荒野の用心棒のレビュー・感想・評価
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筋書は同じでも…
〇作品全体
黒澤明監督作『用心棒』を参考…というかほぼパクったようなストーリーだけど、画面から受ける印象は相当違う。それは画面からあふれ出る「ギラつき」が大きな役割を担っているからだと感じた。
『用心棒』は黒澤明の名前が既に売れたころの作品で、物語としても時代劇としても、腰の座ったような映像の面白さがある。一方でアクションはド派手、というケレン味もあって、そのコントラストが印象に残る作品だ。
一方で本作。主人公・名無しの男の性格は腰が据わっているけれど、西部開拓時代という北米の黎明期といえる時代で、名無しの男が訪れる街全体から「これから」のギラつきを感じるのが魅力だ。銃撃戦も常にド派手で、名無しの男が捕まってからの急展開するストーリーを含めて、そのギラつき感はあふれ続けている。
そして特に「ギラつき」を感じるのは、登場人物たちの瞳のアップショットだ。クリントイーストウッド演じる名無しの男の鋭い瞳、そして対立する二つの勢力が相手を睨むときの眼光。風によって舞う砂埃や日差しを受けて小麦色に光る肌と汗。『用心棒』とも違う画面からの熱気が、既視感のあるストーリーがあっても強く惹きつける力となっていた。
『用心棒』に限らずリメイク作品は大量に作られているけど、新鮮に感じられるのは単に俳優や特殊効果の目新しさだけではない。画面から溢れる作り手の熱量にも注目したいところだ。
〇カメラワークとか
・画面が暗いシーンが多い。途中まで見づらいなあと思ってたけど、女を助け出した名無しの男が敵に見つからないように早駆けするシーンとかは、その暗さが見つからない理由になってるなと思ったりした。捕まった後に逃げ出すシーンとかもそう。
・ラストの決闘はこだわりをたくさん感じるシーンだった。煙からの登場やそれぞれの表情を短く映していくときの緊張感。5人を撃ったあと、名無しの男が持つ銃の銃身だけが見え画面外へ捌けていくカメラワークも素晴らしい。剣術でいう「残心」みたいな静けさ。
〇その他
・リメイク作品に別の熱量があれば良いけど、大体ないよなあと思ったりした。
・劇伴が良い。冒頭の有名な曲もそうだし、それ以外も。
・爆発とか炎とかの容赦なさがすごい。これちゃんとコントロールできてるの…みたいな迫力がある。画面が暗くて全体像が見えないからってのもあるかもしれないけど。
ここからすべては始まった。黒澤明の『用心棒』を元にしたマカロニ・ウェスタンの嚆矢!
去年のロードショーのときに観損ねて、
早稲田松竹での再映のときも時間がとれず、
ようやく池袋文芸坐で『荒野の用心棒』を観ることができた。
これまで、何度もVHSやDVDでは観直してきた大好きな映画だが、やはり大画面で観る迫力は段違いに違う(特に文芸坐はスクリーンが大きいからね)。
しかも4Kリマスター。なんていい色! なんていい音!
