「最期の西部劇監督ペキンパーのデビュー作は、極めてオーソドックスな小品だった」荒野のガンマン kazzさんの映画レビュー(感想・評価)
最期の西部劇監督ペキンパーのデビュー作は、極めてオーソドックスな小品だった
テレビ映画で西部劇を撮っていたサム・ペキンパーが、興行主たちの推薦を受けて監督したという劇場用デビュー作。
NHK BSの放送にて。
南北戦争終結間もない時代設定なので、『風と共に去りぬ』や『ダンス・ウィズ・ウルブズ』と近い時代を描いていることになるが、本作は開拓時代と変わらない印象。アメリカは広いので同じ内戦後でも地域によって様々な様相を呈していたということ。
元北軍将校のイエローレッグは、自分の頭の皮を剥ごうとした元南軍兵士を復讐のために探していた。彼は戦争で受けた銃弾がまだ肩に埋まっていて右腕がうまく使えず、満足に拳銃を扱えない。
演じるブライアン・キースは、ペキンパーが演出したテレビ西部劇にも出演していたらしく、テレビが主戦場の俳優だったようだが、ショーン・コネリー主演の『メテオ』(’79)でソ連の科学者を全編ロシア語で演じていた。唯一しゃべった英語(だったと思う)が「くたばれ、ドジャース」(笑)
とある町のダンスホールで働く女キットは、幼い一人息子を抱え、町の女たちからアバズレと揶揄される存在だった。その息子も町の子供たちから敬遠され、一人でハーモニカを吹いて過ごしていた。
キットを演じるモーリン・オハラは、ジョン・ウェインとの共演作など西部劇に多数出演してる女優で、本作の一枚看板スターである。
邦題のイメージとは若干乖離する気がするが、自身の復讐を果たそうとする男が、女性を愛したことで気持ちが揺らぐという、本作はラブ・ストーリーなのだ。
原題「The Deadly Companions」(命がけの道連れ…かな?)は、イエローレッグが仇敵として命を狙っている男ターク(チル・ウィルス)とその相棒ビリー(スティーヴ・コクラン)と行動を共にしながら、復讐の機会を待つというシチュエーションを表している。
いかさまポーカーで吊るし首にされようとしていたタークを偶然見たイエローレッグは、彼が何やら因縁のある男だと気づいて助け出そうとするのだが、多勢に無勢で苦戦する。そこにタークの相棒らしきビリーが現れて加勢し、三人で脱出する。
タークは飲んだくれで、妄想癖がある老いぼれだ。若い相棒ビリーのことを自分の弟子のように言うが、ビリーの方はそれを鬱陶しく思ってるようだった。
イエローレッグがある町の銀行に大金が預けられていると二人に強盗を持ちかけ、三人はその町に向かう。ここまで三人の間で交わされる会話は二言三言で、唐突な展開に思えるのだが、そこにリアリティや説得力を持たせる気はサラサラない。
その道中でも三人がうちとけた様子はない。
そして、三人はその町でキット母子と出会うのだ。
先に他の強盗団が銀行を襲ったので、三人はそいつ等と撃ち合いをする羽目になる。そこでイエローレッグの撃った弾がキットの息子に当たってしまい、少年は命を落とす。
映画の序盤で、これがなかなか衝撃の展開なのだ。
なんなら、『シェーン』(’53)のようにイエローレッグと少年の交流が物語の軸になるかと思わせる雰囲気を出していたのだから…。
息子の遺体を馬車に乗せ亡夫の墓がある町へ埋葬に行くというキットは、道中の護衛をするというイエローレッグの申し出を断って一人で出発する。イエローレッグはタークとビリーを従えてキットのあとを追う。
こうして四人の珍道中が始まるのだが、この展開もよく分からない。
タークとビリーはなぜイエローレッグに従うのか。
タークはイエローレッグをあまり気に入っていないようだが、ビリーは一目置いているようにも見え、ぶつぶつ言い合いながら二人はイエローレッグについて行く。
タークを助けてもらった義理か、イエローレッグがいないと銀行を襲えない何かがあるのか(そんなものはないことが後で分かるが)…。
ところが、最初からキットに色目を使っていたビリーが彼女に手を出したことでチームは分裂。イエローレッグはビリーを丸腰にして追放する。その後タークはビリーの後を追う。
イエローレッグとキットは二人だけで目的地を目指すこことになるのだ。
途中でインディアン(というのは今は差別用語で「先住民」と言わねばならない。よく聞き取れなかったが、原語ではアパッチと言っていたのではないか)との抗争もあり、二人の間に微妙な空気が生まれる。
やがて目的の町に着くが、そこはゴースト・タウンで教会の墓地は荒れ果てていた。
銀行強盗を成し遂げたビリーとタークがそこにやって来て、いよいよ西部劇らしいクライマックスに突入する。
イエローレッグとタークの撃ち合いを見たビリーが「かすりもしないのか」と呆れるほどで、派手なガンファイトが展開するわけではない。だから邦題の〝ガンマン〟が浮いた感じがするのだ。
信仰に厚いキットは、たとえ恨む相手でもタークを殺そうとするイエローレッグを制止するのだった。
いつしか、キットとイエローレッグの間には心が通いっていた。
ブライアン・キースにそれほど魅力を感じない分、モーリン・オハラの華が際立っている。
最期の西部劇監督と評されたサム・ペキンパーのデビュー作は、メジャースタジオ製の大作には遠く及ばない小品ではあるものの、西部劇に欠かせない「良心」をキチンと押さえた王道だった。
後に撮ったバイオレンス西部劇で、往年の西部劇ファンを落胆させ、シネフィルからは高評価引き出すことになるなど、想像もされなかっただろう。
