人一人の取り上げ方の力点の置き方に多少不満はあるが、それでも一人ひとりの人生に共感して、一部でもどこか自分の人生に重ね合わせてしまう。 人生を、世の中を考えてしまう。 それでいて、教訓じみたことは全くない、最上級の歌・ダンスありのエンターテイメント。 ☆ ☆ ☆ パンフレットを読むと、構成も監督も配役も、企画しては崩し、企画しては崩しで、出来上がった作品。 つい、監督がすべてを企画・実行して作ると思ってしまうが、いろいろな人の思惑が絡むんだなあ。 この映画は、ほとんどオーディション会場から出ないが、”映画”らしく、一人一人の語りを”実写”する企画もあったとか。この映画のスタイルにする、会場からは出ないと決めたのが、アッテンボロー監督。英断。おかげで、オーディションの緊張と、彼らの想いが交錯して、引き締まる。 映画オリジナル楽曲もあり。オリジナル楽曲の作曲は、舞台の音楽を作曲した人と同じハムリッシュ氏。ダンスパフォーマンスは、当時『フラッシュダンス』で注目された若き才能・ホーナディ氏。オリジナルを尊重しつつ、新しい息吹も取り入れる。パンフレットには、監督がボージェスさんと一緒に振り付けているシーンも載っていた。 舞台で鏡をうまく使った、舞台を演出・振り付けしたベネット氏が「ダンサーというのは、~自分の強み、弱点をよく知っていて、自分自身を隠すことには慣れていません。~鏡は嘘をつきませんから」と語っているというコラムがパンフレットに載っていた。映画でも、鏡を使っている。オーディション会場だからかなと思っていたけれど、深い意味があるんだな。 ☆ ☆ ☆ 何度でも観たい映画です。 (舞台は未見)
就職氷河期の人々、そして転職を経験した人なら、本作を観れば身につまされるかも知れません その意味で普遍性のある物語です
傑作中の傑作です! 是非とも、オールザットジャズ、フェームの2本と併せてご覧頂くと一層面白く感慨深いものとなると思います オールザットジャズは、マイケル・ダグラスが演じた演出家ザックのような人間に焦点を当てた作品です そしてフェームは、本作でオーディションに参加するダンサー達が舞台芸術学校で将来ショービジネスでの成功を夢見て青春をおくる作品です ダンス科の卒業生達がきっとこのオーディションに参加しているのだと思うと胸が熱くなります そして結局誰も最終的に残っていないのかも知れません それでも毎年何百人もの若者たちが入校して、卒業して、フェームを掴むためにこうしてオーディションに参加しているのです キャシーはザックの元カノ かっては主役級の名ダンサー ハリウッドで夢破れ 時は経ち年も取り、戻る場所もない 自分がやれることはダンスしかないし、何よりダンスで舞台に立ちたい たとえコーラスラインでも 若者たちと少ないポストを争ってでもそこで働きたい 就職氷河期の人々、そして転職を経験した人なら、本作を観れば身につまされるかも知れません その意味で普遍性のある物語です 訳の分からない謎めいた質問にも答えないとならないのです どう答えるのが正解なのかさっぱり分からないけれど答えないわけにもいかない 何次にもわたる選考を突破しても、ここまでと言い渡されて将来をお祈りしていますと言われるだけかも知れないのです かって一流企業で働いて、業界で顔も名前も売れていたとしても、転職では現在価値だけが求められるのです 一部上場企業で役職者をしていましたと履歴書に書いたところで、今のあなたは何ができますか? それだけなのです 採用権者がかってのよしみの人物であってもそれだけのことで彼が採用なぞできるわけもないのです 何ができるのか、現在価値がどれだけあるのかを証明しなければ転職なぞできるわけはありません ラストシーンは超有名な「ワン」の歌とダンスのシーンです 金色のタキシードとシルクハット 鏡を効果的に使うダンスフォーメーションには全く目が釘付けになります 映画としてのカーテンコールです なので不採用だった人の顔も有ります 歌詞の内容はこれから登場するヒロインを全員で賞賛する内容です しかし、このラストシーンでは、こうした厳しい世界の中でベストを尽くして毎日舞台に立ち、最高の芸を披露してくれているショービジネスの世界の人々への賛歌なのです 舞台の上でライトを浴びるダンサー達だけでなく 裏方で、舞台の袖で、下で、調整室で進行を支えている人々にも贈られている賛歌です ショーってなんて素晴らしい!