これで、早稲田松竹で観た『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』と合わせて、ドル三部作はすべて劇場のスクリーンで観たことになる。
ある意味、長年の宿願がようやく叶ったわけだ。
観客席には、それなりに若い子たちもいて、映画が終わったあとで劇場内を見まわしたら、皆さん充足感に満ち溢れた「キラキラ」した顔をしておられた。実にいいことだ。
きっと、出川の電動バイク番組や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の元ネタを観られて、さぞすっきりしたことだろうと思う。
それと、観終わったあとのオジサンたちの挙動が違う。立ち上がるときの立ち方とか歩いていく表情とかが、微妙にカッコつけてるわけ(笑)。
きっと頭のなかでは、モリコーネ・ミュージックが鳴り響いているに違いない。
レオーネを観て不満に思う客なんてそうそういないはず。人生で30年近くにわたって布教に努めてきたが、観て「退屈した」という人間に出会ったことがない。
逆に言えば、レオーネを体験せずに、娯楽映画を語るなんてありえない。
そう思うくらいに、僕はレオーネの映画が好きだ。
― ― ― ―
『荒野の用心棒』は、セルジオ・レオーネの西部劇第一作であると同時に、マカロニ・ウェスタンの最初期の一本でもある。実際には数本の先例やドイツ製ウェスタンもあるのだが、実質、本作の世界的ヒットを受けてマカロニ・ウェスタンの大量生産が始まったわけで、これがなければ、その後のマカロニ旋風も生じなかった。まさに歴史の画期となった一本である。このあと、レオーネは立て続けに2本、クリント・イーストウッド主演で同じフォーマットの西部劇を撮ることになる。人呼んで「ドル三部作」。
その魅力については、『夕陽のガンマン』と『続・夕陽のガンマン』の感想でもうさんざん書いたので、ここであまり書き加えるべきことがない。
(ご興味のある向きはぜひ、そちらをご参照ください。)
まあ『荒野の用心棒』は、まだ新人だった監督のお試し企画であり、イタリアという国のお国柄もあって、やってることはいろいろといい加減だ(笑)。
俳優は、当時はまだテレビ俳優だったクリント・イーストウッドと、あとは多国籍軍の寄せ集め。クレジットで流す氏名は、アメリカ人俳優以外はだいたい偽名。録音は、全員が適当に母国語でしゃべりながら撮って、あとから各国用に吹き替えている。
なにより、ネタとストーリー自体、黒澤明の『用心棒』からほぼそのまんまいただいている。
日本の東宝には使用許可申請を出していたらしいが、返事もないまま握りつぶされたので、無許可のままつくったら、後から黒澤らに訴えられて敗訴した(そりゃそうだ、笑)。
一応、これで東宝および黒澤は、本作のアジア興行権と10万ドルと全世界興収の15%を手に入れたので、決して損はしていないどころか、結果的に大儲けしている(『用心棒』より儲かったらしい。今やってるリヴァイヴァル上映でも、ちゃんと東宝とか黒澤家にここで決められたお金って入ってきてるんだろうか??)
でもね、本当に面白いのだ。この映画。
なんなら言いにくいけど、本家の『用心棒』より面白い。
(逆のことを言う人も多いけど、個人的にはそう思ってる。)
なんたって、筋は一緒でも、こちらはバリバリの娯楽ウェスタン。
ネタ感満載のガンファイトと、手に汗握る拷問シーンがあるからね!!
そして、なんといってもクリント・イーストウッドがとにかくかっこいい!!!
重要なのは、ドル三部作は『荒野の用心棒』の段階で、様式美としてはすでにほぼ「完成の域」に達していたことだ。
すなわち、『荒野の用心棒』は単体として、『夕陽のガンマン』や『続・夕陽のガンマン』に劣る作品ではない。これはこれで、完璧な娯楽作品である。
有体に言うと、『夕陽のガンマン』は『荒野の用心棒』のヒーロー・サイドを1号&2号ライダーに増員して物語を多層化させたものであり、『続・夕陽のガンマン』はヒーローを三つ巴にしたうえ、さらにそこに「戦争」という要素を加味して、善と悪、個と全の境界を複雑化させたものだ。
むしろ『荒野の用心棒』には、シンプルなプロトタイプとして、「レオーネが目指したかった西部劇」の粋の部分が、最も如実に表れているといってもいい。
一番注目すべきは、アメリカ西部劇の「娯楽映画としての魅力」をイタリア人(異邦人)の視線から抽出し、ジャンルの「かっこよさ」を純化させた、その手腕にこそある。
極端なクローズアップと、雄大なロングショットの対比。
(峡谷を駆け上がって先回りするジョーの血沸き肉躍るショット!)
ぎらぎらとした汗と埃と血で汚れた顔(さすがはネオ・リアリズモの国!)。
マッチの擦り方や立ち方、撃ち方、すべてにわたる所作への異様なこだわり。
神がかり的にかっこいい音楽の用い方(さすがはオペラの国!)。
これらは、すべて「もともとアメリカの西部劇にあったもの」だが、それをレオーネが新たに見出して、極端に拡張/肥大/純化させたものだ。
この作業は、まさに日本人が本格ミステリを受容する際に行った営為にも似ている。
アメリカのエドガー・アラン・ポーによって創始された「謎解きミステリ」は、19世紀末~20世紀初頭にかけてのイギリスで、コナン・ドイルやオースティン・フリーマンを通じて発展を見せ、アガサ・クリスティやF・W・クロフツの登場で最盛期を迎えた。
これを賞賛と羨望の眼差しをもって受容し、「パズラーとしてさらに純化させた」のがアメリカのS・S・ヴァン・ダインとエラリイ・クイーン、そしてアメリカからイギリスに渡ったジョン・ディクスン・カーだ。
で、それらの海外本格ミステリに憧れ、嫉妬し、自分たちでも日本らしい本格ミステリを作らなければ、と情熱を燃やしたのが、江戸川乱歩、横溝正史、高木彬光、鮎川哲也といった世代のミステリ作家たちだった。彼らは、本格ミステリのなかの「トリック」「ロジック」「フーダニット」といったパズラー的要素に集中して、独自の美意識をもって日本人なりの本格ミステリを練り上げていった。
ここで脱線してまで何を言いたかったかというと、
「とあるジャンルの真の面白さは、国をまたがって受容されてこそ純化される」
という真理を言いたかったわけだ。
本格ミステリで起きたキャッチボールによる「パズラーの純化」と同じことが、ここでは、アメリカ、日本、イタリアのあいだで起きている。
とある国の「お家芸」を、別の国の「異邦人の視点」で分析・解釈・再構築するからこそ、魅力の核心が浮き彫りとなり、特性の本質が抽出される。
あたかも、どぶろくが精製されて蒸留酒になるように、そのジャンルのもつ世界共通のスピリットが引き出され、各国の伝統的な映画や文芸に接ぎ木されてゆく。
これこそが、アメリカ西部劇と、黒澤時代劇と、マカロニ・ウェスタンのあいだで起きた「ケミストリー」だ。
日本人は、特にこの「舶来物の異化作業」が得意な国民だといえる。
ラーメン、カレー、洋食、ソフト系パンといった食文化、半導体や家電、洋式トイレといったテクノロジー、交通網や学校教育といった制度設営、あるいは遡れば中国由来の水墨やら仏教まで、ありとあらゆる「舶来物」の本質をきわめて、純化させ、独自の技術へと進化させてきた。本格ミステリもまた然り。
僕は20世紀半ばのイタリア映画にも、似たような「再構築」の能力を強く感じる。
ジョン・フォード、黒澤明、セルジオ・レオーネといった巨匠が、お互いに影響を与え合って、「マカロニ・ウェスタン」という「娯楽西部劇の濃縮液」のような過激なエンタメを誕生させ、さらにはそれが今度は日本の「必殺」シリーズや「荒野の素浪人」へとまるっと還元されてゆく……。なんて美しい話だろうか。
以下、雑感。
●この映画って、主演に最初、ヘンリー・フォンダを招聘しようとして失敗し、そのあとチャールズ・ブロンソンにも、ジェームズ・コバーンにも断られてるんだよね。彼らが断ってくれなかったら、クリント・イーストウッドは今のようなスターダムにはのし上がれなかったし、あの「名無し」のキャラクターも生まれなかったわけで、逆に断ってくれて良かったくらいのものだ(ポンチョや帽子もイーストウッドが自分で買って行ったものらしいので、彼でなければあの恰好にもなっていなかった可能性がある)。
ちなみにこの3人はいずれも、のちにセルジオ・レオーネの映画で主演級の役を得ることになる。あとあと、逃した魚は大きかったと思ったんだろうなあ、きっと(笑)。