監督は『ジュラシック・パーク』のじいちゃん役の人
まず踊りで17人が選ばれた。選ばれるダンサーは男女各4名。それぞれの家族や過去について語るように指示され、それぞれがミュージカル風に語り出す。指示を出すのは売れっ子プロデューサーのザック(ダグラス)。彼にも仕事を求めているキャシーという元恋人がいるのにメンバーに入れるわけにはいかない。 ストーリーは個人ゞのエピソードが中心なのでドキュメンタリーでも見ているかのよう。それでもダンスに燃える若者たち。主役ではなく脇役を決めるオーディションだという設定が生活感やダンスへの情熱を見事に表現している。 “ワン”は名曲♪
『one』を歌う資格
なんか、オーディションの採用基準を誤解している人がいたので書きました。
↓
舞台監督ザックの採用基準は、トラウマを乗り越えてがんばってるダンサーへのご褒美 なんかじゃないよ?
そういう道徳的な基準では無い。
『One』の歌詞からもわかるように、コーラスが歌うのは、ヒロインが登場する場面の賞賛の歌だ。
ザックの基準は、
屈託無く、心から他人を賞賛できるかどうか。
「彼女は最高の女性!」と歌うとき、嫉妬や引け目を感じるようではダメなんです。
ヒロインよりも私を見てよ、と目立ちたがるのは論外。
堂々と自分の人生を生きていて、迷いや陰りが一切無い。一人一人が、小粒でも星の輝きを放っていて、そのコーラスの賞賛の後に、文字通り「鳴り物入りで」登場するから、ヒロインはいかばかり素晴らしい女性なのかと期待が高まるのだ。
トラウマを乗り越えて微笑むことのできる、3世、モラレス、ヴィヴィ、が受かったのは誰しも納得すると思う。
自分の選択に微塵も悔いや迷いを持っていないヴァレリも。
だから、他の合格組も、何かしらトラウマや差別にあっていて、具体的にエピソードの紹介は無くても、それを乗り越えて…
と推察するのは早合点。
マイク・キャス(I can do thatの人)と、マーク・アントニー(Oh! my God! 淋病だ!!の16歳)
この二人の白人の若者は別にトラウマは無いよ。マークがカトリックだから差別にあっていた とか、無いから。WASPがアメリカの頂点にいるのは確かだが、カトリックはそんな虐げられて無いから。
白人の中流家庭の、前途洋々の、挫折を知らないからこその屈託のない笑顔。
それでもOKなんです。ザック的には。
3世の、何度も自殺を考えた、故郷のことは忘れた、という少年~青春時代、それを笑って話せるようになるまで、どんな道のりだったかを考えると、挫折知らずの16歳の笑顔と同等の扱いは不公平なようにも思えるけれど、あくまで舞台に必要な要素を配置するための選択なんで、苦しみを乗り越えた人へのご褒美でもないし、心に傷を負った人を助ける自立支援ボランティアでもないので。
ほんで、「キャシーはずるい、ザックは贔屓だ」とかいう人がいたけど、学級会で正義感ひけらかす小学生かっつの。(昔、そういう人と一緒にレンタルVHSで本作を観たんです)
キャシーはオーディションを受けさせてって言っただけで、コーラスに採用してってねだったわけじゃない。
実力は折り紙付きだから、シード選手みたく、一次予選なんてすっ飛ばしたって別に不正じゃない。
そして、もしキャシーの態度に、「この私がコーラスなんて落ちぶれたものね…」という陰りが少しでも見て取れたら、元カノにどんなに未練があってもザックはたたき落としていただろう。
キャシーがヘッドライナーとしての実力や個性を殺してまでも、No dance no life を貫く覚悟があったので採用したんです。
俗物目線で見ればだ、ラリーやザックが「君がコーラス!?」と驚くように、決してコーラスの仕事はキャシーにとっては名誉ではない。
鳴り物入りの後に登場するヒロインは、もしかするとかつてのキャシーのライバルだった人かもしれない。キャシーの付き人とか、代役で陽の当たらない下積みだった人かもしれない。
公演が始まって、楽屋でヒロイン役の女性と出会ったとき、コーラスのキャシーはどんな挨拶をするのだろう。
決して、「キャシーはずるい」「楽してイイ思いをしている」、などと妬まれるような状況ではないのだ。
観客がコーラスの中のキャシーを見つけた場合も、ゴシップ紙がそのことをどんな風に書き立てるかを考えて見ても…
コーラスとして踊るより、ザックとヨリを戻して、裕福な奥様になった方がずっと安楽な生活が送れるのになぁ。
それでも踊るんですよ。踊ることに迷いがないんです。
なにがずるいのよ。
ほんで、「キャシーずるい、ザックずるい」を連発していた人は、あの二人が痴話喧嘩なんかして、無駄なタップなんか踊らせたから、ポールがアキレス腱切ったんじゃないか!って言ってたけど、
わかってないなぁ
ザックの選考基準を読みとれば、すごく残酷だけど、ポールは落選決定だったんだよ。まだ辛くて苦しくて、顔を輝かせてヒロインを賞賛できないから。
私だって判官贔屓の日本人の一人だから、ポールにこそチャンスが与えられるべきだ、と つい思っちゃうんだけれど、ザックの選考基準は絶対にブレない。
負傷したポールの治療費をある時払いで立て替えてあげたり、ゲイであることに引け目を感じなくてすむような、良い環境のバイト先を世話してあげたりはするかも知れないけれど、ザックは同情で採用したりはしない。あの時点では、怪我をせずに最後まで踊り抜いたとしてもポールは落とされていた。
けれど、ポールの立場で考えれば、もし最後まで踊ったのに落ちていたら、到底立ち直りが効かないのでは無かろうか?