●三部作のなかでは一番最初ということもあって、クリント・イーストウッドに『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』ほどの「無敵感」がないのが、逆に本作の「見どころ」のひとつと言っていいかもしれない。
上から見下ろすような感じでいろいろと策謀を練って、街の悪玉一家×2を抗争へと仕向けていくのだが、今回のイーストウッドは結果的にそこそこ失敗もするし、どちゃくそ拷問されるし、仲間にも相応の負担をかける。
彼としては、保安官一家の凄絶な鏖殺劇(皆殺し)も、望んだ結果ではなかっただろう。
イーストウッド側が痛手を受けるぶん、ラストでロホ一味を一網打尽にするカタルシスも、それだけ大きいということになる。
●ひたすらろくでなしで、残忍極まりないジャン・マリア・ヴォロンテのラモン・ロホ(『用心棒』における仲代達矢ですね)は、三部作のなかでは、いちばん「悪役らしい悪役」の役割を果たしているといえる。
周辺をグロテスクな面相のスペイン系俳優で固めるやり口も、マカロニ・ウェスタンの個性としてその後の作品に引き継がれた。僕は、この「奇顔の収集」がイタリアにおいてレオナルド・ダ・ヴィンチにまでさかのぼり得る「グロテスクな面相研究」の美術史的系譜に連なっていると、半ば本気で信じている。
とくにドン・ミゲル・ロホを演じたアントニオ・プリエト・プエルトの顔面インパクトは強烈だ。ちなみにWikiでは、チリ人の歌手アントニオ・プリエートに紐づけられていて、かつそちらに「ドン・ミゲル役を演じた」とわざわざ書かれているが大嘘で、同姓同名のまったくの別人である。
●クリント・イーストウッドの拷問シーンと、その後の傷跡の特殊メイクは、さながらルチオ・フルチ映画でも観ているかのよう。あと、弟のエステバンが、拷問や人殺しのあいだずっと哄笑しているのも結構不気味で印象に残る。
こういう「やりすぎ」の要素(青緑色をしているメキシコ兵の死体とか、脱出するシーンでなぜか爆裂する酒樽のあり得なさとか、自分で煙幕張って出てくる戦隊ヒーローみたいなラストの登場シーンとか)を「クッソ面白い」と思えるか、「くだらない」と思ってしまうかで、マカロニの評価は大きく変わって来るだろう。もちろん、僕はすべてが大好きだ。
●ピストルとライフルに関する性能差に関する会話がラストで生かされたり、途中でバクスター夫人がラモンにかけた「血を吐いて死ね」という呪いがラストで結実したりと、意外に細かいところまで気を遣って作られている。
毎回「ママ~」と泣きわめきながら出てくる子供が猛烈にうざいとか、酒場のオヤジのセリフが説明的すぎるとか、ラストで一度でもヘッドショットされたらどうするんだとか、文句もないことはないが、総じてよく出来た話だと思う。
●でも、発表された当時、何が観客にいちばん巨大なインパクトを与えたかというと、それは撮影技術でも、ストーリーでもなく、エンニオ・モリコーネの音楽だったのではないか。
それくらい、この映画における音楽の魅力と、場面場面での支配力は際立っている。
ここから、モリコーネの神話もまた始まったのだ。
オリジナルがあまりにも偉大すぎた‼️
この作品は今でこそマカロニ・ウエスタンの最初の傑作、または「夕陽のガンマン」「続・夕陽のガンマン」と続くイーストウッド扮する "名無しの男" を主人公とした「ドル箱三部作」の記念すべき第一作として名高いですが、公開当時は黒澤明監督の超傑作「用心棒」のパクリ西部劇として登場したんですよね‼️本編を観るとそのパクリ具合はあからさまで、ストーリーはもちろん、エピソードの一つ一つや、「棺桶二つ、いや多分三つだ」みたいなセリフまでパクッてる‼️棺桶は一台多いですけど‼️エンニオ・モリコーネの口笛のような音楽や、刀対拳銃を拳銃対ライフルに置き換え、ポンチョの下に鉄板を隠した防弾チョッキのアイデア、凄惨なリンチや虐殺シーンなど、娯楽映画としてヒジョーに面白いです‼️ただ不幸なことにオリジナルがあまりにも偉大すぎた‼️黒澤の演出とレオーネの演出、三船さんとイーストウッド、仲代達矢とジャン・マリア・ボロンテ、佐藤勝さんの音楽とモリコーネの音楽、すべてにおいて「用心棒」が勝ってる‼️そして映画史を考えた場合、黒澤明監督の「用心棒」をパクッた「荒野の用心棒」が大ヒットし、マカロニ・ウエスタンが映画ジャンルの一つとして確立して一時代を築き、今作よりセルジオ・レオーネ監督、クリント・イーストウッドのキャリアも始まったわけで、やはり黒澤明は世界最高の映画人ですね‼️
タイトルなし(ネタバレ)
19世紀のニュー・メキシコ。
米国流れ者ジョー(クリント・イーストウッド)が立ち寄った町は銃を扱うロホ一家と酒を扱うバクスター一家が対立していた。
この両者対立を手玉にとってひとつ銭を稼ごうとジョーは思いつく・・・
といったところからはじまる物語は、黒澤明監督『用心棒』の翻案。
で、本家の映画もそうなのだが、どうにもこうにも陰惨な感じが否めない物語で、主人公ジョーがイイモンかワルモンか当初はっきりしない。
輪をかけて悪いのは、対立する両家のどちらに肩入れしていいのかが観ていてわからない。
なので、前半はあまり面白くない。
面白くなるのは中盤からで、ロホ家の弟ラモンがかこっている人妻マリソルを助け出そうとジョーが乗り出してからで、イイモンの面が前面に出てくる。
映画の画面が派手になって来るのは、ロホ一家がバクスター一家に夜襲をかけてから。
映画も、ジョーvs.ロホ一家と構図がはっきりして面白くなる。
映画的に面白いのは、酒場のオヤジで、最後の決闘のきっかけになるが、決着をつけるのもこの男。
このあたりの役どころをキッチリ書いてあるのが、いい脚本といえます。
口笛
さすらいの口笛を聴いたとたん鳥肌が立った。
クリント・イーストウッドの鋭い眼光が
渋くて格好いい。ピストル裁きも。
ベッカムを彷彿させる。
監督のセルジオ・レオーネの演出も上手い。
下から録るアングル。空の色、影、ブーツ等々。
用心棒のリメイクで西部劇に置き換えるとは。
銃声、爆発、煙、馬の走らせ方、ハッタリのセリフ、画面に釘付けになる。
臨場感も感じさせる顔半分の照明の当て方。
マカロニウエスタンの金字塔。
そこにエンニオ・モリコーネの音楽。
大音量で聴けて浴びれる喜び。贅沢である。
もしモリコーネでは無かったら、別物になって
いただろう。
この3人が揃ったから成し得た映画。
とても60年前の映像と音響とは思えない。
復元に死力を尽くして細かい作業をして頂いた方々に感謝。
主役、悪役、脇役、音楽、何処を観ても
素晴らしく愛おしい。
傑作とはこういう映画である。
映画館で観賞出来る有り難さを改めて
感じる作品でした。
マカロニ・ウエスタン
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メキシコのある町を訪れたクリント。
そこはギャングのボスAとBが敵対する不安定な町だった。
まず仕事を探すため、ちょっかいをかけて来たAの部下4人を射殺。
その腕を見て、Bはクリントを雇うこととにした。
Bの配下に、腕が立つが極悪のラモンという男がいた。
この男はアメリカ人と取引した際に金を払わずに全員射殺し、
アメリカの警察が来るだろうからAとは一時休戦すると言い出した。
それじゃ商売にならんからなのか、あまり良くわからなかったが、
A側とB側をうまく焚き付けて、夜中の墓場で銃撃戦をさせる。
クリントの想定内だったのかは不明だが、この時Aの息子が人質に取られる。
そこでBに忍び込んでラモンの女をさらってAに渡す。これで報酬をもらう。
この2人は人質交換されることになる。
この時、この女に夫と子供がいるということを知ったクリントは、