質問されたときにすぐ身の上話をしなかったから落ちたのか?
泣いて弱みをさらけ出したからか?
結局、ゲイだから落とされたのか? 等々
悶々としてしまうと思うのよ。
(ユダヤ系でゲイのグレッグも落選組だからねー。でもゲイだからじゃなくて、まだ、身構えて人との間に壁を作ってしまうからだと思う。ついでに言えば、助手のラリーもゲイなんだから、ゲイだから不採用説は絶対にない)
ポールがリタイアせずに踊って、で、落ちていた場合を考えると、怪我はむしろ救いだと思う。怪我のせいで落ちたのだと納得できて、今度こそ、体調管理を万全にして、絶対に役をつかむぞって再起に希望がもてるでしょ。
ザックがキャシーにかまけて、無駄にオーディションを引き延ばす筋書きは、制作者側の慈悲であって、物語作りの上ではファインプレイだと思うんですよ。
現実のショウビジネスの世界はこんなに優しくない。華やかな分、果てしなく残酷。
懸命に、裏表無く、他人の2倍3倍努力し続けても、それでも花開くことなく老いていくだけの人もいる。無責任に励ましても、それが仇になる場合もある。
その世界で長年 夢と残酷さを見続けてきたリチャード・アッテンボロー監督の優しさに、観客として心からのリスペクトを。
ちなみにラストシーンの『One』は、落選組も一緒に踊っているけど、『One』に落ちたダンサーではなくて、『コーラスライン』のオーディションに見事受かったダンサーとしてのキャラクターで踊っていますね。
前の列、お疲れだった
映画「コーラスライン」(リチャード・アッテンボロー監督)から。
踊りのオーディションはもとより、
多くの若者が目指す職業というものに無縁なのか、
その選考の仕方は、驚くしかなかった。
ものすごい数の人たちの中から、一瞬で才能を見極めなければならず、
そんな甘っちょろいことはいってられない、と思いながらも、
冒頭「その他はお疲れ」「他はそこまで」・・等、容赦ない台詞に
不満を口にするシーンを想定したが、誰ひとりいなかった。
オーディションとは、そんなものなんだろうな、とまたまた驚いた。
気になる一言は、そんな選考の喜びと落胆をうまく表現していたので、
多くのメモから、選んでみた。
最終選考のシーン、名前を呼ばれた人は前へ・・と言われ、
呼ばれた人は、満面の笑顔で一歩前へ進む。
呼ばれない人は、落胆の色を浮かべ、じっと堪えている。
そして・・この一言。「前の列、お疲れだった」
天地がひっくり返った瞬間の、それぞれの表情が印象的であった。
それにしても「人間」って鍛えれば、こんな振りの難しいダンスを覚え、
短時間に出来るようになるのかな、と感心するばかりである。
ミュージカルの名作
ブロードウェイのオーディションを舞台に、ダンサー個人の過去を ミュージカルで表現していく。 コーラスラインの前には出てはいけない。 ダンスを一糸乱れずそろえなければいけない。 つまり個性の抹殺、それがコーラスには求められる。 一人ひとりの過去の話も面白いですし、オーディションの雰囲気も味わえて面白い!
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