夜中にこの女を救出、夫に返して金も与えて逃げさせた。
これがバレてBに捕まって痛めつけられるが、何とか逃げる。
そして序盤から世話になってる町の棺桶屋の助けで棺桶の中に隠れて脱出。
ラモンらはAの屋敷にクリントが隠れてると思い襲撃、全員殺す。
棺桶屋とバーのマスターの助力で町の外で養生していたところ、
クリントの居場所を聞くためバーのマスターがBに捕まった。
クリントはすぐに鎧を着て町へ向かい、ラモンらが迎える。。
クリントはわざと何発も撃たれるが、鎧を着ていたおかげで死なない(場)
最後はラモン以外を全員殺し、1対1となる。
が、敵はライフルなんで当然余裕勝ち、ひとまずハッピーエンド。
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名作と名高いこの映画。
見てみると、雰囲気はいいのだが、画面が暗いせいか、
人物の顔がみんな似てるせいか、ストーリーがよくわからんかった。
だから上記は一部間違っとるかも知れん。
でも昭和くささがいい感じでおもしろい。
棺桶の中に隠れて脱出とか、すぐバレそうなものだが(場)
ラモンに何発も撃たれながらも死なないシーンも、
今の視聴者なら防弾チョッキか何かだろうってすぐに思うはず。
っていうか、何のためにわざと撃たれるんかがようわからんし(場)
心臓からハズれとるぞ、手が震えとるんちゃうの?ってな挑発をしてたが、
挑発が目的なら、後で鎧を見せて種明かしをする意味がない。
だって、クリントが負傷してない=全部見事に命中してた なんやもん。
これじゃあ挑発どころか逆に相手に余裕を持たせてしまうやん(場)
もしラモンがホンマに手が震えてて一発でも狂おうものなら、
足とか頭を吹き飛ばされるで、こいつの武器はライフルなんやし(場)
まあそういう突っ込みどころもこの時代の映画の良さなのでしょう。
この作品のようなイタリア西部劇を、マカロニウエスタンというらしい。
言葉は聞いたことがあったが、初めて意味を知った。
マカロニウェスタンの原点
黒澤明の「用心棒」の盗作らしいが、確かに用心棒という共通点の他にも似ている点はある。
この映画辺りからマカロニウェスタンブームとなった記念碑的作品である。
マカロニウェスタンは、ストーリー展開が似たり寄ったりで、音楽と最後の決闘シーンだけが印象に残るので、この二つの要素で出来不出来がきまる。この映画のエンニオモリコーネの音楽は、マカロニウェスタンの音楽の中ではマイベスト3に入る名曲だ。決闘シーンは、クリントイーストウッドは拳銃で、悪者のほうはライフルでの対決で、こちらもマカロニウェスタンの決闘シーンではベスト5内に入れたいくらいの出来だ。
イーストウッド×モリコーネ×山田康雄=男の憧れ!
アメリカとメキシコの国境に位置する、二つの勢力が縄張り争いを繰り広げている町を舞台に、流れ者のガンマンであるジョーの闘いを描くマカロニ・ウェスタン。
主人公ジョーを演じるのは、まだまだ駆け出しの俳優だった、映画界の生ける伝説クリント・イーストウッド。
黒澤明の『用心棒』を無断でリメイクした為、東宝に訴訟を起こされてしまったという曰く付きの作品。
しかし、その一方でマカロニ・ウェスタンの代表作としていまだに根強い人気を持つ作品でもあり、クリント・イーストウッドの出世作にもなったのだから世の中わからない。
私は黒澤明の『用心棒』は未見なので、原作との比較は出来ないが、シナリオだけで言えばそれほど優れた作品であるとは思わない。
主人公のジョーはいうほど用心棒ではない。
ジョーが金儲けのために町を引っ掻き回した挙句、とんでもない騒動を巻き起こしてしまったという感じ。
あと、キャラクターの顔がみんな一緒に見えてしまう。
今どうなってるだっけ?この人誰だっけ?となってしまうのは私が悪いのでしょうか?
悪役ラモンが拐った女マリソルを住まわせている家の向かい側に、彼女の夫と子供が住んでいるが、そんな近いところに住む?とか思ったし、リンチされてボロボロのジョーがどうやって樽のトラップ仕掛けたの?とか、細かいところにツッコミたいポイントはある。
しかししかし!この映画の魅力はシナリオではない!
クリント・イーストウッドの圧倒的な色気!ただ立っているだけで絵になるとんでもないスター性をビンビン感じます!
あの鋭い眼光にクールなガンアクション!そりゃ有名になるよ!
イーストウッドはやはり吹き替えでみたい!何故なら彼の声を演じているのが山田康雄さんだから!
あの声のセクシーさ!独特なセリフのテンポ!まさに天才!イーストウッドの魅力を引き出しています!
そしてエンニオ・モリコーネのフィルムスコアのカッコ良さ!
音楽だけで重厚なストーリーを語っているような、強烈な印象を残します。
クライマックスの対決に臨むジョーが、白煙の向こうから登場するシーンはまさにこの映画の白眉!
そこからの対決も熱い!
ヘッドショット狙われたらどうすんの!?とかは言いっこなし!
カッコよければOKなのです!
酒場のおっさんや棺桶屋の爺さんなど、脇役も魅力的。
特に酒場のおっさんカルロス良い人すぎる。良い人すぎてジョーのためにボコボコにされる。かわいそう。
やはり西部劇は男のロマン。細けえことは良いんだ。カッコよければ良いんだ。吹き替えが最高なんだ。
後々パクられる、というかオマージュされる映画
酒を密輸して売りさばくロホ兄弟、銃を売りさばくバクスターという2人のボス。酒場のおやじシルバニートに忠告されたのに、殺しの横行する町にとどまる主人公ジョー。早速、町に入るときからかわれた4人のバクスターの手下を始末する。そしてロホに自分を売り込んで用心棒になったのだが・・・
ロホの長兄ラモンが軍隊と取引すると見せかけ金塊を奪う。そして保安官でもあるバクスターの一家に対し、ことを荒立てないために和平のしるしとして食事に招待するのだ。そこで用心棒を辞めたジョー。シルバニートと一緒に二体の兵士の死体を墓に置いて生きているように見せかけた。。そしてバクスター、ロホ両方に兵士が生きているという情報を流し、金をせしめるジョーであった。ジョーはさらに留守となったロホ家の倉庫に忍び込み、金塊を奪う。しかしラモンの女マリソルに目撃され、やむなく彼女をバクスター家へ届ける。たまたま、ロホ一家もバクスターの息子を人質にとっていたため、人質交換が行われる・・・その時見たのがマリソルの子どもと夫だった。
ジョーはマリソルを夫と子ども一緒に逃そうとバクスターの手に見せかけてロホの子分たちを殺すのだが、やがてそれもバレ、窮地に立たされることになった。銃が握れないほどボロボロになるまで拷問されるジョー。樽を転がしたり、火を放ったりして拷問部屋を抜け出すが、最後の手段は棺だ。その間、バクスター一家は火を放たれ、皆殺しに遭う・・・
町はずれの廃坑で回復を待つジョー。銃のリハビリも完璧となった。そして最後の戦い。ラモンのライフルは正確に心臓に当たってるのに、何度も立ち上がるジョー。胸に鉄板を仕込んであったのだ!と、後のコミック、テレビ、映画に大きな影響を与えてしまった。特に全体的にオマージュを捧げている『BTTF3』は、この映画の存在がないと霞んでしまう。
最後の最後、残っていたロホの一味がジョーを狙い、それをシルバニートが撃ち殺してしまうところもパクられている?『ダイハード』とかに。
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